シャル・ウィー・ロック その2



「エレガント……!」


 その光景を見ていたモノクル女は、2人の世界の邪魔をしないように小さな声で噛み締めた。


「そしてクラシックかつフォーマル! 王国では廃され、帝国ではごく一部の特定の場面でしかされないような礼儀作法、フロネシスの御令嬢は言うまでもなく、あの少年、やはりエレガントな教育を受けていますわね……!」


「跪いた相手に対して、女はまず左右どちらの手を出すかを選ぶ」


 女の隣、男は確認するように、しかし太い葉巻を加えた口端には笑みを含ませたまま呟く。


「右手ならばそのまま手を取り、男側は自らの額に軽く添えることで礼となる……だったな? ミセス」


「えぇ。現在帝国では跪かず、それをすることが基本の礼とされています。たいていの婦女は『社交界では右手で男性の手を取る』ものだと教えられて行っているだけでしょう。エレガントさも欠片もありません」


 ですが、と細い煙草の灰を軽やかな動きで落し、


「トリウィア・フロネシス。帝国一の才女がそれを知らぬはずもなく、そして彼女は左手で手を取りましたわ。故に―――ここからがエレガント。既にその波動を感じますわ」


「いっつも思うけどミセス、魔法以外の何かに目覚めておらんか?」








 ウィルはトリウィアの手を受け取り、自分の手と共にくるりと上下を入れ替える。 

 そして、頭を下げ、額を彼女の手の甲に近づけた。


「……」

 

 コツン、と。トリウィア自ら、ウィルの額に触れ、すぐに離れる。  

 ウィルは顔を上げなかったし、トリウィアはその流れを見つめていた。

 左右の手のどちらを受け取るか。それが最初の選別。

 そして近づけた額を触れてくれるかどうか。それが二度目の選別。

 そこまで続いたのなら、


「―――感謝を」


 恭しくウィルは彼女の手の甲に口づけた。


 貴族の礼、挨拶としてテンプレートなハンドキスは、しかし実際に口づけをすることは基本的にない。相手によっては当然不快感を覚えるし、衛生的にも問題が生じる。場合によってはパーティーを中座し、手を洗う必要も出てくるからだ。

 

 だからこそ、左右の手をどちらかを差し出すか、近づけられた額に触れるかどうか。それによってどれだけ女性側が男性側に気を許しているかを示す一連の行為でもある。


「いいえ、こちらこそ」


 ウィルの唇が離れた後、トリウィアは空いた逆の手でドレスの裾をつまみ、片足を下げながら小さく一礼。体を起こしながら、ウィルの手も軽く引き上げる。彼もまたそれに従って立ち上がり―――一連の動きは完了する。


 回りで見ていた者が思わず息をのみ、葉巻の男は笑みを濃くし、片眼鏡の女は惚れ惚れしながら深々と息を吐く。

 

 立ち上がり、手を離し合ったウィルはいつものように小さく首を傾げ、笑みと共に口を開く。


「先ほどは失礼を。先輩はいつもかっこいいですが、今日は一層かっこよく、綺麗で素敵で、自慢の先輩です」


「……全く」


 真っすぐな言葉に思わず目を背け、煙草に火をつける。

 普段、全くと言っていいほど表情の変わらない彼女の頬は微かに赤い。


「貴方らしいというか……いえ、私も変なことを言いました。それにしても、どこで今のような作法を? 帝国でも礼儀作法としてはもう使われていないものですよ?」


「え、そうなんですか?  ……父からは帝国の女性に対して失礼を働いた時、これが一番いいと教わったのですが……」


「………………なるほど。あのお父さんがどのような人か、少しわかりました――――私以外にしてはダメですよ?」


「あ、はい」


 ウィルは知らない。

 けれどトリウィアは知っている。


 複雑なこの一連の作法は現在の上流階級では使われていない。

 ならばどこで使われているかといえば――――基本的に身分問わず、の時だ。

 最初に右手を差し出せばそもそも関係の拒否。

 手の甲に触れなければ「まだその時ではない」という意思表示。

 口づけを許すということは、即ち婚約である。


 ウィルの父、ダンテがそのことを教えずに、作法だけを伝えたというあたり色々察せてしまうが今は置いておくとする。あのベアトリスであれば下手なオイタを許すことはないだろう。


「…………まぁ、いいでしょう。後輩君は、先ほどフォンさんと踊っていましたね。上手でしたよ」


「ありがとうございます。先輩はずっとここに?」


「そうですね。数人挨拶をしてからはここで壁の花……ならぬ、バルコニーの煙になっていますね。どうも、あの手の上品な音楽は好みませんので」


「えっ」


 ウィルの目がぎょっと開かれる。

 なぜならそれこそ、元々の建国祭の予定ではウィルとトリウィアが学園代表としてこの手の音楽で踊る予定だったのだから。


「あぁ、いえ。すみません。今日は言葉の選択が悪いですね、私。大した意味はないです、ただあまり中にいると声を掛けられますからね。帝国貴族の娘ですし。繋がりを作りたい輩はいくらでもいます。そういうのは最低限義務と言えるんですが。時間がもったいないですし、興味のない相手に触れられるのは不愉快です」


「…………な、なるほど」


「……………………はい、えぇ」


 説明していたら、結局「キスを許すくらいには貴方に興味がある」なんてことを言外に伝えてしまったのでは? ということに気づいた。

 言葉の選択を間違え続けている気がする。

 自分でも新しくも素晴らしいドレスに舞い上がっているのだろうか。

 正直袖を通して鏡を見た時はあまりのかっこよさに感動したものだ。

 ポーズも色々決めた。

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