シャル・ウィー・ロック その1


「……あ、先輩」


 フォンとのダンスの後、お手洗いへと行った彼女と別れ、ウィルが見つけたのはトリウィアだった。

 というのも、このダンスパーティー、最初はともかくアルマはいつの間にか姿を消していたし、御影やトリウィアはそもそも忙しかった。

 なにせ、御影は≪天津皇国≫の第六皇女であり、王位継承権第一位というまさしくロイヤルファミリー。

 ダンスホールに足を踏み入れた瞬間、顔を覚えてもらおうという多くの貴族たち囲まれていた。嫌な顔1つせず、一人一人完璧に対応するあたりさすがと言えよう。

 トリウィアにしても御影ほどではないとはいえ帝国の大貴族の長女である。

 最初に挨拶する相手が数人いるとのことで別行動になった故、ウィルとフォンがまず踊っていたのだが、


「やっぱりここかぁ」


 ダンスホールの一角、大きな窓二つ分のバルコニー。


「喫煙所……というのは僕の感覚か」


 風系統の魔法を日常的に使えるのなら匂いや煙が他人に害を及ぼすことはないが、それができる人間はそれなりに限られている。尤も、アースゼロほど分煙がしっかりしているわけではないので気にしない者は気にしないし、むしろ出来の良い煙草は高級品である。

 普段トリウィアが狂ったように吸っている――それこそアースゼロで市販されていたものと変わらないもの――ものは庶民ではまともに手が出せないものだ。


 聞いた話ではこういった喫煙スペースは初代王が考案したもので、最初はただの分煙だったらしいが現在ではここでずっと好きに煙草を吸えるのは一種のステータスでもあるらしい。

 実際、それほど広くないバルコニーにいるにはそれなりに年を取っている上で来ているスーツや儀礼服、ドレスも見るからに豪奢なものが多い。


 その奥、欄干に背を預けながらトリウィアが煙草を蒸かしていた。


「先輩」


「むっ……あぁ、後輩君。楽しんでいますか?」


「えぇ。先輩は……いつも通りですね」


 バルコニーの下はそのまま夜に明かりを灯す王都が広がっている。

 ホールからの眺めを意識したのだろうが、すぐ下には城門が見える。

 ある意味もっとも良いスペースを独り占めして、その背景に背を向けてぼんやりと煙草を吸っているのだ。

 全く、彼女らしい。


「……いつも通り、ですか」


「? えぇ」

 

 ウィルが首をかしげてから頷き、トリウィアは煙を吐き出し、


「…………それなりに、めかしこんだと思うんですが。後輩君やアルマさんの友人に、スーツまで貰って」


 そんなことを言った。

 普段無表情な彼女だけれど、もう長い付き合いだ。何を考えているかは分かる。

 ほんの少し眦が下がっていて、それは明らかに落ち込んでいるようだった。


「――――」


 ウィルは自分の失言を悟る。

 極めて珍しく、トリウィアはいつもの白衣姿ではなかった。


 そもそも学園の制服といい、このアース111、特に≪アクシオス王国≫の服飾文化はかなりアースゼロの現代のそれに近い。中世ファンタジー映画、あるいは歴史の教科書で見たようないかにもな貴族のドレスもあるが、同時に現代アースゼロの海外セレブが公のパーティーで着るようなスタイルのスーツやドレスもある。

 それこそ由来を聞けばどう発展したのかトリウィアなら教えてくれるだろうが、それどころではなかった。


 藍を基調にしたスーツドレス、と呼ばれるタイプのもの。彼女の細く長い脚を強調するようなストレートに伸びるパンツとピンヒール。

 その上で藍の生地の藍の刺繍という一見では無地に見えるが、良く見れば、或いは角度や光の加減で気づけるような装飾のコルセット。ウェストと胸を抑えるだけでデコルデはさらけ出し、その上からジャケットのようであり、ロングコートにも見える丈の長いアウターを羽織っていた。白衣と似ているが、いつもと違って臍の位置あたりでボタンが止まっていることと、そもそもオーダーメイド故にボディラインも完全に計算されているのだろう、全く違ったシルエットと印象を見る者に与えている。

 いつもはストレートボブの髪型も、前髪を残しながらも短いポニーテール――普段のフォンよりも少しだけ位置が低い――にしている。


 不要な飾りの一切をそぎ落とし、洗練されきった美がそこにある。

 彼女のスレンダーさを活かしつつ、普段の白衣に近いスタイルでしかし全く別の「かっこいい」を体現していた。


 そう、いつもとは違うのだ。

 なのに、開口一番が「いつも通り」だなんて。


「……失礼しました、先輩。やり直しを要求しても?」


「えっ? はぁ。……どうぞ?」


 やり直し? とトリウィアは眉を顰めた。

 何をするのだろうと、考える間もなかった。


「-ーーー」


 青と黒の瞳が見開かれる。


「ご機嫌麗しく、お嬢様」


 ウィルが流れるような動きで跪き、彼女に自らの右手の甲を差し出したのだ。

 一瞬だった。

 衣ずれの音すらない洗練された挙動。

 左の片膝を立てながら、しかし背は丸めることなく美しいままに。左手は、右手首に添えている。


 喫煙バルコニーにいた他の紳士淑女がその姿に息を呑む。

 この世界ではまだ一般ではないーーそしてこの後トリウィアが大量に購入することになるーー煙草の葉に香料とフルーツの風味を付与した最先端最高級の細い紙巻きタバコを蒸していたモノクルの女は、その観察眼にてウィルとトリウィアの関係を把握し、これから起きることを予見して、そのフレームに亀裂を入れていた。

 その隣では大柄かつ軍式の儀礼服に身を包んだ壮年の男が、腕を組みながらニヤリと笑っていた。

 若いなと、言わんばかりである。


 どこの世界でも、特定のコミュニティは特定のマナーがあり、文化がある程度発展した上で社会的に地位と格調高さが求められることは珍しくもない。

 例えばアースゼロの騎士の場合。

 彼らは主人に対して左膝を立て、右膝を立てることは無礼とされる文化がある時代と地域があった。

 基本的に彼らは左腰に剣を差すため、左膝を立てることは剣を抜かず、主人に刃向かわないことを示す意味があったという。


 アース111においても帝国と王国は似たような文化があるが、差異は魔法の有無だ。

 剣を持っていなくても剣を生み出すことができるし、系統魔法では単体使用でも十分殺傷力を生むことができる。そもそも魔法発動に媒体は不要であり、詠唱や準備も練度によっては必須ではないため、完全な無力化を示すのは不可能と言って良い。

 

 故にこそ、意図的に不戦の意思との象徴として両手を差し出している。

 

「……」


 そしてトリウィアは目を細め、


「―――えぇ」

 

 自らの左手の平を、ウィルの手の甲ではなく、彼の掌に重ねながら答えた。


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