ハッピー・エンディング その1

 ばしゃりと、水音が耳に届く。

 そして、水の中に沈む感覚とそれに伴い体が浮いていく。

 仰向けに水面に倒れ込んで、体が浮かんでからゆっくりと目を開いた。

 見上げた先には見慣れた、見飽きたという言葉も馬鹿らしい無限の書架。

 アース666、書架の穴倉。

 まつ毛についた水滴と光る水面のせいか、きらきらと輝いている。

 身体には装衣が、銀色の髪が頬に張り付いている。


 ――――ウィルから手を放し、そのままこちらの世界に帰ってきた。


「―――あぁ」


 だって、仕方ない。

 これでいいのだ。

 元々別の宇宙の人間で。

 彼は20にもならず、自分は1000歳を超えていて。

 これから自分はやることがある。


 ≪ネクサス≫から離れた。

 これはいい。どうせ元々、≪D・E≫を見つけたら知らせて、指示を出すだけだ。今回の転生者組は戦闘力的には≪ネクサス≫に大きく劣るが、それでもそれなりの手練れだ。ダメでも自分でやればいい。


 やり方を変えることにした。

 ≪ネクサス≫はカウンター組織だ。≪D・E≫が出現した世界に行って、倒す。そのためにマルチバースでも最上位の戦闘力を持ったものを集める。だが結局それでは対処療法故に後手に回り過ぎる。

 今回のゴーティアのような、各世界に潜在する≪D・E≫幼体は多くいる。

 どれが緊急度高いのか、そうでないのか。

 マルチバースを精査する必要がある。それ自体は今までと同じで、検索対象が変わるだけ。大した手間ではない。


 アース666、≪D・E:黙示龍≫の封印続行。

 これもいい。やることは変わらない。畢竟、自分がいなくても封印は解けないようにしているし、この穴倉には物理的に侵入する方法はないし、今の文明ではこの場所を知る者はいない。なので此処に関しては心配しなくていい。


 ―――あぁ、いや違う。

 そうじゃない。


 ウィル・ストレイトとアルマ・スぺイシアは確かに手を取りあった。

 確かに彼の希望となって、危機を脱した。

 

「だけど―――あれは、今回だけでいい」


 体を水の中に漂わせながら、言葉を零す。

 書架の中、場違いな泉は魔力や体力の回復、化学的・魔術的含む様々な穢れの浄化。着替えも乾燥も魔術で行うので、それこそゲームに出てくるような万能回復ポイントだ。

 

 けれど、心は晴れない。


 胸の中に、どんよりと重いものがある。

 けれど、仕方ない。

 仕方がないと、その重みを泉の浮力で誤魔化せないかと思う。


 ウィルは、その名の通りに、真っすぐに未来へ進めるはずだ。

 自分はなんていうか…………そう、たまたま道が交差しただけなのだ。掲示板を通して知り合い、力になりたいと思った。だから行動をした。やり方を変えた。その結果、彼を救った。


 彼の現在を守った。


 だから、後は自分の力で生きていける。

 彼は一人じゃない。鬼の姫も、知識の申し子も、鳥の娘もいる。3人の誰かと、或いは3人ともと結ばれるだろう。きっと幸せな家庭を築ける。3人だけではない。彼を慕っているものなんて、あの世界にいくらでもいる。

 あらゆることに適応する特権の力ではない。

 彼自身がそうさせるのだ。

 鬱陶しいが賑やかなオタクたちもいる。

 この選択は色々言われるだろうが仕方ない。

 掲示板で色々書かれても、まぁそれは規制を掛ければいい。管理者権限――正確に言うと干渉権だが――持ちを舐めるなということだ。


 えぇと、それで。

 なんだったけ。

 とにかく―――そう、とにかく。

 彼は助けた。彼に名前を呼んでもらった。彼と手を繋いだ。

 それで十分。

 1000年の停滞に光が差した。

 これ以上の幸福なんてそれこそ死んでしまう。

 今回の思い出だけでもう1000年は戦えるだろう。


「だから――――――これで、いい」


 呟いて、ばちりと音がした。

 なんだと思えば、眼の前。中空に火花が散っていた。


「―――――は?」


 思わず目を疑った。

 ありえないと、思った。

 そして次の瞬間――――火花は広がり、門が生まれ、


「うおおおおおおおお!?」


「うわあああああああ!?」


 ウィル・ストレイトが落ちて来た。







「――――ぷはっ!」


「ごほっごほっ……うわ、なんですかこの水。疲れや体の痛みとか一瞬で消えますね……!」


 仰向けで泉に浮かんでいたアルマの真上からウィルは現れた。

 当然中空から放り出される形になり、2人そろって泉に沈むことになった。

 水深は、実はアルマが調整できる。

 立って足が付かないようにもできるし、水面に立つことも。

 とっさの設定でほんの数センチ程度の深さになった。

 一度沈んだせいでずぶ濡れなり、共に髪や頬に水を滴らせる。

 ウィルは膝をつきながらも起き上がり、アルマは浅くなった水底に尻もちをついていた。


「……い、いや、なんで? なんで君がここにいる!? どうやって来た!?」


 ウィルは謎の光る水に驚きつつ、アルマの頬に張り付く髪にドキドキし、


「いやいや!」


「嫌!?」


「アルマさんが勝手に消えちゃうからじゃないですか! 滅茶苦茶びっくりしましたよ! あれでさよならって! あれでさよなら!? そんなことあります!?」


 自分でも驚くくらいに声が荒くなった。

 ゴーティアを倒した直後、アルマは消えた。

 追いかける間もなく次元門を開いて飛び込んだのだ。

 出会った時手を指し伸ばしてくれた時とはまるで逆再生の様に。

 正直、ぞっとした。

 わけが分からなかった。

 だから手を伸ばした。

 そしたら、


「オムニス・クラヴィスが反応して、こうなんか……頑張ったら、門が開きました」


「………………」


 アルマの頬がひきつる。

 つまりは術式のラーニングだ。

 確かにアルマはウィルの前で何度も転移門を使った。それに≪万象掌握≫の力も相まって、次元間転移術式を発動させたのだ。そもそもアルマの魔術で閉じた空間が、アルマの作った万能魔術発動陣でアルマの術式を模したもので開けられるというのはまるで不思議じゃなかった。

 それにしたって、


「ち、チート……!」


「アルマさんが言いますか!?」


 人生最高のツッコミである。

 というか、

 

「あれでさよならってあります!?」

 

 三回目の叫びだった。

 珍しい勢いに、アルマ眉をひそめながら目をそらした。


「……ゴーティアは倒しただろう。なら終わりじゃないか。他の転生者組も、時間差で勝手に帰還するようにしておいた」


「だからって! だからって―――――」


 ウィルが膝から崩れ落ちる。

 掌を膝の上で、縋る様に握りしめた。

 くしゃくしゃに顔を歪め、うつむいた彼は、泣きそうだった。

 これまで、過去を語る時も、ゴーティアに殺されかける時も微かな笑みさえ浮かべていたのに。

 掴んだと、思っていたのに。

 するりと、消えてしまった。


「こんなのって、ないじゃないですか」


「……うぃ、ウィル。僕は……」


「僕は」


 顔を上げた彼は、一度息を整え、


「僕は、アルマさんが好きなんだと思います」


「……………………はっ?」


「もっというと、アルマさんも……その、僕のことが好きでいてくれていると思っていました」


「……………………………………はったふぇあ!?」


 アルマの白い頬がリンゴのように真っ赤に染まった。

 近くを浮いてオロオロしていたマントが「あらー!!!」と言わんばかりに両袖を合わせた。

 奇声を上げたアルマは仰け反って、肘が付く。

 ちょっとしたM字開脚になってしまうが、それに気づかず、


「なっ……何を言っているのかな!? ぼ、僕が君を!? す……すっ……すす、すき? すき? この僕が!? この次元世界最高! 宇宙によっては神と呼ばれ、黙示龍を封印し、アカシックレコードを手にして、アース3のトライコードすら学んだこの僕が!?」


「だって、次元超えて僕のこと助けてくれましたし」


「んんっ」


「僕が君の希望だ、とか。名前に掛けて凄いこと言ってくれましたし」


「ん―――っ」


「お揃いの服くれたり、手とか普通に握るんじゃなくて恋人握りしてくれましたし」


「ごほんっごほんっ! そ、それは!」


「……それは、なんでしょうか。その、僕も前世では二十数年、いえ、死んだ時の正確な記憶はないので曖昧ですが、ろくに恋愛をしたこともなくそういう経験値は無いので、勘違いと言われればそうで、僕のことなんて全くどうも思っていないと断言されてしまえば、そうですかとしか言えないんですが……」


「…………………………そ、それは、その」


 捨てられた子犬の様に真面目に言うウィルに、アルマは思わず言葉を無くす。

 視線が泳ぐ。

 それはもう、あちらこちらに。

 転生して1000年、アルマ・スぺイシアは過去最高に動揺していた。

 そんなつもりはないよ全く、童貞かね君は! と、そう言ってやるつもりだったのに。

 何も言えなくなってしまった。

 言うまでもなくアルマの頭脳は多元宇宙において最高の知識を持つ。

 そしてその頭脳で言葉をはじき出した、


「て、ていうか―――――僕は元々男だぞ!?」


「―――――――――――――――――今更それ言いますか!?」


「ぐぬぅ」

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