フォンー風の歌 その1ー

「ひあー! 疲れた!」


 板張りの訓練室にフォンは大の字で倒れ込んだ。

 既に冬の盛りに近づいた外とは違い、学園の運動室は快適な気温に保たれているが、しかし運動後の火照った体には汗が滲む程度には暑かった。

 基本的に鳥人族には冬服というが概念は無く、似たような衣装の長袖が≪王国≫の服屋で売っていたので、結局それの袖を切り落として運動服変わりにしている。

 下は肌に張り付く伸縮素材で太もも半ばまでなのは相変わらず。

 結局防寒具としての意味が失ってしまったので、概ね外ではロングコートを羽織り、下はゆったりとしたズボンを履くことでどうにかしていた。それらも屋内で暖かい部屋に入ればすぐに脱いでしまって「彼」に注意されるのだが。

 生まれ持った習慣というのはなかなか治せない。

 

「あ、主ぃー、ありがとー」


 「彼」がフォンに水筒を差し出してくれたので感謝をしつつ、冷たい水を喉に流し込む。


「わっぷ……にへへ、こっちもありがとっ」


 大き目のタオルに体に掛けてくれたので嬉しくて笑って礼を。

 はしたないよ、と「彼」は手を指し伸ばしてくれたのでその手を取り、胡坐に直って汗を拭く。

 そして、同じように半袖長ズボンという動きやすい恰好の「彼」が隣で座り、水を飲み始めた。


「へへっ」


 なんとなく、楽しいなと思う。

 「彼」と一緒に何かをするということが。


「んもぉー! 仲良しねぇ~!」


 そんな二人に声をかけたのは、2メートルもあろう巨躯のエルフだった。

 エルフといえば森に生き、草花や自然を愛し、長命で誇り高く、そして男であれば年をとっても美青年であり、女であれば美女だ。

 が、眼の前のエルフは訳が違った。

 筋骨流々、本来華奢なエルフだとは到底思えない。裾が広いズボンには太ももの筋肉が張り付いてパツパツだし、胸の半ばくらいでボタンが開けられたフリルシャツから覗く胸襟は彫像のように隆起していた。

 最初見た時はエルフ……? となったが、尖った耳がエルフ族であることを証明している。

 おまけに男だが、人間種の女性がするような濃いメイクをしているので性別が良く分からない。

 都会は凄い人がいるんだなと、最初は驚いたものだ。

 彼、あるいは彼女は、しかしこれでも学園の教師であり、文化全般の授業の統括を行っている者だ。

 被服、ダンス、歌、楽器、さらには料理や掃除のような家事全般まで全てが一級品のオカマなのである。

 そのあたりの花嫁修業全般を納めていて、料理もいっそ本職でやれるのではないかと思わされる御影でさえ舌を巻くほどなのだから恐れ入る。

 ≪皇国≫王族認定エルフだ。

 ちなみにトリウィアは料理は出来るらしいのだが、やたらゲテモノ料理になるので厨房出禁である。


「ま、形に、なったんじゃ、なぁーいのぉ? 二人とも、センスはあるわぁ~~」


 やたらしなを作って話すのは癖があるが、まぁ慣れである。

 

「これなら、生誕祭と新年祭も十分すぎるほどでしょ」


「よかったぁー。地に足付けてダンスなんて初めてだったから、変な感じぃ」


 時はもうすぐ年越しである。

 そして≪王国≫では年末の少し前に生誕祭―――かつて初代国王の誕生日を祝う≪王国≫の記念日と、年の終わりと次の明けを祝う新年祭という行事が二つ控えている。

 ≪氏族連合≫では年末年始は冬の終わりなので、少し変な気分ではある。

 学園も冬休みに入り、王都も学園も祭りに向けて準備をしていく。


 ダンスの練習もその一環だった。

 新年祭はどんちゃん騒ぎらしいのだが、建国祭はわりとシックな感じらしく優雅な音楽に合わせてダンスイベントがあったりするらしい。

 これが若者にとっては誰と誰がペアになるかで戦争ものらしい。

 

「主殿は早かったね」


「モテモテねぇ。主席ちゃんは~。中々ないわよ、3人同時って」


 いやいやと、「彼」は苦笑しながら首を振る。

 3人、とは言うが実際の所はもうちょっと複雑だ。

 基本のペアを御影が秒で申し込み、その後学生代表ペアとして「彼」とトリウィアが選ばれたので建国祭でパーティーの来賓や生徒の前で踊ることになり、


「御影さんも流石の度量だよねー。私が1人だけ仲間外れじゃん! って言ったらお前も踊ればいい! とかダブルペア認めてくれたし」


 あの鬼姫様は一々カリスマがある。

 「彼」に対してはあまりにアグレッシブすぎるが、それ以外ではカリスマ皇女以外の何でもない。一人っ子の自分にとっては姉のような存在だ。

 トリウィアはちょっと何考えているかよく分らない。

 見ている分には面白いのだけど。


「ま、私はこれで。もう夜も遅いし、オイタはダ・メ・ヨ―――CHU・CHU♡」


 巨漢のオカマエルフが投げキッスをフォンと「彼」に連続で飛ばし、片足のつま先立ちで回転しながら運動室の外へ消えていった。

 地味に尋常じゃないバランス感覚だった。


「……ふぅ」


 自分と「彼」だけになってしまって息を吐く。

 窓の外を見れば真っ暗で、星が輝いている。

 かつての鳥人族の里とはまた少し違う。

 基本的に鳥人族は冬は比較的暖かい地域に移動し、温かくなれば高地地帯に居を構えるといった『渡り』を行う種族だ。

 そのため、フォンにとって冬というのは新鮮だった。

 息を吐けば白くなり、頬を指すような冷たい空気、乾きつつも澄んだ空。

 夜空のことはよく知っているけど、窓の外には知らない空が広がっていた。


「主ぃ?」


 ん? と、帰り支度をしていた「彼」が首をかしげならこちらを向く。

 主の癖で、それを見るとフォンは何故か嬉しくなってしまう。

 勝手に頬が緩んでしまうのだ。

 なぜか荷物とは別に小包を持っているが、しかしそれよりも、



「今から、空行かない?」









「あはははははははは!! さーっむーい! つめたぁーい!」


 眼下、巨大な王都の光がある。

 夜空を落下していけば冬の冷たい空気が手を繋いでいるフォンと「彼」の体を駆け抜けていく。魔法による保護も使わず、フォンも獣化を用いない純粋な高所落下だ。

 訓練所を出た後、「彼」の手を取ってそのまま限界高度まで飛翔して落下している。

 鼓膜に響く轟音は慣れたもの。

 隣、手を繋いだ「彼」が何かを叫んでいるが、


「え? 聞こえなーい! あははははは!」


 寒くなってきて、高所飛行はしばらく控えていたなぁと今さらながらに思い出す。

 鳥人族である自分からすれば信じられないことだ。

 それくらいに王都の、「彼」との日々は鮮烈だったから。

 鳥人族にとっての娯楽は飛ぶことであり、それ以外は亜人種族的の文化的に発展していないというのは否めない。

 それを恥ずかしいとも残念とも思わない。

 飛翔こそが、鳥人族の全てだから。

 けれど、王都には、学園には多くのものがあった。

 石造りの街、沢山の人種、音楽や絵画、演劇、それらの他の国のもの。

 ≪連合≫の中でだけ生きているだけでは決して知ることができなかった。

 

 今は、「彼」個人の付き人としてフォンは学園に在籍している。

 そういう立場は左程珍しくはない。他国の王族や各国貴族も珍しくないのだ。そういう立場から入学条件を満たしていない者でも学園で暮すことが可能だ。

 当然、御影にもいるらしいのだが見たことがない。

 ≪皇国≫特有のニンジャ、というやつらしい。

 御影と一緒に入学しているらしいのだが、影すら見たことないので謎だ。

 世界は広い。

 

「――――ははっ」


 それでも、こうして風の中を舞うことこそが最高の瞬間だ。

 落ちる。

 落ちる。

 落ちていく。

 「彼」はもう何も言わなかった。

 頭から落下していく中で、落ち着いた様子で右腕に魔法陣を展開し握りしめる。そして、彼の体が淡く光った。

 それが嬉しかった。

 自分の我儘に付き合ってくれることが。

 種族が違っても「彼」はフォンのやりたいを尊重してくれる人だから。

 

「―――よぉし!」

 

 繋いだ手を引き寄せて、落下速度が上がる。

 大地への墜落は、まるで天からの飛翔のように。

 たった2人だけ、逆さまに反転した世界を昇っていく。

 そして天上が僅か十数メートルにまで達した瞬間、


「――――いぃぃぃぃよっ!!」


 服の下、背の入れ墨が淡く輝き――――濡れ羽色の双翼が広がった。

 

 後は一瞬だ。一度の羽搏きで二人は停止し、二度目では既に数十メートルは上昇している。

 そのまま漆黒の影は夜闇に溶けながら星空へと駆け上がる。

 さっきまでの逆再生のようであり、しかし速度が段違いだ。 

 仮に落下地点周辺に人がいても、常人であれば突風が吹いたとしか思えないだろう。


 鳥人族は数ある種族において最速だ。

 それは純粋な移動速度においてだけではなく、瞬間的・持続的な加速や速度の維持も含めて。遺伝子レベルにおいて骨格の作りや肉体の重量が加速と飛翔に特化している。


 そしてフォンは鳥人族において最速の鳥人である。


「―――捕まっててね、主」

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