フォンー風の歌 その2ー

 200メートルほど上昇したタイミングで、フォンはくるりと体を回した。「彼」の手を引き寄せ抱き合うように――というより、彼の腕を自分の首に回して抱き合うような体勢に。

 そして翼と腕、足の入れ墨が再度輝き――腕が翼に、ふくらはぎから下が鳥の趾状に変化した。

 闇夜の中に溶ける様に広がり、しかしその闇を切り裂く為の翼だ。

 背の翼は同時に消えたハーピー型。フォンにとっては第二加速形態ともいえる姿だ。


「―――はっ」


 犬歯がむき出しながら彼女は笑う。

 この瞬間が、一番快感だから。

 自由に、翼となった両腕を羽搏き―――音を置き去りにして加速する。


「―――!」


 超加速による急上昇は「彼」であっても肉体強化をしていなかったらとっくに意識を失っていただろう。

 飛翔は僅か十数秒だった。


「…………わぁ」


 夜闇を真っすぐに切り裂き、雲すら超えて天上に満月。青白い光で世界を優しく照らしていた。

 吐く息が真っ白になり、月光に輝いている。

 鳥人族は大半の魔法が得意ではないが、飛行に関する魔法は本能レベルで使用できる。そのために高高度における体温調整や酸素確保も無意識で発言していた。そうでなければゆっくり景色を楽しむことはできなかっただろう。

 

「むっ」


 急加速したせいか「彼」が自分にしがみ付き、その頭が丁度小ぶりながらもしっかりとある胸に押し付けられていた。

 そのことに気づいて急に恥ずかしくなり、腕を人のソレに戻して、背から翼を生やす。

 なるべく不自然でないように手をつなぎ直して、ゆっくりと翼を大きく広げて中空にホバリングする。

 鳥人族でも限られた者しかできない空を掴む、と表現される高等技法だ。

 「彼」も浮いていることに気づいたのか、腕からリングを生み出して足場替わりに展開していた。


 便利な魔法だなと思う。

 秋ごろに街のチンピラの喧嘩から王都裏社会のヤクザの抗争に巻き込まれた時はあのリングでチンピラもヤクザも冗談みたいに吹っ飛ばしていた。単純な格闘だけでなく移動にも使っていたし、実際今こうして空に浮かんでいるのだから。

 ちなみに流石に高速飛行はできないらしい。

 

 つまり――もしも「彼」が空を飛びたいと思うのなら、フォンの翼が必要だということだ。


「……ふふっ」


 それが嬉しくて思わず笑みが零れてしまう。

 「彼」が首をかしげるが構わずに、


「―――よぅし、踊ろう、主」


 滑る様に、二度目の落下を開始した。

 今度は先ほどのような高速の墜落ではなく、翼を広げながら螺旋を描くようにゆっくりと硬度を下げていく。

 片手を放して、体を大きく広げて踊る様に。

 手を放して、一度離れてから握れば慣性によって互いの位置がくるくる変わっていく。

 

「ん? ――ってうわ!?」


 「彼」が何か思いついたように笑ったと思ったら、視界から当然消えた。

 中空に固定したリングに一瞬足を引っかけて落下が止まったのだ。


「……へへっ」


 翼を大きく広げて、ぶつかる様に彼の手を取る。

 うわっと「彼」が声を上げるが構わずに一度回転し、


「そりゃ!」


 手を放して、高速で斜め下に彼が滑り落ちていった。

 あ、という言葉がだんだん遠くなっていくのが面白かった。笑みを浮かべつつ、翼を広げて追い付き再び手を取る。

 

 そういうことを、何度も繰り返した。

 夜空に黒い翼と七色のリングが幾通りもの軌跡を描いていく。

 楽しいな、とフォンは心から思った。

 誰よりも速く飛べる彼女は、誰かと空を楽しむことなんてできなかった。

 「彼」についてきて色々なものを知ることができたけど、きっとこの喜びが一番大切なものかもしれない。


「―――a」


 ふと、喉から声が零れた。

 

「a――――」


 それは言葉になりきらない何か。

 ただ、胸から溢れたものをそのまま吐き出しているだけ。

 けれど、何故かは解らないけれど急に歌いたくなったのだ。


「aaa―――」


 そう、それは歌だ。

 どうしてかそう思えた。

 胸の中にあったもの―――これまでフォンが感じて来た全ての風が歌と声になってあふれ出してくる。

 歌を歌いたいなんてこれまで一度も思ったことはなかったのに。

 「彼」と空を舞っていたら急に歌い出したくなってしまったのだ。

 そういえば、故郷では自分よりいくらか年上の男女が歌いながら一緒に飛んでいることをたまに見たなと思いだした。

 良く分からないけれど。

 良く分からないことだらけだなと思わず笑ってしまう。

 だけど、これでいい。

 「彼」と一緒ならきっとこれから沢山のことを知ることができる。

 この風の歌も、もっともっと色々な音色を重ねることになるはずだ。

 

「aaa―――――」


 だから今は―――ただ、「彼」を想って歌うのだ。







「へくっち!」


 地上に降り立った途端、くしゃみが出た。

 

「うぅぅぅ……さ、流石にちょっと寒いなぁ」


 当然と言えば当然であるのだが。

 空を飛ぶために、飛んでいる間は無意識に様々な魔法を使っているフォンでも地上に降り立ってしまえばそれらは切れてしまう。残るのはもうそろそろ雪が降りそうな寒空でノースリーブにスパッツの少女だ。

 直前の空中舞踏で体が火照っていたのだから、動きを止めれば急に寒さを感じてしまう。

 夜も更けて誰もいない学園校舎の中庭を歩きながら震えていたら、


「わっ?」


 何か大きな布で頭が覆われた。

 驚きながら頭から取って、この場に一人しかいない他人を見た。

 彼はいつものように首をかしげながら笑い、言う。

 少し早い建国祭記念のプレゼントです、と。


「―――わぁ、凄い!」


 それは黒に近い紺――濡れ羽色のマフラーだった。

 初めて触れるような感触はさらさらとしていて何の素材でできているのか良く分からない。絹に近い気もするが軽く伸ばしてみれば伸縮性も高い。

 何より驚いたのはその模様だった。

 フォンの入れ墨と同じような風と翼を模した刺繍が全体に施されている。

 それは≪王国≫ではほとんど見ないものだ。特徴的な鳥人族の衣服だからか、似たようなものはあるがやはりどうしてもそれっぽい何かになってしまう。加えて亜人氏族の入れ墨模様は複雑であるせいか、それも似たような模様はあっても亜人から見れば違和感が生まれるようなものだ。

 けれど、このマフラーは違った。

 フォンから見れても再現度は極めて高く、鳥人族のそれに遜色ない。

 ぱっと見、鳥人族の里で作られたものと聞いても驚かないが、この手のマフラーを付ける文化はほとんどなかった。


「これ、どうしたの主! ――――自作ぅ!?」


 答えはまさかのハンドメイド。

 聞けば、「彼」が御影から刺繍を習い、模様はトリウィアがちゃんと調べて作ったものらしい。

 何でもできるお姫様だし、トリウィアの知識も流石だ。

 そして、「彼」も何かと一目見れば大体なんでもできるのは流石というべきか。

 

 ずっと寒そうだったから、と彼は笑う。

 それなら、ちゃんと鳥人族の入れ墨も見せられるかなと思って、と。


「――――主」


 言われた言葉に胸の奥が高鳴った。

 高位獣化能力者であるフォンにとって実際の所、獣化の為の服の露出というのは必要ない。背や腕の翼の為に露出度の高い鳥人族の服装は本来必要ないのだ。

 けれど、だからって、自分の氏族の衣服を着ないのはなんか違うかなとフォンは思う。

 亜人氏族にとって衣服も重要な文化の一つ。

 成人の証に入れ墨を施す以上、それを見せる為の露出も切っては切れないもの。

 だから、フォンはなるべく薄着で過ごしていたし、大体の亜人氏族は露出度の高い服を好む。大陸の西側が比較的温暖なことも要因の一つなのだろうが。

 後は単純に習慣もあってなんとなくというのもあったりなかったり。


 いずれにしても、ずっと薄着だった自分の為に「彼」が作ってくれたことが嬉しい。

 それも、鳥人族という種族の文化を尊重してくれる形で。


「っ―――」


 それが嬉しかった。

 思わず寒さ以外のことで体が震えてしまい、顔が真っ赤になるくらいには。

 なんだろう、病気かな?

 変に心臓も痛いし。

 息を整えつつ、マフラーを首に巻く。

 さらさらと肌触りは良く、保温性も高いのか首に巻くだけで急に暖かく感じた。


「…………へへっ、どうかな?」


 恐る恐る聞いてみれば―――似合っているよと、「彼」の即答だった。

 また顔が熱くなってしまう。

 嬉しさと恥ずかしさでマフラーに顔を埋めて、頬を緩みをなんとか隠そうと試みる。

 上手く言った気がしない。

 それくらいに笑顔が抑えきれなかった。

 また急に歌い出したくなってしまう。

 寒いからか、自分の輪郭がはっきりとして、体の中の、胸の奥の熱がはっきりと分かってしまう。

 あぁ、なんなんだろう。 

 自分は頭が良くないし、解らないことばかりだけど。


 ――――いつか、この気持ちに、この歌に名前を付けられたらいいな。


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