第30話 ちいさな・こうみょう

 順路を逆に進み、スタッフ用の勝手口に入る。配線や配管がむき出しになった薄暗い通路を通り抜けると、来架に指示された目的地の扉はあった。


「待って、駆音」


 扉を開けようとしたところで、蒔奈が俺を呼び止めた。


「私に指示させるって、本気なの?」


「ああ、もちろん」


「そんなことして勝てる相手じゃないわ」


「戦ったことがあるのか」


 蒔奈は小さく頷く。


「前、一度だけ。誠、深湖子と遊んでたら二人とも用事でいなくなっちゃって。途端に来架がしつこく寄ってくるようになったから、『じゃあGoMなら』って」


 蒔奈が奥歯を噛みしめる。それだけで、対戦の結果がどうだったのかは想像がついた。


「強かったわ。多分相当練習してる。趣味としてはやってないみたいだけど、誠や深湖子の遊び相手になってたんだと思う」


「つまりあいつには黄昏の鏡姫と渡り合うだけの力があるってことか」


「そうよ、分かったら駆音だけでやって」


「いいや、お前が指示してくれ」


「なんで! 私の話聞いてた?」


「それが、一番勝率が高いからだよ」


 そっと蒔奈の頭に手を添える。


 蒔奈は更に顔を歪め、目の端から今にも涙が零れそうだ。


「今まで俺が指示してたのは、俺の方が相手を知っている自信があったからだ」


 蒔奈が練習している間、芽吹にも頼んで対戦相手の過去の記録を漁りまくった。参加してきそうなプレイヤーは手当たり次第に、全部。さすがに無名のプレイヤーまでは追えなかったが、要警戒のプレイヤーからセオリーを学び、二対二の戦術を勉強した。


「でも今回は違う。俺より蒔奈の方が知っている。蒔奈の力が必要だ」


「……うん」


 泣きながら顔をほころばせる蒔奈を横目に、俺は重い扉を押した。


「ようこそ」


 中は異質な空間だった。水族館の中にあるせいか、太い配線が地を這っており、周りを大きな水槽で囲まれている。こんなところにPCを置いて湿気は問題ないのだろうか。


 中央には向かい合って机と椅子が並べられており、中央にはトリプルモニタのPCが設置されている。


「どうぞお座りください蒔奈様」


 手前の席の椅子を引いて蒔奈をエスコートし、自身は対面の席に座った。蒔奈の横にもう一つ椅子があったので、ため息をつきながら腰をおろす。


「水族館にこんなとこがあったなんてな」


「元々は制御室だったらしいのですが、今はもう使われていません。そこを使わせてもらってるんですよ蒔奈様」


 面倒くせえやつ。まあこれでもこいつなりに会話しようとしてくれてるのかもしれない。


「それで、対戦形式ですが……」


「俺の要望はさっき伝えたとおりだ」


「分かりました。では」


 着々とゲームの準備が進んでいく中、蒔奈だけは浮かない顔をしていた。


「最初の敵の攻撃はなんとかいなしてみるから、蒔奈は作戦を練ってくれ」


「……どうしてもやるしかないの?」


「頼めないか」


「……分かった。でももし負けたら――」


「負けないさ」


 励ますように、少しでも蒔奈の不安を取り除けたらと思う。


 でもそんな甘い言葉じゃ、もう蒔奈は俺を信用してくれないだろう。きっとまた自分の弱さを責めて傷つくだけだ。


 だからもう、甘くはしない。ただ目の前にある壁を登る手伝いをするだけだ。


 甘くするより厳しくする方が難しいなんて思わなかった。


「準備はよろしいでしょうか」


「ああ、始めよう」


 どんな試合にだって勝機は転がっている。


 その小さな光に賭けて、俺はゲームスタートのコマンドをクリックした。

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