第11話 あくまの・ほほえみ

 二階に上がると、店の雰囲気はガラッと変わる。壁や床は黒が基調となり、窓もなく薄暗いため、二階にいながら地下にいるような錯覚に陥る。


 それまでPCパーツが中心に並んでいた棚は溢れんばかりのキーボードやマウス、ヘッドフォンに変わった。


 まあそこら中に商品があるせいで、ごちゃごちゃしていることに変わりはないが。


「すごい……」


 蒔奈の口からため息にも似た声が漏れる。分かるぞ、こういうメカメカしいところに来るとテンション上がるよな。


「これが全部、デバイスなの……?」


「そうさ。それもゲームをするのに特化した、な」


 答えたのは俺じゃなく、蒔奈の後ろから現れた明日波さんだった。


 明日波さんの姿を見た途端、また蒔奈が「ぶぅ」と不機嫌そうに頬を膨らませる。


「店番はいいんですか」


「どうせ誰も来ねえよ。その子のデバイスを選ぶんだろ? だったらオレも手伝わなきゃじゃん、駆音のために」


 確かに明日波さんの知識量はすごい。俺も知識がある方だと自負してはいるが、明日波さんのそれとは比べ物にならない。俺がこの店を使っているのも、鉄さんが知り合いだからってだけじゃなくて、明日波さんがいるからだ。


 にしても気持ち悪いな。いつもなら接客って接客をしない上に、何も買わず店を出ようものなら罵倒してくるような人なのに。今日はいたって親切だ。


「いらない。私、自分で選ぶから」


 ツンと断って、蒔奈は自分でデバイスを見始めた。しかし頬の膨らみがだんだん大きくなっている気がする。どうしてこんなにも明日波さんを嫌うんだ?


 明日波さんも怖い。これだけ嫌悪感を露わにされてもニヤニヤしたままだ。性格の悪い明日波さんが、何事もなく楽しそうにニヤニヤしているなんて絶対におかしい。


「ねえ、触ったりはできないの?」


 ケースに入ったキーボードを眺めながら、蒔奈が口を開く。明日波さんの調子は気になるが、今は蒔奈のデバイス選びだ。


「あそこでできるぞ」


 部屋の一角の、モニタが並ぶスペースを指さす。


 そこには小さめのモニタとともにキーボードが並び、コードを伸ばしている。どのモニタでもGoMが練習プラクティスモードで起動されており、サンプルのマウスやキーボードに触れるようになっている。


 なんといっても、実際に操作感を確かめられるのが店頭で買う最大のメリットだからな。


 蒔奈は並べられたキーボードに恐る恐る指を沈めた。カチッと音がして、画面のキャラクターが前に進む。


 何度か感触を確かめた後、隣のキーボードへ移る。それが終わればまた隣、といった調子で、蒔奈は次々とキーの感触を確かめていった。


「へえ、本当に違うのね」


「気に入ったのはあった?」


 明日波さんが聞くと、蒔奈はわざわざ顔をぷいっと逸らして見せた。


 今度こそタバコがダースで跳んでくるんじゃないかと頭を覆ったが、とんでこなかった。むしろ明日波さんは楽しそうに俺の方を見てくる。


 次いで顎で蒔奈を指し、自分の耳をトントンと二度叩いた。「そいつの耳、使わねえなら削いだろか?」じゃなくて「お前が代わりに聞け」というジェスチャーだろう。多分。


「蒔奈はどれが好みだ?」


「そうね、これかしら」


 蒔奈は、並べられたキーボードの中で輝きを放っていたものを指さした。


 メカニカルタイプの、いわゆるゲーミングキーボードと呼ばれるデバイスはだいたい光るのだが、蒔奈が差したものはひと際強い光を放っている。


「Simple社のGolden bunnyか。明日波さん、これの軸は?」


「イエロー」


 無言で蒔奈が説明しろ、と訴えかけてくる。目じゃなくて口で聞いて欲しい。怖いから。


「軸ってのは、どれだけキーを押し込めば反応するか、キーを押した時にどの程度音がなるかとかを表す指標だ。打鍵感ってやつだな。イエローはSimple社のオリジナル軸で、キーのストロークが短いから打鍵感が軽く、高速入力が可能だ」


「な、なるほどね!」


 返事は逞しいが、首は横に傾いている。まあそうだよな。


「つまり、考えてからキャラが動くまでのラグが少なくなるってことだ。より思い通りにキャラを動かせるようになる」


「当然その分デメリットもあるけどな。打鍵感が軽くなればなるほど『押した感覚』も薄くなっていくから、ミスタイプも増える」


 明日波さんが二つほどキーボードを取って蒔奈に見せてくれる。LB700とLB320。どちらもBetterLife社製で青軸だ。


「初心者なんだろ? だったらこの辺だな」


 青軸も打鍵感は軽いが、押し込んだときにカチっと音がして「押した感覚」があり、イエローよりもミスタイプしにくい。


 ついでにBetterLife社製のものはどれも安価だ。一般的な小学生でも手が出せる。

 明日波さんのチョイスは完璧だ。蒔奈が金持ちのお嬢様でGoM初心者にも関わらず世界ランカーと渡り合えるだけの力を持っていなければ、だが。


「悪いけど私、強いから。分かったら私の買い物を邪魔しないでくれる、オバサン?」


 ――ああああああああああ‼


 なんてことを! これはタバコのケースじゃすまない。ありとあらゆるキーボードが飛んできてもおかしくないぞ!


 だが、明日波さんは何もしなかった。ニコニコ笑顔を保ったまま眉間に皺を寄せている。もう感情が迷子だ。これ以上は心臓に悪いから本当にやめてほしい。


「はあ、分かったよ。んじゃ潜木、後は下にいるから。マウスは手に合う物を選ぶといい」


 明日波さんが引いた⁉ 本能的に蒔奈が金持ちだと悟ったのか? この人、金持ちと権力者には弱いからな……。一応できるだけおだてておこう。


「ありがとう、助かるよ明日波さん。いやほんと、明日波さまさまだよ。うん」


「礼なんかいいって言ってるだろ?」


 ニヤ、と明日波さんの口角があがる。


「オレと駆音の仲じゃないか、なあ?」


 蒔奈を見下ろしながら、明日波さんは大袈裟に抱き着いてきた。


「ひょわ⁉」


 無駄に豊満な胸に顔が押し当てられ、変な声が漏れる。


 冷静になれ、相手はあの明日波さんだぞ。死んだ眼、性悪、死んだ眼、胸、性悪、胸……。


 いかん、浮かれている場合じゃない。こういうときの明日波さんはだいたい何か企んでいるんだ。


 しかし、俺が警戒しだしたころにはもう遅かった。


「むぅーっ!」


 膨らみ続けていた蒔奈の頬が、ついに破裂した。


 ガバっと、蒔奈が勢いよく突進し、俺に抱き着いた。


「かはッ」


 入れ違いになるように明日波さんがぱっと手を離したため、蒔奈の頭が綺麗にみぞおちに入った。反射的に蹲ろうとするも、蒔奈が抱き着いているせいで蹲れない。ついでに頭をぐりぐりとみぞおちに押し付け、追い打ちをかけてくる。


「ちょ……まき……離れ……」


「何で? 駆音は私の師匠でしょ? あいつ何なの? 今、私より重要な女⁉」


「何言って……ちょ、マジで、離れ……」


 蒔奈は力を込めてぎゅーっと抱きしめて来る。柔らかい肌の感触が伝わり、昨日の風呂での思い出が蘇って来る。これが走馬燈ってやつか……? クソ、このままじゃ色々とまずい。


 助けを求めようと明日波さんの方を見ると、心底楽しそうに俺達を見ていた。肩を震わせながら口元に手を当て、必死に笑うのを我慢している。何がどうなってこの状況になったのかは分からないが、この人のせいであることは間違いない。


「答えてよ。今日はデートなんでしょ? ねえ、そうよね? デートって言ったわよね?」


「は、はい。デートれふ……」


「デートなら私をエスコートして当然よね? 駆音は私と楽しくするべきよね? 私だけを見るべきよね?」


 やばい。意識が朦朧としてきた。とりあえず全部YESと答えておこう。ハイと答えておけばその場は凌げると偉い人が言っていた気がする。


「はい、そうれふ……」


「駆音は、私のパートナーよね」


「はい」


「じゃあ浮気しちゃダメよね」


「はい」


「……分かったら、私のことも、ぎ、ぎゅーって――」


 あ、ダメだ。もう無理です。


「駆音? ちょっと、駆音⁉」


 意識を手放す寸前、視界の端に「LOSE」の文字が見えた気がした。

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