第7話 おやすみの・××

 風呂をあがった俺を待っていたのは、執事服に身を包んだ筋肉質の男だった。はちきれんばかりの筋肉で、執事服が今にも弾けそうだ。


 肉体派執事に案内され、ダイニングに通される。マンガやドラマでしか見たことがないような、長方形の食卓が置かれた豪勢な部屋だ。天井にはシャンデリア、至るところに壺や絵画が飾られ落ち着かない。俺が貧乏性なのか?


 蒔奈と芽吹は既に食卓に座っていた。隣同士で、なにやら楽しそうに話している。


 ――あいつらやっぱり姉妹……でいいんだよな。


 肉体派執事に導かれるままに座った席は、いわゆるお誕生日席だった。ますます落ち着かない上に、蒔奈と芽吹から最も遠い位置の席だ。これでは歓迎されているのか避けられているのか分からない。


 昼食の時間は、誰も言葉を発さないまま進行していった。これがこの家のルールなのか、さっきまで楽しそうに喋っていた蒔奈も黙々と料理を口に運んでいる。


 ちなみにメニューはハヤシオムライスだった。メニュー自体は庶民的でも格が違う。ソースは輝き、一言では表せない、スパイスと野菜の甘さが溶け込んだ甘い香り。卵もふわふわで、中のチキンライスもソースとのバランスを考えて味を付けてあり、全ての調和がとれている。舌に自信があるわけではないが、そこらの洋食レストランのそれとは比べ物にならないと思う。


 でも、美味しいのにどこか寂しいと思うのは、やっぱり俺が貧乏性だからなのだろうか。


 全員が食べ終わったところで芽吹がどこからか眼鏡を取り出し、装着した。マネモードだ。


「それじゃ、これからのスケジュールを説明する。まずは蒔奈ちゃんから」


 相変わらず俺と話すときとは違う、甘ったるい声。こいつの人格は三つあるのか?


「二十二時には寝ること。以上! 質問はある?」


「ないに決まってるでしょ。よゆーよ、分かったわ!」


 ふんす、と蒔奈は腕を組む。もの凄いドヤ顔だ。というかなんだその甘いスケジュールは。こいつ、マネジメントって単語も辞書にないのか。


「よし、おっけー。それじゃ、先に部屋に戻ってて」


「了解!」


 元気よく敬礼して、蒔奈は走っていく。くそ、かわいいな。


「じゃあ次は潜木。まずはトレーニング内容と時間の見積もりを十五時までにリビングで。それから二十時までスケジュールの調整。蒔奈ちゃんの予定もあるから、これは私が付き添う。あ、並行してこの家のルールや部屋の場所も覚えてもらうぞ」


「うーん、とりあえず一つ。休憩は?」


「ない」


 やっぱりこいつの頭にマネジメントなんて単語はなかった。




「疲れた……」


 本当にみっちり休憩なしに一か月のスケジュールを立て続け、ようやく解放された俺は自室のベッドにダイブした。枕に顔を埋め、視界を覆ってみると枕の感触も匂いも自分の家と同じで、今日のことが全部嘘だったんじゃないかと思えてくる。


「……風呂にでも入るか」


 思えば昼の風呂も、結局満足に入れなかった。一日に二度入るなんて初めての経験だが……いや、昼のアレを一回にカウントするのもなあ。


「うおっ!」


「ひぁっ!」


 部屋の扉を開けると扉の前には蒔奈が立っていて、驚きの声が漏れる。


 蒔奈の方も驚いたのは同じようで、びくっと肩を震わせた。


「こんなところで何してんだ」


 自室の時計を確認すると、時刻はもうすぐ二十二時。芽吹に寝るように言われていた時間になる。


「えっと、その……」


 薄水色のネグリジェ、蒔奈はそのスカートの裾を握りしめていた。


「トイレか?」


「違うわよっ!」


 怒られてしまった。「怖くてトイレに行けないからついてきて」みたいな用件かと思ったのだが。困った、他に心当たりなんて何もない。


「駆音に用があって来たの……っ」


 どうしたことか、珍しくしおらしい。体の前で手を組み、もじもじと指を合わせている。


「丁度いい。俺もお前に聞きたいことが――」


「明日でいいでしょ、私はもう寝ないといけないから。それに、用はすぐ済むわ」


 蒔奈が小さく息を吸い込む。


「その、おやすみの挨拶にきたの。……家族のルールだから」


「ああ、そうか。おやすみ、蒔奈」


「ん。そうじゃ、なくて……」


 スカートの裾をこねくり回す。折角の綺麗なネグリジェが皺だらけになってしまう。


「しゃがんで!」


「おう」


 言われた通りしゃがむと、蒔奈が一歩踏み出した。


 一瞬何が起きたのか分からなかった。自分が何をされたのか、頭が追いつかない。

 ただ、右頬に灯された熱だけが疼いていた。


「……おやすみ」


 頬を赤らめながら、蒔奈は廊下を走って自室へと戻っていく。


 熱源に触れると蒔奈の唇の感触が、急に現実感を伴って襲い掛かってきた。


 顔が熱くなる。いやいや、相手は小学生だぞ。何を動揺しているのか。


「……寝るか」


 風呂に入るとこのほとぼりが冷めそうで、俺は自室に戻ってベッドにダイブした。

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