第3話 はじめての・きょうどうさぎょう

 地面に霜が降り、氷塊が浮き出てくる。いや、その大きさは氷塊というより氷の大地だ。たちまち氷地の周りに水がせりあがってきて海となり、辺りには霧が立ち込めてきた。


 「氷海」ステージだ。遮蔽物はないが霧のせいで視界はきかない。足場が不安定で、時間が経つにつれて融け流れ、ステージが狭まっていくのが特徴だ。


 今はまだ氷にも海にも色はない。世界の全てが等しく灰色に染まっている。マップの構築が完了すると同時に俺のキャラが現れ、十秒のカウントダウンが始まる。カウントダウン終了後、世界が色付くのを合図に試合が始まるのだ。


「ちゃんと戦えば諦めてくれるんだろうな」


「そういうことは私に勝ってから言ってくれる?」


 本当に、自信だけはあるようだ。あのヤクザにたいそう持ち上げられているのだろう。


「……すぐに終わっても文句は言うなよ」


 試合が始まるまで残り三秒。ゆっくりとキーボードの「W」「A」「S」「D」、キャラの移動に使うキーに左手を添え、右手でキャラの視界を司るマウスを掴む。


 カウントがゼロになり、世界が色付いた。氷も空も海も、みな違う青に染まる。


 同時に俺はキーを叩いた。俺のキャラ――盗賊忍者のLie-Tが氷の大地を蹴って霧の中を駆けていく。まずはあの姫を探すところからだ。


 キャラクターは一定の距離をとってランダムに配置される。相手のプレイヤーネームとHPバー、それに奥義ゲージと呼ばれるバーは常に画面左上に表示されているが、場所までは分からない。


 本来であれば視界の悪い氷海ステージでの索敵は慎重に行うのがセオリーだが、俺は一秒でも早く終わらせて家に帰りたかった。


 索敵しながら一直線に走っていると、ステージの端に辿り着いた。このゲームで泳ぐことはできず、一定深度の水に浸かるとその時点で負けとなる。


 スピードを落とさないまま左に曲がり、円い氷のマップの外周を走って行く。ここまで来て相手の足音すらしないということは、蒔奈は身を顰めていると考えていいだろう。一応定石通りの動きだが、その程度の知識はあるということか。


「待ってろ、すぐに――」


 呟きかけたところでヘッドセットに微かなノイズが混じり、口を閉ざして音に集中する。


 いや、ノイズではない。これは――


 足音!


 マウスを大きく振って振り返ると、蒔奈のアバターであるD`Arkダルク姫が大剣を振り上げていた。自分の身長を優に超える、二メートルはあろうかという巨大な両手剣だ。


「うおっ!」


 大剣が振り下ろされ、俺は急いで横に躱す。寸前まで居た位置に大きな衝撃が走り、分厚い氷にヒビが入った。


 オブジェクトにはそれぞれ耐久値が設定されている。大地も例外ではなく、減れば破損、ゼロになれば抉れたり消えたりと様々な反応を見せる。


 耐久値の低い氷の性質とはいえ、高耐久値の大地カテゴリにたった一撃でヒビを入れるとは。あれを喰らうとヤバそうだ。


「その見た目で脳筋ゴリラかよ!」


「ゴっ⁉ ふんっ。でもさすが、今のを躱すのね」


「お前、ステ振り間違ってんだろ。STR筋力に何ポイント振った?」


「教える訳ないで……しょ!」


 姫が剣を薙ぎ、俺は飛び退いた。一撃は重そうだが、その分動作は遅く見切りやすい。


「ああもう!」


 姫は何度も剣を振るうが、その度に横へ、後ろへ、Lie-Tは身軽に躱してみせる。

 不意打ちには多少驚いたが、やはり小学生は小学生だ。ステ振りも戦術もめちゃくちゃだし、動きは単調。臨機応変に頭を切り替える順応性もない。


 そろそろ反撃させてもらう。


 Lie-Tは腰から一本の短刀を抜き、逆手に持った。姫の大剣に比べればあまりにも頼りない、小刀サイズのナイフ。これこそが俺のメインウェポンだ。


 姫の攻撃に合わせ、一歩踏み出して懐に潜り込む。すれ違いざまに斬りつけながら駆け抜け、すぐに振り向いてスキルを発動させる。大振りの攻撃を外し隙だらけの姫の背中に向かって、Lie-Tは短刀を突き立てた。


 《バックスタブ》だ。背後からダメージを与えた場合ダメージ量が上昇し、相手に僅かな時間スタンの状態異常を与える。初動が遅い上に当てにくい分、強力なスキルだ。


「しまっ――」


「まだだ」


 続けてコマンドを入力する。スキルが終われば立て続けにまたコマンドを入力し、姫の硬直時間ダメージモーションが終わる前に新たな硬直時間を発生させる。


 「コンボ」と呼ばれる技術だ。これを繋げて大ダメージを与えていくのが、俺の勝ちパターンだった。


 それぞれのスキルにはCTクールタイムが設定されており、一度使ったスキルは一定時間使えなくなる。また、攻撃を当てた直後とそのコンマ数秒後に発生してしまう無敵時間の合間を縫ってスキルを繋げなければならない。


 つまりコンボを繋げるには複数のスキルをタイミングよく、時と場合に応じて順に発動させていかなければならない。《バックスタブ》から始動できるコンボパターンは多いが、今最もダメージを与えられるコンボは――


 一つ、蹴り上げ、二つ、切り刻み、三つ、叩き落とす。バウンドしたD`Ark姫にさらに四つ目で《掌打》を叩き込んで怯ませる。


「これで締めだ」


 五つ目のスキルでバックステップ。わずかに助走をつけたLie-Tが飛び蹴りで姫を吹き飛ばすころには、HPの四割が削られていた。


「ああもう!」


「どうした、自信があったんじゃないのか?」


「たった四割削っただけでしょ、調子に乗らないでくれる? 次は私の番なんだから!」


 姫はまた闇雲に突っ込んでくる。学びもしない。


 呆れながら、俺は再びコマンドを入力した。


 移動ムーブスキル《縮地》、一定距離を一瞬で移動するスキルだ。さらにこのスキルは、時間内の連続使用であれば五回までCTなしに使える。


 繰り返し使用し、右へ、左へ、ジグザグに相手を翻弄しながらLie-Tは姫の背後に回り込んだ。小学生では……いや、相手が誰だったとしても、この動きにはついてこられないだろう。蒔奈には、俺が画面から消えたように見えている。


 そうなるように計算してあるのだ。どこまで俺の――Lie-Tの動きについてこられたとしても、最後には相手の画面上から消えるルート。


 CT中で使用できない《バックスタブ》にかえて《ハートショック》を発動する。これも相手に硬直を与える、コンボの始動スキルだ。


 相手の視界から消え、今は姫の背後。俺がスキルの直撃を確信したとき――


 姫が、振り返った。


「なにっ⁉」


「ブチ飛べ‼」


 姫は悠々と俺のスキルをガードし弾き返すと、隙ができたLie-Tを剣で打ち上げる。そして再び大剣を振り下ろし、中に舞った無防備な体を地面に打ち付けた。


 たった二撃。それだけで俺のHPの五割を持っていかれた。


「はあっ⁉」


 信じられない。ダメージ量もそうだが、姫の動きそのものが。


 動きが読まれたというのか? まるで、から振り向いたような正確な読みだった……いや、まさか。


 一度深呼吸して落ち着き、姫に向き直る。変わらず姫は突っ込んでくるが、今度は短剣でいなして距離を取った。相手に何かがあると分かった以上、無暗に攻めるのは愚策だ。


「あら、一度攻撃をくらったくらいで随分慎重なのね」


「はっ。盤外戦術のつもりか?」


 確かにGoMには精神状況も大きく影響してくる。気分が良い日は多く勝てるし、逆に嫌なことがあった日は敗けが込む。


 だが残念だったな、今までに受けた罵倒の数が違う。そんな程度の低い挑発なんて目じゃない。いくらでも好きに――


「やっぱり所詮は万年四位“フォー”エバーね。だからいつまで経っても上にいけないのよ」


「コロォス‼」


 こいつは言っちゃいけねえことを言った……。俺が最も気にしていることを‼


 ちまちまするのはもう止めだ。相手が何かしら隠していたとしても、攻撃の隙が大きいことに変わりはない。適当に誘導してコンボを叩きこめばすぐに終わる。


 Lie-Tが風を切って姫に突っ込んでいく。AGI敏捷力にかなりのポイントを割り振ってあるだけあって、その速度は凄まじい。


 姫に激突する寸前でLie-Tは地を蹴り、跳びあがった。そのまま姫の左側面に回り、CTが明けた《バックスタブ》を発動させる。


 だが、またしてもスキルが姫に命中することはなかった。振り向いた姫が、大剣で攻撃を受け止めたのだ。


「とった‼」


 ここで一撃を喰らう訳にはいかない。動揺を抑えながら、緊急回避スキル《空蝉》を発動。Lie-Tがいた場所が煙に包まれ、間合いの外に瞬間移動する。


 立て続けに起こる偶然は必然だ。やはりこいつには何かある。


 動きを読むにしても早すぎる反応――。反応? まさか。


 《空蝉》のCTは長く、試合時間七分のこのゲーム中にはもう使えない。もし俺の想像が違えば、そのときは本当に決着が着く。


 それでも――


 雑念を振り切る様に、Lie-Tが姫に向かって走る。CTがあけたばかりの《縮地》で、地を這う雷のように姫の背後をとる。


「また同じ手? もう一度ブチ飛ばしてあげるわ!」


 やはり、姫は振り向く。Lie-Tの攻撃について来る。


 だが――


「え⁉」


 姫が攻撃したLie-Tは、煙になって消えた。


 特殊スキル《残像》だ。直前まで自分がいた位置に残像を残し、本体は一瞬透明化できるスキル。使い時が難しいが、一瞬の判断を求められるタイミングには最大の効果を発揮する。


 再び実体化し姫の横に現れたLie-Tは姫を掴むと空へ投げ飛ばした。スキルを繋ぎ、地面に落とさずダメージを与え続ける。コンボの中でも「エリアル」と呼ばれるテクニカルなコンボだ。相手の硬直時間が短くなりコンボの難易度は上がるが防御力が下がり、より大きなダメージを与えられる。


 締めのスキルでお返しだと言わんばかりに地面に叩きつけた頃には、姫のHPバーは残り二割を切っていた。


 やっぱり想像通り……なのか。信じがたいことだが蒔奈の強さの秘密への疑念が、確信に変わる。


 反射神経だ。それも戦術やスキルの知識を補って余りあるほどの、超人的な。


 反射神経が良くても、ジャンケンで必ず勝つことはできない。だがこの子には、相手が何を出すか確認してから自分が出す手を決められるほどの反射神経と思考速度がある。


「きぃー! 何よそのスキル!」


「《残像》だよ。優勝を目指すんなら、特殊スキルくらい頭に叩き込んどけ」


「はあ⁉ 軽く千は超えるわ、無理じゃん!」


 ポテンシャルは高いが、GoMは才能だけで勝てるゲームじゃない。蒔奈には知識が足りなさすぎる。


「諦めたらどうだ。いくつかは知らんが、その歳でこれだけやれたら充分だろ」


 ふと、姫の雰囲気が変わる。いや、変わったのは姫の雰囲気だけでは無かった。


「……んな」


「は?」


「ふざけんな‼」


 ヘッドセットからの痛烈な叫びが、鼓膜を激しく震わせる。


 直後、姫のアバターが淡いブルーの光を纏った。上段に剣を構え、詠唱を始める。


 単純な魔法攻撃マジックじゃない。姫のHPバー、その下の必殺技ゲージが強く青に輝いている。試合中一度のみ使うことができる大威力の必殺スキル「最終奥義デストラクション」だ。


 モーションとエフェクト、詠唱内容から察するに《フューリー・ブルー》だ。体力差があればあるほど威力があがる、必滅の一撃。


 まずいな。


 《フューリー・ブルー》は範囲が広い。今から逃げたところで、攻撃範囲外まで逃げ切れるかは怪しい。


 なら――


 「W」キーを強く押す。下がるのではなく、Lie-Tは前に一歩を踏み出した。


 相手のHPは残り二割。削りきれるかどうかは五分五分といったところか。


 詠唱中の姫にナイフを突き立てる。最終奥義の詠唱中はSAスーパーアーマーが発生し、怯むことがない。つまり、コンボが繋がらない。何度も何度も姫に向ってLie-Tはナイフを振るう。


「「間に合え‼」」


 皮肉にも、二人の声が重なった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る