02

 沙世と「婚約」した日の夜。同じクラスのひろむから、電話がかかってきた。


「急にごめんな、悟」

「別にいいよ。どうした?」


 俺はもう夕飯も入浴も終えており、ベッドの上でゴロゴロしながら弘との会話を続けた。彼はとても深刻なムードをかもしだしていたので、俺は不安になった。

 弘とは、クラスでもよく話す。沙世も交えて、休み時間につるむこともある。そんな彼が、俺にわざわざ電話してきたのは、今回が初めてのことだった。


「沙世ちゃんとは、本当に付き合っていないんだよな?」

「そうだよ」


 続く言葉が何か分かってしまったから、俺は身構えた。


「オレさ、沙世ちゃんのこと好きなんだ。だから、明日告白しようと思う」

「そっか」

「そっか、って……それだけ?」


 それだけしか言いようが無いのに、どうしろと言うんだろう。一応、沙世は「婚約者」ということになったが、それは条件つきだ。


「もし、二人が付き合うことになったら、俺は応援するよ」


 俺がそう言うと、弘はしばらく無言になった。緊張した息遣いだけが聞こえてきた。だから俺は、努めて明るく言った。


「玉砕したら、それはそれでいい。今まで通り、友人付き合いを続けような」

「ありがとう、悟。じゃあ、明日の放課後、沙世ちゃんを呼び出すよ」

「直接告白するんだ?」

「もちろん」

「じゃあ、頑張れよ」


 電話はそれで終わった。俺はなかなか寝付けなかった。沙世が弘のことを好きではないだろう、というのは確実だった。しかし、告白されたとなれば、意識するのは当然。とりあえず付き合ってみる、なんてことをするかもしれない。

 何か別なことを考えよう。俺はもうすぐ行われる中間テストのことを考えた。今から勉強する気にはなれなかったが、しばらく授業は真面目に受けておいて、試験の範囲をきっちり把握しておこう、なんてことを、ベッドに横たわりながら思った。そうしている内に、意識を手放すことができた。




 あくる日の放課後。授業終わり、いつもなら来る沙世の姿が、今日は当然、無い。俺はさっさと荷物をまとめ、一人で帰ることにした。

 ただ、そのまま真っ直ぐ帰る気にもなれなくて、昨日沙世と来た公園のベンチに腰かけた。手には自動販売機で買ったホットの缶コーヒーを持って。

 今頃、弘が想いを伝えているのだろう。誰も好きになったことのない俺にとって、弘の「沙世と付き合いたい」という気持ちは未知の領域だ。まさか、婚約した昨日の今日でこんなことになるなんてな。缶コーヒーを飲み終わり、ベンチを離れようとしたときだった。


「あっ! 悟、やっぱりここに居た!」


 なんと、沙世が現れた。いつも通りの様相で。彼女はそのまま俺に近づき、隣にすとんと座った。


「どうしたんだよ、沙世。やけに早いな」

「ってことは、やっぱり知ってたんだね? 今日ボクが弘くんから告白されたこと」

「ああ」


 悪びれずにそう言うと、沙世は口を尖らせた。


「とーぜん、お断りしてきたよ。弘くんって良い人だとは思うけど、付き合うってなったら別だもん」

「そうか。でもまあ、これから好きになるかもしれないぞ?」

「ボクってそんなに単純じゃないよ! そりゃあ、ちょっとは意識しちゃうけどさぁ……」


 沙世は髪をかきあげ、俺の缶コーヒーに手を伸ばした。そして、それに勝手に口をつけた。


「なんだ、空っぽかぁ」

「何か買ってくるか?」

「別にいいよ」


 どうやら沙世は、多少機嫌が悪いようだった。それはきっと、俺の態度が原因なのだろう。だからといって、俺は謝らないし、謝るポイントも分からないから、そのままにしておく。


「告白されたのって、初めてじゃないんだ」


 そうやって沙世は語り始めた。彼女は目鼻立ちがくっきりしており、美少女とさえ言われることがある。だから、別にその辺りは驚かなかった。


「中学のときもね、同じクラスの男子に告白されたの。断ったら、すっごく避けられちゃって。弘くんとは、これからどうなるのかな?」

「俺、昨日弘と話したんだ。断られたら、今まで通り友達で居ようって言った」

「そっかぁ。じゃあ、安心かな」


 再び髪をかきあげた沙世は、ふうっと長いため息をついた。


「まさか、昨日の今日でこんなことが起こるなんてな」

「そうだね。ボク、ニンゲンの中ではやっぱり悟のことが一番好きだからさ」

「もし、その順番が弘と入れ替わったら、そうすればいい」


 ちょっと冷たい言い方をしてしまったかな、と思ったが、沙世は気にしていないようだった。そして、こんなことを言い始めた。


「悟には黙ってたんだけどね。悟のことを好きな女子って居るんだよ。誰かは言えないけど」

「……そうなんだ」


 まさか、話の矛先がこちらに向かおうとは。俺は特に何の美点も無い、冴えない男子高校生だと自負しているから、自分のことを好きな女子が居る、というのには驚いた。


「ねえ、悟。意識しちゃった?」

「そりゃあね」

「告白されたら、どうする?」

「相手によるかな」


 俺は沙世の他に仲のいい女子が居ないから、それが誰かが見当もつかなかった。沙世には女友達が多いから、絞る事さえできやしない。

 天に腕を突き出して、俺は大きく伸びをした。すると、沙世も真似してそうした。俺の肩がポキリと鳴った。


「あれ、肩こってるの?」

「どうやらそうらしい」

「揉んであげよっか」


 返事もしないうちに、沙世はベンチから立ち上がって俺の後ろに回り込み、肩に両手を置いてきた。俺は座ったまま、されるがまま。彼女のマッサージは、とても気持ちがよかった。


「なんかいいね、こういうの」


 沙世の楽しそうに弾む声が、後ろから聞こえてきた。


「いいな。無料で肩こりが治るんだから」

「もう、悟ったら」


 しかしながら、弘に対して、後ろめたいような気持ちも湧き上がってきた。俺は沙世の手を止めさせた。


「もう終わり」

「はぁい」


 再び隣へとやってきた沙世に、俺はこう話した。


「昨日、確認しそびれたことがあるんだが」

「なぁに?」

「沙世の誕生日っていつなんだ? 俺は七月二十日だ」

「ああ、なるほど! ボクは六月十日だよ」

「もう二人とも、過ぎてたんだな」


 俺の誕生日は夏休み中だから、クラスの友人には祝ってもらえないことが多い。しかし、六月となると、普通に学校がある時期じゃないか。俺は沙世が自分の誕生日を告げていなかったことに、少し寂しさを感じた。


「じゃあ、ボクの方が先に三十歳になるんだね」

「そうだな。俺の誕生日が来たら、結婚だ」

「夏かぁ。いいね」

「入籍の日はまた別な? 一応、大安とか選んだ方がいいんじゃないか」

「タイアン?」

「縁起が良い日、っていうのがあるんだよ」

「なるほどね」


 沙世は勢いをつけて立ち上がった。それから、ローファーで地面を軽く蹴り、俺に言い放った。


「十五年後、よろしくね?」

「おう」


 俺は短い返事をした。

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