Sid.13 幼女の母親が居なくなる

 夕方になり菅沢は帰るようだ。

 玄関先で見送る形になる。外に出ようとすると、乃愛も一緒に付いて来ようとするからだ。


「のあちゃん。また来るね」


 乃愛に手をひらひらさせて、あいさつしてるけど、今ひとつ反応が悪いな。それでも俺が手を振ると、真似して手を振るんだよ。


「パパの真似するんだね」

「パパじゃないけどな」

「でもそう認識してるんでしょ」

「母さんのせいだ」


 今さらだけどな。否定しても懐き方が半端ないし。


「じゃあ、また」


 と言いながら顔を近付けてきて耳打ちしてきた。ぼそぼそ「今度うちに来てくれたら、その、あのね、していいから」とか言うし。顔真っ赤にして言わなくても。

 今度っていつだ、と聞くと来週末でもいいよ、だそうだ。ならばその時に童貞卒業できるってか。


「家の人は?」

「両親ともお客さん商売で土日、家に居ないの」


 なんと都合のいい話。

 誘いにはぜひ乗っておこう。母さんには乃愛の世話を頼んでおけばいい。

 玄関から送り出すと、乃愛の手を引いてリビングへ。


「上手くやれそうなの?」


 母さんから聞かれるけど、意思疎通をしっかりやれば問題無い、と思う。


「ちゃんと言葉で伝えれば」

「そう。ならいいけど、羽目外しすぎないでね」

「それで、来週末なんだけど」

「早速、童貞卒業の段取り?」


 恥ずかしいことを平気で口にしやがる。へらへら笑ってるし、乃愛はもちろん、何の話をしてるかなんて理解するはずもない。


「ちゃんと世話するから、あんたはしっかり卒業してきなさい」


 ただし、嫌がることはしないようにと。それと避妊も必ずすることとか。


「なんなら買ってきておいてもいいけど」

「何を?」

「決まってるでしょ。避妊具。コンドーム」


 つけ方も直接教えるって、なんだそれ。


「使ったこと無いでしょ。その時に慌てなくて済むように」


 俺の股間で付け方を実践するとか、わけ分からないこと言ってるし。アホだろ。

 それは却下しておいた。ただ、ゴムは買ってきてもらうことに。さすがに自分で買うのは恥ずかしいし。母さんなら恥じらいは存在しないんだろう。だから堂々と買えると踏んでる。

 それにしても息子の息子に関心持つのか? とんだ変態だな。


 夕食後、乃愛を膝に抱えテレビを見る。

 以前より可愛いと思うようになった。心境の変化って奴だな。親の愛情を受け取れない子。だからこそ、俺がその分、しっかり愛情を注ぐべきだなんて。初めて迎え入れた時からすると、ずいぶん変わったと我ながら思う。

 ただの邪魔な存在だったのに。


 時々顔を上に向けて俺を見る。あどけなさは変わらないが、徐々に女の子らしくなってきてる。表情とかが豊かになってきて、コミュニケーションも、しっかりしてくるとなあ。

 きっと庇護欲って奴だ。女子に惚れるのとは違う。


「ぱぱ、おふろは?」

「入るぞ」

「まだ?」

「もう少ししたらだな」


 やっぱ風呂は今後は母さんの仕事に。


「母さん」

「お風呂ならあんたが入れなさい」

「あのなあ」

「楽しめばいいでしょ。あんたが相手なら喜んでくれるでしょ」


 バカ過ぎて話しにならない。如何わしいことなんてできるわけ無いだろ。ましてやまだ四歳児だし。これが十五歳以上とかなら……俺が恥ずかしいな。

 一体、いつまで一緒に入れさせる気なのか。

 少ししてから乃愛を連れて風呂に入る。

 ただなあ、俺が服を脱ぐと見つめてくるんだよ。


「なんだ? さっさと風呂入るぞ」

「おっきしないの?」

「しない」

「つまんない」


 面白がるなっての。四歳児に欲情するようだと、極めて危険な変態野郎だ。

 だから手を出すなっての。何度言っても手が出てくる。誰に似たんだ? この変態っぷりは。


 風呂から上がり髪を乾かしてやり、トイレと歯磨きを済ませ就寝する。

 寝る前にトイレに行かせても、やっぱりおねしょするんだよなあ。まあ、俺もこのくらいの頃は、度々あったし怒るようなことじゃないし。ただ後始末だよ。

 母さんがやりゃいいのに、丸々俺が処理してるんだからな。理不尽だ。


「乃愛、寝るぞ」

「ぱぱ、えほんよんで」


 子守唄代わりの絵本。毎回面倒な、とは思うが円らな瞳で見られるとなあ。すっかり乃愛に弱くなった気がする。

 父親ってのはこんな心境なんだろうか。

 しばらく読んでいると寝入ってくれるから、俺も絵本を畳み寝ることにする。

 おむつして欲しいなあ。


 数日後、学校から帰ると母さんが慌ててる。


「どうしたんだ?」

「居ないの」

「誰が? 乃愛?」

「違うっての。池原さん」


 居ないってどういうことだよ。


「夜逃げの可能性」

「え?」

「まさか、乃愛ちゃんを引き取りたくなくて、本気で逃げ出したとは思いたくないけど」


 ドアホンを鳴らしても出ない。携帯に電話しても出ない、と言うか使われてませんと。解約してるようだ。

 已む無く合鍵で部屋に入ると、ものの見事にもぬけの殻に。


「マジかよ」

「たぶん役所にも届け出て無いでしょ」

「じゃあ探せないだろ」

「家賃は引き落とせてたから、大丈夫なんて油断してたら」


 行方不明として警察に言っておくらしい。

 連絡も取れず娘を置いて逃げた、となれば警察に捜索願を出すしかない。

 けど、それで仮に見つかって、ちゃんと面倒見るとは思えない。


「もし見つからなかったら?」

「その場合は乃愛ちゃんを施設に入れるか、家庭裁判所に、養子縁組の審判を仰ぐ必要があるでしょうね」


 無責任もここに極まったな。

 マジで乃愛が邪魔になってたんだ。しかも腐れた男と逃避行って奴か? 微塵もロマンスを感じさせない最悪な逃げだな。

 自分の子どもが可愛くないのかよ。


「どうするんだ? 施設に入れるのか?」

「もう無理ね。情が移ってるし、家族と同じになってるから」


 それは俺も同様だろうと。

 確かに乃愛を施設になんて考えると、胸が苦しくなる感覚になる。


「それを見越して逃げたみたいね」

「つまり」

「最初からうちに押し付けた」


 これだけ長期に渡って世話していれば、娘も邪険にされず大切にしてもらえる、そう踏んでいるのだろうと。

 多少でも娘の幸せを望んでいた可能性もあるとか。


「上手く逃げられた」

「警察は?」

「もちろん届け出るけど」


 父さんが帰宅したら話をするそうだ。


 幼稚園の送迎バスの時間になって俺は迎えに行く。

 母さんは警察に電話してるようだ。

 幼稚園の先生に手を引かれ、バスから降りてくる乃愛。軽く会釈すると「パパがお迎えに来てくれてるよ」とか言ってるし。すっかり定着してる。


「ぱぱぁ!」


 駆け寄ってくる乃愛を見ると、いたたまれない気持ちになる。


「何かあったの?」

「えっと」


 こんなこと言っていいのかどうか。

 ただ、いずれは知れるだろうけど、今は黙っておいた方がいいな。まだ乃愛がどうなるかも分からんし。

 施設に預けることになるかもしれないし。そんなのは嫌だけど。


 乃愛の手を引き家に入ると、父さんにも電話してるようだ。

 リビングのソファに乃愛を座らせ、その隣に腰掛ける。

 電話を終えたタイミングで母さんに声を掛けると。


「父さんは? すぐ戻るのか?」

「出先だから少し時間掛かるって」

「警察は?」

「もう少ししたら事情聴きに来るでしょ」


 十五分もすると警官が来たみたいだ。

 警官に説明する母さんが居て、必要な情報の提供もしてるようだ。とは言え、写真があるわけじゃない。氏名や年齢は把握してるのと、保証人になってる両親の住所や氏名も伝えてる。

 いつ逃げ出したんだろうか。


 警官への説明が終わったらしく、引き上げるようだ。何かあったら連絡くださいと。こっちからの情報提供だな。それと見つかればこっちに連絡が入る。


 リビングで様子を窺っていたら、母さんが部屋に入ってきて「夜逃げ屋ってのがあるから」とか言ってる。


「夜逃げ屋? テレビとかでやってた奴か」

「逃がすのが仕事だから、まず気付けないんだって」


 子どもを放棄して逃げてるから、警察も少しは本腰入れて捜索するらしい。

 晩飯の時間になる頃に父さんが帰宅して、経緯を説明する母さんだ。

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