「Blue Inheritance」

File1 処刑台

 列車を乗り継ぎ、馬車を飛ばし。俺がマルガリアの首都である、ルリアーナに辿り着けたのは、処刑実行日の三日前のことだった。

 ずっと引きこもっていたせいで分からなかったが、スアンの言う通り外は勝利によってお祭り騒ぎとなっており、列車のチケットを一枚とるにも随分苦労した。

 それでも奇跡的にチケットが入手でき、処刑当日までにルリアーナに辿り着けたのは、ある種の運命と言っていいかもしれない。もし間に合わなかったら、俺はその場で自分の首を掻っ切っていただろう。

 ルリアーナはどこもかしこも賑わっていて、派手な服装に身を包んだ市民が通りを闊歩し、道路の片隅に陣取った楽団の演奏に合わせて踊り狂っており。広場には多数の売店が軒を連ね、街灯には色とりどりの垂れ幕が飾り付けられていた。

 ルリアーナには前にも訪れたことがあるものの、その時は清掃と下水の行き届いた、この国の首都にふさわしい綺麗な都市だと感じたものだが。今のルリアーナは戦勝によるお祭り騒ぎによって、見事に上書きされてしまっている。

 路上に捨てられたごみくずを一瞥しながら、俺は手に持った新聞に視線を落とした。駅の売店で買った最新号であり、一面にはまたアルバストゥルの美しい姿がでかでかと掲載されている。

 蒼の聖女よ永遠に。そんな見出しの後には、蒼の聖女を湛える薄っぺらい文章が延々と続いていた。

 正直焼き捨ててしまいたい気分だったが、最後に掲載された処刑場の住所を確認すると、俺は賑わい続ける街の中を歩き出す。

 最低限の身だしなみは整えてきたが、黒を基調とした俺の格好は、お祭り騒ぎな町の中では逆に浮いてしまっていて。すれ違う人間の何人かが、立ち止まって不思議そうに振り向くのが分かった。

「ちょいと、そこのお兄さん」

 飾り立てられた商店の前を通り過ぎようとした時、店番をしていた太った店主の男が、俺を呼び止めた。その手には、羽と鈴の付いた派手な髪飾りを持っている。

「そんな黒一色の格好で、葬式にでも行くつもりかね。今なら八百ルックルのところを、五百ルックルにまけてやるから、買ってかないかね」

 髪飾りをゆらゆらと揺らす店主に、俺は作った笑顔を向けて、務めて丁寧な口調で言った。

「浮いているかもしれませんが、これが俺の普段着ですから。それに」

 そこで言葉を切って、俺は一瞬だけ笑顔を消す。

「葬式に行く、というのもあながち間違いじゃないので」

 返事を待たずに、俺は商店を通りすぎ、街の角を曲がる。新聞に載っている処刑場の場所は、もうすぐそこだった。


 そこは小さな石畳の広場だった。地面に敷かれた灰色のタイルは、定期的に替えられているのかとても綺麗だった。

 まるでそこだけ意図的に避けられているように、広場には一軒の屋台も出ていなかった。規制線が張られているわけでもないのに、屋台どころか誰もその広場に近づこうとはせず、まるである種の神聖な空間のように思えた。

 恐らく広場の中央に建つ、一台のギロチンが人々を避けさせているのだろう。ギロチンは綺麗な地面のタイルとは裏腹に、染みついた血で赤黒く汚れている。刃はまだセットされておらず、上部には麻布が被されていた。

 この人気のない広場も、処刑当日には大勢の人間が詰め寄せるのだろう。ひと時のショウに熱狂した後は、無意識の罪悪感から逃れる様に、近づくことを避ける。

 悪魔祓いとして、人の死は何度も見て来たが。「処刑」を目撃したのは、幼いころに一度だけある。

 買い出しを終えて、孤児院に戻るとき。役場の前に人だかりができていて、何事だろうかと群衆をかき分けて覗き込むと、拘束された罪人の首に仮面をつけた処刑人の男が、斧を振り下ろすところだった。

 男の首は硬いらしく、一度だけでは切り落とせなかったものの。二度目でばっさりと落ちて転がり、断面から一呼吸おいてどくどくと血が流れ出す。

 群衆から悲鳴交じりの歓声が上がる中、処刑人は淡々と後始末を終えると、落とした首を晒し台に乗せて、邪魔な体を台車に乗せその場から去って行った。

 当時すでにシェム・ムーンレスから、「駒」になるための教育を受けていた俺は、動揺することこそなかったものの。ある種の神聖な儀式とも思える処刑と、それを見世物のように楽しんで興奮する、低俗な群衆との差に戸惑ったものだ。

 新聞によると、処刑は蒼の聖女自身が望んだことだという。再び平和になったこの国に、聖女はもはや必要ないと。

 処刑はある種の儀式なのだろう。首を刎ね、正当なる理由の元で人が人を殺すことにより、あらゆる罪に区切りをつける。

 だがリインは。リイン・インソードは、蒼の聖女じゃない。体も意識も何もかも、魔術によって変わってしまっていたとしても。リインは罪を犯し背負うような人間じゃない、背負うべき人間じゃ絶対にないのだ。

 悪いのは全て、許されないのは全て、俺なのだ。この、シェーマス・スカイヴェールなのだ。

 だからリインが、蒼の聖女として処刑され。短い人生を無為に終えるのは間違っている。絶対に、絶対に間違っているのだ。

 あの日、あの時。彼女は俺を殺すと約束したのだ。なのに、なのに……。

 いつの間にか、俺は新聞を握りしめていた。くしゃくしゃになった新聞を投げ捨てると、俺は懐からナイフを取り出し、刃のセットされていないギロチンに向ける。

 何もただ悔しがるためだけに、この場所に来たわけではない。俺はこのギロチンに、細工を施しに来たのだ。

 処刑の際に魔術師によって調べられるだろうが、調査をかいくぐる仕掛けを施せる自信はそれなりにあった。

 伊達に長いこと、文言と神聖魔術を組み合わせた術式を、使ってきてはいない。神聖魔術しか使えないのは欠点だが、それでも十分にやりようがある。

 ナイフを向けて、俺は小声で詠唱を始めた。いくつかの神聖魔術を、組み合わせた呪文。周囲の目が気になるところだが、お祭り騒ぎで誰も気に留めていないと信じよう。

 最後まできっちりと詠唱を終えるとナイフから光の文字列が伸び、ギロチンの枠に這うように広がって行く。詠唱は無事、成功したようだ。

 今回使った術式は、防護の魔術に反射の呪文を組み込んだものである。このギロチンに首を置いたものに、防護魔術を自動でかけ。落下してきた刃を、跳ね返すもの。神聖魔術の反射呪文は、詠唱が複雑かつ長いため、戦闘で使うには難があるものの。こうして予め術式を仕込んでおくなら、うってつけの呪文と言えるだろう。

 あとは拘束を解くための、術式を仕込むだけだ。一度ナイフを下ろし、息継ぎをして、俺は改めてナイフを向けたのだが。

「な―――」

 さっき仕込んだばかりの、術式がギロチンの枠に浮かび上がり、弾けるように消えていく。まるで聖なる魔術を、受け付けるのを拒むように。

「くそ、だが……」

 対抗するように、俺はナイフを向けたまま、呪文の詠唱を始める。先程の防護と反射を組み合わせたものに加え、拘束を解くためのものも追加で。

 少しの息継ぎも許されないというのなら、最後までぶっ通しで唱えればいいだけのこと。神聖魔術を拒むというなら、浄化の呪文も追加でかけてやる。

 呼吸がまともに出来ず、息苦しさを感じても。俺は気にせず詠唱をつづけた。ただし息苦しいからと言って、詠唱がぶれては元も子もない。

 最後の一節まできっちり吐き出し、ギロチンの赤黒い染みが付いた枠に、光る術式が刻まれていくのを見届けた後。やっと俺はナイフを下ろし、新鮮な空気を吸い込んだ。

「はぁ、はぁ……」

 これだけやれば、さすがに。荒い呼吸を繰り返しながら、俺は顔を上げたのだが。

 そんな俺を嘲笑うかのように、再び仕込んだ術式が浮かび上がると、泡のように消え去っていった。

「……クソッ」

 ナイフを向けて呪文を唱え、ギロチンに何か術式を弾く要因が何か調べようとするものの。そんな俺の呪文も、全く受け付ける様子はない。

「何故だ、何故効かないんだッ」

 単なる処刑用具のはずなのに。なんで魔術が効かないのか。

 もういっそ、物理的な手段をもって、目の前のギロチンを破壊してやろうかと思ったが。そうなれば教会は別の手段で蒼の聖女の首を刎ねるだけだ。いやもしかしたら、首を刎ねる以上にもっと、苦痛を伴う残酷な方法を行使するかもしれない。

 だが一体どうすればいいのか。処刑の際には大勢の魔術師や神官が立ち合い、正面から突破するのは不可能に近い。

 かといって蒼の聖女を、リインのことをここまで来て見殺しにするわけにはいかない。何か、何か方法はないのか。

 何か、何か、何か―――。

「……ありますよ、スカイヴェールさん」

 ぐるぐると巡っていた俺の思考は、背後から聞こえて来たそんな声でぴたりと止まった。

 振り向くと、そこには声の主が立っていた。蜂蜜色のゆるやかな髪に、幼さの残る童顔。もう少し背が低く、なおかつ着ているものが悪魔祓いの制服でなければ、少年と言われても間違いないだろう。

 悪魔祓い。腕章から、二級悪魔祓いであることが分かる。

「……お前は」

 さっとナイフの刃を向けて、警戒態勢を取る俺に対して。悪魔祓いの青年は目を細めると、己の胸に手を当てて静かに言った。

「初めまして、二級悪魔祓いの、エマニュエル・ルッキンマーといいます」

「……さっきの言葉からして、俺の名前を知っているようだな」

「ええ。シェーマス・スカイヴェール。元一級悪魔祓いであり、現在は潜りの悪魔祓い。そして―――リイン・インソードが唯一心を許した男」

 エマニュエルの言葉に、俺は思わず目を見張る。今、こいつは間違いなく、リインの名を呼んだ。

 俺の反応に気付いたエマニュエルは、真剣な表情で頷くと、言葉を続ける。

「僕はリインの同期でした。階級こそ違うものの、何度も任務を共にしたことがあります」

「そうか……」

 こいつがリインと親しかったことは分かったが。リインが俺のことを、そう簡単に同僚に漏らすことはないだろう。これでも一応教会から追われる身であるのだ、下手に漏らしたらそのまま逮捕、ということも十分ある。

 それなのに一体どうして、この男は俺の名前と現状を知っているのか。リインが話したとすれば、理由は……。

 探るような俺の視線に気が付いたのか、エマニュエルはさっと目を伏せると。胸に手を当てたまま、俺に向かって頭を下げた。

「お願いです、シェーマス・スカイヴェールさん。何があったのか、全て話します。いくらだって、協力は惜しみません。だから」

 顔を上げたエマニュエルは、悲痛そうな、それでいてはっきりと覚悟が見て取れる表情を浮かべ、俺に対して言った。

「僕の愛するひと―――リイン・インソードを救ってください」

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