Memory6 喪失

 悪魔祓いの仕事から、足を洗おう。

 手についた赤黒い汚れは、消えることが無いだろうけど、せめてこれから先は、生まれてくる我が子に、恥ずかしくないように生きていこう。

 ルインの妊娠を知って、俺の中でそんな決意が生まれた。初めは夢想に近かった小さな決意は、日に日に大きくなって行き。

 誕生日から二週間後のその日に。俺はムーンレス司祭の執務室の扉を叩いた。

 ムーンレス司祭は俺を縛ろうとするかもしれないが。俺の代わりは、その気になって探せばすぐ見つかるだろう。

 所詮、俺は司祭の持ち駒の一つに過ぎない。一つぐらい欠けたって、別にいいじゃないか。

 返事が聞こえたのを確かめてから、俺は執務室の中に入る。ムーンレス司祭は執務机で手紙を読んでいて、俺が中に入ると顔を上げた。その顔にはいつも通りの、似合わない微笑が浮かんでいる。

「シェーマス、君が君自身の意思でここを訪れるのは、珍しいね」

「少し、話したいことがありまして」

 ムーンレス司祭は掛けていた眼鏡を外すと、俺に顔を向けて口を開きかける。だが彼が何か言う前に、俺は本題を投げつけることにした。

「実は。来月いっぱいで、悪魔祓いの仕事を辞職しようと思ってまして」

「それは」

「既に他のところには、話を通しておきました。あとは直属の上司である、ムーンレス司祭殿の許可を頂くだけです」

 さすがに驚いたのか、ムーンレス司祭はしばし俯き、硬直して押し黙ってから。改めて俺の顔に、視線を向けた。

「それは、また突然だね」

「ええ、少し事情がありまして」

「その事情とやらを、訊いてもいいかな」

「……俺ももうニ十二になります。そろそろ、身を固めようと思いまして」

 修道女を孕ませたことは、さすがに省いたのだが。それでもムーンレス司祭にとっては、十分すぎるぐらいの衝撃だったのだろう。

 再び固まる司祭に対して、俺は体の後ろで両手を組みながら、話を続けることにした。

「前に司祭殿に言われましたが、お付き合いしている人がいまして。悪魔祓いの仕事は魅力的ですが、危険も伴いますので。結婚を機に地方の町にでも引っ越して、店でも開こうかと」

「なるほどね。おめでとう、と言った方が良いかな」

「ありがとうございます」

 お辞儀をして、俺は顔を上げる。ムーンレス司祭は俺に対して、父親のような悍ましい眼差しを向けていた。

「シェーマス」

 優しい声と口調で、ムーンレス司祭は俺の名前を呼んで立ち上がった。

「私が今まで君に任せて来た仕事が、どういうものか。ちゃんと、理解したうえで言ってるんだね」

「もちろんです。絶対に口外することはありませんし、不安なら魔術的効果のある契約書を書いたって構いません」

「……君がそこまで言うということは、よっぽど相手のことを愛してるんだね」

 ムーンレス司祭は微笑むと、長い腕を伸ばして、俺の肩に触れた。

「君の父親代わりとして、認めようじゃないか。次の仕事を、最後の仕事にするといい。どうか、幸せにね」

 瞳孔の小さい瞳を、ムーンレス司祭は俺の黒い瞳に、重ね合わせる様に真っ直ぐ向けて言った。その顔には相変わらず、似合わない優し気な笑みが浮かんでいる。

 不意に。俺はくらりとしためまいを感じ、眉間を押さえた。これからのことに対する、期待と不安により。あまり眠れなかったからだろうか。

「……ありがとうございます」

 幸いめまいはすぐに治まり。俺はムーンレス司祭に、感謝の言葉を告げる。

 ムーンレス司祭は満足そうに頷いて、俺の肩から手を離すと、執務机に戻った。

「本部の地下室に、悪魔に憑依され、教会への反逆を企てた人間が捕らえられている。儀式をするには既に手遅れで、もはや殺すしかない」

「了解です」

「最後の仕事も。問題なくできるね、シェーマス」

 ムーンレス司祭の言葉に、俺は頷いた。これで最後だ。この仕事を片付けたら、俺はルインと一緒になって、リインも含めた三人で、地方に移住する。

 思ったよりも、あっさりと了承してもらえたのは意外だったが。あの男は自分の損得をしっかりと把握している人間だ。俺はムーンレス司祭にとって、「損」になるのだと判断されたのだろう。

 実際にこのところ、俺は自分が昔より冷酷になり切れないことを感じていた。昔は悪魔に憑依された人間に手を下しても、何も感じることはなかったが。最近は「仕事」だと割り切り、自分を納得させたうえで殺しているところがある。

 きっとどこかで、罪悪感を抱くようになってしまったのだろう。ルインと出会い、彼女を愛するようになり。俺の心は、随分と弱くなった。

 とはいえさすがに手が止まるほど、愚かになることもなく。最後の仕事を片付けるため、俺はナイフの魔術回路を確認したのち、本部の地下に降りてゆく。

 本部の地下は簡単な収容施設になっていて。隔離する必要のある人間を、一時的に収容しておくことが出来る。

 基本的には儀式が終わるまで、一時的に監禁しておくだけなのだが。場合によっては「手遅れ」と診断され、二度と地上の光を見ないまま息絶える人間もいる。

 そのうちの何人かは、俺が手を下した。だから今回も、さっさと片付けてしまおう。

 心の中で自分にそう言い聞かせ、俺は地下の収容区画の入り口で、掲示板を確認する。一番奥の部屋のみ、「使用中」の印が付いていることから、ここに例の「反逆者」が収容されているのだろう。

 闇に目を慣らしてから、俺は掛けてある鍵を取って、暗い通路を進む。目が慣れるのに時間がかかり、また少しめまいがしたものの。すぐに治まり、視界が安定する。

微かに濡れた地面に、自分の靴音だけが響き渡るのを聞いていると、次第に意識が研ぎ澄まされていくのが分かった。

 一番奥の部屋の前に辿り着いて、鍵で扉を開く。重い扉をゆっくり開くと、中から生臭い空気が流れ出して来た。

 血と腐肉の臭い。しっかりと清掃はしているはずだが、染みついたものは容易く消えることはない。

 部屋の中央には、手術台があり。ローブを纏った人間が、手足を拘束されて寝かされていた。顔には袋が被せられ、ぐったりとして動かないところから、薬か何かで意識を奪われているのだろう。

 懐から鏡を取り出そうとして、俺は手を止めた。診察したところで、どうせ殺すのだ。思い直した俺は、ナイフを抜くと神聖魔術の詠唱を始める。

 最初は「始末」の為の文言を唱えたのだが、効果が無かった。憑依した悪魔に耐性があるのか、そもそも悪魔が憑依していないのか。

 まあ、悪魔が憑依していない状態の人間を、憑依状態だと偽って始末するのも、それなりによくあることだ。

 的確な詠唱に反応し、ナイフから光の刃が伸びる。神聖魔術の欠点は、殺傷にあまり向いていないことだ。

 他の魔術なら、こんなことしなくても、容易く命を奪えるだろうに。光の刃を、俺は拘束された人間の首に振り下ろす。

 どこに力を入れて、どこを押し込めばいいかは、身に染みついて分かっていた。すっぱりと、一撃で首は落ち。一呼吸置いて、切り離された断面から鮮血が流れ始めた。

 最後の仕事にしては、あっけなく終わったものだ。光の刃が伸びるナイフを下ろし、俺は息を吐き出した。

 その、時の事だった。

「うっ……」

 再びめまいを感じ、俺はナイフを持っていない方の手で眉間を押さえる。視界がぼやけて歪み、頭がくらくらする。

 不意に歪んだ視界の中に、転がった生首が飛び込んでくる。被せられた袋から、中にまとめられていた髪の毛が、零れだしていた。


 嫌というほど見覚えのある、碧色の長い髪の毛が。


「……ぁ」

 カランと、何かが落ちる乾いた音がした。血に濡れた碧い髪の近くに、真鍮の髪飾りが転がっている。かつて俺が愛する女に贈ったものと、とてもよく似ていた。

 それが何を意味するのか、俺の脳が認識する前に。背後から大きな手が伸びてきて、俺の頬に触れる。

「君の同僚である、ノルベルト・トルマリン君から密告があってね。彼女は純潔を絶対とする修道女でありながら、ある悪魔祓いの男と姦通し、あろうことか子供を孕んだ裏切り者なんだよ」

 ねっとりと、だかどこか優しげな声で、シェム・ムーンレス司祭の言う言葉が。麻痺した俺の頭の中に響き渡る。

「だから君に、始末してもらったんだ―――もっとも。さすがの君も真実を知ったら拒否するだろうから、認識阻害の魔術をかけさせてもらったけど」

 背後に立つ男が、何を言っているのか分からない。自分が何をやってしまったのか、理解することを脳みそが、心が拒んでいる。

 ルイン、と名前を呼ぼうとした唇は、微かに震えるだけで言葉が出てこない。もはや自分に、彼女の名前を呼ぶことは許されないだろう。

 俺が、ルインを、ルインを殺した。

 認識阻害の魔術をかけられていたとはいえ、どうして気づくことが出来なかったのだろうか。目の前にいるのが愛する女だと、ルインだと、どうして、どうして、ドウシテ。

「あ、ああああぁぁぁぁッ!!」

 頭を抱えて、叫ぶ俺に。背後に立つムーンレス司祭は、赤子をあやすように言った。

「シェーマス。愛を知って、自分が変わったと思ったのかな。でも残念、君が変わることはないよ。君はどこまでも残酷で冷徹な、可愛い可愛い私の息子だ」

 ムーンレス司祭はそう言って、放心状態の俺を優しく抱きしめた。

「これからも私の元で、働いてくれるね。それが君の生きる理由であり、存在意義なんだから」

 初めから、ムーンレス司祭は全て知っていたのだ。俺たちの関係も、ルインの妊娠も、何もかも知ったうえで、全てを整えて俺を罠にはめた。

 何で気づかなかったのだろうか。以前の俺なら、この程度の企みなんてあっさりと見抜けていたはずなのに。

 俺がルインを殺したという事実は変わらない。永遠に人生に刻みつけられ、手に付いた血が消えることはない。

 ルインは二度と帰ってこない。俺が今まで殺して来た人間たちと、全く同じように。二度と目覚めることはなく、俺に笑いかけることも絶対にない。

 ルインは、ルイン・インソードは、俺の全てだったのだ。それを俺は、あろうことか自らの手で殺してしまったのだ。

 結局、俺はどこまでも救いようのない人間であり。叩き込まれ、刻みつけられた罪は、絶対に消えることはないだろう。

 だから、だから、だから。

「シェーマス、気を落とす必要はないよ。君はやるべきことを―――」

 抱きしめていた手を離し、俺の肩を叩くムーンレス司祭に対し。

 俺は弾かれたように振り向くと、そのままになっていた光の刃で、彼の腹を真一文字に切り裂いた。

「がはっ……シェ、シェーマス、何を――――」

 返事を返すことなく、俺はただひたすらに、ムーンレス司祭へと刃を振り下ろした。飛び散る血と臓物も気にせず、息絶えた後も構わず、原型がなくなるまでずっと。

 そこから先の記憶は、曖昧である。大勢の人間に襲われたような気もするし、誰かを殺したような気もする。罵声を浴びせられ、肉を切り裂き、血が滴るのも構わずに進み続けたような気がする。

 全てがどうでもよかった。何もかも投げ出してしまいたかった。ルインをこの手で殺した自分に、生きる意味など何もなかった。

 殺してくれればよかったのに。だから殺し続けたのに。それでも俺は、俺は、俺は。


 気が付くと森の中に立っていた。

 すぐに自分が、酷い有様であることが分かった。純白だった悪魔祓いの制服は、血と肉片で赤黒く汚れて。喉がカラカラに乾いていて、息苦しさを感じる。

 ここはどこだろう。自分はなんでこんなところにいるのだろう。半ば呆然としながら、俺は森の中を歩き出した。

 途中、泉を見つけて。顔と手を洗い、少し水を飲んだ。水分を摂取したことにより、少しだけ頭がすっきりとしてきて。改めて自分の現状を、見つめ直すことが出来た。

 恐らく教会の追手から逃れて、郊外にある森の中に逃げ込んだのだろう。今のところ追手が来る気配はないが、このままここにいるのは良くないかもしれない。

 所持品を確認すると、血だらけのナイフと、懐中時計だけは持っていた。ルインの形見である懐中時計は、規則正しい音で時を刻んでいる。

 全てを失った俺に、唯一残った懐中時計を、しばらく見つめていたが。不意に近くから、馬の蹄の音が聞こえてきて。俺は懐中時計を仕舞うと、ナイフに手をかけ意識を警戒態勢に切り換える。

 追手が来たのだろうか。血にまみれでろくに調整も出来ていないこのナイフで、果たしてどこまでやれるだろうか。

 ……いや。蹄の音が近づくにつれ、俺は次第に力を抜いていく。どうせもう後がないのだ、このまま殺されたって悔いはない。

 蹄の音に、車輪の音が混じっていることから。近づいてくるのは馬車だということが分かった。二つの音が止んで、すぐ近くで馬車が停車したのが分かったが、俺は顔を上げずにその場に立っていた。

 殺すなら殺せばいい。抵抗なんてしない。する意味もない。

「……大丈夫?なんかこう、凄い有様だけど」

 ふと、そんな声が聞こえてきて。俺は顔を上げた。

 上質な革のコートを羽織って、形のいい帽子を被った男が目の前にいた。男はほとんど白に近い灰色の瞳で、俺のことを興味深そうに見つめていた。

「その制服って、悪魔祓いのやつだよね。でもなんというか……派手に染まっちゃってるけど」

「……」

 俺が何も言わずにいると、その男は少し考え込む素振りを見せた。一体何を、悩んでいるのだろうか。時々口の端から、「都合がいい」だの「家賃はいくら」だのという、呟きが漏れ出て聞こえる。

「……よし」

 しばらく考え込んだ後、その男はにっこりと笑うと、俺に片手を差し出した。

「どうやら訳ありみたいだけど、悪魔祓いなら都合がいい。僕はスアン・アンジロープだ、よろしく」

「俺は……」

 差し出された手に戸惑い、俺が何も言えずに言うと。スアンはにやりと笑って、服のポケットから一つの書物を取り出した。

「安心しなよ。君を教会に売り渡したりしないさ」

 スアンが取り出した書物が、悪魔の召喚書だということは一目でわかった。なるほど、召喚書を作る魔術師なら、気安く使える悪魔祓いがいると、都合が良いというのも分かる。

 だが。だが俺は……。それでも手を取れずにいる俺に、スアンは呆れたようにため息を吐きだして見せる。

「とりあえず、馬車に乗りなよ。詳しいことは中で話そう。あの御者は口が堅い分ケチだからさ、あまり長くまたしておくと、追加料金取られるんだ」

 それから結局、俺は馬車に乗って。マルガリアの地方都市である、ヴァルベロンに流れ着き。レイクエム横丁でスアンやイエナの世話になりながら、流れの悪魔祓いとして生きるようになった。

 血まみれの制服は処分し、代わりに黒のスーツを身に纏う。髪と瞳が黒いせいで、全身真っ黒になってしまうが、日陰者にはちょうどいいだろう。

 最初は罪の意識に苛まれることもあったが。スアンやイエナに振られる仕事を、流れるままに片づけているうちに。少なくとも、ある程度の折り合いはつけられてしまって。

 罪も傷も、消えることはないものの。とりあえず生きていくことぐらいは、出来るようになった。

 教会の動向については、あれからすぐに分かった。俺の所属していた本部で、上級悪魔の暴走があり、数人の悪魔祓いが死亡したという、新聞の記事を読んだ。

 どうやら教会は、一連の出来事を隠蔽するらしく。死亡者一覧にはムーンレス司祭やノルベルトの名前の他に、俺の名前も載っていた。

 ルインの名前も載っていた。ルインは間違いなく、死んだのだ。俺が、この手で殺したのだ。

 一人遺されたリインはきっと、俺のことを恨むだろう。それでいい、俺は彼女に恨まれて当然のことをした。殺されたって構わない。

 いや。いつかきっと、俺はリインに殺されよう。それで彼女の気が済むとは思えないが、己の命を差し出すことが、俺に出来る最大の償いなのだろうから。

 だから、リイン。俺はお前が―――。

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