Memory5 家族
ルインと恋仲になって、共に過ごしたあの三年間が。俺の人生の中でもっとも幸せな時間だったと、今でもはっきりと断言できる。
白と黒で構成されていた俺の人生が色づいて。生きているのが楽しいと、生まれて初めて思ったものだ。
リインが学校に通うようになって、二人で過ごす時間が増えたというのもある。共に過ごした教会で、俺たちは強く愛し合ったものだ。
恋仲になってから、ルインはより一層美しくなったように思う。そのことを、ルインに話すと。彼女は笑いながら、「恋をすると、女性って綺麗になるって言うでしょ」と答えた。そんなルインが、俺は愛おしくてたまらず。彼女の額に、優しくキスを落としたものだ。
俺たちの関係の変化に、リインは気づいていただろう。だが彼女は拒絶するどころか、むしろ好意的に受け止めてくれて。「シェーマスとお姉ちゃんが結婚すればいいのに」なんて、冗談めかして言われたこともあった。
自分のやっている、「仕事」のこともあり。俺はルインとの結婚は考えていなかった。結ばれたいという思いは、無いわけではないが。こんな自分には、その資格はないのではないかと思っていたのだ。
時折どうしようもなく、息苦しさを感じるものの。数多の罪を背負う俺には、ルインを幸せにする資格はない。
だからせめてこのままで、ルインとリインと一緒に過ごしていくことが出来れば、それでいいのだと。
あの日。六年前の、あの日。俺の二十ニ歳の誕生日までは少なくともそう思っていたのだ。
俺はあまり自分の誕生日に、こだわりはない人間だったのだが。ルインに教えて欲しいとせがまれて、仕方なく答えたのだ。そもそも元が孤児であるため、正確かどうかも分からないのだが。それでもルインは祝うと言って聞かなかった。
その日俺が教会を訪れると、ルインとリインが待っていて。食堂のテーブルには、ケーキと俺の好物が乗った皿が置かれていた。
「誕生日おめでとう、シェーマス」
「おめでとう、シェーマスお兄ちゃん」
にっこりと笑って言う姉妹に、俺も笑顔を返すと、すっかりと自分の定位置となった席に座る。こうして祝われるのも三度目になるが、案外悪くないものである。
「少し遅れて、悪かった。ありがとう、ルイン、リイン」
笑顔で感謝を伝え、俺はフォークを手に取る。ルインの用意した料理はどれも美味しく、しばらくは色々と話しながら、俺たちは食事を楽しんだ。
最近、ルインは体調を崩しがちで、少し心配していたのだが。今日は比較的調子が良さそうで、俺は内心安堵していた。リインはそんなルインの横で、美味しそうにケーキを頬張っている。
食卓の上の料理が、ある程度片付いた辺りで。ルインがリインの肩を叩く。
「リイン、シェーマスに渡したいものがあるんでしょ」
「う、うん……」
照れたような表情を浮かべながら。リインは椅子の下から、長方形の箱を取り出して、俺に対して差し出す。
「これ……お姉ちゃんと一緒に、選んで買ったの……誕生日、プレゼント」
差し出された箱を受け取り、開いて見ると。中には一つの懐中時計が入っていた。デザインこそ無骨だが、故に頑丈そうであり、良い物だということが一目でわかる。
「これは……」
「ど、どうかな、お兄ちゃん」
躊躇いがちに俺を見上げるリインに、俺は懐中時計を手に取ると、優しく微笑んで見せた。
「ありがとう、リイン。大切に使わせてもらう」
「……えへへ」
嬉しそうに頬を緩ませるリインに、手を伸ばして頭を撫でてやる。
そんな俺とリインを、ルインは優し気な眼差しで見つめていたが。不意に口元を押さえると、立ち上がって部屋を出て行く。
「うっ……」
「ルイン?」
「お姉ちゃん?」
俺とリインは顔を見合わせると、立ち上がってルインの後を追う。
ルインはどうやら厨房に駆け込んだようで、扉の向こうから嘔吐する音が聞こえて来た。
「ルイン、大丈夫か」
俺が扉を開くと、口元を拭いながら、ルインが振り向く。少し青ざめた顔をしていたが、彼女は静かに頷いて見せる。
「う、うん。ちょっと、食べ過ぎたみたい」
「……そうか」
ルインが何か隠していることは、何となく察せたが。彼女の瞳が、今は話せないと訴えかけていた。
「お姉ちゃん、大丈夫なの」
「うん、大丈夫よ。さあリイン、明日も学校でしょう。もう時間もだいぶ遅くなってきたし、そろそろお開きにしましょう」
リインはルインのことを心配そうに見つめていたが、素直に頷いて片手を伸ばす。ルインはその手を取ると、リインを寝室へと連れていく。
妹を寝かしつけた後、ルインは俺に教会の本堂に来るよう言った。大切な、話があるのだと。
俺がルインと共に、教会の本堂に入ると。ルインは目の前にある、大きな祭壇を見上げる。祭壇はきっちりと手入れされており、真鍮製の十字架が窓から差し込む月明かりに照らされて輝いていた。
「シェーマス……月経が、止まってるの」
不安が微かに見え隠れする声で、ルインは言った。その言葉の意味するものは、さすがの俺でも理解できる。
言葉を失う俺に、ルインは胸に手を当てて言葉を続ける。
「まだ、ちゃんと診てもらってはないんだけど。恐らく、『そう』だと思うわ」
魔術による避妊はちゃんとしていたはずだが、効果は絶対ではない。詠唱ミスの可能性もある。
何か言おうと口を開きかけるも、動揺によって何も言えずにいる俺に。ルインはそっと、己の下腹部に手を当てる。
「……あなたが迷惑だと言うのなら、堕ろす、けど」
「ルイン、俺は……」
堕胎してもらったほうが、お互いにとって都合がいいのは間違いない。修道女が身ごもったとなれば、ルインは間違いなく教会を追放となるだろうし。俺も悪魔祓いとして「仕事」を続ける以上、子供の存在は間違いなく弱点となるだろう。
だが。頭の中に一瞬浮かび上がった、打算的な考えを。俺は瞬く間に振り払う、否、振り切ると。そっと下腹部に当てられた、ルインの手を取って言った。
「結婚しよう、ルイン」
心の奥では、ずっと望んでいたのだが。葛藤と自己否定によって、言えずにいた一言。それがついに、俺の口を突いて飛び出した。
恋人同士ではあるものの。お互いの立場もあり、なかなか踏み出せなかったし、踏み出すつもりも無かった。だがルインが身ごもったのならば、もはや躊躇しているわけにはいかない。
ある意味、いいきっかけだったのかもしれない。でなければ俺は、俺たちはずっと、自身の立場に目をつぶりながら、今のままの関係を続けていただろうから。
「愛してる、ルイン。これからもずっと、俺の傍にいてくれないか」
はっきりとした声で、使い古された告白の言葉を口に出し。俺はルインの体を抱きしめる。
ルインは俺の腕の中で、少し驚いたように息をのんだのが分かったが。すぐに俺に身を預けて、胸にそっと頬を押し当てる。
「もちろんよ、シェーマス。私もリインも、ずっとあなたの傍にいたいと思ってるわ」
「ルイン……」
「だから……あなたもずっと、私の傍にいてね。私たちの大切な、家族として」
顔を上げ、ルインは俺のことを見上げてくる。その碧い瞳が俺の心の奥底にある、全てを見透かしているようで。
言葉が詰まり、呼吸が荒くなっても。俺はルインから、目を離せなかった。
「シェーマス……愛してる、愛してるから」
珍しく弱気に、どこか縋るように、ルインは繰り返した。俺はそんなルインの体を、無意識に抱きしめ直す。
かつて父親に捨てられたからこそ、ルインは不安なのだろう。俺の子供を身ごもって、俺とちゃんとした家族になるからこそ、不安で仕方がないのだろう。
だから俺は少しでも阿新させようと、ルインの額に優しくキスを落として。精一杯の優しい声で言った。
「どこにもいかないさ。俺はずっと、君の隣にいる」
「シェーマス……」
「もう一度言う。俺と結婚しよう、ルイン・インソード」
ああ。俺は彼女の為なら、何だってしてもいい。何だって、犠牲にすることが出来る。
ルインが望むなら、俺はその命尽きるまで、彼女の傍にいよう。俺の存在理由である悪魔祓いの仕事も、投げ捨てたっていい。
「俺と、家族になろう」
修道服に包まれた体をぎゅっと抱きしめると、ルインの碧い目から涙が零れ堕ちるのが分かった。
そんな彼女の涙を、指で拭ってやりながら、笑いかけていたあの瞬間が。
きっと、俺の人生の中で。一番幸せだっただろう。
「修道女が身ごもったとなれば、教会追放は間違いないわね」
しばし時が流れた後、長椅子に並んで座って、月光に輝くステンドグラスを見上げながら。ルインが諦めたように、だがどこか吹っ切れたように言った。
「それを言ったら俺だって、悪魔祓いの仕事を続けられないだろうさ」
長椅子の上に置かれたルインの手に、自分の手を重ねて。俺はルインに、笑いかけた。
「……どうせ教会から、追放されるんだったらさ。地方の町に移住して、そこで店でも開く、っていうのも悪くないかもしれねえな。もちろん、リインも一緒に」
「いいかもしれないわね、それ」
ステンドグラスを通して差し込む光が。ルインの付けた真鍮の髪飾りを照らして、きらきらと輝かせている。
夢物語のような未来図を語り合いながら、俺たちは寄り添っていた。この先に続く道が、差し込む月明かりのように、明るいものだと無意識に信じながら。
それが泡のような幻想にすぎず。いつの間にか暗い場所へと続く下り坂に、俺たちが踏み出してしまったことに気付くのは。
全てが、全てが取り返しのつかなくなってから、気づくのは。それから二週間後のことだった。
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