Memory4 告白
それから、俺は度々ルインとリインの元を訪れるようになった。
お礼として贈った真鍮の髪留めを、ルインはとても喜んでいた。もちろんリインにも、街で買ったお菓子をちゃんとあげた。
俺が一級悪魔祓いだと言ったら、ルインはかなり驚いていた。制服を剥ぎ取った癖に、腕章の意味を知らなかったようだ。
とはいえ今更のことである。気を使わなくて良いとルインに言うと、ルインは当り前じゃないかと頷いた。そんなルインに、俺は安堵を感じたものだ。
また仕事終わりに彼女たちの教会を訪れた時は、よくルインの手料理をご馳走になった。ルインは料理が上手く、単純なものでも飛び切り美味しく作ることが出来るのだ。
ある日そのことを、俺がルインに伝えると。ルインは笑いながら、「普通に作ってるだけ」と言っていた。
リインは将来魔術師になりたいらしく、ある日俺に神聖魔術を教えてくれと言ってきた。一流の魔術師になって、ルインを助けてやりたいとのことだ。俺が簡単な神聖魔術を教えてやると、リインはすぐに要領を理解し、不完全ながら行使して見せた。これは確かに、将来有望かもしれない。
そんなルインとリインの姉妹は、元は孤児だったのだという。二人は血こそ繋がっているものの腹違いであり、リインの母がリインを産んですぐに亡くなると、彼女たちの父親は二人を見放したのだという。
ルインは決して、自分たちの親について語ろうとしなかった。俺も深く聞こうとはしなかったし、同じ元孤児として聞く意味も見いだせなかった。
孤児となったルインは、その身一つでリインを育てながら、何とかやっていたのだが。ある日聖貴教会に拾われて、こうして修道女となったのだという。
俺とどこか似たルインの生い立ちに、俺が親近感を覚えたのは事実だ。もっともリインを育てなければならなかったルインのほうが、俺なんかよりずっと大変だったに違いないが。
お互い過去に暗い影はあるものの。ルインたちと過ごす日々は楽しく、いつの間にか一年ほどの時間が過ぎていた。楽しいと時が過ぎるのが早くなる、というのは言いえて妙である。
その日も俺は「仕事」が終わった後に、ルインたちの教会を訪れ、晩御飯をご馳走になっていた。ルインは張り切ってトマトシチューをたっぷり用意していて、柄にもなくワインを空けていた。
「今日はやたら、機嫌が良いな」
パンをちぎりながら、俺がグラスを揺らすルインに聞くと。ルインは酒に酔って少し赤くなった顔に、嬉しそうな表情を浮かべた。
「んー……別にぃ」
「ルインが酒を飲むなんて珍しいな」
「シェーマスも、一口いる?」
「いや、これでもまだ十九なんでな」
さりげなく断ると、ルインは少ししょんぼりした表情を浮かべる。そんなルインの横では、シチューを食べ終わったリインが眠そうな顔で目を擦っていた。
そんな妹の様子に気が付いたルインが、ワイングラスを置いてリインの頭を撫でる。
「リイン、もうおねむかしら。今日はシェーマスが来るからって、朝から早起きしてたからねえ」
「うん……もうねる……」
「じゃ、おねんねしようか」
ルインがリインを寝室に連れていく間、俺は残ったパンを腹の中に収めて、席から立ち上がった。そろそろ時間も時間だし、この辺りでお暇しよう。
食堂を出て廊下を歩き、出口へと向かう。出入り口は教会正面と、裏口の二つがあるのだが、俺はいつも裏口の方から出入りさせてもらっている。
裏口まで来て、俺はふと立ち止まった。戸締りのこともあるし、やはりルインに一言かけたほうがいいだろうか。
なんて思いながら、立っていると。不意に背後から細い手が回ってきて、俺の体をぎゅっと抱きしめた。
「な―――」
「うふふ、なーに一人で帰ろうとしてるのよ、シェーマス。夜はまだまだ、これからじゃない」
かろうじて振り向いたものの。ルインにさらに強く抱きしめられて、完全に逃げ出すことが出来なくなった。
硬直する俺の背中をすりすりと撫でてから、ルインはやっと体を離した。かと思うと俺の手を掴み、とろんとした瞳で見上げてくる。
「今晩は帰らせないわよお、シェーマス」
「……」
完全に酔っていることは分かるのだが。俺の中の何かが壊れるというか、決壊してしまいそうな気がして、正直どうしたらいいのか分からない。
分からないが、このままルインにされるがままになっていたら、不味いことは間違いない。だからそれとなく、ルインの腕を離そうとすると、ルインは手により一層力を込めて、ぐいぐいと引っ張り始めた。
「ル、ルイン」
「無駄な抵抗なんだから、そんなのはあ。さあ、大人しくこっち来なさい」
戸惑う俺の腕を引っ張って、ルインは廊下を歩き始める。内心に微かな焦りを感じつつも、俺は仕方なくリインに従って共に歩き出す。
ルインに連れられてやってきたのは、教会の本堂だった。既に日が沈んでいるため薄暗いものの、月明かりに照らされて輝くステンドグラスは、息をのむほど美しい。
そういえばこの教会を訪れるようになって、一年になるものの。本堂をしっかり見るのは、これが初めてかもしれない。
聖貴教会の聖典の一節を模した硝子の模様を見上げる横で、ルインが信者の座る長椅子の一つに腰かける。
「今日はね、いいことがあったのよ」
ほろ酔い気分で体を揺らしながら、ルインは俺に言う。
「今までの働きが認められて、補助金が増えることになったの。これでリインを、ちゃんとした学校に通わせてやれるって思うと、嬉しくなっちゃって」
「なるほど、そういうことだったのか」
リインには俺やルインが読み書きや魔術などを教えていたが、ちゃんとした学校で学べるに越したことはないだろう。俺たちなんかよりもちゃんとした教育を受けられて、同い年の友達が出来ることもあるかもしれない。
「おめでとう、ルイン」
素直な祝福の言葉を告げると、ルインは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、シェーマス。でもね、私が嬉しいのは、それだけじゃないのよ」
「と、いうと」
「……いらっしゃい、シェーマス」
答える代わりに、ルインは俺に向かって両手を広げる。一体俺に何を求めているというのだろうか。動揺と羞恥心が微かに湧き上がるのを誤魔化すように、俺は無言でルインの隣に座った。
「つまんないの」
口を尖らせたルインの横で。俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じつつも、俺は何とか平静を装っていた。あるいは装っているつもりだった、とも言えるだろうが。
そんな俺の腕に、自分の腕を絡めると。ルインは酒に酔ってやや赤くなった顔で、俺の顔を覗き込んで言った。
「最近、随分と人間らしくなったじゃない、シェーマス」
「それは」
「初めて会った頃のあなたって、どこか全てを諦めたようなところがあったけど。今のあなたは色んな表情を見せてくれて、とても素敵よ」
「……」
「私はあなたがそういう風に変わったことが、とても嬉しいの……ねえ、シェーマス」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ルインはその碧い瞳を俺に向けて、冗談めかして言った。
「私のこと、好き?」
表情も声も仕草も。その全てが冗談だと言っていて。だからこそ笑って流せばよかった、笑って流すべきだったのだが。
湧き上がってくるものを、抑えていた俺の薄膜は。そんな些細なからかいによって、あっさりと裂かれ溢れてしまい。
気が付いたら俺は、ルインの色素の薄い唇に、自分の唇を重ねていた。柔らかい感触と、交わる吐息の温かさ。
我に返って、慌てて唇を離したものの。時はすでに遅く、ルインは自身の唇を撫でて、驚いたように、だかどこか楽しそうに俺に言った。
「あら……思ったより積極的じゃない」
「ち、違う、これは別に」
「いいのよ、シェーマス。素直になっても。といっても今のあなた、もう顔にはっきりと答えが、出ちゃってるようなものだけど」
「……」
ルインに言われて、俺はやっと自分が赤面していることに気が付いた。ただでさえぐちゃくちゃな感情の上に、追加の羞恥心が上乗せされる。
押し黙る俺に対し。ルインは絡めていた腕を離すと、腰を浮かせて背伸びし、手を伸ばして両手で俺の頬を挟む。
「ほら、言っちゃいなさい。お姉さんが、受け止めてあげるから」
「ツッ……」
思わず息をのんでから、俺はそっとルインの腕に触れ、頬から離してそのまま握りしめる。溢れる感情はそのままに、俺は自分の黒い瞳を、彼女の碧い瞳に重ねる様に向ける。
もはや躊躇う必要はないだろう。そう思ったら、言葉は自然と口から出て来た。
「……愛してる」
「うん」
「初めて会った時から、ずっと惹かれていた。ずっと、ずっと、想い続けていた」
「そうね」
「愛してる、ルイン。だから」
「ふふふ、ちゃんと言えたじゃない。いい子ね、シェーマス」
握っていた手を離して、ルインは再び背伸びすると、俺の頭を優しく撫でた。
「素直なあなたが好きよ、シェーマス」
「ルイン……」
「だから―――」
そこから先の言葉は、ルインの口から出てはこなかった。彼女はへなへなとその場に崩れ落ちると、俺の膝に頭を乗せ、大きなあくびをして目を閉じる。
「ルイン?」
「ごめん、限界」
それだけ言って、あとは静かな寝息が聞こえて来た。俺の膝を枕代わりに眠るルインに対し、俺はしばらく放心していたが、やがて我に返ると息を吐き出した。
なんだかどっと疲れたが、不思議と気分は悪くない。むしろどこか、心が軽くなったような気がする。
すやすやと眠るルインの頭を軽く撫でて、これからどうしようかと考えながら、俺は再び頭上のステンドグラスを見上げた。
こうして俺はルインに想いを伝え、ルインもそんな俺の想いを受け止めてくれた。
もっとも。翌日目覚めたルインが酒によって全て忘れていたせいで。俺は死ぬほど恥ずかしい思いをしながら、改めて告白し直すことになるのだが、それはまた別の話である。
「シェーマス。最近随分と、人間らしくなったね」
いつも通り、こなした「仕事」の報告に訪れた執務室で。ムーンレス司祭にそう言われて、俺は一瞬だけ言葉を失った。
幸いすぐに平静を取り戻し、無表情を貼り付けて俺は司祭に言った。
「どういうことでしょうか。言っている意味が分かりません」
「言葉通りの意味だよ。最近随分と、感情豊かになって――――父親代わりとして、こんなにも嬉しいことはない」
優しく微笑んでから、ムーンレス司祭は俺のことを真っ直ぐ見つめてくる。相手の心の中を、見透かすような眼差し。慣れているはずなのだが、今日はどうも居心地が悪く感じる。
「……恋人でも、出来たかな」
「な……」
しまった、と思ったときにはすでに遅く。動揺を隠すのが、一瞬遅れてしまう。ムーンレス司祭は満足そうに頷くと、俺に向かって優しく言った。
「よかったら、今度紹介してくれないかな。息子のお相手が一体どんな女性なのか」
「……私的なことですので」
動揺を必死に抑え込みながら、俺が絞り出すように言うと。ムーンレス司祭は露骨に残念そうな顔をしてから、座っていた椅子から立ち上がる。
彼は俺の背後に回り込むと、肩に手を乗せ、その巨躯を屈めて俺の顔を見下ろした。これで冷酷な表情でも浮かんでいればまだましだったのだが、先程と一切変わらぬ優し気な顔をしているのが却って不気味に感じられる。
「でも、恋人に現を抜かして、仕事の方が疎かになっちゃいけないよ」
「……」
「シェーマス、君は悪魔祓いだ。人々の心に巣食う悪魔を祓い、倒し、この世から消し去ることが。君の使命だということを、忘れるんじゃないよ」
激励のように見えるその言葉は、俺の心に楔を打ち直すための脅し文句だ。柔らかな口調と言葉に猛毒を仕込み、気づかぬうちに蝕んでいく。
「君はとても優秀だから。心配はないと思うけど。これからもどうか、自分の『やるべきこと』だけは、忘れないようにね」
「……はい」
居心地の悪さと、もやもやした暗い気持ちを感じながらも。俺が頷くと、ムーンレス司祭も満足そうに頷いて。俺から離れて目の前の椅子へと戻り、腕を組んで顎を乗せる。
「それじゃあ、報告は確かに受け取ったから。今日はゆっくりと、休むといい」
「了解しました」
再度頷いて、俺は執務室を後にする。執務室から出ると、無意識に感じていた息苦しさが消えていくのが分かった。
それでも俺の心には、はっきりと打ちこまれた楔は消えず。自室に戻るまでの間、忘れていた暗い影の存在を思い出し、同時に何かが零れ落ちていくような気がした。
ルインとその妹であるリインの存在は、俺の中で大きな部分を占めているものの。根本的なところは、何も変わっていない。
俺は所詮教会の犬に過ぎず、ムーンレス司祭の手駒の一つに過ぎず。その手は血で汚れていて、背負う罪が消えることはない。
「……」
自分の額に手を押し当て、息を吐き出す。なんだか物凄く気持ちが悪い。
仕事は仕事と割り切っているはずなのに。自分がどうしようもなく、悪い人間であるかのような気がして、この場から消え去ってしまいたいと思った。
なんて立ち止まって息を吐く俺の横を、杖を突いた男が通り過ぎていき。俺は顔を上げて、すれ違った男を振り向く。
この一年で変わったのは、俺だけではなかった。あの日俺の出した成果を、自分の事のように喧伝していた、ノルベルト・トルマリンは。
その次の次に請け負った中級悪魔に対する儀式で、大きなへまをやらかして片足と片目を失った。以来彼は三級悪魔祓いに降格させられて、本部の内勤をやらされており、取り巻きに囲まれていたかつての姿は見る影もない。
「……そんなに面白いか」
彼の背中を見つめる俺に。ノルベルトは立ち止まって振り向くと、憎しみに満ちた表情を浮かべて言った。
「落ちぶれた俺が、そんなに面白いか」
「……別に。元からお前に、興味はない」
ありのままの事実を述べただけなのだが。ノルベルトはより一層悔しそうに顔を歪めると、義足をはめた足を引きずりながら去っていった。
人間の内心に燻る、嫉妬や憎悪という負の感情は、案外馬鹿に出来ないものであり。悪魔祓いとして、そのことは身に染みて知っているはずだったのだが。
身近な存在の抱えるものほど、案外見落としてしまうもので。ノルベルトが内側で燻らせているものを、早くに潰さなかったことを俺が後悔するのは、まだ先の話である。
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