Memory2 出会い

 一時間ほどで、俺は廃墟街に辿り着いた。息を切らしながら、懐からナイフを取り出すと。一軒の建物から、あからさまな破壊音が聞こえてくる。

 漂う血の臭いと、瓦礫の山。詠唱のことも考えて呼吸を整えつつ、俺はその建物に近づいてゆく。

 直後、俺の目の前を桃色の触手のようなものが通り過ぎた。触手の先には、見覚えのある男が悲惨な状態で捕らえられている。

「うわあああぁぁぁぁッ!」

 悲鳴を上げるノルベルト・トルマリンは。そのまま地面へと勢いよく叩きつけられる。骨が折れる嫌な音がして、絶叫と呻き声が辺りに響き渡った。

 いや、触手に捕まっているのは、ノルベルトだけではない。彼の配下であろう、悪魔祓いが何人も。伸びる桃色の触手に捕らえられていた。そのうち何人かは、もはや手遅れであることがはっきり分かるほど傷つき、息絶えていることが見て取れた。

 俺は防御のための文言を唱えつつナイフの刃を、伸びる無数の触手の中心、全てが繋がるところへと向ける。

 そこには、白い薄絹の衣をまとった、一人の美しい女性が立っていた。明るい桃色の髪と瞳が、夕陽に照らされて艶やかな光を放っている。

 もっともその背中から触手が伸び、体全体に桃色の筋が這い。白目の部分が漆黒に染まり、口元は狂気的に歪んで。まさに化け物、悪魔と形容すべき姿をしていなければ、の話なのだが。

「……あら」

 その悪魔は、うっとりとした表情を浮かべながら、俺の方に顔を向けて来た。

「新しい、悪魔祓いさんね。いらっしゃい、歓迎するわ」

「……」

「初めまして、私はメラハ。よろしくね、素敵な悪魔祓いさん」

「……上級悪魔が名乗るとは、随分な余裕だな」

 俺が低い声で言うと、メラハは馬鹿みたいに腹を抱えて笑って見せた。なんでそんな、分かり切ったくだらないことを聞くのかというように。

「彼らが儀式に失敗したのは、もはや明確なことでしょう?おかげで私の力は、最高にまで高まったわ―――今更あなた一人が来たところで、何が出来るのかしら」

 儀式に失敗した悪魔は強化される。悪魔祓いの常識として、必ず叩き込まれる知識の一つだ。もちろんそれは、上級悪魔とて例外ではない。

 一級悪魔祓いの条件は、上級悪魔を一人で祓うことが出来るかどうかだが。強化済みとなると話は別だ。たとえ一級悪魔祓いが複数人いても、犠牲者が出る可能性が高いだろう。

「さあな」

 だが。俺はそれでも、ナイフの刃をメラハに真っ直ぐ向ける。

 別に正義感や使命感に駆られているわけではないが。悪魔を祓う、祓えなくても出来る限り被害を抑える。それが悪魔祓いの仕事であり、使命であり、生きる理由なのだから。

 逃走や撤退なんていう選択肢は、俺には存在しない。目の前の上級悪魔に殺されるか、立ち向かうしかないのだ。

 幸い馬車に乗せたあの三級悪魔祓いが、本部に事態を伝えてくれているだろう。だからせめて、応援が来るまでは持ちこたえなければ。

 俺の態度に、メラハは化け物じみた顔に妖艶な笑みを浮かべて、触手をうねうねと動かした。

「その気概、とても素敵ね」

「死に急いでいるだけだ」

 吐き捨てるように言って、俺は文言を唱え始める。呼吸をしている余裕なんてない、一瞬の隙を見せたら、その瞬間に殺される。

 詠唱を始めた俺に、メラハはつまらなそうに唇を尖らせると。肉塊と化した悪魔祓いを二人ほど手放し、空いた触手を俺に向かって放ってくる。

 といっても直線的な攻撃は、さすがに回避できるのだが。素早い身のこなしで触手をかわしつつ、俺が最初の詠唱を終えた瞬間、たった今襲ってきた触手が細切れに千切れ飛ぶ。

「あらあら……」

 触手の数を少しでも減らせれば、と思ったことだが、どうやらこれは悪手だったらしい。千切れた触手がうねうねと動くと、桃色の悍ましい怪物に変化する。同時にメラハの背中から肉を割るミチミチという音がして、刻んだものと同じ数だけ新たな触手が生えてくる。

「……チッ」

 後手に回ると分かっていても、ねっとりとした口を開いて、襲い掛かってくる眷属に対処しないわけにはいかない。

 数と強度的に、威力も範囲も妥協するわけにはいかない。全神経を集中させ、俺は神聖魔術の詠唱を始める。

 おそらく、最速詠唱記録は更新しただろう。再生した触手が、俺の胴に直撃し吹っ飛ばす前に、ナイフから閃光が放たれ、眷属どもが塵のように消滅していく。

 直後、俺は地面にたたきつけられたかと思うと、その衝撃が襲い掛かってくる前に触手に捕まえられた。肺から息が絞り出され、びっしりと細かい吸盤が付いた触手が俺の体をぎりぎりとしめあげる。

「なかなかやるみたいだけど……つかまえたぁ」

「ガハッ……」

 ばきりという、鈍い音が響いた。恐らく肋骨が持っていかれたのだろう。少し遅れて、鈍い痛みがやってくる。

 絶体絶命、といったところか。痛みに喘ぎながらも、俺はメラハを睨みつける。

 恍惚とした表情を浮かべながら、ぎりぎりと俺を締めあげていたメラハだが。不意に表情を強張らせると、俺のことを手放した。

 直後俺を捕えていた触手が、焼き消えてゆく。地面にたたきつけられた俺は、何とか呼吸を整え、立ち上がってナイフを握り直す。利き手が無事だったのは、不幸中の幸いと言うべきだろうか。

「なるほど……服に術式がねえ」

 焼き消えた触手を忌々しそうに動かしながら、メラハはただでさえ筋の張った額を強張らせながら、俺のことを睨みつけてくる。

 悪魔祓いの制服には、簡単な防護術式が編み込まれているものの。それにいくらか独自の改造を加えておいたことが、功を奏したようだった。

 だが次に触手に捕まったら、負傷していることもあって同じようにはいかないだろう。その前に、何とかしてカタをつけなければ。

 しかしそんな俺を阻むように、突如メラハから生える数本の触手が細切れになった。俺が文言を唱えていないことから、メラハ自身がやったのだろう。

 バラバラになった触手は、たちまち眷属の化け物に変化し。一直線に俺に向かってくるその向こうで、メラハは再び背中から触手を生やしていく。

「大人しく私のものになればいいのに、手のかかる子ねえ」

 せめて少しでも準備をする時間や、仲間がいればよかったのだが。骨折と打撲の痛みを自問自答で誤魔化しながら、俺はナイフを構えると、簡単な呪文を口走る。

 次の瞬間、ナイフの刃から光の筋が伸びる。こうなったらもう、自分の身を守りながらなんとかして、本体を叩くしかない。

 大口を開けて襲い掛かって来た眷属を、光の剣で切り裂きながら。俺はメラハの本体を目指して走り出す。神聖魔術と文言との複合呪文であるため、眷属程度なら一太刀浴びせれば瞬く間に霧散する。

「あら、素直じゃない。そういうの、嫌いじゃないわよ」

 だがメラハも攻撃の手を止めるつもりはなく。眷属を蹴散らす俺に向かって、再生した触手が襲い掛かってくる。いつの間にか新たな触手が増えており。その触手を自ら刻むことによって、眷属生成も止まることはない。

 自我を繋ぎとめるように詠唱を重ね、襲い掛かってきた触手に吹っ飛ばされ、対処しきれなかった眷属に体をかじられながらも。俺は死に物狂いで立ち上がり、前に進んでいく。

 空は日暮れの寸前で。夜の闇がすぐそばまで来ていた。太ももにかじりついた眷属が、肉をぶちぶちと食いちぎってゆく。

「はぁ……はぁ……」

 周囲の眷属は、何とかまとめて斬り伏せたものの。肉の噛みちぎられた足に力が入らず、俺はその場に膝をつく。

「どうやらここまでのようね」

 目の前では新たな眷属を生成しつつ、メラハが楽しそうに触手を振り回している。俺は全身を襲う激痛に耐えながら、顔を上げてメラハのことを睨みつける。

 ああ、やっと。

 やっと、詠唱が終わる。最後の一節をきっちりと口にした瞬間、メラハの触手と周囲の眷属が溶ける様に消えた。

「な―――」

 光の刃による迎撃は、あくまで時間稼ぎに過ぎない。本命はその間に、クソ長い詠唱を終わらせ、一瞬の隙を作ること。

 足が千切れ飛んでもいい。今この瞬間だけは、絶対にモノにする。

 ナイフをぎゅっと握りしめ、可能な限りの文言を乗せて。俺はメラハに向かって、先端から伸びる光の刃を発射する。防御できる触手はないし、再生させる時間も与えないし、魔法だって貫通してやる。

「このッ―――ぎゃあああぁぁぁッ!」

 放たれた光の刃が、メラハの腹を貫いた。神聖魔術と文言の複合術式に、さらに文言を上乗せした一撃。間違いなく、大打撃だろう。

 だがここで気を抜いてはいけない。飛びそうになる意識を繋ぎとめるように、俺はありったけの文言を詠唱する。出し惜しみは一切しない、強力なものを出来る限り。

「この、カスが、人間のカスがアアアァァァ!!」

 叫びながら、メラハの体が朽ちていくのが分かった。それでも俺は、文言を唱えるのをやめない。

 夕陽の残光が沈み切って、黄昏が夜に切り替わるころ。メラハの体は完全に塵と化して消え去り、俺はやっと詠唱をやめると、冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。

 途端に、今まで誤魔化してきた激痛が一気に襲い掛かって、俺は呻き声を上げる。気づかないうちにかなり出血していたようで、太ももに触れると赤黒い液体がべったりと手に着いた。

 痛みに歯を食いしばりながらも。俺は近くに倒れている悪魔祓いの残骸から制服の一部を拝借して、出血の酷い傷口に巻き付け止血する。頭がくらくらして、今にも意識が遠のきそうだったが、とりあえず最低限の応急処置は済んだ。

 あとは辻馬車の停留所まで戻れば、本部に行けるだろうが。さすがにそこまで行く体力はないかもしれない。激痛によって気温が低いにもかかわらず、じんわりと汗ばむのを感じながら、俺はその場に横たわった。

 いっそ夜明けを待った方が良いかもしれない。夜が明ければ、さすがに教会も人を寄越すだろう。応援は来なかったが、事後処理はきっちりとするのだろうから。

 なんて考えている思考も、いよいよ限界が近づいているのが分かった。体が変な風に熱を持っているのが分かる。少しだけ、消耗しすぎたかもしれない。

 まあ、一級悪魔祓いとしての、務めはしっかり果たしたのだ。少しぐらい休んだって、文句はないだろう。

 自分にそう言い聞かせ、俺は意識を手放そうとしたのだが。

 ふと視界の先、薄暗くなった廃墟の向こうで、灯りが揺らめいたことに気が付いて、俺は目を見張った。

「……誰だ」

 精一杯の声を出して呼びかけると、灯りの持ち主はこちらに気が付いたのか、駆け寄ってくるのが分かった。

「大丈夫?!」

 近づくにつれ、それが修道服を着て、カンテラを持った女性だということが分かった。

「今、手当を―――」

 俺に駆け寄って、慌てた様子で傷の様子を伺うその修道女の、碧い瞳がいやに綺麗に見えたことを覚えている。

 運命の出会いというものは、いつどこで訪れるか分からないものであり。

 この時出合った、碧い目をした修道女が。俺の無機質な人生を百八十度変えてしまうことになるとは、これっぽっちも思いはしなかった。

 もっとも。彼女に声をかけられた直後。俺の意識は遂に限界を迎え、あっさりと飛んでいってしまったため。

 運命の人との出会いは、ろくに会話を交わすこともできぬまま、終わってしまったのだが。

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