「Black Recollection」

Memory1 仕事

 白と黒で描画された写真のよう。

 あの頃の日々を例えるなら、きっとそれが一番相応しい表現だと思う。

 自分の視点からは色がついて見えても、この世界を俯瞰しているという神の視点からは、少なくともそのように見えていたに違いない。

 それほどまでに無機質であり、退屈であり、味気の無い日々。それがかつての俺の日常であり、全てだった。

 ヴァルベロンから遠く離れた場所にある、マルガリアの中心都市。そこにある聖貴教会の悪魔祓い本部が、俺の所属していた「居場所」だった。

 物心ついた時には既に孤児で、生きるためには何だってやってきた。風邪をこじらせて死にかけているところを、聖貴教会の孤児院に拾われて。そこで才能を見出され、悪魔祓いとなった。

 俺の人生を簡単に説明すると、それだけで片付いてしまうのもあり。あの頃の俺は自分の過去が嫌いだった。今でも好きだとはとても言えないが、今以上に興味がなく、聞かれても不愉快に思うだけだった。

 俺のやるべきことはただ、教会の命令に従って「仕事」をし。配給された不味い食事を腹に詰め込んで眠ること。教会の従順な駒であることが、あの頃の俺の人生の全てだった。

 そのことを疑問に思うこともなければ、辛いと感じることもない。それしか生き方を知らない故に、他の可能性を思い浮かべる余地もなかったのだ。

 どこまでも従順な駒であり、盲目の羊である。上司からすれば、こんなに都合のいい存在はなかったことだろう。

 もっとも。そんな人生もある日を境に。たった一つの出会いによって、瞬く間に変わってしまったりするもので。

 俺にとってのそれは、ある日の教会で訪れたのだ。


 本部の食堂で、不味い飯を腹に詰め込んでいたら、頭上から汚水をぶっかけられた。

 異臭の漂う水に濡れた顔を拭って、俺は食べかけの皿を見下ろす。皿は酷い有様で、とてもじゃないが残りを食べることは出来ないだろう。

 無言で濡れた髪の毛をよける俺に、汚水をぶっかけた本人である男が、仲間と共に嘲るような笑い声をあげた。

「何か言えよ、おら」

 綺麗に梳かされ結ばれた、滑らかな金髪に碧眼。整った顔立ちは、如何にも女が好きそうである。ただしその顔に、軽薄な笑みが浮かんでいなければ、の話であるが。

 彼の名前は確か、ノルベルト、ノルベルト・トルマリンといっただろうか。白い制服の腕には、新品同然の一級悪魔祓いの紋章が揺れている。

 といっても実際には、マルガリアの名門貴族である親のコネを使って、一級悪魔祓いになったと専らの噂だが。彼の親の財力と権力を知る者たちが、そのことを表立って囁くことはない。

 だから彼はこのように増長し、こうして好き放題振る舞っているのだが。

 どうやらノルベルトにとって、俺のような底辺から這い上がった一級悪魔祓いは気に食わないのか、よくこうしてちょっかいを出されるのだ。彼からすれば下級層の出身者など、単なる玩具に過ぎないのだろう。

「犬なら吠えて見ろよ、ほら、ワンワンって」

「……」

 小突かれて嘲笑われるのも無視して、俺はポケットの中のナイフが濡れていないのを確かめると、ぐちゃぐちゃになった皿を手に持って立ち上がった。

 食事をしたら執務室に来いと、上司である司祭から呼ばれているのだ。こいつらに構っている暇はない。どうせ飯も食えなくなったのだ、だったらとっとと片付けて、執務室に行こう。

 俺が何も言わずに立ち上がると、ノルベルトは露骨に不満そうな顔をした。玩具が思い通りの反応を返してくれなかったことが、気に食わなかったのだろう。

「チッ……ムーンレス司祭のお気に入りだからって、お高くとまりやがって」

 そう言って、ノルベルトは長い脚で、俺の持った皿を蹴り飛ばそうとしてきたが。軽くかわして、残飯をゴミ箱にぶち込むと。皿を返却口に返した俺は、より一層悔しそうな顔を浮かべる彼に背を向けて、食堂を後にした。

 本部の建物は付属の教会と違って無機質で。トイレで顔と髪を洗うと、薄汚れた四角い窓の並ぶ階段を上がり、俺は司祭の待つ執務室に向かう。

「失礼します」

 扉をノックすると、中から返事があり。俺は鍵のかかっていない扉を開き、中に入る。

 机と椅子と本棚、そして聖貴教会の紋章が入った幕。それだけしか置かれていない、簡素な執務室の中。

 俺の上司である、シェム・ムーンレス司祭は、椅子に腰かけて腕を組んでいた。

 銀色の縮れた髪をきっちりと撫でつけ、髪と同じ色をした一重の目は、瞳孔が小さく視線は鋭い。黒のキャソックに身を包んだ、高身長のムーンレス司祭を、その見た目から冷徹な人間だと思う者は少なくない。

 もっとも単なる冷徹な男だったら、どんなに良かったのだろうかと、俺は思うのだが。ムーンレス司祭はその顔に穏やかな笑みを浮かべて、椅子から立ち上がると両手を広げた。

「待ってたよ、シェーマス……酷い姿を、しているね」

 見た目に似合わない、穏やかで優しい声と口調。司祭と対面した多くの人間は、その差異に驚き戸惑い、そして魅了される。

「……着替えてきた方が、良かったですかね」

「そうだね。話が終わったら、着替えておいで。風邪を引いたら、大変だ」

 立ち上がったムーンレス司祭は、俺の背後に回ると、濡れた肩に筋肉質な手を置いた。俺も割と身長はある方だが、こうして並ぶとちっぽけな子供のように思えてしまう。

「また大きくなったみたいだね、シェーマス」

 なんて、俺が身長のことを考えたのを見透かすように、ムーンレス司祭は言った。いつもそうなのだ。この男は相手の心中を見透かすような言葉を、優し気に投げかけてくる。

「……そうですか」

「ああ。孤児院にいたころから、随分大きくなって―――立派になったものだ」

 濡れて額に張り付いた黒い髪の毛を愛おしそうに指で撫でるムーンレス司祭に、俺は何も言わずにただ押し黙っていた。

 孤児院にいた俺の才能を見出し、悪魔祓いとしての知識と技術を叩き込み、こうして一級悪魔祓いにまで仕立て上げたのは。他ならぬこの、シェム・ムーンレスという男である。

 言うなれば俺の師匠にして、父親のような存在なのかもしれないが。俺はムーンレス司祭に対し、一度も尊敬や敬愛を抱いたことはない。

 何故なら彼が欲しかったのは、優秀な悪魔祓いでも、頼りになる弟子でも、ましてや愛しい我が子でもないのだから。

「それで、次の仕事は何ですか」

 俺が事務的な口調で聞くと、ムーンレス司祭は髪から手を離し、俺の前に回り込んで両手を組んだ。

「実は革新党のシャロン議員に厄介な悪魔が憑依したみたいでね―――診察の後、祓ってくれないかと依頼されたんだ」

「なるほど」

「……もっとも。手遅れだった場合は、『処分』するように。仕方のないことだからね」

 そう言って、ムーンレス司祭は優しい表情を浮かべて微笑んだ。

 シャロン議員が聖貴教会を支援する派閥の、対抗勢力のトップだということは知っていたが、あえて口には出さなかった。

 ムーンレス司祭の言葉の意味は分かっている。悪魔祓いというのは建前で、本当は儀式にかこつけて、シャロン議員を「処分」することが重要なのだと。

「分かりました、司祭殿。必ずや、ご期待に応えて見せましょう」

 ムーンレス司祭の言葉に、俺は胸に手を当てて頷いて見せる。

 このような依頼は彼の下で悪魔祓いとして働き始めてから、数えきれないほど受けてきた。躊躇も罪悪感も、微塵も感じることはない。

 ムーンレス司祭の欲しかったもの。それは『優秀な手駒』である。自分にどこまでも忠実で、なおかつ有能な存在。そのために見いだされ、仕立てあげられたのが俺ということなのだ。

「それじゃあ、頼んだよ。シェーマス」

 優しく微笑んで、ムーンレス司祭は頷いた。俺は彼に背を向けて、部屋を出ようと扉へと歩いてゆく。

「ああ、そうだ」

 扉を開こうとしたとき、背後から呼び止められ。俺は立ち止まって振り向いた。

「何ですか」

「……司祭殿、なんて味気ない呼び方はやめてくれないかな。私にとって、君は息子のようなものだからね。そう言われると、どうも寂しくなってしまうんだ」

 にっこりと。三文絵画に描かれたような笑顔を浮かべながら、ムーンレス司祭は俺に言った。

 微塵もそんなこと、思っていないくせに。あえてそう言うところが、この男の嫌なところである。

「……善処します」

 ムーンレス司祭についてあまり知らない者は、きっと今の微笑みによって、絆されてしまうのだろうな、とぼんやり考えながら。俺ははっきりとした声で言って、今度こそ執務室を後にした。

 本部内にある自室へと向かうと、濡らした布で体を拭いて、濡れた服から悪魔祓いの制服に着替え、剣杖であるナイフの調子を確認する。

 ムーンレス司祭に対して、俺が唯一感謝することがあるとしたら、一級悪魔祓いになったその日に、お祝いだとかなんだとか適当な理由と共に、このナイフをくれたことである。彼からすれば、手駒に良い武器を与えて強化するようなものなのだろうが。

 ナイフの刃に錆び一つないことを確かめると、俺はやっと乾いてきた髪を軽く撫でて、自室を出て本部の正面にある出入り口に向かう。

 外に出ると、空はびっくりするほど清々しい晴天であり。これからやる仕事との差に思わずため息を吐き出しつつ、俺はシャロン議員の元に向かうため、辻馬車の停留所へと歩き出した。


 結界の中で横たわる中年女性に鏡を向けて。何の変哲もない悪魔の煙が憑依しているのを確認すると。

 俺は横で心配そうに妻の様子を見つめる、年下の旦那に言った。

「残念ですが、もはや手遅れです。奥方の命を絶つしか、悪魔を祓う方法はないでしょう」

「そんな……」

 言葉を失い、議員の旦那はよろめいた。芸術家であるという彼は、妻の支援なくしてはとてもじゃないがやっていけない。

「どうにか……どうにかシャロンの命を助ける方法はありませんか……」

「不治の病のようなものなのです。発見が早ければまだ手の施しようもあったのですが」

「ああ、そんな……」

 その場にしゃがみ込み、涙を流す旦那の肩を叩き。俺は作り上げた悲痛な表情を浮かべて見せる。

「これは教会の責任です。可能な限りの事後支援はいたします。ですからどうか、これ以上悪化する前に」

「分かってます、分かってますけど、ああ……」

 涙を流し、シャロン議員に寄り添う夫を宥め。部屋の外に出すと、俺は横たわった議員に向き直る。その顔からは、表情が消え去っていた。

 ナイフをシャロン議員に向け、文言を唱える。本来は最終手段として使われ、悪魔祓いの抗議でも余程の事が無い限り、絶対に使うなと繰り返し念を押される文言。

 唱え終えるとシャロン議員の目が開き、顔には苦悶の表情が浮かび、口からは呻き声が漏れ始める。

 だがそれもすぐに終わり、苦しみに歪んだ顔で、シャロン議員は息絶えた。俺は不確定要素をなくすため、さらにいくつかの文言を唱えると、鏡を使って悪魔の煙が消えたことを確認し、死体に背を向け部屋を出る。

「……終わりました」

 部屋の外で蹲っていた旦那に声をかけると、彼は涙の痕が残る顔を上げた。

「ありがとう、ございます」

「いえ、仕事を果たしたまでですので。それでは失礼いたします」

 残された男に軽く頭を下げると、俺はシャロン議員の自宅を後にする。

 慣れた仕事、簡単な仕事。楽しいものでもないし、綺麗なものでもないが。嫌悪感や罪悪感なんて、とっくの昔に感じなくなるように仕立て上げられている。

 本部からシャロン議員の自宅までは距離があったため。仕事自体は簡単だったものの、終わった今、空は既に夕焼けに染まっていた。

 何処かの誰かのせいで、朝食をろくに食べられなかったのもあり、それなりの空腹を感じる。夕食はまた、邪魔されないといいのだが。

 なんてぼんやり考えながら、俺が辻馬車の停留所に辿り着いた時。通りの向こうから、白い制服を着た悪魔祓いが走ってくるのが見えた。

 いや、彼の身に着けている制服は、元は白かったのだろうが今は煤と血で無残な色に汚れている。彼は息を切らしながら、俺の元に駆け寄ってくると、乾燥しきった唇を動かして言った。

「一級悪魔祓いの、シェーマス・スカイヴェールさんで間違いないでしょうかッ」

「……ああ。何があったんだ」

 すぐに意識を切り替えながら俺が尋ねると、悪魔祓いは荒い息を吐き出してから言った。腕の腕章から、彼がまだ三級の新人であることが分かる。

「ここから少し離れた廃墟で、上級悪魔を祓う儀式を行っていたのですが……憑依していた悪魔が想像以上に手ごわく、現場は壊滅状態で」

「なるほど。分かった、すぐに応援に向かおう」

「ありがとうございます……」

 礼を言った悪魔祓いは、気が抜けたのかよろめき、その場に倒れ込む。俺は彼の体を支えてやると、一台の辻馬車に気を失った彼を乗せて、本部に運ぶよう頼んでおいた。

 ついでに御者に、付近の廃墟について尋ねると、御者は町外れに廃墟が建ち並ぶ区画があり、ここからなら馬車を使うより歩いて行った方が早いと答えた。

 俺は御者に出来る限りのチップをはずんでやると。懐の中のナイフの存在を確かめつつ、廃墟街を目指して歩き出した。神聖魔術が移動に関する呪文の乏しいことが、今は少々もどかしい。

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