File4 儀式

 グルスナーガ地区のウィビウスのアトリエに着くと、ベルトリン植物店の従業員が、俺が注文した植木を運び込んでいる所だった。

「これは、一体……」

 自分のアトリエに運び込まれてゆく、大量の植木鉢に目を白黒させるウィビウスに対し、俺は平然と答えてやった。

「ロクサナさんの儀式に使うためのものです。今回は予算があったので、植物を使った儀式にしようと思いまして。植物なら炎や氷を使うより、穏やかに事を進めることが出来ますから」

「そ、そうですか……」

「ええ、ロクサナさんの為です」

 さらりとウィビウスを言いくるめながら、俺は彼と共にアトリエの中に入り、ロクサナがいる寝室へと向かう。

 寝室の扉を開くと、俺の張った結界の中で相変わらず苦しそうに呻く身重のロクサナの傍らで、ユリカゴが診察をしているところだった。

「ユリカゴ」

 部屋の中に入った俺が名前を呼ぶと、ユリカゴは顔を上げて聴診器を外した。

「様子はどんな感じだ?」

「うーん……胎児に憑依した悪魔に、完全に蝕まれちゃってるって感じね」

 腕を組んで渋い顔をするユリカゴは、俺の隣に立ち心配そうにロクサナを見つめるウィビウスに気付いて顔を向けた。

「アナタが今回の依頼人さん?」

「え、あ、はい。ウィビウス・ストラーヤといいます」

「そう……一応言っておくけど、母体を救う一番手っ取り早い方法は、胎児の摘出なのよね」

「それは……それは嫌です!僕はロクサナも、お腹の子もどっちも救いたいっ」

 叫ぶように言って、ウィビウスは勢いよく頭を下げた。

ユリカゴは困ったようにため息を吐きだすと、俺の方に顔を向ける。俺は無駄だと示すように、首を横に振って見せた。

「仕方ないわねえ。じゃ、やるだけやってみましょ」

「……はい、お願いしますッ」

「元からそのつもりだ。それじゃあ、儀式の準備を始めるぞ」

 今回の儀式に必要なものは、「セイント・ローリエ」の鉢植え八鉢。ベルトリン植物店の店員がアトリエに届けてくれた鉢植えを、ウィビウスと共にロクサナのいる寝室に運び込んでゆく。

 セイント・ローリエは通常の月桂樹に神聖魔術を用いた品種改良を加えた植物で、悪魔祓いの儀式以外にも、教会での洗礼や浄化などに使用されるものである。

 入手するには教会の運営する植物店で購入するのが一般的だが、潜りの悪魔祓いである俺にそんなことが出来るわけもなく、ベルトリン植物店経由で横流ししてもらったのだ。

 値段は割高だが、確認してみたところ質は良い。恐らく栽培を行っている聖職者と、コネクションがあるのだろう。でなければここまで質のいいセイント・ローリエは、なかなか手に入らないものだ。

 ベルトリン植物店に心の中で感謝しつつ、俺はてきぱきと、決まった位置に鉢植えを配置してゆく。横でウィビウスが体力の消耗によって荒い息を吐いているが、恋人の命が掛かっている以上、彼も弱音を吐くことはない。

 俺たちが鉢植えを運んでいる間に、ユリカゴは苦しみ続けるロクサナの汗をぬぐい、体を清めて水を飲ませ、服も新しいものへと着替えさせておく。可能なら苦痛を緩和する薬も飲ませておきたいところだが、それも出来ないところが妊婦の厄介なところである。

 鉢植えを運び終えると、俺は部屋の窓を開いた。差し込む夕日で、部屋の中が茜色に染まる。タイムリミット的にはぎりぎりだが、日が沈む瞬間の輝きには強い力がある為、あえてそれを利用させてもらおうという算段である。

「ユリカゴ」

 ロクサナの準備を終えたユリカゴに俺が声をかけると、ユリカゴは無言で頷いてロクサナから離れた。不測の事態が起こった時に対処できるよう、彼女は隣のアトリエに準備状態で待機してもらう。

「あなたも外へ」

「でも……」

「何かありましたら、お呼びしますから」

 俯くウィビウスに、俺が誠意を込めて言うと。彼も頷き、部屋の外に出て行った。

 西日の照らす部屋の中には、俺とロクサナだけ。ユリカゴが介抱したとはいえ、ロクサナは相変わらず苦しそうに呻いている。

 俺はポケットから相棒のナイフを取り出すと、息を深く吸って吐きだした。

 柄にもなく、自分が緊張しているのが分かる。上級悪魔と対峙したりするのとは、また違う緊張感だ。

 ふと、頭に「彼女」の顔がよぎった。忘れたくても忘れられない、かつて自分が愛した女の顔が。

 今は感傷に浸っている場合じゃない。ロクサナと「彼女」を、重ね合わせるんじゃない。

 湧き上がって来そうになる想いを、強い意志でねじ伏せて。俺はもう一度深呼吸をすると、ナイフを握る手に力を込めた。

 まずは仕込み。配置された鉢植えを繋げるように、文言を唱えてゆく。下準備が最も肝心であるため、手を抜いたり間違ったりすることは許されない。

 きっちりと詠唱を終え、俺は息を吐き出した。これで準備は整った、ここからが本番だ。

 簡単な詠唱で、ロクサナに張った結界を解くと。一句一句正確かつ慎重に発音しながら、ロクサナの膨らんだ腹部に刃を向け、顕現の文言を唱えてゆく。

 ちょうどへその辺り、母親と胎児が繋がる場所を真っ直ぐ指して、俺が文言を唱えてゆくと。やがてゆっくりと、変化が表れ始めた。

 風が吹いていないのに、ロクサナの身に着けた寝巻が揺れ動き始める。それを確認したところで、俺は素早く彼女に近づくと、寝巻を捲って膨らんだ腹部を露わにする。

 すぐに下がって、再びへそに狙いを定め、今度はやや強めに詠唱をする。ロクサナが悲鳴に近い呻き声を上げたのを聞いて、少しだけ文言の強さを緩めた後、再び強めの詠唱を行う。

 ロクサナの様子を伺いながら、しばらくそれを繰り返していると。やがて彼女のへそから、紫の煙のようなものがゆらりと立ち上り始めた。

 悪魔の瘴気。呪いに近いその悪魔は毒霧のように、部屋の中に充満してゆく。俺はユリカゴが置いて行ったガーゼを素早く口に巻くと、呼吸のことも意識しながら呪文の詠唱を続ける。

 普通の悪魔の瘴気なら、後は分離と退散をぶち込むだけだが。今回はその分離が最も厄介なものである。

 極力穏やかに顕現させることには成功したものの。さすがに分離ともなると、悪魔の瘴気も黙ってはいないだろう。

 だから。出来るだけ息を吸わないように気を付けながら、俺は鉢植えに仕込んでいた術式を起動させた。

 二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出す植物は。太古から解毒や浄化と結び付けられてきたものだ。

 だから八つの鉢植えを文言でつなげ、悪魔の瘴気という呪毒の浄化装置とする。そのために浄化効果の強く、術式の効果を発揮しやすい、セイント・ローリエの鉢植えが必要だった。

 本来なら毒素を持つ中級悪魔に対して使われる、文言を唱えると。八鉢のセイント・ローリエが青白く輝き始める。同時に部屋の中に充満した、悪魔の瘴気が薄れていくのが分かった。

 といっても胎児に憑依し、母親のロクサナからたっぷりと精気を吸い取って来たのだ。あまり悠長にしていると、浄化が間に合わなくなる可能性も十分にある。

 だから出来る限り弱らせたところで、分離と退散の呪文を叩き込むことになるのだが。問題は最良の瞬間を、しっかりと見極めなければならないことである。

 弱らせすぎても駄目。かといって日和れば、胎児や母体に後遺症が残るだろう。

 深呼吸をして気持ちを落ち着かせたいのをぐっとこらえながら。俺は開いていた目を閉じることにした。

 口で植物の浄化を維持する文言を唱えながら、俺は自らの肌に意識を集中する。肉眼で確認するよりも、目を閉じて肌を撫でる空気に触れて、その毒の強さを確かめる方が、ずっとわかりやすい。

 セイント・ローリエによって、悪魔の瘴気が徐々に弱っていくのが感じられた。毒素が薄まり、空気が清らかになってゆく。

 だが悪魔特有の淀みは確かにそこに在り。しっかりと分離・退散させない限り、残り続けるだろう。

 正規であろうと、潜りであろうと。悪魔を祓うという強い意志は、全ての悪魔祓いが絶対に持ち合わせているものである。

(―――今だ)

 悪魔の瘴気の放つ、毒素が限りなく薄まった瞬間。俺は目をカッ開くと、分離の文言を素早く詠唱する。

 直後、ロクサナの体が跳ねる。ベッドの上でびくんと跳ね、そのままけいれんを始めた彼女のへそから、最も濃い紫の瘴気が立ち上り、耳をつんざく悲鳴と共に抜け出してゆく。

 分離完了。間髪入れずに、俺が退散の文言唱えると、悪魔の瘴気は一瞬色濃くなり、直後ふっと空気の中に混ざって消えた。

 しっかりと退散したのを確かめたところで、俺はナイフを仕舞うと、部屋の窓を開く。

「ユリカゴ!儀式が終わった、診察を!」

 部屋の空気を入れ替えながら、俺がアトリエに向かって叫ぶと。すぐに扉が開いて、ユリカゴが部屋の中に入ってくる。

「成功したのね」

「一応な。だが母体と胎児が無事かはまだ分からない」

 ベッドにぐったりと横たわるロクサナに、俺が視線を向けると。ユリカゴは無言で頷き、すぐに診察と処置を開始する。

「ロクサナ!」

 一拍遅れて、ウィビウスも部屋の中に飛び込んできた。彼は診察を受けるロクサナの姿を見て、不安げな顔を俺に向ける。

「儀式は……成功したんですか」

「一応。上手くいっていれば、ロクサナさんも胎児も無事なはずです」

「シェーマス」

 ウィビウスが続く言葉を紡ごうと、口を開きかけた時。ユリカゴが俺の名前を呼んで、手招きをした。俺はウィビウスにちらりと視線を向けて頷き、ロクサナの横たわるベッドに近づく。

「衰弱はしてるけど、ひとまずは母子ともに無事よ」

「本当ですか!」

 ユリカゴの言葉に、ウィビウスが顔いっぱいに嬉しそうな表情を浮かべる。

 彼はベッドに近づくと、ロクサナの手を握り、優し気に撫でた。

「ロクサナ……」

 すると。ぐったりと横たわるロクサナの瞼が動き、ゆっくりと目が開く。ロクサナは疲れ切った表情を浮かべながらも、愛する男に顔を向けて、弱弱しく微笑んだ。

「ウィビウス……あなたが、私たちを助けてくれたのね……ありがとう……」

「ロクサナ、ああロクサナ、もう大丈夫だ……愛してるよ……」

 縋るように、ロクサナの手に頬ずりをしながら、涙を流すウィビウスに。ロクサナは彼の握っていない方の手で、ウィビウスの頭を撫でると、目を閉じて再び眠りについた。

 泣きながらロクサナに寄り添うウィビウスを、俺は一歩離れたところで見ていたが。ユリカゴがそんな俺の肩を叩いた。

「シェーマス、少しいいかしら」

 俺が頷くと、ユリカゴは俺を部屋の片隅へと連れてゆき、声を潜めて言った。

「母子ともに無事なのは確かだけど。もしかしたら、胎児には障害が残っているかもしれないわ。そこは、生まれてみないと分からないけど」

「そうか……」

「だから依頼料をせしめるなら、早めにした方が良いわ。後で文句を言われないように」

「了解」

 ロクサナに寄り添うウィビウスは、感動的な光景に思えるが。

 俺もロクサナも、「この二人ならきっと大丈夫」と、根拠のない確信を口にすることはしなかった。

 そんなことを言ったり思えたりするには、俺たちは二人とも現実を見過ぎていて。

 何よりも俺は、このウィビウス・ストラーヤという男のことを、これっぽっちも信用していないのだから。

 ウィーラを殴るウィビウスの姿を思い出しながら、俺は彼らに背を向けて、部屋の扉に手をかける。

「あら、どこ行くのよ」

「煙草吸ってくる」

 人差し指と中指で、俺が喫煙のサインを見せると。ユリカゴは腕を組んでため息を吐きだした。

「私も一本、貰っていいかしら」

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