File5 帰路
何故タティウス・ストモルイ氏にゲルブという上級悪魔が憑依したのかは、彼と彼の娘である、アリス・ストモルイの証言によって明らかになった。
妻に先立たれてから荒れることが多くなったタティウスは、使用人にも辛く当たることが多くなり。些細な失敗を指摘しては、大幅な減給や解雇処分などを行っていた。
だがそうしたことにより、タティウスに恨みを持った使用人の一人が。同じくタティウスに恨みを持つ者たちに声をかけ、彼に復讐しないかと嘯いたのだ。
今までの行いから、タティウスに恨みを持つものは多く。悪魔召喚の為の費用はすぐに集まり、大金で手に入れた上級悪魔の召喚書を使って、タティウスにゲルブを憑依させたのだが。
下級や中級の悪魔と違って、明確に自我を持つゲルブは。邪魔な使用人を全員解雇すると、アリスを洗脳し「遊戯」の下準備を始めたのだ。もちろん反発した者には魔法による制裁を加えて、逆らったことを後悔させるのも忘れずに。
あとはアキヴァを勧誘したり、俺とリインに挑戦状を送ったり。自分のものになった財産を使って、好き放題やっていたわけであるが。
「ふん。憑依された悪魔に追い出されるとは、自業自得だわい。悪魔祓いのお嬢さん、きっちり奴らをふんづかまえておくれ」
傷ついた体をさすりながらも、ふてぶてしく言うタティウスに。俺は呆れたため息しか出てこなかった。
一方娘のアリスは礼儀正しく、リインに使用人の名簿リストを渡すと、俺たちを見渡して静かに頭を下げた。
「この度は父が、ご迷惑をおかけしました。報酬については、しっかりとお支払いさせていただきます」
「その事なんだが、おぬし、アキヴァ・ヴァーハラといったかね」
割り込むように言ったタティウスに名指しされ、アキヴァはきょとんとして自分を指さした。
「某がどうしましたか」
「なんでもわしに憑依された悪魔が、お前の研究所に融資をするなんて、勝手にきめたようじゃないか」
「そ、それは……」
融資のことは、憑依していたゲルブが勝手に決めたことである以上。話はなかったことになるだろうと、アキヴァは辛そうな顔で俯いた。
そんなアキヴァに、タティウスはフンと鼻を鳴らすと、限りなく上から目線な口調と態度で言った。
「どのみち、どこかに投資しようと考えておったのだ。研究内容と利益の見込み次第ではまあ……このまま融資をしてやらんこともない」
「ほ、本当でありますか、タティウス殿!」
勢いよく顔を上げアキヴァは、嬉しそうに表情を緩ませ、浮かんだ涙を太い指で拭った。
これにて一件落着、といったところだろう。俺は喜ぶアキヴァと呆れた顔をするタティウスを、何も言わずに見つめていた。
見つめていたのだが。隣でリストを捲るリインに、無言で小突かれて。顔を向けると、リインは皮肉めいた表情を浮かべていた。
「お前はいいな、報酬を貰って帰るだけで。私はこれから教会に連絡して、召喚した奴らを逮捕しに行かなきゃならないんだけどな」
「……無理はするなよ?」
本心から言ったつもりだったのだが、雷に焼かれた脇腹に追加の肘鉄を叩きこまれて、俺はしばらく痛みに悶えることになった。
とはいえ皮肉を言えるということは、ある程度余裕があるということだろう。そのことに気付いて少し安心しながら、俺はアキヴァに抱きしめられるタティウスと、横で微笑むアリスに視線を戻した。
悪魔祓いの仕事は、暗い結末になることが多いが。たまにはこういう、平和な終わりも悪くないだろう。
潜りとはいえ、たまにこうして報われることがあると。悪魔祓いという仕事をやっていて、良かったと思えるものだ。
それでも仕事が終わった後は、やはり煙草が吸いたくなるもので。
ファルグリフの駅前で馬車を降りた俺は、懐から煙草とマジックマッチを取り出した。
あの後傷の手当てと休息の為、もう一晩だけ屋敷に宿泊し、朝いちばんの電車でヴァルベロンに帰ることにしたのだ。
煙草を咥えマジックマッチを擦り、火をつけてのんびりと紫煙を吸い込みながら、俺はトランクを持ってファルグリフの駅の中へと入っていった。
朝食は食べてきたものの、ヴァルベロンまでは遠い。また車内販売で何か買おうかと思案しながら、俺は切符を買って改札を通り、電車の乗り場へと降りてゆく。
懐中時計で時間を確認し、電車が来るまでまだあと少し時間があることを確かめてから、俺がベンチに座ると。
背後で足音がして、振り向くとそこには、見慣れた蒼い髪の少女が立っていた。
「……リイン」
煙草を口から離して、名前を呼ぶと。黒いコートを羽織ったリインは、何も言わずに俺の隣に座った。
何を話して良いか、沈黙が流れ。俺はとりあえず、吸っていた煙草をもみ消すことにした。
俺が煙草をベンチに押し付けて消すと、リインは少し不満そうな顔をする。
「別に、消さなくてよかったのに」
「なんで?」
「煙草の吸い過ぎで早死にしてくれたら嬉しいからな」
意地の悪い笑みを浮かべてから、リインはまた少し黙り。自身のコートのポケットに手を突っ込むと、茶色い紙袋を取り出した。
「シェーマス」
ただ名前を呼んで、リインは俺に紙袋を差し出す。俺が受け取って軽く開くと、中には旨そうなサンドイッチが入っていた。
代替のフランボワーズの時に、サンドイッチを奢った借りを返す、といったところだろうか。紙袋をトランクの中に入れた俺は、リインに微笑んだ。
「ありがとう、リイン」
「勘違いするな」
刺すように言ってから、リインは線路へと視線を落とす。
「シェーマス、ガーエルンとの和平交渉が決裂したのは、知っているな」
「ああ、新聞に載ってたな」
「このままいけば、間違いなく戦争になる。その時が来たら、私は―――」
私は、の先に続く言葉は、リインの口から出てこなかった。代わりに彼女は俯いて、らしくもない寂しげな表情を浮かべていた。
「リイン?」
「いや、何でもない」
心配になった俺が、名前を呼ぶと。リインは顔を上げて、慌てた様子で頭を振って、思い出したように俺を睨みつけた。
「次に会ったら、その時は容赦しないからな」
「……心しておく」
会話の終わりに合わせるように、駅の中に汽車が滑り込んでくる。俺は立ち上がって、リインに言った。
「またな、リイン」
返事はなかったが。背を向けた彼女が、小さく頷いたのが分かった。
この時のことを。リインの途切れた言葉の続きを、なんとしてでも聞きださなかったことを。
俺が死ぬほど後悔することになるのは、まだ先の話である。
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