File2 一日目
「あるいは、その両方。かもしれませんな」
そこに立っていたのは、小太りの中年男性だった。もじゃもじゃと絡まった赤毛の髪に、瓶底のような分厚い眼鏡が特徴的の彼は、ぽかんと口を開ける俺に対して手を叩いて笑った。
「ああ、申し遅れましたな。某はこういうものでございます」
男はそう言って、羽織っている白衣のような衣服についた、金ぴかのバッヂを俺に見せる。そこには読みづらい字体で、「ヴァルベロン悪魔研究所所長アキヴァ・ヴァーハラ」と彫り込まれていた。
「某はヴァルベロンの片隅で、悪魔に関する研究している者でございます。以後、お見知りおきを」
「は、はあ……」
差し出された太い手を俺が握り返すと、アキヴァは手を上下に振ってから離し、顔に満面の笑顔を向けた。
「いやあ、先程の会話をお聞きした限り、あなたも悪魔祓いのようで。某の研究の為にも、ぜひ悪魔に関するお話をお聞かせ願えればと思います」
「悪魔の話、ですか?あの、そういうことは俺に聞くより、そこにいるリインに聞いた方が……」
潜りの悪魔祓いより、教会に所属する正規の悪魔祓いであるリインの方が、最新の悪魔研究に詳しいのではないだろうか。
そう思っての一言だったのだが、さっさとソファーへと戻ったリインは、余計なお世話だというような視線を俺に投げてよこした。
リインのそんな視線に呼応するかのように、目の前のアキヴァが萎びた青菜のようにしおれて見せる。
「いやあ、先程から何度か聞いて見たのですが、『機密情報を漏らすわけにはいかない』の一点張りで。全然教えてくれないのですよ……」
「そうですか……」
というかそもそも、まともな研究機関ならば教会と正式に提携して、悪魔に関する情報を得ればいいのではないか。
若干のきな臭さを感じつつも、俺は一応名乗っておくことにした。
「シェーマス・スカイヴェールです。ええと、今回はこの屋敷の主である、ストモルイ氏からお手紙をいただきまして」
そう言って、俺がポケットから封筒を取り出すと、アキヴァは大きな手を顔の前でパンと叩く。
「なんと。某と同じでございますなあ」
「というと、あなたもこれと同じものが届いて?」
「そうでございます。内容に多少の差異はあれど、ほぼ同じとみて間違いないかと」
「そうですか……」
だとすると、やはりストモルイ氏は俺たちのことを試しているのだろうか。
心の中に徐々に疑念が広がって行くのを感じつつも、俺はとりあえずソファーに腰かけ、足元にトランクを置いた。
どちらにしろ、ストモルイ氏にはこの後の晩餐会で会えるだろう。だとしたら今のうちに、同じく招待されたというこのアキヴァという男について、色々と探っておくのも悪くない。
置かれていた空のカップに、ぬるくなった紅茶を注いで。ぶすっとした表情でスコーンをかじるリインをちらりと一瞥してから、俺は目の前に座るアキヴァに営業用の笑顔を向けた。
「潜りの俺でよければ。悪魔について話せることをお話いたしますよ」
「本当ですか、スカイヴェール殿!」
眼鏡の向こうの丸い目をキラキラさせるアキヴァに対して。彼の知識を探る様に、俺は言葉を紡ぎ始める。
始めたのだったが。三十分ほど話してみて、俺は拍子抜けすることになった。
「して、文言とはどういう?」
触りとして分類や文言について、少し調べれば分かる基本的な知識について話しただけなのだが。アキヴァはどうやらその程度の知識すら持ち合わせていなかった様子で、興味津々と言った様子で俺に聞いてきた。
「え、ええと……」
当たり前のこと過ぎて、説明に困る俺のことを。隣のリインがいい気味だというように眺めながら、旨そうに紅茶を啜っている。
そもそも俺は教会に所属していた頃から、人に何かを説明するのがあまり得意ではないのだ。一応助けを求めるような視線をリインに投げかけたりもしたが、無下にもなくあしらわれてしまった。
「文言とはどういうものでありますか、スカイヴェール殿」
「ええと……悪魔専用の、呪文のようなもので」
目を輝かせるアキヴァの前で、俺は文言の一つを軽く唱えてみる。本当に簡単な、基礎中の基礎。悪魔祓いを志す者が最初に学ぶような文言だ。
「……詠唱が雑だな」
隣のリインにケチをつけられたものの、あくまで見本だからある程度雑でもいいだろう。
それにこの程度の雑な文言でも、受けた相手の反応を見れば、アキヴァが悪魔の影響下にあるかどうか、確かめることができるのだから。
そう思い、詠唱を終えた俺はアキヴァの様子を伺ったのだが。
「……はて、今、なんと?」
目の前のアキヴァはきょとんとした様子で首を傾げるばかりであり、拒絶反応や不快感は一切見られないようだった。
つまりアキヴァは、少なくとも悪魔に憑依されたり、その魔法の支配下にあったりするわけではない。
ひとまずそのことに安堵した俺が、冷めきった紅茶を一口啜ったところで、部屋の扉が開く音がした。
俺とリイン、そしてアキヴァが出入り口へと視線を向けると、俺を案内したメイドの女性が入ってくるところだった。
「晩餐会の用意が出来ましたので、ご案内いたします」
メイドの女性に促され、俺たちは待合室から薄暗い廊下へと出る。
食堂は一階の一番奥にあり、俺たちが中に入ると、既に食事の用意が整っていた。
白いクロスが掛けられ、磨き上げられた食器が規則正しく並んだテーブルに。俺とリインは何となく並んで座る。アキヴァはそんな俺たちの目の前に腰かけた。
「間もなく旦那様がお越しになります」
メイドはそう言って、食堂の奥にある扉へと引っ込んでいった。恐らくあの先が、厨房となっているのだろう。
こんな広い屋敷を、彼女一人で切り盛りしているのだろうか。だとしたら随分と大変なことだろう。
やはりあの御者が言っていたように、使用人を雇う金を惜しんでいるということなのだろうか。それとも……。
なんて俺が考えていると、背後で扉が開く音がした。
俺たちが振り向くと、一人の男性が食堂に入ってくるところだった。輝くような金色の髪を三つ編みにしてまとめ、宝石のような緑青の色をした瞳の男。あと二十年若ければ、美青年だったに違いないと一目でわかる。
男は俺たちを見渡すと、胸に手を当てて静かに頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました。私がこの屋敷の当主であり、今回皆様をお招きしました、タティウス・ストモルイでございます」
タティウスはそう名乗ると顔を上げ、俺たちの横を通り過ぎて、食卓の上座に座った。彼が手を叩くと、メイドが料理の乗ったワゴンを押してくる。
「今回皆様をお招きしました、その理由については……食事をしながら、ゆっくりとお話しさせていただきます」
メイドはてきぱきと、皿に料理を配膳していく。トマトと豆のスープに、白身魚のソテーに、アスパラガスのサラダ。簡素だがどれも美味しそうで、タティウスが食べ始めるのに合わせて、俺も柔らかそうなパンに手を伸ばす。
生憎テーブルマナーとは縁がない人間だが、よほど汚い食べ方をしなければ問題ないだろう。パンをちぎって口に運ぶと、まろやかな甘みが口に広がった。
隣をちらりと見やると、リインもスプーンを手に取って、スープを口に運んでいる。行儀のよい仕草は、さすが女性といったところだろうか。
一方目の前のアキヴァはパンをがつがつと貪るように食い、音を立ててスープを飲んでいた。品性の無い食べ方ではあるが、本人はとても幸せそうな顔をしている。
サラダを口に運びながら、俺は主賓のタティウスに視線を向ける。タティウスはナイフとフォークで、白身魚を丁寧に切り分けて食していた。
「ワインなどは、いかがでしょうか」
「あ、いや。お気遣いは有難いですが、これから仕事の話をするかもしれないので……」
メイドの差し出したワインを、俺が丁寧に断ると、タティウスが顔を上げて少し残念そうに言った。
「それは残念。この日の為に、せっかく良質なワインを用意したのですが」
「なら、某がいただきましょう!」
マッシュポテトをがつがつと食べていたアキヴァが顔を上げて胸を叩くと、メイドは頷いて、彼の前に置かれたグラスにワインを注いだ。
「そちらのお方は、いかがでしょうか」
「すまない、私は下戸なんだ」
ワインの勧めをきっちりと断ったリインは、フォークを置いてナプキンで口元を拭うと、タティウスへと顔を向ける。
「それで……私たちをあんな手紙で、わざわざ招待した理由を訊かせてもらいたい」
「それは手紙にもお書きしました通り、悪魔を祓っていただくためです」
「だとしたら、教会所属の私だけで十分だったはずだ。何故シェーマスや、この自称悪魔研究家も招待した?」
疑惑がはっきりと露わになったリインの質問にも、タティウスはにこやかな表情で答える。
「実は祓って欲しい悪魔が、少々厄介な存在でして。各方面から専門家や腕利きの悪魔祓いを招待した方がいいのではと、勝手ながら判断させていただきました」
「なるほど」
頷きはしたものの、リインの目からは鋭さが消えていなかった。真っ直ぐタティウスを見据えたリインは、彼に対して低い声で言う。
「で、その悪魔はどこにいるんだ?」
「……ここに」
フォークとナイフを動かす手を止めて置くと、タティウスは自らの胸に手を当てる。
どうやらもっとも嫌な予感が、的中したようだ。俺は即座に立ち上がると、懐から鏡を取り出す。
「ま、まさかタティウス殿は、上級悪魔だと―――」
グラスを持った手を震わせるアキヴァに、タティウスはにっこりと笑って見せた。
「その通り。私が、今回あなたたちに祓ってもらいたい悪魔です」
返事は返さずに、俺はタティウスに鏡を向けて文言を唱える。横ではリインが、教会の紋章が入った鏡で全く同じことをしている。
結果はすぐに出た。上級悪魔。悪魔でありながら、人間と同レベルかあるいはそれ以上の知性を持ち、強力な魔法を使う最上級の悪魔。
それが間違いなく、タティウスに憑依していると、鏡は示していた。
「ネタばらしをしましょう。私はちょっとした『遊戯』を行うために、あなたたちをこの屋敷に集めました」
鏡を下ろすと、タティウスの愉快そうな顔があった。どこまでも意地が悪く、この状況を楽しんでいるというような。
「遊戯だと……」
立ち上がって、警戒態勢を取るリインに、タティウスは頷く。
「ええ。一級悪魔祓いであるあなたなら知っているでしょう。上級悪魔を祓うには、その悪魔の『名前』を知る必要がある」
上級悪魔には下級悪魔や中級悪魔と違い、個別の名前がある。それは厄介なことに鏡では判別できず、本人の口から何とかして聞き出すしかないのだ。
そのため上級悪魔を祓う際には、憑依した人間に拷問を加えて、名前を引き出そうとすることもある。いざとなったら非情な手段を取ることが出来、なおかつ上級悪魔の強力な魔法に対抗できる力がある悪魔祓い。それがリインたちのような、一級悪魔祓いなのだ。
胸の中にじんわりと蘇る、嫌な思いをねじ伏せて。俺はタティウスを睨みつける。もっとも名前を知らないと祓えないと知っているせいか、タティウスは俺とリインの殺意の籠った眼差しを意に介していないようだ。
ワインの入ったグラスを揺らし、一口飲んで味わってから。陶酔したような口調で、タティウスは「遊戯」の内容を語った。
「この屋敷の中に、私の『名前』に関する手掛かりを隠してあります。明日一日の間に、その手掛かりを探し当て、私を祓えたら君たちの勝ち。逆に私を祓うことが出来なければ、私の勝ちです」
ふざけた条件だが、この悪魔は大真面目なのだろう。タティウスはワインの入ったグラスを揺らして、勝利者の報酬について俺たちに語った。
「君たちが勝利したら、手紙に書いていた報酬の倍額をお支払いしましょう。逆に私が勝ったらそうだな……彼女の貞操でも貰いましょうかね」
「ふざけるな!」
リインを示したタティウスに、リインが噛みつくように言った。だがタティウスは、心底愉快そうに笑って、グラスを置くと顎を撫でる。
「ちょっとした冗談ですよ。そうですね、ここは悪魔らしく、あなたたちの魂を貰う、とでも言っておきますか」
「……依頼を突っぱねて帰る、という選択肢はないんだな」
俺が低い声で言うと、タティウスはそれを待ってましたとばかりに頷く。
「もちろん。そのために、彼女を用意しておいたのですから」
タティウスが指を鳴らすと、彼の傍にメイドの女性が立つ。タティウスは彼女の背後に立つと、片手を肩に置き、もう片方の手で顔を覆っていた黒いヴェールを剥ぎ取る。
ヴェールの下にあったのは。タティウスと同じ金髪と緑青の瞳を持った、美しい女性の顔だった。目鼻立ちや雰囲気から、タティウスとの血縁関係が一目でわかる。
だが彼女の瞳からは光が消えており、魂の抜けたような虚ろな表情をしている。タティウスは娘であろう彼女の耳を、挑発的に甘噛みして見せてから、俺たちに向かって言った。
「この娘には、支配の魔法をかけておきました。私が魔法を解除するか、あなたたちが私を祓うかしなければ、この娘が自我を取り戻すことはありませんよ」
「人質、ということか」
俺の言葉に、ねっとりと首筋を撫でて、これ見よがしに爪を立ててから。タティウスは娘から離れて、にこやかな表情で頷いた。
「その通り。ちなみに無理に魔法を解こうとしたら、その時点で彼女の魂は完全に破壊され、廃人と化しますのでご注意を」
席に戻ったタティウスは、グラスにワインを注ぐと、美酒で満たされたそれをゆるりと揺らして、挑発的な表情で俺たちに言った。
「あなたたちに、元より選択肢はないんですから。せいぜい私を、楽しませてください」
「はあ……なんかとんでもないことに巻き込まれてしまいましたなあ……」
張り詰めた空気の中、何個目になるか分からないパンをちぎりながら、アキヴァが間の抜けた声でそう言った。
その後タティウスから、会話の中で名前を聞き出そうと試みてみたものの。
やはり人間と同等、あるいはそれ以上の知能を持つ、上級悪魔の彼が。そう簡単にボロを出すことはなかった。
やがて食卓の上に残った料理が、一切食欲の衰える様子の無い、アキヴァによって片付けられると。タティウスは立ち上がって、胸に手を当てお辞儀をした。
「遊戯の開始は明日からです。今日は長旅の疲れもあることでしょうし、どうぞゆっくりお休みください」
俺とリインの鋭い視線も一切ものともせず、タティウスは悠然と食堂を去っていった。彼の皿には冷めた料理が残っており、どうやらほとんどワインしか飲まなかったようだ。
人質の娘が空になった皿をワゴンに乗せ、厨房に入ってゆくと。食卓に残された俺たち三人の間に、しばしの沈黙が流れた。
といっても険しい顔で黙っているのは俺とリインだけで。アキヴァは食後に出されたコーヒーを、これまた旨そうに啜っていたのだが。
「……人質がいる以上、拷問で名前を聞き出したり、タティウスごと暗殺したりするのはなしだ」
沈黙を破った俺の言葉に、リインは目を閉じて頷いた。
「分かっている。不服だが、この『遊戯』とやらに乗るしかない」
目を開き、物凄く苦々し気な表情をするリインに対し。俺は小さく息を吐いて、「提案」を口にした。
「だったら……悪魔を祓うまでの間でいい。昔の因縁はひとまず忘れて、俺と手を組んでくれないか?」
「お断りだ」
即座に言って、リインはテーブルを叩くと、座っていた席を立ちあがる。
「邪魔をするつもりはないが、協力するつもりもない。一級悪魔祓いとして、あの上級悪魔は私一人で祓う。代替のフランボワーズの時に、たまたまお前に手を貸したからって、いい気になるな、シェーマス」
噛みつくようにまくしたて、リインは大股で食堂を出て行った。俺はリインが去っていった食堂の入り口をしばらく見つめていたが、やがてため息を吐きだして片手で顔を覆う。
「変わらないな……」
「いやあ、あのお嬢さんと色々あるようですな、スカイヴェール殿」
自嘲気味な俺の呟きに、カップを置いたアキヴァが、察するようなややむかつく顔をして頷いた。
「まあ、過去に色々ありましてね……」
苦笑しながら、俺がアキヴァに言うと。アキヴァは腕を組んで頷いてから、思いついたように手を叩いて微笑んだ。
「お二人の間に何があったのかは、某の知るところではありませぬが……今晩はとりあえず、タティウス殿の言う通り、ゆっくりと休んだらいかがです?疲労した状態で探し回ったとしても、大した成果は得られないでしょうしなあ」
無能のように見えて、案外ちゃんとしたことを言う。このアキヴァという男を、侮らない方が良いかもしれない。
内心でそう思いつつ、俺はアキヴァの言葉に頷いた。
「そうですね。今晩はゆっくり休ませてもらいましょうか」
「そうそう。疲労は万病の元、といいますからな」
ニコニコと言うアキヴァに、俺も軽く微笑んで。席から立ち上がると、食堂を後にする。
待合室でトランクを回収し、俺は二階にある客室の一つに向かう。中に入って、トランクを置くと。ベッドに腰かけて、リインのことを思い浮かべた。
リインは俺より真面目で、一級悪魔祓いとしての才能も申し分ない。でもだからこそ、彼女のことが心配だった。
いつかその真面目過ぎる心を利用され、取り返しのつかない事態に巻き込まれてしまわないか。そう、かつての自分のように……。
そこまで考えて、俺は思考を断ち切ると、ベッドの上に身を投げ出す。
過去のことを考えたり、余計な心配をしたりしている場合じゃない。今は目の前の悪魔を祓うことが先決だ。
そのためにはゆっくりと眠り。体調を万全に整えなければ。
自分に繰り返し、言い聞かせながら。俺は薄暗い部屋の中、静かに息を吐き出した。
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