「Gelber Spion」

File1 往訪

 実を言うと、汽車の旅は嫌いじゃない。

 事務所を構えている都合もあり、普段あまり旅行などはしない人間だが。車窓から過行く田園風景を眺めつつ、車内販売のサンドイッチとコーヒーを味わうのは、至高のひと時であると言えるだろう。

 これで読んでいる新聞に載っているニュースが、明るいものなら文句はないのだが。残念ながら国際情勢は悪化する一方であり、ガーエルン帝国との和平交渉決裂が、一面の大見出しを飾っていた。

 他にも景気悪化や犯罪増加など、これでもかというぐらいに暗いニュースばかりが載っていて。嫌になった俺は新聞を閉じると、その上にサンドイッチの包みとコーヒーを乗せた。

 このままガーエルンとの関係が悪化していけば、やがて戦争になるかもしれない。そう思うだけで、胸がむかついて吐き気がしてくる。

 俺は三十年前の戦争を、実際に体験したわけではないが。間接的に被害を被った人間として、やはり戦争にいい思いはない。

 そもそも戦争なんて、やりたいと思っているのはほんの一握りの人間で。景気は悪くなるわ、犯罪は増加するわで、国民の多くは戦争なんてやりたくないと思っているのだ。

 それでも事態は刻一刻と開戦へと近づいてゆき、国を構成する一人の人間がどう思おうと、止めることは出来ない。

 むかつく思いを抑えるように、俺はサンドイッチをかじってコーヒーで流し込む。サンドイッチは軽くトーストされていて、挟まれているベーコンとほうれん草も良質で美味しかった。

 もう一口かじって咀嚼し、飲み込んでから。俺は羽織ったコートのポケットから、一通の手紙を取り出す。

 普段ヴァルベロンかその近隣での仕事しか請け負わない俺が、こうして汽車に乗って遠出している理由が、この手紙にあった。

 羊皮紙製の封筒から、滑らかな手触りの便箋を取り出して開く。そこにはタイプライターで書かれた、無機質な文字が並んでいた。

『シェーマス・スカイヴェール様

 初めまして。私はタティウス・ストモルイという者でございます。

 あなたの悪魔祓いとしての噂を耳にしたため、こうしてお手紙を書かせていただく所であります。

 あなたは教会に所属しない非正規の悪魔祓いであるにも関わらず、非常に腕の立つ優秀な人間だとお聞きしました。

 その腕を見込んで、あなたに祓って欲しい悪魔がいます。強力な悪魔で、長いこと私や私の家族を苦しめているのです。

 報酬はきっちりとお支払いいたしますので、どうかこの依頼、お引き受けいただけないでしょうか。』

 手紙には住所と、俺が今まで請け負ってきた仕事の要約が簡単に書かれていた。秘密厳守の法則に則り、依頼内容を口外していないにもかかわらず、である。

 この手紙の送り主である、タティウス・ストモルイという人物は只者ではない。そう思ったからこそ、わざわざ汽車に乗って手紙に書かれていた住所を目指しているのだ。

「次は、ファルグリフ、ファルグリフでございます」

 もう一度手紙に目を通し、封筒に戻しコートの中に仕舞ったとき。魔導式拡声器によって拡散された車掌の声が、汽車の中に響き渡る。

 どうやら目的の駅に着いたらしい。俺は残っていたサンドイッチとコーヒーを手早く片付けると、立ち上がって座席の上にある棚から使い込んだトランクを下ろす。

 食べ終えたサンドイッチの包みを丸めたところで、ちょうど汽車が停車して。俺はまとめたゴミを座席近くのごみ箱に投げ入れると、開いた扉から駅へと降り立った。

 ファルグリフの駅は如何にも田舎の駅だと言わんばかりに閑散としていて、俺以外にここで降りた人間はいないようだった。

 発車する汽車を見送ってから、俺は窓口にポツンと立つ駅員に切符を渡して、やや軋む改札を通り抜ける。

 駅前は小さな広場になっていたが、周辺には数軒の商店と辻馬車の停留所があるだけで、あとは畑と舗装されていない道が広がるばかりだった。しかも商店の半分が、閉まっていると来た。

 唯一の利点ともいえる美味しい空気を吸い込んでから、俺は一両だけ停車している辻馬車へと向かう。

「すみません」

 居眠りをしている、年老いた御者に三回ほど声をかけると。御者はやっと目を覚まして周囲を見回し、呆れた顔で立っている俺に気が付いたようだった。

「へい……どちらまで」

「タティウス・ストモルイという人物の邸宅まで行って欲しいんですが」

 俺が五千ルックル札を取り出して差し出すと、御者はそれを緩慢な動作で受け取り、羽織っていたチョッキのポケットに突っ込んだ。

「どうぞお乗り下せえ、旦那」

 俺が馬車に乗り込むと、御者は自分と同じく年を食った馬に鞭を入れ、馬車を発車させた。

 時々バキベキという不穏な音はするももの、馬車はゆっくりと畦道を走ってゆく。

「それにしても旦那、ストモルイさんのところに何の用なんだい」

 馬車が着くまでの間に聞こうと思って、俺が口を開く前に。御者が振り向いて、黄色く濁った歯を見せて言った。

「単純なことですよ、仕事の依頼を受けたので」

「へぇ、あのケチで有名なストモルイさんがねえ」

 御者はそれから頼むまでもなく、タティウス・ストモルイという人物について話してくれた。

 彼はここら一帯の果樹園や畑を所有する豪農であり、父親から多額の財産と土地を譲り受けた彼は、若いころから好き放題にやってきたという。

 一時期は結婚して娘が生まれたこともあり、落ち着いていたこともあったが。三年前に妻に病で先立たれてからは、将来の放蕩癖に加え高齢の男性によくある偏屈さと頑固さを持ち合わせるようになり、使用人や一人娘もだいぶ手を焼いていたという。

「ストモルイさんからの仕事の依頼なんか、絶対裏がありますぜ。辞めといた方が身のためだと、お節介ながら忠告させていただきやす」

 一通り話し終えた御者は、最後にそう締めくくって、鞭をびしりと打った。話ではやめておいた方が良いと言いながらも、金を受け取った分の仕事はきっちり果たすというのだろう。

「お気遣いありがとうございます」

 俺はただ一言御者に礼を言ってから、手紙の文面を思い浮かべる。タイプライターで打たれた文面は、礼儀正しく思えたが、実際のストモルイ氏は真逆の人間であるようだ。

 御者が言ったように、罠なのか。それとも文章ではがらりと人が変わるタイプの人間なのか。あるいは娘が、父親の名前を借りて手紙を書いたというのだろうか。

 どちらにせよ、ここまで来てしまった以上。俺に引き返すという選択肢は存在しない。

 もしこれが罠だとしたら、その時は相応の対処をしてやればいいだけであり。コートのポケットの中に入った、ナイフの感触を確かめながら、俺はゆっくりと顔を上げる。

 ちょうど遠くに、一軒の屋敷が見えてきたところだった。いかにも金持ちが住んでいますというような、古めかしく派手な屋敷。

 馬車は屋敷の少し手前で、ぎしぎしと音を立てて停車した。

「着きましたぜ、旦那」

 俺は御者に、釣銭はチップとしてとっておいて良いと告げ、馬車から降りた。空車になった馬車が走り去るのを見送ると、俺は改めて目的の屋敷へと向き直る。

 凝った様式の造りであるものの、ところどころに錆びや汚れが目立つ鉄門を見上げると。俺の反応に応えるかのように、門は不快な音を立ててゆっくりと左右に開く。

「……」

 開かれた門の向こう側、寂れた庭園を横切って伸びる小道から、一人の女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。髪の毛ごとすっぽりと隠れるような長いヴェールを被り、黒を基調としたメイド服に身を包んでいる。

 夕暮れの薄闇がゆっくりと忍び寄る中、彼女は俺の前に辿り着くと、手に持った魔導式ではない通常のカンテラを揺らし、深々と頭を下げて見せた。

「いらっしゃいませ。シェーマス・スカイヴェール様ですね」

 彼女の声が見た目より若々しかったのは少々意外だが、俺はそんなメイドに対して静かに頷く。

「お待ちしておりました、ご案内いたします」

 カンテラの光がまた揺れて、メイドは俺に背を向けると、屋敷へ向かって元来た小道をゆっくりと歩き始めた。

 やや覚束ないように見える彼女の足取りが、少々不穏に感じられたが。万が一のことも考えると、今は素直に従った方が良いだろう。

 俺はメイドの後をついて、屋敷の玄関へと向かう。屋敷は遠くから見えた通りの、古めかしくかつ豪奢な造りのもので、よほど金のあるもの好きでなければ、まず住もうと思わない物件だった。

 架空の魔物を模ったノブを引き、メイドが扉を開くと。微かに埃っぽさのある重々しい空気が鼻を突いた。

「あともう少ししたら、晩餐会の準備が整いますので。それまではこちらの待合室のほうで、お待ちいただければと思います」

 不気味で悪趣味な絵画の飾られた廊下を進み、メイドは一つの部屋の前で立ち止まって俺を振り向いた。

「お荷物をこちらに。お部屋までお運びいたします」

 そう言って片手を差し出したメイドに対し、俺は首を横に振って見せる。

「お気遣いなく。どうせこれ一つですし、後程自分で運びます」

「そうですか」

 メイドは差し出した手を引っ込めると、再び俺に背を向け目の前の扉を開いた。

「それではごゆっくり、お過ごしください」

「ありがとうございます」

 俺は歩き去るメイドに礼を言って、部屋の中に入ったのだが。

 入った瞬間、部屋の中の空気が凍り付いたのが分かった。

 そこには俺の良く知った顔があり。こちらに気が付いた彼女は、俺と全く同じように凍り付いた表情で、俺のことを見つめていた。

「リイン……」

 返事を返す代わりに、彼女は滑らかな動きでカップを置くと、俺に向かって大股で近づいてきた。

 リイン・インソード。過去に色々と因縁のある、愛しい一級悪魔祓いの少女。

「シェーマス」

 ただ、名前を呼んで。リインは俺のことを睨みつけながら、拳を叩きこんでくる。俺はトランクを持っていない方の手で、リインの拳を受け止めつつ、顔に笑みを浮かべて見せた。

「どうしてお前がここに?」

「……仕事だ。教会に祓って欲しい悪魔がいると、私のことを名指しで指名する手紙が来た。管轄外だが、断ったら教会の沽券に関わるからな」

「なるほど。奇遇なことに、俺も仕事なんだ。祓って欲しい、悪魔がいるってな」

 拳を下ろして、肩に掛かった蒼い髪を払ったリインは、俺の言葉に首を傾げる。

「どういうことだ?ただ悪魔を祓うなら私一人で十分のはずだ」

「さあな。俺たちを試して品定めでもしているのか、あるいは」

「……私たち、二人がかりで挑まなければ危険なほど、強大な力を持った悪魔」

 そこまで言って、途端にリインは不機嫌な顔になる。

「なら、なおさら潜りのお前じゃなくて、教会からもう一人寄越すように言うべきだ」

「……理にかなってるな」

 悪気なく言ったのだが、リインに滅茶苦茶睨まれて。俺は参ったというように、俺ははにかんで俯いた。

 リインと共に仕事をするのは、「代替のフランボワーズ」の一件以来だが。一見した感じでは特に変わりがないようで、ひとまずは安心した。

 俺とリインの間には、言葉では言い表せないような因縁が存在する。それでも仕事を共にするというのならば、今だけはそのことを忘れて欲しい。

 口に出してそう伝えようと、俺は顔を上げたのだが。そこにいたのは、リインではなかった。

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