File4 後日談

 シルマヴィット地区の片隅で、ボロ雑巾のような状態に成り果てた、ヌーフ・フリャスカヤが見つかったのは。俺が使役のグラファイトを祓ってから、数日後のことだった。

 ヌーフはかろうじて生きてはいたものの、まともに口もきけない状態であり、遠方の病院に入院することになったという。立ち直れるかどうかは、彼次第だということだ。

 使役のグラファイトの支配から解放された「黒塗りの十字架」は、リーダーに返り咲いたチュクエメカを陣頭に、徐々に再建されて行っているという。

 しかし同時に予想した通り、ヌーフの残した傷跡が徐々に明るみになってゆき。サブリーダーのキュッリッキを含めた数人のメンバーが、グループから一時的に離れて療養に当たることとなった。

 今回の立役者であるオノレは、抜けたキュッリッキの代わりにサブリーダーへと昇格し、チュクエメカと共に「黒塗りの十字架」の再建のため奔走しているようだ。

 今朝ちょうど、彼が事務所に来て感謝の言葉を伝えて来た。

 行き場の無い少年少女たちの、掛け替えのない居場所である、「黒塗りの十字架」をそう簡単に無くならせるわけにはいかない。そのために、自分のできることをするのだと、彼は俺に対して力強い声で語ってくれた。

 俺はそんなオノレの背中を押し、送り出したわけなのだが。

「―――で、なんでお前がここにいるんだ」

 仕事の内容をまとめた、業務日誌を書き終えた俺は、目の前で悠然とコーヒーを啜るスアンを睨みつけた。

 時刻は昼過ぎ。事務所で書類仕事をしていた俺の前では、スアンがまた勝手に淹れたコーヒーを飲んでいた。正直今すぐにでも、帰って欲しいのだが。

 スアンはカップを置くと、気障な仕草で顔にかかった髪の毛を払う。

「いいじゃないか。今回は半分、僕からの依頼でもあるわけだからね。オノレ少年も、感謝してくれているようだし」

 そう。オノレはどうやら俺の事務所に来る前、スアンの店にも立ち寄ったらしく。俺への報酬の件で感謝の言葉を伝えられたと、先程スアンが話していた。

 元はと言えばこいつが、使役のグラファイトの召喚書をたたき売りしていたのがすべての元凶なのだが。俺は業務日誌を片付けて立ち上がると、険しい表情はそのままにスアンへと近づく。

「家賃半年間免除の件、忘れるなよ」

「分かってるって。だからこれを持って来たんじゃないか」

 カップをテーブルに置いたスアンは、露骨に不満そうな顔をしながら、一枚の紙を取り出す。賃貸契約書と書かれたその紙の内容をじっくりと読み込み、ちゃんと六カ月間無料となっていることを確かめると、俺は自分の名前を書き込んで拇印を押した。

「毎度あり」

 上機嫌で自分の分のコーヒーを用意する俺に対し、賃貸借契約書を丸めながら、スアンが呆れたため息を吐きだした。

「まったく、満足そうな顔しちゃって……」

「そりゃあ、家賃が浮く分色々なものに投資できるんだからな。ついつい頬も緩むものさ」

「……だったら、コーヒーたかるくらい、問題ないよね」

「それはそれ、これはこれだ」

 何て言いつつも、思わず顔を綻ばせながら、ブラックのコーヒーを啜る俺に。スアンが思い出したように、ポケットから一枚の封筒を取り出した。

「そうだ、そういえば君宛に、手紙が届いてたんだ」

「俺宛にって……まさか、ポストを覗いたのか」

 カップを下ろして疑惑の眼差しを向ける俺に、スアンは顔の前で手を振って見せた。

「まさか。大家とはいえ、さすがにそんなことはしないさ。どうやら住所の記入漏れがあったみたいで、郵便配達員が僕のところに持ってきたんだよ。だから預かっておいたというわけさ」

 カップをテーブルに置いて、差し出された封筒を受け取ると、開封された痕跡が無いことを調べる。幸いにも、開封された痕跡は無かった。

「……僕、そんなに信用無い?」

「そう思うんだったら自分の行いを顧みてみろ」

 わざとらしく落ち込むスアンを尻目に、俺はペーパーナイフで封筒を開き、中に入っていた手紙に目を通す。

 しばらく黙って手紙を読んで。最後の一文字まできっちりと読み終えると、俺は手紙を封筒に戻してテーブルの上に置いた。

「何の手紙だったの?」

 再びコーヒーカップを手に取りながら、興味津々と言った様子で聞いてきたスアンに。俺は封筒に書かれた、送り主の名前を指でなぞりながら低い声で答えた。

「招待状―――いや、挑戦状といったところだ」

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