File5 後日談

 二時間後。

 シュエリエにある宿屋の一階。そこに設置された休憩スペースで、俺はメイシーと煙草を吸っていた。

 ここに来るまで、メイシーは随分参っていたようだが。休憩スペースに座らせて、俺が煙草とマジックマッチを差し出すと、彼女は受け取って咥え火をつけた。

 半分ほど吸い終わる頃には、幾分か落ち着きを取り戻したようで。魔性の煙を味わう彼女を眺めながら、俺も自分の分の煙草に火をつける。

「スカイヴェールさんも、吸うんですね」

「……仕事が片付いた後に、必ず一本だけ。自分へのご褒美なんです」

 それは半分正しいし、半分間違っている。頑張った自分自身への労いと、依頼の陰に隠された醜い真実を忘れるための、一つの儀式のようなものなのだ。

「……実は。一つだけ、話してなかったことがあるんです」

 揺らめく煙の中で、メイシーは静かに言った。

「キップリング伯爵の妻が死んだとき、私彼に迫ったんですよ。『死んだ奥様の代わりになります』って」

「……」

「でも、拒絶されてしまった。『私の妻はただ一人だけだ。決して誰も、代わりになることは出来ない』って言われて。それなのに……なのに……」

 そこから先は言葉にならなかった。嗚咽が聞こえなくなるのを、俺は自分の煙草を吸いながらゆっくりと待った。

 やがてメイシーは涙を拭うと、気持ちを落ち着かせるように手に持っていた煙草を吸った。それから近くに置いてあった灰皿で揉み消し、俺に顔を向ける。

「スカイヴェールさん、その……」

「……何でしょうか」

「もし、よろしければ。今晩だけ、傍にいてくれませんか。今日はとても、眠れそうにないので……」

 メイシーの言葉に含まれた意味は、さすがに察することが出来る。俺はもう一度煙草の煙を吸い込むと、微笑んで頷いた。

「お付き合いしましょう、一晩だけなら」


 俺は「サンダー・クラウド」の店内に入ると、迷わずカウンターに向かった。

「いつものやつ、頼む」

 グラスを磨くイエナに言うと、イエナは頷いて、奥の厨房に注文を伝える。

「改めて、お疲れ様。依頼もきっちりこなすだけじゃなくて、アフターケアもしっかりしてくれるなんて、さすがシェーマスね」

「……うるさい」

 黒ビールの入ったグラスを目の前に置くイエナを軽く睨んでから、俺はポケットから一通の手紙を取り出した。

 代替のフランボワーズを祓ってから一週間が過ぎた。俺の口座にきっちり三割引かれた依頼料が振り込まれ、今回の仕事は完全に片付いた。

 あの後リイン含めた教会の悪魔祓いによる城の一斉捜査が行われ、キップリング伯爵は逮捕された。今は裁判待ちだが、おおよそリインの言った通りになることだろう。

 メイシーは今回の一件でそれなりにショックを受けたものの、立ち直るには仕事が一番ということで、つい先日新たな奉公先に向かうため、遠方へと旅立っていった。

 別に未練があるわけではないが、朝起きてポストをチェックしたら、彼女からの手紙が入っていたため。こうして「サンダー・クラウド」で一杯ひっかけつつ、読んでみようと思ったのだ。

 封を切って、中の便箋を取り出すと。若干拙い字で、彼女の思いが綴られていた。

 今回の一件に対する感謝と、もしまた会う機会があれば、一緒に食事をしようと言う当たり障りのない内容。キップリング伯爵に関することは避けているのか、それともあの宿屋で喫煙しながらこぼした言葉で、心の中に区切りがついたのか。

 どちらにせよ、多分もう彼女と会うことはないだろう。俺が手紙を封筒に戻して仕舞うと、ちょうどイエナがタコとジャガイモの煮付けを俺の前に置いた。

「そうそう。これも」

 フォークを手に取る俺に対し、イエナはさらに小鉢を一つ置く。中には揚げられた大豆が入っていた。

「依頼引き受けてくれた、サービスだから。また何かあったら、よろしくね」

「……三割持っていかれないなら、喜んで頷くんだけどな」

 ため息を吐きだしつつも、俺はイエナのこういうところが、何だかんだで気に入っている。タコを口に運んで咀嚼し、黒ビールで流し込みながら、俺はしばらくイエナと取り留めのない会話を交わした。

 料理を食べ終わって腹が満たされ、いい感じに酔いが回ってきたところで。俺は会計を済ませてイエナに礼を言い、帰路についた。

 今回の依頼料はもちろん、前にミスティとマイリンから貰った金もまだたっぷり残っている。今度こそ、しばらくのんびり過ごしたいものだが。

 事務所兼自宅の入っている、二階建ての建物に入り階段を上る。表札に「スカイヴェール悪魔祓い専門事務所」とだけ書かれた扉の前に来ると、俺は鍵を取り出して手をかけた。

 だが。手をかけた瞬間、鍵が開いていることに気が付いた。出てくるときに、確かにかけたはずだ。

「……」

 心地の良い酔いが醒めていくのを感じつつ、俺は懐からナイフを取り出す。出来るだけ音を立てずに扉を開いて中に入ると、息を殺して部屋の中の様子を伺う。

 事務所は薄暗かったが、奥の居住スペースから光が漏れていた。侵入者は、あそこにいる。

 足音を立てないように居住スペースに繋がる扉に近づくと、俺は扉に耳を当てた。

 中から聞こえてきたのは、男のものらしい鼻歌と、湯の沸ける音。何かを注ぐ音、何かを啜る音。

 そこで俺は我慢できずに、扉を勢いよく開いた。

「何度も言ってるが、人の事務所に勝手に入り込んだ挙句、我が物顔でコーヒーを淹れるのはやめろ、スアン!」

 扉の奥、居住スペースの椅子に座って、淹れたコーヒーを啜りながら新聞をめくっている白髪痩躯の男。

 スアン・アンジロープは、俺の姿を見てゆったりと片手を上げた。

「やあ、お帰りシェーマス」

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