File3 侵入

 三時間ほど仮眠をとってから、俺はメイシーとの待ち合わせ場所である「ホップシャワー」に向かった。

 広場を挟んで反対側の通りにあった「ホップシャワー」は、大衆向けの食堂のようで。俺は空いた店内に入るとカウンターに座り、無精ひげを生やした店主にシチューを注文した。

 注文が届くのを待つ間に、俺は店内を一通り見まわしてみたが、メイシーはまだやってきていないようだった。

「お待たせしました」

 道具箱の中身をざっとチェックしたところで、店主がシチューの皿とスプーンを俺の前に置いた。

 ほうれん草によって薄緑色をしたシチューを、スプーンですくって口に運ぶと、ぬるかったものの何とか食べられる味がした。

 シチューをゆっくり食べながら、俺はリインのことを思い出す。

 リインはあの後聞き込みを続けると言って、俺の部屋を出て行った。伯爵の娘が半年前に死んでいることを知らない彼女が、悪魔の元に辿り着くのは時間がかかるだろう。

 それでいい。これは俺の依頼だ、たとえリインと言えど、教会の悪魔祓いに手柄を横取りされるつもりはない。

 それに。シチューをすくう手を止めて、俺は皿へと視線を落とした。

 一級悪魔祓いになった彼女に、こんなことを思うのは逆に失礼かもしれないが。かつて妹分であったリインを、出来るだけ危険から遠ざけたいと思ってしまうのだ。

「……言ったら、絶対止められるな」

 自分で自分に苦笑し、俺は再び手を動かして、食事を再開する。リインも今頃、何か夕食を食べている頃だろうか。

 シチューの皿が空になる頃、店の扉が開いて、フード付きの外套を身に纏った人間が入って来た。そいつは迷わず、俺の元にやってくる。

「スカイヴェールさん、遅くなってすみませんでした」

 声ですぐに、メイシーだと分かった。俺は店主に千ルックルの紙幣を渡し、お釣りを受け取ってからメイシーに向き直る。

「準備は大丈夫そうですか」

「はい。スカイヴェールさん、これを」

 そう言ってメイシーは、自分が着ているものと同じ外套を差し出した。俺は頷き外套を羽織って、置いておいた道具箱を手に取る。

 共に「ホップシャワー」を出ると、メイシーは手に持っていたマジックカンテラに火を入れた。簡単な炎の術式によって生成された灯りを揺らし、メイシーは俺に向き直る。

「少し歩きますが、大丈夫ですか」

「もちろん。こう見えて鍛えてますから」

 ぽつぽつと民家の明りが灯り、夕食のいい香りが漂うシュエリエの村を出て。薄暗くでこぼことした農道を、マジックカンテラの灯りを頼りに歩いてゆく。

 歩きながら空を見上げると、空に月が輝いていた。満月でも新月でもない、中途半端に欠けた月。俺の儀式は月齢に頼らないが、関係する儀式のやり方をかつて学んだ身としては、確認してしまうのはもはや癖であるといえる。

「……スカイヴェールさん」

 月から視線を離して、俺が前を歩くメイシーへと顔を向けると。

「城に着くまでの間に、ほんの少しだけ、私の身の上話を聞いてくれませんか」

 歩きながら、こちらに一切顔を向けず。メイシーは俺に言った。彼女の声はほんの微かに震えていて、聞いて欲しいというよりは、話すことで自分を落ち着かせたいという様子だった。

「ええ、構いませんよ」

 俺が了承すると、メイシーは自身の過去を語り始めた。震える声で、だが歩みを止めることなく。


 メイシーは孤児で、物心ついた時から孤児院にいたという。

 孤児院での生活は貧しかったものの、幸いなことに先生も他の子どもたちもみんな優しく、メイシーの子供時代は楽しいものだった。

 親がいる子供のことを羨ましく思うこともあったし、里子に選ばれて孤児院を出て行くのが、何で自分じゃないのかと怒ることもあった。

 それでもメイシーは孤児院が好きだった。いつか大人になって働きに出たら、孤児院に恩を返したいと言った。

 そのことを、先生に話したら。先生はちょっと笑って、幼いメイシーに言ったのだ。

「だったら私たちじゃなくて、キップリング様に恩を返すべきだわ。この孤児院がやっていけるのは、あの人のおかげだもの」

 キップリングのことは知っていた。たまに孤児院を訪れて、沢山の玩具やお菓子を持ってきてくれる人。

 彼が伯爵という身分の高い人間であり、その財産の一部を孤児院に寄付してくれていることをメイシーが知ったのは、彼女が十歳になった時のことだ。

 ある日孤児院を訪れたキップリングに、メイシーはいつもありがとうございますと、礼を言って頭を下げた。

「キップリングさまのおかげで、私は毎日ご飯が食べられて、勉強をすることもできます。このご恩をお返しするには、どうしたらいいでしょうか」

 メイシーの言葉に、キップリングはきょとんとしてから、笑って彼女の頭を撫でた。

「それなら簡単だ。もう少し大きくなったら、私の住んでいるお城で働いてくれればいい」

「分かりました、キップリングさま」

 キップリングの為なら、例えどんな仕事でも苦にならないと思った。給料なんてもらえなくても、彼の為になればいいと。

 だがその時のメイシーは、まだキップリング・グルスシルフという人間を、ちゃんと分かっていなかったのだ。

 二年後、十二歳になったメイシーは、キップリングの城に使用人見習いとしてやってきた。

 先輩の使用人たちに、優しくも厳しい指導を受けながら、メイシーは頑張って働いた。後で知ったことだが、キップリングは使用人を雇う際、自分の出資している孤児院の出身者を積極的に採用していたらしい。

 そして一か月後、メイシーはキップリングに呼び出されると、一枚の封筒を手渡されたのだ。

「これは……」

「君の給料だよ、メイシー。まだ見習い故に少ないが、好きなことに使うといい」

「で、でもキップリングさま、私はあなたに恩を返すために、奉公しているのです。お金なんてもらってしまったら、いつまで経っても……」

 困惑するメイシーに対して、キップリングは優しく笑いかけた。

「だったらお金の半分を、君の出た孤児院に仕送りするといい。そうすれば私はもちろん、孤児院にも恩を返せるんだから」

 キップリングの言葉に、メイシーの顔は明るくなって、彼女は力強く頷いた。

 それから。メイシーは孤児院に仕送りをしながら、キップリングの為にと働き続けた。その忠誠はキップリングに娘のメグが生まれても、彼の妻が病死しても、一切変化することはなかった。

 メグを喪い、気の狂ったキップリングに、一方的な解雇を告げられるまで。


 メイシーが語り終えるころには、城はすぐ目の前に迫っていた。

 城塞のように頑丈でもなく、宮殿のように豪華でもない。住居らしく居住の為に作られた、この国の地方でよく見かけるような古城。

「こっちです」

 城門の手前で曲がり、メイシーは城の裏手へと回り込む。息と足音を殺して、俺は彼女の後をついて行った。

 城の周囲にはレンガ造りの塀が設置されていたが。裏手に回り込んだメイシーは、塀を撫でるように触ってゆく。

 やがて手を止めた彼女は、手に持っていたマジックカンテラで塀の一部を照らした。

「ありました。この裏口から、城の中に入ります」

 そこには周囲のレンガと同じ色で塗装された扉があった。メイシーは一度俺にカンテラを渡すと、ポケットから鍵を取り出して開錠する。

 彼女が手をかけて引くと、扉はゆっくり開いて。俺は素早く扉の中へと身を滑り込ませた。

 メイシーも中に入ると、扉をきっちりと締めて、俺からカンテラを受け取る。

「案内します、伯爵の部屋まで」

「……そのことなんですが」

 歩き出そうとしたメイシーを、俺は道具箱から鏡を取り出しつつ止めた。

「案内する場所を、変えていただけませんか」

「えっ……どうしてですか」

「街での聞き込みで、少し事情が変わりまして。伯爵の部屋ではなく彼の死んだ娘、メグの部屋に案内してください」

 俺の頼みを聞いたメイシーはしばらく黙っていたが、やがて頷いたのが気配で分かった。

「分かりました、ついてきてください」

 侵入した裏口のすぐそばにあった、炊事場に繋がる扉から、俺たちは城の中へと入った。

 腐敗した食品が散乱し、悪臭の漂う炊事場を横切って。値段の高そうな絵画が飾られた廊下へ出ると、メイシーは突き当りにある階段へ向かう。

 階段を上がって、二階に辿り着いたところで。その異常な部屋の扉が、俺の視界に飛び込んできた。

 他の扉が木製で、周囲の壁にあうような装飾が施されている中。その扉だけは灰色の無機質な鉄でできており、取っ手の上下に二つずつ、ごてごてと四つの大きな鍵がついていた。

「……あそこが、メグの部屋です」

 メイシーの言葉には、緊張感が見え隠れしていた。俺は頷くと埃っぽいカーペットが敷かれた廊下を歩き、異常で物騒な扉の前に立つ。

 鏡をかざすと、はっきりと結果が現れた。悪魔召喚の痕跡に、代替のフランボワーズの反応。間違いない、この中に「悪魔」がいる。

「……メイシーさん」

 鏡を仕舞いながら、俺は背後に立つメイシーに、静かに問いかけた。

「この中に、悪魔がいます。それも中級悪魔が」

「え……じゃ、じゃあ」

「この扉を破れば、祓うことも可能でしょう。ですが」

 道具箱を閉めて、懐からナイフを取り出しつつ、俺はメイシーを振り向く。

「あなたの依頼は、『伯爵に憑依した悪魔を祓って欲しい』というものだ。だが悪魔に憑依されているのは、伯爵ではない……あなたはこのままこの扉に背を向けて、立ち去ることもできる」

 俺の問いに、メイシーは息をのんだ。迷っているのだろう。伯爵に恩はあるものの、今は解雇された身。仕えているわけでもないのに、強引な手段を取ってまで、中にいる悪魔を祓うかどうか。

 正直、立ち去った方がずっといいだろう。今ここで立ち去っても、遅かれ早かれリインがここを突き止め、正式な悪魔祓いによって儀式が行われる。伯爵は悪魔召喚を含めた諸々の罪で裁かれるだろうが、解雇されたメイシーに被害が及ぶわけではない。

 だが。メイシーは目を閉じて静かに息を吐くと、俺に首肯して見せた。

「お願いします、スカイヴェール。この扉の先にいる……悪魔を祓ってください」

「……本当にいいんですね」

「はい。それがきっと、伯爵の為にもなりますから」

 依頼人が望むなら、俺は従うまで。扉に視線を戻すと、一番上の鍵にナイフを合わせる。

「……シャイン・スラッシュ」

 正式な名称とはいえ、唱えるのに多少なりと羞恥を感じないでもない、神聖魔術の呪文を唱えると。

 ナイフの動きに合わせて、光の筋がまっすぐ走り、四つの鍵が鈍い音を立てて破壊された。

 道具箱を床に置いて、ナイフだけを手に持つと。俺はメイシーを再び振り向く。

「この扉を開いたら、そこに悪魔がいます。俺が祓うまでの間、出来るだけそこから動かないでください。そしてもし危険が及びそうなら、素直に逃げてください」

「……分かりました」

「では、開きます」

 重い扉に手をかけて、ゆっくりと引き開けていく。扉が開くとともに、それははっきりと、俺たちの嗅覚に突き刺さって来た。

 むせかえるような、腐敗臭。壁を虫が這う音が耳に聞こえ、背後でメイシーがえずくのが聞こえた。

 片手で口を覆って、俺が薄暗い部屋の中に踏み込むと。

 そこに、代替のフランボワーズがいた。

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