File2 遭遇
シュエリエに行くには、ヴァルベロンから馬車で半日かかる。
そんなわけでシュエリエに着いた俺は、仮眠を取れる場所を確保するため、宿を探すことにした。
「……眠い」
欠伸をしながら、俺は村の通りをゆっくりと歩いてゆく。睡眠時間は調整してきたとはいえ、日付が変わった直後に起床し、午前四時には馬車に乗っていたのだから、疲労と眠気を感じるのも仕方のないことだ。
シュエリエはこの神聖マルガリア王国の地方で、よく見かけるような村だった。村民は農作物や果実の生産を主な仕事としていて、村の近くには麦や根菜を育てる畑や、林檎やぶどうなどの果樹園が広がっている。通り過ぎる際に何人かの農民が働いているのが見えた。
普段ヴァルベロンという都市で生活していると、こういうのどかな村での暮らしが羨ましく思えるものなのだが。この村の住人からすれば、都会での暮らしの方がずっと良いと思うのだろう。
だが村の通りをあるいていると、俺はすぐに「異変」に気が付いた。
まず村の空気がおかしかった。通りを歩く人間が、誰もかれも暗い顔をしていて。言葉を交わす人間は、額を突き合わせぼそぼそと小声で話し合っていた。
最初は景気が悪いことから来る生活苦が、暗い影を落としているのかとも思ったが。通りの先にあった広場に建てられた、木製の掲示板を見た時、理由はすぐに判明した。
掲示板一面に貼られた、行方不明の少女を探す三枚の貼り紙。三枚とも違う少女のものであり、見つけたらここに連絡してくださいという、両親の住所が書かれていた。
そういえば村の中に入ってから今まで、子供を一人も見なかった。なるほど、少女が三人も行方不明になっているというのなら、親が子供を外で遊ばせないようにするのも納得だ。
「……嫌な予感がする」
ため息を吐きだしながらも、俺は引き続き宿屋を探すことにした。
メグの部屋、行方不明の少女。この二つの情報だけで、キップリング伯爵の召喚した悪魔は大体特定できるのだが。
あの悪魔である場合、祓うのは簡単だが周辺の事情が少々厄介である場合が多く、考えただけで気が重くなってきた。
なんて脳内で考えながら歩いていると、通りの端に宿屋の看板を見つけた。
とりあえず少し休んでから、この先のことを考えよう。宿屋の傷んだ木の扉の前にたどり着いた俺は、そう思いながら扉に手を伸ばしたのだが。
俺が扉に触れる直前、内側から扉が開き、一人の人間が姿を現した。
長いものを後ろで一つにまとめた蒼い髪に、オリーブ色の瞳。顔立ちは全体的に美しく整っているが、年齢故の幼さがまだ微かに残っている。
そして白と水色を基調とした軍服は、教会に所属する悪魔祓いが身につける正式な制服である。さらに腕に着いた紫の腕章は、一見すると男にしか見えない彼女が一級悪魔祓いであることを示している。
悪魔祓いの少女と、俺は数秒間無言で見つめ合っていた。彼女は驚きに大きく目を見開いて、俺はなんと言っていいか分からない、気まずい表情を浮かべて。
数十秒後、俺はとりあえず片手をあげて、わざとらしく笑って見せることにした。
「……大きくなったな、リイン」
返事はなかった。その代わりに彼女、リイン・インソードは腰に下げた剣に素早く手をかけると、流れるような動きで抜刀し、何の迷いもなく俺に振り下ろす。
もし、俺があと数秒間、バックステップで後退するのが遅くなければ。剣は間違いなく、俺を真っ二つにしていただろう。
何とか剣を回避しながら、俺は手に持っていた道具箱を素早く地面に置くと、懐からナイフを取り出す。
「その剣はこんなことをするためのものじゃないだろう、リイン。ちゃんと教えたはずだ」
「うるさい!なんで、何でお前がここにいるんだッ」
叫びながらも、今度は斬りかかってこずに、リインは素早く呪文を唱え始める。同時にリインの周囲に複数の光弾が出現した。
教会の一級悪魔祓いは、必須科目として神聖魔術を修得しているのだが。この光弾も神聖魔術の一つで、命中すれば衝撃と共に閃光が広がる仕組みになっている。
閃光はまだしも、衝撃の方は普通に吹っ飛ぶレベルであり。全弾命中すれば気絶することは避けられないだろう。
昔は一つ出すだけでも苦労していたのに、成長したものだ。光弾を制御して狙いを定めるリインに感慨深さを感じつつも、俺はナイフを構えながら呪文を唱え始める。
俺のナイフやリインの剣は、一見すると普通の刃物に見えるが、実は刃に術式が仕込まれた「剣杖」というものである。その名の通り、魔術師の杖と同じ役割をする刃物なのだが、木や石で作られる杖と違って、術式を通しにくい金属で杖を作るのは難しく。生産できる職人は魔術研究の盛んなこの国でも、数えるほどしかいないだろう。
だから他に強力な杖があるにもかかわらず、剣杖を使う人間は滅多にいないのだが。良質な剣杖は非常に強力な物であり。
例えばこのナイフ一本でも、リインの放った複数の光弾を防げるような、頑丈な防護壁を一瞬で張ることが出来るのだ。
「チッ、防がれたか―――なッ」
さらに防壁を張ると同時に、リインに向けて小さな光弾を放つこともできる。
術式的にはリインの使ったものと同じになるが、少々アレンジを効かせ小さい代わりに当たった時の衝撃を強くしてある。
さらに小さいことはデメリットではなく、リインの放った複数の光弾に紛れて彼女の元に届くため、むしろメリットでもあるのだ。
「クソッ」
光弾に気が付いたリインは、回避しようと頭を横に逸らすが、時は既に遅く。
彼女の頬に掠った光弾から、激しい閃光が迸って。呻き声と共に、開きっぱなしだった宿屋の中へと吹っ飛ばされたのが分かった。
閃光が消え、視界が戻ってくると。俺は道具箱を拾い宿屋の中に踏み込んで、カウンターの手前に叩きつけられ、気を失ったリインの前に立った。
「……まったく」
こんなつもりじゃなかったのだが、ついやってしまった。ため息を吐きだすと、俺は道具箱を持ち直しつつリインの体を抱きかかえて、カウンターの奥で目を丸くして立ち尽くす、この宿屋の主人であろう中年男性に声をかけた。
「すみません、部屋を一部屋取りたいのですが」
近くの商店で昼食のベジタブルサンドイッチと水をひと瓶買って、俺が取った部屋に戻ってくると。
ベッドに寝かせていたリインが、ちょうど目を覚ましたところだった。
「……ここは」
「さっきの宿屋だ」
「……」
「改めて久しぶりだな、リイン。元気だったか?」
リインは何も言わずに俺のことを睨みつけると、ベッドから起き上がって俺の前に移動した。
「その手に持っているものはなんだ」
「サンドイッチだ。トマトとレタスのやつ」
「何故二人分ある?」
「一緒に食べようと思って。見たところ随分と細いけど、ちゃんと飯食ってるか」
「うるさい。姉さんの仇と食事なんかできるか」
「……」
ふっと、俺は自分の顔から表情が消えるのが分かった。「彼女」の話を持ち出されると、どうしてもあの頃の自分が戻って来てしまう。
「ツッ……」
俺の変化に、リインは少し怯えた様子を見せながらも、オリーブの瞳で真っ直ぐ睨みつけてくる。それでいい、俺がリインの姉にしたことは、紛れもない事実なのだから。
凍り付いた空気の中、時間だけが過ぎていった。俺は静かにゆっくりと、手に持っていたサンドイッチと水を近くのテーブルに置く。
置いた瞬間、腹の鳴る音が響き渡った。どちらのものかは分からなかったが、この張り詰めた空気を解くには、十分すぎるほど間抜けな音だった。
「……とりあえず、食べながら話そう」
「……」
リインは何も言わなかったが、ため息を吐いて椅子に座った。
ベジタブルサンドの包みを剥いて、俺とリインは同時にかじりつく。パンはあまり質が良くなかったが、野菜は採れたてでみずみずしかった。
水を一口飲んでから、俺はサンドイッチを頬張るリインに声をかける。
「一級悪魔祓いになったんだな、おめでとう」
「……」
「お前のことだから、あの頃の俺と違って上手くやってると思うけど。もし辛いことがあればその時は―――」
「うるさい。今更兄貴面するな」
サンドイッチを持った手を下ろして、リインは再び俺のことを睨みつけてくる。俺はそんなリインに対して、水の入った瓶を差し出した。
「話を変えよう。今回はなんでこの村に来たんだ」
「それはこっちの台詞だ、シェーマス。今ここでお前のことを、逮捕してやってもいいんだぞ」
「まあまあ。いいじゃないか、話してくれても。サンドイッチと介抱のお礼として、な」
俺が自分のサンドイッチを掲げて見せると、リインも己のサンドイッチに視線を落としてから、小さくため息を吐きだした。
「……確かに、お前に借りを作るのは得策じゃないな」
「そうだろう」
「私は今回、このシュエリエで多発している少女行方不明事件を調査しに来た。神隠しを起こす悪魔の存在である可能性も高いからな」
「なるほど」
水を飲んだリインから瓶を返してもらい、俺はサンドイッチをもう一口かじる。質の悪いパンも美味しい野菜とあわせれば、案外いけるものだ。
「で、お前は何をしに来たんだ、この村に」
サンドイッチを飲み込んで、俺は水を一口飲む。
「この村の近くの城で暮らす、キップリング・グルスシルフという伯爵に悪魔が憑依しているかどうか調べに来た」
普通、教会の悪魔祓いにこんなことを言ったら、即座に逮捕されるのがオチだが。生憎俺とリインの関係は、そんなに簡単なものではないのだ。
「……だったら残念だったな」
サンドイッチの最後のひとかけらを飲み込んで、手を払いながらリインは言った。
「ここに来る前、その城に立ち寄って伯爵に会ってきた。その際に念のためと診察をさせてもらったが、伯爵には悪魔は憑いていなかった」
「そうか……」
やはり、伯爵に悪魔が憑依しているわけではなさそうだ。俺も残りのサンドイッチを片付けると、包みを丸めながらリインに問いかけた。
「伯爵と会った際に、何か気になることはなかったか」
「いや……診察が終わった後、すぐに去るよう言われたから分からない。知らない人間がいると、病気の娘が怯えるからと」
「病気の娘……」
ああ。今の言葉で、伯爵が召喚した悪魔が確定した。メグの部屋の鍵に入らせないようにすることや、行方不明の少女などから、そうじゃないかと思っていたが。
「……何か知ってるのか」
探るような視線を投げかけてくるリインに、俺は静かに首を横に振る。
「いや、残念ながら何も」
伯爵がこの世に呼び出した悪魔。それは愛する者を喪った人間にとって、もっとも優しくもっとも残酷な悪魔。
その名を、代替のフランボワーズという。
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