「Framboise Alternative」

File1 依頼

 地味な服を身に纏って、縮れた長い黒髪を頭の後ろで一つにまとめたその女性は、イエナの合図で俺の前に現れると、静かに頭を下げた。

「初めまして。メイシー・シズルカといいます」

 眠たげな目とそばかすが特徴的な顔を上げると、メイシーと名乗った彼女は、俺の隣の席に腰かけた。

 彼女が今回の依頼人なのか。黒ビールを一口飲んでから、俺はグラスを置いてメイシーに片手を差し出した。

「悪魔祓いのシェーマス・スカイヴェールです」

「イエナさんから話は聞いてます。今回はよろしくお願いします」

 自己紹介をした俺の手を、メイシーは軽く握って振った。手を離すと、彼女はカウンターの内側に立つイエナに向き直って、ポケットから煙草の箱とマジックマッチを取り出す。

「ホタテとコーンのバター炒めと、アクアヴィットを一杯お願いします」

「はーい、ただいま」

 女性にしては、随分と度数の高い酒を飲むものだ。どうやら彼女は地味で大人しそうな見た目に反して、煙草と強い酒をたしなむギャップのある女のようだ。

 注文を厨房に伝えるイエナを一瞥して、俺はジャガイモをフォークに刺しながら、煙草を抜いて咥えるメイシーに視線を向けた。

 俺に見つめられていることに気づいたメイシーは、マジックマッチを擦ろうとしていた手を止めて、咥えたばかりの煙草を口から離す。

「あ、煙草苦手な人ですか、シェーマスさんは」

「いや、お気になさらず……」

「ありがとうございます」

 煙草を咥えなおして、改めて火をつけて旨そうに紫煙を吸い込むメイシーを眺めながら、俺は口に運んだジャガイモを咀嚼して、黒ビールと共に飲み込んだ。

「それで、依頼内容を話していただけますか」

 俺の言葉に、煙の揺れる煙草を口から離したメイシーは、静かに頷いてから口を開いた。

「……私は三か月前まで、キップリング・グルスシルフ伯爵のお城で使用人として働いていました」

「使用人……」

 目の前の彼女が貴族の城で、メイド服を着こみ掃除や料理に励む姿を俺は想像した。煙草をくゆらす姿を見る前ならしっくり来たかもしれないが、今では陰で気だるげに喫煙する様子しか頭に浮かんでこない。

 そんな俺の脳内を知る由もないメイシーは、煙草の煙を吸い込んでから言葉を続ける。

「キップリング伯爵はとても穏やかな方で、周辺の民からの支持も厚い方でした。私たち使用人にもとても良くしてくれて、そんな伯爵の優しさに報いるように、私たちも力を入れて仕事に励んだものです」

 奉公先の主について語るメイシーの瞳に、思い出を懐かしむきらめきが差し込んだ。キップリング伯爵のことを慕っていたというのは、事実なのだろう。

 だが先程、「働いていました」と過去形で語ったことからして、今は奉公していないのだろうか。だとしたら、一体何があったのだろうか。

「お待たせしました、ホタテとコーンのバター炒めと、アクアヴィットです」

 続きが気になるところだが、イエナが皿とグラスをメイシーの前に置いたため、メイシーは吸い切った煙草を消してフォークを手に取った。

「いただきます」

 小さくつぶやいて、フォークでホタテを刺して口に運ぶ。滑らかな指の動きが、とても魅力的に感じられた。

 ホタテを口に運んで、アクアヴィットを一口飲んでから。メイシーはフォークを置いて、俺に視線を戻す。俺はついにやけてしまった表情をさっと消して、再度依頼を聞く態勢を取った。

「ですが三か月前。伯爵は突然、屋敷で働いている使用人全員のクビを切ってしまったのです。退職金を握らせて、もう二度とこの城に来るなと告げて」

 この城に来るな。メイシーが言われた言葉をそのまま話したとするならば、強制的なその物言いが気になった。仕事を解雇するというより、城から追い出そうとしているように感じられる。

「……理由に心当たりは?」

 黒ビールの入ったグラスを持ち上げながら、俺がメイシーに問いかけると。メイシーは目をつぶって、静かに頷いて見せた。

「あります。痛いほど」

「……話してくれませんか」

 俺が促すと、メイシーは目を開いて、視線をグラスに落とした。

「伯爵には、メグという一人娘がいました。生まれてすぐ、母親を病で亡くし。伯爵の愛情を一身に受けて育ってきました」

 いました。また過去形であることから、話の展開が少々読めてしまったが。俺は何も言わずに、彼女の話を聞くことにした。

「メグは美しく気立てもいい素敵な少女に成長し、今年で十歳になりました―――ですが彼女が誕生日を迎える一週間前、今からちょうど半年前のこと」

 メイシーは新しい煙草を取り出して、マジックマッチで火をつけた。辛いことを話すときに、魔性の煙の力を借りたくなる気持ちは良く分かる。

「不幸な事故でした。庭を散策している時に、枯れた井戸に落ちてそのまま……井戸はとても深く、頭から落ちたこともあって即死だったそうです」

「……」

「一人娘を失った伯爵は、それはもう悲しんで。腐敗を遅らせる魔術をかけたメグの遺体の傍で、何日も泣いて過ごしていました」

 妻を喪い、キップリング伯爵が遺された娘を心の拠り所としていたことは、想像に難くはない。そんな娘まで喪った彼は、いったいどれほど己の不幸を嘆いたものだろうか。

 緩やかに、徐々に腐りゆく娘の亡骸に泣き縋る主に、メイシーを含めた使用人たちは戸惑ったことだろう。

 慰めようとしたとしても、大切な人間を永遠に喪った心の穴は、そう簡単には塞がらないものだ。下手な言葉は火に油を注ぐように、逆効果となる。

「憔悴しきった伯爵に、私たちは何もできませんでした。私たちが何をしても、娘のメグは生き返らないし。私たちがメグの代わりになることもできない。ただ衰弱してゆく主人の姿に心を痛めながら、時間だけが過ぎていきました」

 そこでメイシーは言葉を区切り、震える指を動かして煙草を口に咥えた。

 目を閉じて、煙草の煙を吸い込み。時間をかけて吐き出す一連の動きは、一つの儀式であると俺は思う。この儀式によって人間は自身の健康と引き換えに、ささやかな心の安寧を手にするのだ。

 煙を吐き出したメイシーは、再び目を開いて煙草を口から離すと、幾分か落ち着いた様子で再び語り始めた。

「ですがメグが死んで一か月ほど過ぎたある日。キップリング伯爵は突然、悲しみに暮れることをやめたのです」

「それはまた、どうして」

「分かりません。ですがその日から伯爵は、徐々に狂気に染まっていきました。怪しい商人から大量の魔導書や薬品を買いあさったり、メグの部屋に誰も入らせないよう扉を改造し鍵をいくつも取り付けたり、私たち支配人にも高圧的な態度で当たるようになりました」

 悲しみが臨界点を超えて、狂気に変化したのだろうか。皿に残っていたタコをフォークで刺して口に運びながら、俺はメイシーに質問することにした。

「一つ気になることが……伯爵には、魔術の心得はあったんですか」

 俺の質問に、メイシーは少し考え込んでから、首を横に振った。

「いえ、伯爵本人には魔術の心得はなかったようです」

「本人には?」

「伯爵が支援を行っている施設の一つに、このヴァルベロンの魔術研究所があるんです。メグに防腐魔術をかけたのも、その魔術研究所に所属する魔術師でした」

「なるほど、ありがとうございます」

 まだ確定は出来ないが、魔術の心得が無い人間が魔導書や薬品を買い漁るのは、悪魔を召喚しようとする兆候の一つとして有名だ。

 魔術と悪魔召喚の儀式は似ているようで別物だが、詳しくない人間にはしばし混同されがちである。特に中途半端に魔術を知っている人間なら、猶更のことである。

 そのため悪魔召喚の方法が書かれた書籍と、普通の魔導書を間違って購入することが良くあるのだ。重厚な装丁のものが多い魔導書と違って、悪魔の召喚方法が書かれた本はヴァルベロンの裏通りで、娼婦と同じくらいの感覚で買うことが出来る。何なら専門店もあるぐらいだ。

 そもそも修得するには高度な学習とある程度の才能が必要になる魔術と違って、素人でも時間と金と労力さえかければ召喚し憑依させられてしまうのが悪魔である。だからこそ教会には数多くの悪魔祓いが存在し、俺のような潜りの悪魔祓いも食っていけるのだ。

 もっとも兆候はあくまで兆候に過ぎず、それだけでは伯爵が悪魔を召喚しようとしているかどうかは分からない。だからこそ、俺はメイシーの話の続きに耳を傾けることにした。

「そして三か月前のある日、一人の使用人がつい耐えきれなくなって、伯爵に苦言を呈したのです。すると伯爵は、何の躊躇いもなく私を含めたすべての支配人を解雇して。二度と城に近寄らないよう約束して追い出しました」

「それで、解雇されたあなたはこの三か月間で、悪魔祓いを探していたと」

「はい。伝手が無くて苦労しましたが、こうしてやっと、あなたに出会えました」

 短くなった煙草を消して、メイシーは俺に向き直ると、静かに頭を下げた。

「お願いです、スカイヴェールさん。伯爵に憑依した悪魔を、祓っていただけませんか?」

「……え」

 メイシーの言葉は、正直予想外だった。てっきり、「伯爵が悪魔を召喚したというのなら、憑依相手を突き止めて祓って欲しい」というような依頼だとばかり思っていたのだが。

「伯爵が狂気に染まったのは、悪魔に憑依されたからに違いありません。最愛の娘を喪ったとはいえ、優しかった彼があそこまで狂ってしまうなんて」

「そ、そうですか……」

「もちろん報酬はしっかりお支払いいたします。この依頼、引き受けていただけますか?」

 ちらりと、カウンターの内側にいるイエナに視線を向けると。グラスを磨いていたイエナは、どことなく脅迫的な笑みを浮かべて、静かに頷いて見せた。断ればこのレクイエム横丁に、俺の居場所がなくなるぞ、ということだろう。どうやら選択肢はないらしい。

 メイシーに分からないように、小さくため息を吐きだしてから。俺は営業スマイルを浮かべて、彼女の言葉に答えた。

「もちろん、お引き受けいたしますよ」

「本当ですか。ありがとうございます、スカイヴェールさん」

 顔を上げたメイシーの嬉しそうな表情に、少しだけ複雑な気持ちを抱きつつも。俺は手に持っていたフォークを置いて、改めてイエナに顔を向けた。

 待っていましたと言うように、イエナはグラスを置いて三本の指を立てて見せた。

「報酬はいつも通り、七対三でお願いね」

「……仲介しただけで、三割持っていくのはぼったくりだよなあ」

「あら、何か言ったかしら」

「いや、何にも」

 にこにこと笑うイエナに、酒臭いため息を吐きかけて。俺は隣のメイシーへと視線を戻す。

 どちらにしろ、伯爵のことを診察すれば、彼が悪魔に憑依されているかはもちろん、悪魔を召喚したかどうかもある程度判明する。ならば大人しく依頼を引き受けることに、越したことはない。

 ただ一つ問題があるとすれば。俺はポケットからペンを取り出しながら、メイシーに言った。

「キップリング伯爵に、悪魔が憑依しているかどうか確かめるには、直接会って診察する必要がありますが……話を聞くところによると、あなたは伯爵の城への立ち入りを禁じられているらしいですが」

「その点なら、問題ありません。城にはいくつか裏口があって、私はそれらの裏口の鍵を預かっていたのですが、解雇される際に鍵束を返しそびれてしまって」

 メイシーは服のポケットから、複数の鍵が連なった鍵束を取り出した。

「これで伯爵が眠っている間に城の中に入り、眠っている彼を診察してください」

「なるほど……分かりました」

 ちょうどイエナが契約書を持ってきたため、俺はそこに名前を書き込んでから、メイシーにペンを差し出す。メイシーも手早く著名を行い、契約は滞りなく成立した。

「準備があるので、明後日の夜に城の近くにあるシュエリエという村の、『ホップシャワー』という店で待ち合わせましょう」

「了解です。俺の方もいろいろと用意しておきます」

 返却されたペンを仕舞いながら、俺はメイシーに頷いた。

 メイシーの思い込みだとは思うが、キップリング伯爵に悪魔が憑依していた方が、この依頼はやりやすいのだが。

 もし俺が最初に予想した通りに、伯爵が悪魔を召喚したとしたら。少々面倒なことになっているかもしれない。

(メグの部屋に入れないように、か)

 話の中に出て来たその言葉を、頭の片隅にしっかりと記憶しつつ。俺は残っていた黒ビールとジャガイモを、さっさと胃袋の中へ片付けることにした。

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