File4 後日談
ハリーが家出したという話を聞いたのは、儀式が終わった三日後のことだった。
自室に「もううんざりしたので、旅に出ます」という書き置きがあり、マイリンがどれだけ探しても見つからなかったのだという。
旅に出たハリーがどうなるかは分からない。あっさりと音を上げて帰ってくるかもしれないし、永遠に戻らず世界各地を放浪するのかもしれない。
どちらにせよ、今回の一件で彼は吹っ切れたのだろう。マイリンの気を惹こうと無駄な努力をするぐらいなら、自分で自立して行動しようと。
マイリンは従業員を総動員させてハリーを探したらしいが。ハリーは見つからず随分と荒れていたらしい。
だがどうしようもなく荒れた後は、打って変わった様子で意気消沈して、今は病に臥せって寝込んでいるという。
リンスー商会は現在、マイリンの右腕だったチェマという従業員が運営を行っており。俺に報酬を支払い、ハリーの家出のことを教えてくれたのも彼だった。
「今回の一件が、マイリンにとっていい薬となるといいんですが」
俺に小切手の入った封筒を差し出しながら、チェマはそう言った。
「マイリンはハリーに勉強や作法を強制して、ハリーが従わないと理不尽に𠮟りつけていました。正直、見ていてとても辛かったです」
「……」
だったらなんでもっと早く、ハリーの為に動いてやらなかったのか。
そう言いたい気持ちをぐっとこらえて、俺は受け取った小切手を確認した。商会の主であるマイリンに、従業員である彼らは逆らえなかったのだろう。
「……確かに受け取りました、ありがとうございます」
小切手を仕舞って俺が告げると、チェマは静かに頭を下げて事務所から出て行った。
マイリンがこれからどうなるか分からないし、ハリーが今どこにいるかもわからない。分からないし、知る必要ももうないだろう。
だからハリーの無事とマイリンの回復を祈ったら、すべて忘れて気持ちを切り替えるのが吉だ。
そんなわけで、銀行で小切手を換金し預金を終えた俺は、その足でレクイエム横丁五番地にある馴染の店、バー「サンダー・クラウド」に向かった。
俺の事務所ほどじゃないが、目立たない看板を掲げた店に入り、落ち着いた雰囲気の店内を見回してから。
俺はカウンター席の一つに座ると、内側でのんびりとグラスを磨いていた、店長のイエナ・ナムアジアに声をかけた。
「タコとジャガイモの煮物と、黒ビール一杯」
「……あら、久しぶりじゃない」
金色の髪を揺らしながら振り向いたイエナは、紫の口紅を塗った唇を歪めて笑うと、奥の厨房に注文を伝えてくれた。
「その顔だと、また面倒くさい依頼が一つ終わったみたいね」
カウンターの内側に設置された樽から、磨き抜かれたグラスに黒ビールを注いで、俺の前に置いたイエナに。俺はビールを一口飲んでから、ため息を吐きだして見せる。
「俺のところに持ち込まれる依頼なんて、どれも面倒くさいものだよ……」
客と話しているときは敬語を心掛けているが、それ以外の相手には畏まる必要もない。運ばれてきたタコとジャガイモの煮物を突きながら、俺はもう一口ビールを飲む。
最初にタコを見た時は、こんなものが食べられるのかと思ったが。今はこの店に来たら必ず頼むほど、味と食感の虜になってしまった。奥の厨房にいる、イエナの夫の料理の腕が良いということもあるだろうが。
「だがまあ、しばらくはゆっくり休みたい。まとまった金も入ったことだし」
「いいんじゃないの、と言いたいところだけど」
ジャガイモをフォークで割って口に運ぶ俺に対して、イエナは磨いたグラスを置いてにやりと笑った。
猛烈に嫌な予感がする。この「サンダー・クラウド」はレクイエム横丁に店を構えているだけあって、俺を含めた多くのならず者やろくでなしが常連になっているのだが。
そんな店だからこそ、ならず者やろくでなしに用事がある一般人が、接触を求めて訪れたりするのだ。イエナは彼らと、彼らの持ち込む案件にふさわしい常連客を引き合わせる、いわば仲介業をやっていたりするのだが。
「……俺は今回、単純に食事を楽しむために来たんだが」
むなしい抵抗と知りつつも抗議してみるが、イエナは呆れたように鼻で笑った。
「ありがたいことだけど、生憎もう引き合わせるって話つけちゃってね。断るんだったら、自分で断りな」
「はあああぁぁぁ……」
長々とため息を吐きだしながら、俺はカウンターに突っ伏した。
繁盛するのは有難いことではあるが。立て続けに重い依頼が終わった後なのだ、少しぐらい休んだっていいじゃないか。
酔いが程よく回って来た頭で、俺はイエナに対する文句を思い浮かべたが。
口に出す前に、イエナがパチンと指を鳴らして。不貞腐れる俺の前に、潜りの悪魔祓いなんていうろくでなしの助力を求める、一人の女性が姿を現した。
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