File3 儀式
雑な儀式でも祓うことが出来る下級悪魔と違って、中級悪魔は祓うのにある程度工夫をしなければならない。
具体的には悪魔の特性を理解して、弱点を突いた儀式をしなければならないのだ。その辺の知識は教習と試験で嫌というほど叩き込まれるため、ちゃんとした訓練を受けたことがある悪魔祓いにとっては、常識中の常識と言えることである。
で、今回の抑圧のフロスティは、熱に弱い悪魔である。ここで重要なのは「火」でなく「熱」ということである。
前回ナダに使用した儀式は使えない。あれは炎の浄化性と神聖性を利用した儀式であるため、意外にも「熱」の要素はないのだ。かといって炎の「熱」を利用した儀式をやろうと思えば、かなり複雑な術式の構築と準備が必要になってくる上、対象の危険度が跳ね上がってしまう。
そもそも人間は脆いのだ、いくら「熱」と言っても、命にかかわるような高温を使うわけにはいかない。
教会の悪魔祓いの場合は、術式が刻まれた焼きごてを押し当てて祓うのだが。道具は持っているものの、痕が残るため出来ればやりたくない。
そんなわけで、今回は最も身近でかつ害の少ない「熱」の一つ、太陽光を使った儀式を行うことにした。
ハリーの診察を終えた翌日、俺はリルバーン地区の片隅にある空き地で準備を行っていた。
今回使用するのは、術式が組み込まれた日時計。ここ数日の天気が晴れることは、天文調査機関の発表した予報で確認しているため、石灰の粉を使って地面に術式を書いていく。
水筒と弁当を持参して丸一日かけて下準備を行ってから。最後に中央に一本の杭を立てて下準備は完了した。
後は必要となるロープとを用意して、俺は表通りにある大衆浴場で汗を流してから自宅に帰ると、居住スペースのベッドに倒れ込み泥のように眠りこけた。
翌日。目を覚ました俺が枕元に置いてある懐中時計で時間を確認すると、ちょうど九時になったばかりの時刻だった。
着替えを済ませて髭を剃り、自宅兼事務所を出て辻馬車でリルバーン地区のリンスー邸に向かう。
リンスー邸に着くと、家の前にマイリンが立っていた。俺が馬車から降りると、マイリンが即座に駆け寄ってくる。
「お待ちしていました、スカイヴェールさん」
「ハリーの様子はどうですか?」
俺が尋ねると、リインは困ったように目を伏せた。
「相変わらず、荒れています……今朝も朝食を持って行ったら、不味いからいらないと突っぱねられてしまいました」
「そうですか……ともかく、準備は整いました。ハリーくんに憑依した悪魔を、祓いに行きましょう」
「はい……」
家の中に入って、ハリーの部屋に向かうと、マイリンはまたマスターキーを取り出して部屋の鍵を開錠する。
今度は開錠した直後、素早く俺と入れ替わり。マイリンは巻き込まれないよう、素早く一階に下りていった。
右手を扉のノブにかけて、左手であの小瓶を取り出し、蓋を開いて文言を唱える。昨日の朝予備で買っておいたものを補充しておいたのだ。
俺が勢いよく扉を開けると、辞典を持ったハリーが待ち構えていたように大きく振りかぶった。
「死ねえええぇぇぇ!」
だが辞典が投げつけ得られる前に、俺は小瓶の中に入った睡眠薬を振りかける。
以前と同じように、ふらついてよろめき、倒れ込むハリー。彼はまた悔しそうに、俺のことを見上げて言った。
「このままで……済むと……思うなよ……」
ハリーの負け惜しみは無視して、俺はハリーを担ぎ上げると、睡眠薬を吸い込まないように気を付けながら一階へと降りる。
建物の外に出ると、乗って来た辻馬車が待機しており、マイリンは既に乗り込んでいた。俺は気を失っているハリーと共に乗り込むと、御者に行先を告げる。
辻馬車は気持ちの良い速度で街道を飛ばし、昨日一日かけて準備をした空き地までたどり着いた。
ハリーを担いで辻馬車から降りると、俺は気を失ったハリーを日時計の中央まで運び、打ち付けた杭にロープで括り付ける。
「どうする、つもりなんですか……?」
心配そうに俺の作業を見守るマイリンに、俺はハリーの体をしっかりと結びつけながら答えた。
「今回は太陽光を使った儀式をします。この日時計は太陽の光が最大まで強まる正午になると起動し、ハリーに憑依した悪魔を炙り出す術式が書き込んであります」
気を失ったハリーを杭に固定すると、俺は広大な日時計の所定の位置に移動し、ポケットから懐中時計を取り出した。
時刻は午前十一時半。まだ十分時間はある。影の位置を確認し、日時計が問題なく機能していることを確かめてから、俺は懐中時計を仕舞ってナイフを取り出した。
太陽の日差しと熱に、立っているだけで汗ばんでくるが。俺はナイフの状態を確かめると、軽く振って見せる。
これで基本的な準備はすべて終わった。あとは時が来るのを待つだけだ。
「あの……」
儀式に向けて、俺が軽く精神を整えていると。背後で足音がして、俺は慌てて振り向いた。
「日時計の中に入らないでください。下手に踏み荒らされると、術式が崩れる可能性がある」
「は、はい……」
日時計の中に入ろうとしていたマイリンは、慌てて下がって手に持ったハンカチを握りしめる。
俺はそんなマイリンに、額の汗を軽く拭ってから微笑んだ。
「ハリーくんのことが心配なのはわかりますが。これは彼の為にやることですから、どうか俺を信じていただけませんか」
「……」
マイリンは一瞬不安げな顔をしたものの、すぐに力強く頷いてくれた。俺も頷き返すと、中央の杭へと視線を戻す。
日時計の影から、現在時刻が十一時四十分ほどだということが分かる。あとニ十分、何事もなく過ぎていけばいいのだが。
安定性を上げるため、やっぱり少し追加しておこう。そう思い、俺はいくつかの文言を唱えて、ナイフで印を刻む。
「ふぅ……」
追加の準備も終えると、ナイフを下ろして俺は息を吐き出した。時刻は十一時五十分。正午まで、あと十分。
その時だった。杭に縛り付けられたハリーが、呻き声を上げたのは。
「な……」
「ハリー!」
マイリンが叫ぶと同時に、ハリーがゆっくりと顔を上げる。
おかしい。睡眠薬はちゃんと効いているはずだ。文言での強化も行ったのだから、最低でも半日は眠っているはず……。
絶え間なく浮かぶ汗を拭いながら、俺は動揺を抑えつけつつ思考を巡らせる。原因は何なのか、考えてある一つの事実に思い至った。
「まさか、連続で使ったせいで、耐性が付いたのか?」
可能性は十分あり得る。強力であるがゆえに、耐性が付きやすい薬なのだろう。あの薬屋の野郎、そんなこと一切言ってなかったくせに。
ともかく起きてしまった以上は仕方ない。俺は素早く臨戦態勢に突入する。
ゆらりと、ハリーは顔を上げる。その瞳にはフロスティーブルーの揺らめきが垣間見え、童顔には似合わない悪い表情をしていた。
「抑圧の、フロスティ」
「ジャマヲ、スルナ……ボクノジャマヲスルナ!」
耳障りなノイズの混じった声でハリーが、いやハリーに憑依した抑圧のフロスティが言った直後。
頭にぶん殴られたような衝撃が走り、俺は思わずよろめいて膝をつく。
「スカイヴェールさんっ」
襲い来る頭痛に耐えながら、俺は片手でマイリンを制して、よろめきながらも立ち上がった。どうやらマイリンにはフロスティの力が及んでいないらしい。
立ち上がった直後、猛烈な吐き気が襲ってくる。だが儀式の為に日時計を汚すことは許されず、俺は必死に吐き気をこらえながら、正午をただひたすら待つ。
フロスティが宿主に肉体強化をかけるタイプの悪魔じゃなくてよかった。だからこそこの儀式を行ったわけだが、強烈な頭痛と吐き気に耐えながら、襲い掛かる宿主や悪魔を迎撃するのはさすがの俺でも骨が折れる。
「ハナセ……コノナワヲホドケ……」
「ぐっ……」
縛られたフロスティが暴れるたびに、頭痛がより一層酷くなる。頭が割れそうなどころか、もうすでに割れているかと思えるほどだ。
正午まであと何分なのだろうか。口から涎をこぼし、震える手に必死に力を込めてナイフを構え、俺は日時計の影に視線を向ける。
あと五分、いや三分程度で正午だろうか。それまで何とか、耐えるしかない。
「クソ……ハナセ、ハナセッ」
正午が迫り、太陽の発する熱をその身に受けて。さすがのフロスティも動揺を見せ始めた。
口の中に湧き上がって来た胃液を飲み込んで、俺は暴れるフロスティを睨みつけると、ナイフの刃を真っ直ぐ向けた。
しっかりと研がれた俺の獲物に太陽光が反射した時。漸く望んでいた時が訪れたのが分かった。
太陽が天高く昇り、最高潮の光と熱が日時計へと降り注き。
唾を飲み込み、俺が素早く文言を唱えると。日時計に書き込まれた術式が起動して輝きだし、光は真っ直ぐ中央のハリーへと集中する。
「ぎゃあああぁぁぁッ」
熱せられて焼ける音と、悲鳴。俺はいつもより重く感じるナイフをなんとか動かして、「顕現」の文字を刻みつけた。
瞬間、杭から伸びた影が揺らめき、色が変化すると同時に揺らめいて勃起する。
傷だらけの氷のような体をした、フロスティ本来の姿。影に投影された姿が露わになった時、俺は息を吸い込んで汗を拭うと、ナイフの刃を向けた。
顕在化したフロスティが絶叫を上げ、与えてくる不調はより酷いものになる。
が、悪魔と対峙するこの緊張感と高揚感の前には、頭痛も吐き気も気にはならなかった。
太陽光の熱で苦しみ悶えるフロスティに対し、俺は文言を唱えながら「分離」の文字を叩きこむ。
何かが弾ける音がして、フロスティとハリーの接続が切れたことが分かった。ならばあとは、やることは一つ。
ここまで来ると頭痛も吐き気も、自分を駆り立てる一種のスパイスに思えてきた。ナイフを動かす動きにも、いくらかキレが戻ってくる。
素早く「退散」の文字を刻みつけると、フロスティの体が溶け始めた。断末魔の悲鳴は鼓膜を破壊せんばかりだが、手を止めることはしない。
十回ほど、「退散」の文字を刻みつけた頃。溶けて半分以下の体積になりかけていたフロスティ、は最もひどい声を上げて消えていった。
「……」
フロスティが完全に祓われたことを確かめると、俺は短く息を吐き出して、ぐったりとしたハリーに近づくと縛っていたロープを解いた。
倒れ込んだハリーを支えて、呼吸と脈を確認する。特に異常はなく、儀式は無事成功したことが分かった。
後は鏡で成果を確認して、ハリーが目覚めるのを待つだけ。そう思ってから、俺は背後に立つマイリンを振り向いた。
「もう大丈夫ですから、中へどうぞ」
儀式を見守っていたマイリンは、俺の言葉に弾かれたように魔法陣の中へと踏み込むと、倒れたハリーへと駆け寄ってくる。
母親の気配に反応したのか、俺に抱きかかえられたハリーが微かな唸り声をあげ、ゆっくりと目を開いた。
鏡による診察は、少し離れた場所からでも可能なことであるし。親子の対面を邪魔するのは忍びなく、俺はハリーを離すと魔法陣の外に出る。
「ハリー!」
「……か、母さん」
近くに置いておいた道具箱から、鏡を取り出しながら。俺はハリーを抱きかかえる、マイリンのことを見つめていた。
鏡を掲げて小さく文言を唱えても、映った俺の顔が変化することはなく。フロスティは無事、祓えたことが分かった。
これで、文句なしの大団円。なら良かったのだが。
鏡を下ろした瞬間、響き渡った乾いた音に、俺は少しだけ目を見張ってしまった。
目の前ではマイリンが目を覚ましたハリーに、平手打ちをかましたところだった。
「何でこんなことしたのッ、こんな……」
そこでマイリンは一度言葉を区切って、ハリーの襟を掴んで揺さぶった。
「自分自身に、悪魔を憑依させるなんて!」
ハリーの部屋に隠されていた本、それは全て悪魔を召喚・憑依させる手段の書かれたものだった。
最初は悪魔を誰かに憑依させようとして、失敗したのかと思ったが。ページに書き込まれた強調線が、全て「失敗して自分に憑依してしまったとき」に関する項目に引かれていることに気が付いた。
気が付いた直後、鏡でハリーの部屋を調べてみると、悪魔召喚の術式の痕跡があり。しかもわざと失敗し、反動が自分に来るような術式の組み方がなされていた。
つまりハリーは故意に憑依儀式に失敗して、自分に悪魔「抑圧のフロスティ」を憑依させたのだ。
そんな馬鹿なことをした理由は。鏡を仕舞う俺の前で、マイリンはハリーのことを睨みつける。
「何度も言ったでしょう、あなたは『大切な』リンスー商会の跡取りなんだから。醜聞が広まらないようにしなさいって、何度も言い聞かせたじゃない!」
「……」
マイリンがハリーのことを、「大切」に思っているのは確かなことだった。しかしマイリンの思う「大切」と、ハリーの望む「大切」は、後に続く言葉が食い違っていたのだろう。
マイリンは商会の跡取りとして、ハリーのことを大切に思い。ハリーは一人の息子として、大切にされることを望んだ。
しかし一方的に己の思いを押し付けて、自分のことをこれっぽっちも見てくれないマイリンに嫌気が差し。彼女の気を惹くためにも、ハリーは己自身に悪魔を憑依させるという愚行に出たのだ。
もっとも。彼が自分の身を危険にさらしてまで行った行為は、マイリンに一切届いていなかったようだが。
抑圧のフロスティは自身の要求を拒絶したり、宿主を害そうとしたりする相手に頭痛などの苦痛を与える魔法を使う。
しかしマイリンは、従業員が体調不良を訴えたとは言っていたが、自分に関しては何も言わなかった。それは裏を返せば、マイリンがハリーのことをほぼ従業員に任せっぱなしで、魔法の効果対象になるほど構っていなかったということである。
つまりハリーがやったことはほぼ意味がなく、むしろマイリンの一方的な思いを、より増長させる結果に繋がったということだ。
「悪魔を祓ってもらうのも、タダじゃないのよ。それをちゃんと分かってるの、ハリー」
なんて思っていたら。マイリンに説教を食らうハリーが、静かにこちらを見ていることに気が付いた。
「……おじさんが、僕の悪魔を祓ったんだね」
静かな、だがはっきりと憎しみの籠った声で、ハリーは言った。
「なんで、なんで僕の悪魔を祓ったんだよ……ずっと、あのままが良かったのに!」
「金のためですよ。悪く思わないでください」
吐き捨てるように答えて、俺は親子に背を向けた。たとえどんなにねじれ歪んでいようと、いやねじれ歪んでいるからこそ、部外者に過ぎない俺が下手に口出しするべきではない。
「死ね!」
ハリーが背後からそう叫んだ直後、マイリンの怒声が聞こえて、皮膚を叩く乾いた音が数度響き渡った。
俺は置いてあった道具箱を拾って、振り返ることなく空き地を出ると、辻馬車の停留所を目指して歩き出す。書き込まれた魔法陣は、明日の雨が綺麗に消してくれることだろう。
途中で煙草を一本取り出して咥え、マジックマッチで火をつけて煙を吸い込みながら、俺はあの親子のことを思い浮かべた。
昔は親がいるというだけで、幸せそうだと羨ましがったものだが。ハリーを見ていると、親がいるというのも案外大変なのではないかと思う。
それでも。煙草の灰を落として、俺は口から煙を吐き出した。
「恵まれてるんだよ、お前は」
たとえ一方的でも、歪んでいても。親がいて、親に愛されているのだから。
物心ついた時には既に、聖貴教会の運営する孤児院にいて。自分たちを管理するかのように扱う、牧師や修道女が親代わりだった俺からすれば。
母親の気を惹くために、悪魔を自分に憑依させるなんて。随分と贅沢なことをしたものだと、どうしても思ってしまうのだ。
なんて。吸い切った煙草を踏み消すと同時に、俺はじんわりと湧き上がった思い出の残滓をかき消した。
教会から出奔した時に、過去は全て断ち切り、忘れ去ったはずだ。この程度のことで、思い出しているんじゃない。
自分に言い聞かせると、俺は目の前に停まった辻馬車の、御者に片手を上げて乗り込んだ。
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