「Frosty Parenthood」

File1 依頼

 ノックの音に応えるように俺が扉を開くと、そこには一人の女性が立っていた。

 年齢は四十代半ばぐらいで、肉付きがいいものの化粧と服装のセンスによって醜くは感じなかった。ミスティほどではないが、彼女もなかなかいい衣服を身に着けていて、指には金色に輝く指輪がはめられていた。

「初めまして、マイリン・リンスーと申します」

 彼女は扉を開いた俺を認めると、緩やかにウェーブのかかったアンバーの短髪を揺らしてお辞儀をした。

「この事務所の所長にして悪魔祓いの、シェーマス・スカイヴェールと申します」

 俺もお辞儀を返すと、マイリンが入りやすいように扉の脇に移動する。

「さあ、中へどうぞ」

「はい……」

 顔を上げたマイリンは、やや緊張した面持ちで事務所の中に踏み込んだ。この事務所を訪れる客は、決まっていつも同じような顔をして中に入る。

 俺は一度居住スペースに戻ると、外出用の身支度を解いて、残っていたコーヒーを軽く温め直してカップに注ぐ。

 自分用と来客用の、二つのカップを持って事務所に戻ると。来客用をマイリンの前に置き、自分用は持ったまま彼女の前に座った。

「ありがとうございます」

 カップを手に取り、マイリンはルビー色の口紅を塗った唇をつけ、ブラックコーヒーを啜った。どうやら彼女は普通に、ブラックコーヒーがいける口らしい。

 俺も自分のコーヒーを一口飲むと、カップをテーブルに置いて、顔の前でを組む。

「改めまして、マイリン・リンスーさん。スカイヴェール悪魔祓い専門事務所へようこそ」

 マイリンはカップを置くと、事務所の中をぐるりと見回した。

「素敵な事務所ですね、スカイヴェールさん」

「それほどでも。そんな素敵なこの事務所に、あなたは一体どんなご用件でいらしたのですか?」

 問いかけると、マイリンは居住まいを正して、落ち着いた口調で語り始めた。

「私には、今年十三になるハリーという息子が一人います」

 確かに彼女の年齢を考えれば、それぐらいの息子がいてもおかしくないだろう。コーヒーをもう一口飲んで、俺は話の続きに耳を傾けた。

「夫は五年前に病で亡くなり、私は夫の作り上げた商会の経営を引き継いで、ハリーを女手一つで育ててきました」

「商会……もしかしてあなたは、リンスー商会の?」

 思い当たった俺の言葉に、マイリンは頷いた。

「はい。私は現在、リンスー商会の会長を務めております」

 リンスー商会は小規模ながら、品質にこだわった石鹸や歯磨き粉の取引によって、一部の貴族たちから圧倒的な支持を得ている商会である。商品を購入したことはないが、名前ぐらいなら聞いたことがあったのだ。

 そんなリンスー商会の会長が、俺に依頼してくるなんて。前の依頼ほどではないが、今回も報酬には期待できそうである。

 内心でしたたかな打算を思い浮かべつつ、俺はマイリンに話の続きを促した。

「夫が亡くなって、商会の運営を行いながらハリーを育てるのは大変でしたが。ハリーが大人しく聞き分けのいい子だったということもあり、何とか今までやってこれました」

 遠い記憶を思い返すように言ってから、マイリンはふっと現在に戻ってくると、俺のことを真っ直ぐ見つめる。

「しかし最近、そのハリーの様子がおかしくなってしまったんです」

 話が読めてきた。俺はカップを手に取ってコーヒーを飲むと、マイリンに真剣なまなざしを向けた。

「詳しく聞かせてください」

「……ハリーはとっても大人しい子だったんです。私の言うことをちゃんと聞いて、勉強や手伝いにも真面目に励んで、悪い趣味も一切なくて。まさに、リンスー商会の跡取りにふさわしいと言える子でした」

「そんなハリーくんが、どうなったんですか」

「その……急に我儘になったというか、悪い子になってしまったんです」

 込み上げてくるものがあったのか、マイリンは膝の上に乗せた小さなハンドバックから、ハンカチを取り出すと目頭に押し当てた。

 辛そうな様子を見せるマイリンだったが、俺は対照的に首を傾げたい気分だった。

「悪い子に、なってしまったと?」

「ええ。私に反抗的な態度を取ったり、財布の金を抜いてお菓子や衣服を買いあさったり……」

「それは……」

「きっと、ハリーは悪魔に憑かれてこうなってしまったんです!だからお願いです、スカイヴェールさん。ハリーに憑いた悪魔を祓ってください!」

 頭を下げるマイリンに、俺はなんと言っていいか分からなかった。彼女の言うハリーの様子は、悪魔憑きというよりはむしろ……。

「あの、非常に申し上げにくいことなんですが」

「はい、何でしょうか……依頼料なら、多少高額でもお支払いする覚悟は出来ております」

「いえそうではなく……ハリーくんが豹変したのは、悪魔に憑依されたからではなく、反抗期を迎えたからではないでしょうか」

 ハンカチを持った手を下げて、きょとんとした表情を浮かべるマイリンに対して、俺は説明を続ける。

「ハリーくんは今十三歳でしたよね。あのぐらいの年頃の子供、特に男の子は、母親に無条件で反抗しがちになるものなんです。だから―――」

「ハリーに限って、反抗期なんかあるはずがありません!あの子は絶対に、悪魔に憑かれてるんです!」

 ハンカチを握りしめた手で、マイリンは机を叩いた。顔には怒りと苛立ちの表情が広がっていて、彼女は俺を睨みつけてくる。

「従業員にも教会の悪魔祓いさんにも、同じことを言われました。悪魔に憑かれてるんじゃなくて、単なる反抗期だって。でも絶対に違うんです、だからあなたのところに来たんじゃないですか!」

「分かりました、分かりましたから落ち着いて……」

 目の前のカップを投げつけんばかりのマイリンを、俺は両手を見せて何とか制する。

「一方的に決めつけて申し訳ありませんでした。判別の為に、もう少し詳しいお話を聞かせていただけませんか」

 速やかな謝罪と追加の質問に、いきり立っていたマイリンもいくらか落ち着いたようで、息を吐き出すと来客用のソファーに座りなおした。

「すみません……他の人たちに何度も軽くあしらわれてしまったせいで、ついかっとなってしまいました」

「いえ大丈夫です……」

 悪魔に比べればこんなもの、些細なことである。もっともそう口に出して言うことは、絶対にしないのだが。

「で、ハリーくんが悪い子になったと聞きましたが、他に何か変化はありますか。例えばハリーくんの姿が変わったり、周囲の様子がおかしくなったり、ということです」

 この前の悪魔の煙のような低級悪魔は、人間に取り憑いてもせいぜい暴れるぐらいが関の山だが。中級以上の力を持った悪魔になると、他人を誘惑したり憑依したものに強力な力を与えたりという、悪魔の魔法を施行する者も出てくる。

 話を聞く限り、ハリーに憑いている悪魔は中級以上でありそうだが、だとしたら悪い子になる以外にも、被害が出ているかもしれない。

 そう思っての問いかけなのだが。マイリンは顎に手を当てて、少し考え込む様子を見せた。

「ええと……そういえば。関係ないことかもしれませんが、ハリーの様子がおかしくなってから、体調不良で休む従業員が増えたんです」

「体調不良」

「頭痛や吐き気、不眠などです。単に自己管理が行き届いていないだけかと思っていましたが……」

 そこでマイリンは、何かに気が付いたように手を叩いた。

「そうだ。体調不良になったのは全員、私が忙しい時にハリーの面倒を見るように頼んだ従業員でした」

 聞いて正解だった。ただ反抗期なだけだったら、いくら対応に手を焼いても、子守りを言いつけられた人間が立て続けに体調不良で休むことは滅多にないだろう。

 マイリンの言う通り、ハリーは悪魔に憑かれているのかもしれない。俺はカップを手に取って残ったコーヒーを飲み干すと、顔を上げてマイリンに言った。

「ハリーくんのこと、一度詳しく診てみましょう。もし悪魔に憑かれているのなら、祓わなければ危険ですから」

「本当ですか?ありがとうございます、スカイヴェールさん!」

 さっきとは打って変わった嬉しそうな表情を浮かべて、マイリンは俺に再度頭を下げた。

「ハリーのことを、よろしくお願いします。あの子は夫の形見で、私の大切な宝物なんです……」

 母というものは子供のことを、この世の何よりも大切に思うものだと、前に何かで読んだことがある。

 本当かどうか俺には分からないのだが、マイリンの態度を見るとあながち間違ってないのかもしれない。

 報酬についてマイリンと話しながら、俺はぼんやりとハリーのことを考えた。

 ハリーがどんな少年なのかは分からないが。母親にこんなにも愛されている彼が、少しだけ羨ましく感じた。

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