07――あおいの休日


 今日は仕事が休みの日。それと同時に、声優のレッスンを受ける日だ。


 専門学校を卒業した私だけど、残念ながらプロダクションに仮所属すらできていない。声優の専門学校によく書かれている就職率99%っていうのは、養成所に所属した分も含まれるのだ。


 私もその他大勢の人達に漏れずに、週に1回レッスンを受けることができる養成所に進学(?)した。他の友達もプロダクションの下にある養成所に入ったり、劇団に入ったりと仕事に直結する様なポジションにはまだ全然届いていない。でもいつかは、と思いつつ私達は一握りの人数しかなる事ができない声優という職業に向けて、日々頑張っているのだ。


 レッスン場――とは言っても、雑居ビルの中の会議室なんだけど――に到着した私は、クラスメイトに挨拶してから隣の部屋へと移動。椅子とか長机とかを置いてある物置みたいな部屋なんだけど、女子専用の更衣室として使わせてもらっている。そこで運動用のTシャツとジャージのズボンに着替える。


「あお、今日の課題やってきた? 私、全然時間が取れなくてさー」


「なんとかやってきたよ、今の仕事はちゃんと週休二日だから、近所の公園で練習してきた」


 友達に聞かれて苦笑しながらそう答える。普段の生活はもちろん大事で、そちらに重きをおいたせいで課題ができない事もあるだろう。でも、私達は何のために少ない休みにわざわざこんなところに来ているのか、もちろん声優になるためである。


 課題はそのために必要だから、講師から出されるのだ。それをやらずに来るなんて、ここに何をしに来ているのかと呆れてしまう。時間がないのはみんな一緒なのだ、それを必死にやり繰りしてなんとか練習時間を作り出しているのだから。


 ちゃんとやろうよとは思うけど、それを強制する権利もないしそんなつもりもない。だって彼女だって自分で判断できるいい大人なのだから、するもしないも彼女の自己責任だ。


 柔軟しながらそんな事を話していると、講師の西園寺さんが入ってくる。トレードマークの帽子を被って、いつも通りの黒尽くめな格好だ。『西園寺さんって何歳ぐらいなんだろうね』と養成所のみんなで話し合った事はあるけれど、結局のところ結論はでなかった。でも私が生まれる10年以上前のアニメに出演されている記録があるので、大ベテランなんだと思う。


 実績って大事だと思う。それによって教えてもらう側のこちらにとっても、言われた事への信用度が変わってくるからだ。つまり何を言いたいかと言うと、西園寺さんは私にとってとても信頼している先生であり、尊敬している先輩でもあるという事だ。


 ちなみに何故西園寺さんと呼んでいるかというと、本人からそう呼べと言われているからだ。レッスン初日にクラスメイトが『先生』と呼びかけたら、にこやかだった西園寺さんの雰囲気が一変した。


 そしてにっこりと凄みのある笑顔で笑うと『私はあなた達の先輩ではあるけど、先生ではありません。なので先生とは呼ばずにさん付けで呼びなさい』と言い放った。最初はその言葉の意味がわからなくて呆然とした私達だったけれど、その圧力に負けて全員で揃って『はい』と返事をしたのをよく覚えている。


「それじゃあ、いつもの体操からいきましょうか」


 本格的な演技レッスンに入る前に、西園寺さんが考えた骨盤の歪みを正す体操をみんなで行う。骨盤が歪む事により姿勢が悪くなるらしく、現代の声優はスタジオに引きこもってアフレコだけしていればいいという訳でもない。人前に出る仕事も多いのだから、美しい立ち姿をするべきだというのが彼女の弁。


 私としてはずっと座り仕事だし骨盤も歪んでそうだからありがたくやってるけど、男子も同じ様にやってるのがちょっとだけ面白いと思った。腰を折って上半身をダランと重力に逆らわずに垂らせると、腰を使って左右にぐるんぐるんと振る。扇風機の首振りみたいな回転と言えばわかりやすいだろうか。


 それが終わると、皆で円を作って『ちゃんかちゃんか』と歌いながら盆踊りの様に踊りながら前に進む。阿波おどりなんて養成所に入るまでに踊った事はなかったけど、こうしてやってみると案外楽しいものだ。これもただ漫然と踊っていても意味がないので、楽しいという感情を呼び起こすためのものだ。日本って感情を出す事をダサいとかカッコ悪いっていう風潮があって、みんな自分の感情を抑える事に慣れてしまっているからね。それを払拭させるためのものらしい。


 5分ぐらいずっと声を張り上げながら踊っていると、ようやく演技指導だ。私達は飲み物と汗を拭うタオル、そして与えられている課題のプリントを持って各自円を作る様に床に座る。


「はい、じゃあ自信がある人」


 西園寺さんが言うと、私を含めた数人の手が挙がった。ここは既に義務教育でもその延長線上の高校の授業でもない。やる気を見せないと練習した成果も見てもらえないし、アドバイスももらえないのだ。初日は誰も手を挙げなかったけど、早めに演技を見せた方が時間をいっぱい使ってもらえるし、落ち着いて残りの授業時間を過ごせるとわかってからは積極的に手を挙げる様にしている。


「では、村田。いきましょうか」


 私は体が小さいからできるだけ高く手を伸ばして挙手をしていると、見事に西園寺さんの指名を勝ち取った。よしよし、今回も最初に指名してもらえた。後は練習してきた通りに演じるだけだ。


「はい!」


 大きく返事をして、ぽっかりと空いた真ん中のスペースに立つ。皆の視線が私に集中するけど、一際圧を感じるのは真正面に立つ西園寺さんの視線だ。気にするのはそれだけでいい、その他の要素は集中の邪魔にしかならないのだから気にしない。


 演技開始のきっかけとして、西園寺さんが大きく手を打つ。それを聞いてから、私は台詞を紡ぐために大きく息を吸い込んだ。

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