【16話】真実の記憶 〜side:オールドマン〜
「良かった! 本当に⋯⋯良かった⋯⋯!」
ストロマ村で一番大きな村長の家。その客室にアランベール王がいた。ベッドに横たわるオールドマン男爵の腹をさする。
「あの陛下⋯⋯。私のお腹を触るの⋯⋯やめてくれないだろうか⋯⋯?」
「ああ。すまない。心配でつい!」
「そんな手付きではなかったのですが⋯⋯。なんだかイヤらしい⋯⋯」
「不純な気持ちはないぞ! 将来、俺の子が宿る腹に傷が付いていないか心配だったのだ」
「それが不純というのですよ。我が王!」
「本当に心配だったんだ。ストロマ村がドラゴン御襲われたと聞いたときは、気が狂いそうだった」
「ご心配いただき、ありがとうございます」
「オールドマン男爵は勇敢な騎士だからな。領民を守るため、ドラゴンに挑みかかったのではないかと思っていた。そして、実際その通りだった」
「二人きりですから、この場ではギャリーで構いませんよ」
襲撃の報せを聞いたアランベール王は、すぐさま国軍を率いてストロマ村に急行した。
既にドラゴンは去った後で、ストロマ村の周辺だけが火災を逃れていた。
「ドラゴン襲撃の原因はおそらく地下水路の工事だ。冒険者組合と教会騎士が合同で調査しているが、廃鉱にドラゴンが潜んでいたんだ。森番の夫妻が暮らしていた岩屋の近く。そこに痕跡があった」
「⋯⋯そうでしたか。眠っているところを起こしてしまったのかもしれませんね」
「ギャリーが冒険者を雇っていたから、村には手を出さなかったんだろう。人家や農地に被害はなかった。対火防壁のおかげだ。それと風向きにも恵まれた」
本当は違う。ベアトリアが配慮してくれたのだろう。だが、オールドマン男爵は約束を守り、口をつぐんだ。
赤竜は汚染されていた大地を焼き払い、古代のドワーフ達が残した負の遺産を消滅させてくれた。
「陛下、水路はどうなりました⋯⋯?」
「時間はかかるが復旧できるはずだ。もう途中までは水が来ているらしい」
「その⋯⋯水質ですが⋯⋯問題は起こっているでしょうか?」
「水質? ん〜。ああ、灰が混じっていて、飲むには布で濾過しないと駄目ってくらいだな。視察したときに飲んだが、普通に美味しい水だった」
「え! 飲んだんですか!? 陛下が!?」
「王様だって水を飲む。そんなに驚くか?」
「そうではなくて⋯⋯その⋯⋯。汚れていたかも⋯⋯」
「馬が飲んで平気だった。人間が飲んだって平気だよ。元々はラデイン河の水だろ。何を驚いてるんだ。俺以外にも飲んだ。腹を壊した奴はいないよ」
「安心しました」
「もっとも喜ばしいのは死者がいないことだ。これだけの事件が起きたにも関わらず、死者がいない! まさに奇跡だ! 創造主グラティアと開闢者デウスに感謝だな」
「そうですね。それと森を焼いたドラゴンですが、追跡の必要はないと思います。大きな被害は出ませんでした。追いかけまして、余計な被害を出さないほうがよろしいでしょう」
「ドラゴンについては冒険者組合と教会が管轄だ。まったく酷い争いだよ。巣穴の調査でも揉めに揉めた。どちらが主導するかでね。仲裁する私はうんざりだ」
「王のお仕事です」
「いいや、そんなのは仕事ではない! 傷ついた家臣を見舞う。これこそ王の仕事なのだ!!」
「昔から変わりませんね。陛下」
「そういうギャリーは変わったな。昔は髪が短くて男と勘違いしていた。今でも少し疑っているがな。いつになったら、胸は大きくなるんだ。俺のほうが大きいぞ」
「陛下は良いものを食べすぎて太っただけです。少しは運動をすべきですね」
「はははははははは! はぁ〜。うん。とにかくギャリーが無事で良かった」
アランベール王は話を一度区切る。そして、似合わない真面目な口調で切り出した。
「⋯⋯悩みの種だったアンクハースト辺境伯だが、思わぬ形で決着がついたよ。教会の異端審問官が片づけてくれた」
「聞いています。罰が下った。それを行ったのが教会だったというだけです。自分の手で解決できると思ってはいけません」
ベアトリアから聞いた話を思い出していた。アンクハースト辺境伯の逸話。
高潔な騎士だったという開祖が、子孫の醜態をあの世で知ったら、嘆き悲しんだことだろう。
「それなんだが⋯⋯少し奇妙なんだ。アンクハースト辺境伯の悪行。教会も物証は掴めていなかった。だが、誰かが密告して、教会の上層部を動いたようなんだ」
「密告ですか?」
「ストロマ村を訪れていた女魔術師が倒した⋯⋯えっと⋯⋯ゾンビを作っていたとかいう⋯⋯」
「ルナローネ?」
「そう。そいつだ。その女が使っていた工房と隠れ家を教会に教えた奴がいる。どうせ密告するなら、教会じゃなくて王である俺に言ってほしかったな」
「⋯⋯私に心当たりはありませんよ」
これに関しては本当に心当たりがなかった。
ルーファやベアトリアが動いたとも思えない。アンクハースト辺境伯が処刑されたとき、まだ2人ともストロマ村に滞在していた。
ルナローネの工房を探し出し、教会に情報を流すことは不可能だったはずだ。
「そうなのか。てっきりギャリーの協力者かと思ってね。ルナローネを圧倒した魔術師。ぜひスカウトしたい。相当なバストサイ⋯⋯実力者だったのだろう?」
「⋯⋯陛下、村人から話を聞いたのですね?」
「誤解するな。ちょうど宮廷魔術師を探しているんだ」
「もうこの国を去ってしまったと思います。ストロマ村に立ち寄ったのは偶然でした。もう1回くらい会いたいですね。ちゃんとお礼を言いたいです」
その後、いつまでも居座ろうとするアランベール王は、厳つい顔の秘書官に掴まれて連行されていった。
◇ ◇ ◇
ベッドに横たわっていた1週間、オールドマン男爵はずっと考えていた。
(ルーファ君には感謝してもしきれない。もちろんベアトリアさんにも⋯⋯)
自殺に失敗し、地下水路に寝かされていた。つまり、助けてもらったのだ。
命を捨てる覚悟だったが、2人は自分を信じてくれた。
(私も2人の信頼に応えよう。良き領主、規範となる貴族にならねば⋯⋯)
歩けるようになって、最初に向かおうとしたのはルーファの両親だ。森番のガルシモッドには息子であるルーファの行方を義務がある。
(しかし⋯⋯、ルーファが両親にも秘密にしていたなら⋯⋯。困ったことになるな)
口を噤むべきだろうかとも迷う。
「男爵様、森番のガルシモッドと奥方のアンドラ様が参られましたよ」
「ありがとう。ハルトラ。お通ししてくれ」
本当は森番の住む岩屋まで足を運びたかった。しかし、まだ体調が本調子ではない。山道を歩かせるわけにはいかないと神官のハルトラに止められ、村の集会所で会うことにした。
「体調はもうよろしいのですか。オールドマン男爵」
「もし薬草が足りなければ、おしゃってください。森は焼けてしまいましたが、採取できる箇所はあります」
「ガルシモッド、アンドラ。2人とも、わざわざ呼びつけてすまない。私は問題ないと思うのだがハルトラに止められてしまったんだ」
「無理はいけませんわ。オールドマン男爵」
「はぁ。困ったな。私はそっちの名前は嫌いなんだ。どうしてギャリーって呼んでくれないんだろうか?」
「男爵。ギャリーは先代が飼われていた犬の名前なのですよ。なぜ由緒あるご自身の家名を嫌われるのですか」
ハルトラは主人を窘める。
「犬だろうと私の親友だ。私より勇敢だったぞ。立派な名前だ。本名より気に入っている」
オールドマン男爵は本題を切り出したいが、ハルトラが居合わせている。どう会話を誤魔化すかで悩んだ末に、言葉を紡いだ。
「ルーファ君について、手紙をもらっていたりするかな?」
「⋯⋯?」
「ほら、えーと。ストロマ村を救ってくれたベアトリアさん。彼女に弟子入りしたご子息のことだよ」
これで通じなければ、ハルトラがいないときにもう一度話すしかない。オールドマンは伝わることを祈って、遠回しに聞いてみた。
ところが、ガルシモッドとアンドラは首を傾げている。
「ベアトリアさんから手紙はもらっていません。彼女は遠い親戚の知り合いで、実はそこまで親しくないのです」
「そうか。いつかお礼を言いたかったが、その機会はなさそうだな。本当に残念だ」
連絡は取り合っていない。そういうことだと頷いた。しかし、ガルシモッドは変なことを言い出した。
「ところで男爵、ルーファ君とは誰ですか?」
「何を言っているんだ? 君達の息子だろ」
「息子⋯⋯? 俺達に息子はいませんよ?」
オールドマン男爵は苦笑いする。
ドラゴンとの関係を隠すために、息子の存在を消そうとしている。だが、その嘘はには問題がたくさんある。
(無理がある。ルーファ君の活躍は大勢の村人が見ていたんだ。そもそも買い出しで何度も村を訪れていたじゃないか⋯⋯。その嘘はきつい。ハルトラが怪しんでるぞ。不味い。どう誤魔化そうか⋯⋯)
神妙な面持ちでハルトラは主人に耳打ちをする。
「男爵様。勘違いされておりませんか。ガルシモッド様の奥方、アンドラ様は過去の負傷で子を産めない身体です⋯⋯。ご夫婦に子はおりません」
「は?」
オールドマン男爵はハルトラを見詰める。
嘘は言っていない。子どもの産めない夫婦に失礼だから、間違いを正した側近の顔だ。
「息子がいただろう? ルーファという赤毛の少年が⋯⋯」
「赤毛の少年? この村にそんな子はいなかったと⋯⋯」
オールドマン男爵は口元を押さえる。
思い当たったのはベアトリアだ。村を去るとき、魔術で記憶を消した。そう思えば納得できる。
「3人に聞きたい。君達はベアトリアさんを覚えているか?」
「ええ。村を救ってくださった魔術師の方です。忘れるはずがありません。美しい方でしたね。それと、とても異性を惹き付ける身体をしてらっしゃる。豊穣の女神様を連想させる御方でしたね」
「酒太りですよ。あれは。大酒飲みです。アンドラも相当飲むんですが、まったく勝負になっていませんでした。だから、うちのアイドラは普乳止ま——」
「男爵の前で下世話な話はやめなさい。申し訳ありません。うちの愚夫が⋯⋯」
「痛えなぁ⋯⋯もうぅ⋯⋯。殴ることはないだろ」
オールドマン男爵は困惑する。
3人ともベアトリアは覚えてる。しかし、ルーファの存在を3人とも覚えていない。
——矛盾している。
ドラゴンだという正体を隠すためなら、記憶の改竄で消すべきはベアトリアだ。しかし、3人の記憶から抜けているのはルーファだけ。
(赤髪の少年⋯⋯。ルーファを誰も覚えてない?)
ガルシモッドとアンドラは黒髪と茶髪。あんな鮮やかな赤髪の子どもが産まれるだろうか? 親子だと言われたとき、オールドマン男爵は疑問を抱かなかった。
(なんで気付かなかったんだろう。似ていない。両親のどちらとも⋯⋯。容姿の特徴がかけ離れている⋯⋯。並んでいたら、とても親子には見えない)
記憶を呼び起こす。ガルシモッドを森番に任じたのはオールドマン男爵だ。その際、家族構成も確認した。
(思い出した。移住するときに私はガルシモッドから聞いた。自分に子どもはいない。妻だけ⋯⋯。家族は1人⋯⋯)
そうであったとしたら、ルーファとは誰だったのか。
(最初の村に来たとき、どうして私は森番に息子がいると思い込んでいたんだ⋯⋯? 森番の夫妻に子どもがいる。私は⋯⋯なぜ⋯⋯?)
水路工事の現場に毎朝、食料と水を運んできた少年。オールドマン男爵は覚えている。
「ハルトラ。頼みがある。ストロマ村の住民に確認してくれ。『ルーファ』という少年を知っているかと⋯⋯」
「人捜しですか?」
「ああ。そうだ。誰か1人でも知っている住人がいたら、私のところに連れてきてくれ」
オールドマン男爵の指示を受けて、ハルトラは調査を行った。しかし、ストロマ村の住人でルーファを知っている者はいなかった。
◇ ◇ ◇
たった一人、目の悪い村長は知っていると言い張った。
——怪しい奴じゃから、儂の友人がずっと見張っていたんじゃ!
村長は
虚言だと聞き流されてしまった。
「酷いもんじゃろう? どいつもこいつも儂をボケ老人扱いじゃ!」
巨大な
「森は再生しそうかのう?」
「そうか。数年はかかりそうか。しかし、鉱毒が消えたのなら、まあよいじゃろう。面倒をかけてすまんのう」
精霊と対話できる村長は、
事情を知らない者からすれば、村長は言葉を理解しない
「ああ。そうじゃな。深入りはせぬよ。もういなくなったのだ。やっと村が平和になる」
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