【15話】愛の告白

「⋯⋯ごめんなさい。僕のせいだ。僕が余計なことをしたせいで、ベアトリアは要石の1つを蹴り砕いてしまった」


「ルーファの件は関係ない。確証を得たのは昨日だ」


「嘘だよ。だって、ベアトリアはルナローネと戦っていたとき、一瞬だけ焦っていた。大地を操る魔術をルナローネが使おうとした瞬間だけ本気で戦った。⋯⋯僕は気付いたよ」


 ルナローネがどんな魔術を使おうと余裕の表情だったベアトリア。そんな彼女が見せた焦燥の顔。


 あれは大地を操る魔術で、汚染された土壌が出てくるのを恐れたからだ。


 ——だって、ベアトリアはルナローネに負けない。実力差がありすぎる。だったら、もう理由は明白だ。


「ルナローネと戦った1カ月前には気付いてたよね。この森の地面は汚染されてるって⋯⋯。ごめん」


「要石がなかろうと私なら結界を作り直せる。水路は無駄となるが、村の井戸に汚染水が流れ込むのは防いでやろう」


「ベアトリアさん。汚染水を土壌を浄化する魔術はないのだろうか?」


「あるにはある。しかし、処理量が膨大だ。つまりはコストの問題だ。ドワーフは鉱山を放棄した。それが何を意味するか、分からぬほど貴様は愚かか?」


「そうだな。その通りだ。無理な願いを言った。申し訳ない」


「なぜ私に謝るのだ。誰かに責任があるわけではなかろう。ルーファの願いだ。結界の再構築に関しては見返りは求めぬ」


「ベアトリアさん。貴方は⋯⋯優しい人だな。ありがとうございます」


「水路を塞げ。水の流入を押さえ込む必要がある」


「⋯⋯村人には私から説明する。ギャリーとしてではなく、領主オールドマン男爵として⋯⋯」


 アンクハースト辺境伯の妨害を撥ねのけ、やっとの思いで完成した水路を埋め直す。


 それをお願いするのがどれだけ苦痛か。想像するだけで僕は胸が苦しくなる。でも、そうしないとストロマ村の井戸水が汚染されてしまう。


(森の地下、深層が汚染されているなら、ストロマ村は大規模な農業ができない。水は限られている。しかも、開墾できる土地も⋯⋯)


 それを村人達が知ったらどうなるだろう。将来性のない土地に根付いてくれるだろうか。


(今回の件でアンクハースト辺境伯の一族は領主として終わる。隣領が正常化したら、流れてきた移民は⋯⋯きっと戻ってしまう⋯⋯。あっちの土地は肥沃だ)


 皮肉な事態だ。民のことを一生懸命に考え、苦労していた領主が泣いている。


 努力は必ず報われない。


 善行をしても結果は伴わない。


 不運、巡り合わせの悪さ。


 そんなもので善人が不幸になる。


(——認められない)


 何か方法があるはずだ。全員が幸せになる飛躍的な手段。ペテンでもインチキでもいい。


 僕は世界の不条理に屈しない。オールドマン男爵は報われない。そんな結末は叩き潰してやる。


「ルーファ⋯⋯? どうした?」


 赤竜ベアトリア。ドラゴン。白竜大戦の生き残り。魔術を極め、その腕前はおそらく大陸でも随一だ。


 そう、偉大なドラゴンだ。今は美しい女性の姿をしている。だけど、本当の姿は巨大な竜。まるで砦のような大きさだった。


 300年間ずっと孤独に生活していた哀れな女性。そうだ。森番の一家が暮らしている岩屋の裏山。廃棄された鉱山に隠れていた。


 僕は答えを得た。


「——僕と結婚しよう。赤竜ベアトリア」


 よろけた。強大な力を持つドラゴンは歓喜し、そして青ざめていた。なぜなら、僕のプロポーズを聞いたのはもう1人いる。


「え?」


 騎士ギャリー。本当の身分はストロマ村の領主オールドマン男爵。貴族の一員であり、国王とも親しい女性だ。


「口封じでオールドマン男爵を殺したら、僕は結婚しないぞ。レッド・ドラゴン」


 機先を制する。正体を暴露されたベアトリアは僕を初めて睨みつけた。


 常軌を逸している。そう思われても仕方ない。


「何を言っているんだ? ドラゴン? ベアトリアさんが⋯⋯?」


「ルーファ? 何を考えている? 正気か!?」


「返事を待ってる。僕はプロポーズした。赤竜ベアトリアの答えを知りたい」


「なぜだ。なぜこの女の前で私の正体を言った? 知られた以上は殺さねばならん。秘密を知られた。私を殺したがっている奴は大勢いる。私があの戦争を生き延びていると知られたら⋯⋯」


「一生をかけて君を守るよ」


 僕はベアトリアの手を握る。


「僕の話を聞いてほしい。汚染された土壌を浄化する方法はあるよね。ドラゴンだから言えなかったんでしょ。でも、今なら言えるはずだ」


「⋯⋯⋯⋯っ!」


「森番の一家はね。ストロマ村の井戸水を使ってない。山峡の湧き水で暮らしてきた。そうなると不自然なんだ」


 ——僕らが使ってる湧き水は汚染されてない。


「ドワーフは鉱山を捨てた。その後に住み着いて、ずっと鉱脈を採掘をしていた人がいる。君だよ。赤竜ベアトリア。白竜大戦が終わってから300年間、ずっと君は裏山で隠れ潜んでいた」


「それが何だというのだ」


「ドラゴンは鉱石を食べる。ドワーフと同じで鉱脈を掘ってるんだ。ベアトリアは鉱脈が枯渇していないのを知っていた。それは自分が普段から利用しているからに他ならない」


「⋯⋯⋯⋯何が言いたい」


「採掘で生じた汚染土や汚れた水。それを浄化する方法がドラゴンにはある。それもドワーフ族ではできない大規模な浄化処理だ。ベアトリアなら、ドラゴンなら森の汚染土を解決できる」


「浅はかだぞ。そんな穴だらけの憶測で、私の正体をばらしたのか?」


「森番の一家が使っている山峡の湧き水。もしベアトリアが鉱山汚染を処理しきれていなかったら、あの水だって汚染されてるはずだよ」


 僕はもっと確かな証拠を握っていた。


「ベアトリアの隠れていた廃鉱。1カ月くらい前、僕は縦穴に落ちて迷い込んだ。初めて会ったときベアトリアはこう言っていた」


 記憶を手繰り寄せ、ベアトリアの台詞をそっくりそのまま述べた。


 ——この巣穴は竜毒で満たされている。ほかにも強力な呪術式を施し、外部からの侵入を阻んでいた。何ら対策をしていない人間であれば死は免れぬ。


「僕はベアトリアに選ばれた人間だ。だから、竜の毒や呪いは効かなかった。でも、鉱毒は別だ。さっき僕が溜め池に近付こうとしたら、ベアトリアは止めた。僕にとっても有害なんだ」


 僕は結論に到達する。ドラゴンには鉱山の汚染を除去する特別な力がある。


「ベアトリアが潜んでいた坑道は、採掘で生じるはずの汚染が消えている。そうでないのなら、僕は鉱毒に冒されなかったのはなぜ? 説明できないよね」


「⋯⋯⋯⋯」


「勝手なことをしてごめん。でも、僕はストロマ村の人達を⋯⋯オールドマン男爵を助けてあげたいんだ」


「この女に裏切られたらどうする? 私の情報を教会や神殿に売り、私が討伐されれば、この女は莫大な富を手にするぞ。善人は損をする。助けた者に殺される。恩を仇で返す者もいるのだぞ」


「それでもいいよ。僕は見返りがほしいわけじゃない。我が侭なんだ。自分が納得したいだけ」


「私が全ての問題を解決したとしよう。それが原因で村人達は争い始めたら? ストロマ村の人々は全員が貧しい。だが、村が町となり、都市となったとき、長閑な生活は終わるぞ」


 ベアトリアはオールドマン男爵に目を向ける。竜の眼だ。真紅の竜眼。万物を支配する威厳を放つ強者の視線で、領主の若娘を睨む。


「ベアトリアは変化が嫌いなのかな?」


「淀むぞ。今は高潔であれ、人は変貌する」


「ベアトリアさん。私は⋯⋯受けた恩義を忘れる恥知らずではありません。たとえベアトリアさんがドラゴンだろうと」


「貴様の子孫はどうだ。オールドマン男爵よ。貴様はアンクハースト辺境伯を蔑んでいたな。領主の資格がないと。だが、私は奴の先祖を知っている。白竜大戦でアンクハーストの美談を何度も聞いた」


「え⋯⋯。美談⋯⋯? まさかあれは⋯⋯事実なのか⋯⋯?」


「その反応は知っているのだな。アンクハーストの逸話。一族の誇示するため、後裔がでっち上げた作り話だと思っていたか? 違うぞ。アンクハースト辺境伯の開祖は、万人が認める善良な騎士だった」


「⋯⋯そう⋯⋯なのか。ははははっ⋯⋯。なんてことだ。王都で開かれる新年の祝賀パーティで顔を合わせる度、先祖の自慢話をしていたが⋯⋯そうか⋯⋯」


 狼狽したオールドマン男爵は力なく笑う。


「少しくらい、真面目に聞いておくべきだった」


「私はストロマ村を救わない。ルーファの行為は尊い善行だ。しかし、だからこそ、私は従いたくないのだ」


「どうして? 何で? ベアトリア!」


「裏切られたとき傷つくのはルーファだ! 私の父親そうだった。世のため、人のため。自分の幸せを投げて、人々のために尽くした。私の父に助けられた連中は、どんな返礼をしたと思う? 私の父に石を投げ、焼き殺そうとした!」


 憎悪を篭もった声だった。


「私は母親が⋯⋯赤竜王が大嫌いだ。しかし、死のうとしていた父を強引に救い出したことだけは尊敬している! 他人を軽々しく信用するな! 善人は利用されて、ゴミのように捨てられる。そんな失敗した人生を送るべきではない!」


「救える人を救わないのはおかしいよ。理由になってない! 誰かを助けるために力はあるんだ。失敗すると決めつけて、何もしないなんて僕には堪えられない!」


 僕はベアトリアに反論する。


 揺るぎない信念をもってドラゴンに立ち向かう。

 

「人は堕落する。ベアトリアさんの言い分にも一理ある。私が欲に駆られて⋯⋯、あるいは自己中心的な言い訳をするなら、止むにやまれない理由で、ベアトリアさんを売るかもしれない。——だから殺してくれ」


「何だと?」


「私を殺せば秘密を知る者はいない。いや、だめなのか。私を殺すとルーファ君は結婚を取りやめると言っていた。それなら仕方ない」

 

 オールドマン男爵は刺突を抜いた。そして、自分の腹部に突き刺した。


「——自殺しよう。これで文句はあるまい?」


「なんだ。この女? 狂っているのか?」


「刃に毒が塗ってある。しばらくすれば失血か毒で死ぬ。ははははっ。痛いな⋯⋯。くぅ⋯⋯はぁはぁ⋯⋯。アンクハースト辺境伯の喉に突き刺すつもりで買ったのに、まさか自分用になるとは⋯⋯」


「どういうつもりだ? 何なのだ。貴様らは?」


「偉大なるドラゴンよ。貴方の懸念を払拭する。私の口から秘密は漏れない。ここで私は死ぬ。私の後継はいない。王に領土をお返しする」


「無駄死にだ。もっとまともな人間だと思っていたぞ」


「秘密が漏れなければいい。そうだろう! ドラゴン! 私は自らの口を封じた! だから、どうかストロマ村の人々に希望を与えてほしい!! 虐げられてきた者達に安寧を与えたかった! ⋯⋯頼む! 貴方に縋るしかない。やっとここまで⋯⋯これたんだ⋯⋯どうか⋯⋯!」


 領主は倒れた。


 腹部を貫通したレイピアは致命傷だった。たとえ毒が塗ってなくても死に至る深手だ。


「揃いもそろって⋯⋯。理解が及ばぬ⋯⋯」


 ベアトリアはずっと僕に甘かった。でも、その悪態は僕にも向けられてた。


「我が侭なんだよ。僕らヒュマ族は⋯⋯。ドラゴン族とは比較にならないくらい」


「そのようだな。死に急ぎの阿呆にこの薬を飲ませろ。妖精の粉を混ぜたヒーリング・ポーションだ。死なれると寝覚めが悪い」


「ありがとう。助けてくれるんだ。やっぱりベアトリアは優しいね」


「⋯⋯先ほどの告白。一生をかけて私を守ってくれると言ったな」


「うん。奥さんを守るのが夫の役目だ」


「頼もしい言葉だ⋯⋯。どんな結果になろうとも受け入れよう。良かろう。ルーファと共に終わるのならば本懐である」


 ベアトリアは真の姿を解き放つ。


 両翼が空を覆う。赤鱗の大竜が降臨した。


「我が名はベアトリア=ヴァーミリオン。勇者殺しの猩紅竜しょうこうりゅう


「勇者殺し⋯⋯」


「そうだ。私は白竜大戦で勇者アイギスを殺した悪竜だ。戦死したと思われている。だが、再び世に名を知らしめるとしよう」


「どうやって土壌の汚染を浄化するの?」


「竜炎だ。ドラゴンの吐く火炎は鉱毒を無害化する。毒は毒を持って制する。竜毒は微量であれば、鉱毒を浄火できるのだ。——ゆえに、この森を焼き払う」


「鉱毒さえなくなれば、森はいつか再生する。森の動物には申し訳ないけど盛大やろう! 僕とベアトリアの結婚式だ」




 ◇ ◇ ◇




 ——ストロマ村の近郊、突如として現れた巨大な赤竜は山々の木々を焼き払った。


 火の手はストロマ村の寸前と止まった。


 居合わせていた冒険者パーティーは住民を守るため、破魔結界を基点に対火防壁を構築。ドラゴンの襲撃に備えた。


 どのような目的で、赤竜がストロマ村を襲ったのかは定かではない。森を焼き払った赤竜は、村には手を出さず、日没と同時に姿を消した。


 奇跡的に犠牲者は出なかった。


 負傷者は竜炎を直視し、眼を痛めた者が数名。そして、傷を負った領主オールドマン男爵が救助された。


 オールドマン男爵は地下水路に逃げ込み、難を逃れたと後の聞き取り調査で答えている。


 どこからともなく赤竜が飛来し、森を焼き払った。


 それしか覚えていないという。


 腹部に残った傷跡については、まったく記憶に残っていないと繰り返した。

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