【14話】掘り起こされた負の遺産

 ストロマ村は平和だ。平和が僕は好きだ。


 あの襲撃事件以降、自警団は見回りを続けている。アンクハースト辺境伯の動向は気に掛かるけど、新たな動きは見られない。


 ちょっとした騒動はあった。歩きキノコウォーキング・マッシュルームが大量発生し、村の木柵を壊していったのだ。


 水路の工事で住処を追われて、大移動をしているのだとしたら申し訳なく思う。でも、ちょっと気に掛かる。


 菌類は湿気を好む。ラデイン河の良質な水を引き込む工事だ。山脈を穿つ地下水路を通って、大量の水が流入する。


 水源に乏しい森が生まれ変わるのだ。歩きキノコウォーキング・マッシュルームにとって、住み心地のよい環境になるはず。


(う〜ん。人の出入りを嫌ってるのかな。あと、なんで僕をいつも監視しているような⋯⋯。気のせい? キノコに目なんてないし⋯⋯考えすぎか⋯⋯)


 竣工式でストロマ村に出かけたとき、ちょうど行商人が滞在していた。地下水路の復旧工事を聞きつけ、今後の整備に必要となる工具を売り込んでいた。


 僕はお小遣いで新聞を買った。


 世界全土に支部を持つ世界最大の大商会が発行するディウルナ新聞。僕は最終面のクロスワードパズルを解くのが好きだ。


「これで完成っと⋯⋯! よし!」


 完成したクロスワードパズルを見て僕は満足する。少し手間取ってしまったけど助けを借りずに解けた。


 紙面をチラリと見る。原因不明の災害で住民が全員死んだ廃墟都市の特集記事だ。遠方のアヴァン帝国での事件だが、ストロマ村もこうなっていた可能性はある。


 死霊を操ってたルナローネという妖術師。彼女は運が悪かっただけだ。村を一つ潰すくらいの力は持っていた。


「⋯⋯ルーファ?」


 ベッドで眠っていたベアトリアが目覚めた。国を一つ潰せるだけの力を持つ強大なドラゴンは僕を視ている。


「おはよう。昨日の夜、たくさん強いお酒を飲んでたのにもう起きちゃうんだ。朝はずっと寝てるかと思ってた」


 昨晩のベアトリアは蒸留酒を浴びるほど飲んでいた。


 これは比喩表現じゃない。竜の消化器官は高熱で、飲んだ酒を胃で燃やしてしまっている。だから、とんでもない量のアルコールを飲める。


 晩酌に付き合った母さんは潰れて、父さんに寝室まで運ばれしまった。


 あの様子だと今日は昼間まで眠っていそうだ。


「朝食どうする? パンを持ってこようか?」

 

 行商人が小麦を売ってくれたので、久しぶりに柔らかなパンが手を食べられるようになった。


 焼き立てのパンは野性味溢れるドングリのクッキーよりも美味しい。


「どうしたの?」


 下着姿のベアトリアは、押し黙ったまま深く考え込んでいる。


「二日酔い? 母さんが調合した酔い覚ましもあるよ。だけど、ドラゴンに効くかな?」


「体調は大丈夫だ。しかし、なぜか昨晩の記憶がない」


「そりゃ、あんだけ飲めば記憶も飛ぶよ。母さんが潰れて、父さんが運んでいった後もベアトリアはずっと飲んでたんだもん」


 酒を用意したのはベアトリアだった。


 僕はお酒が飲めないので、味は分からない。酒好きの母さんが唸っていたから、上等な品だったのは確かだ。


 未成年の僕は林檎ジュースとおつまみの干し肉を囓っていた。ベアトリアの杯に酒を注ぎながら、お酒の奥深さを延々と聞かされた。


「ふむ。あの程度の酒で酔い潰れるはずがないのだが⋯⋯」


 納得してない様子だった。


「ふーん。そっか。じゃあ、酔った振りをして僕をベッドに引っ張り込んで、強引に下着を脱がせたのは覚えてる?」


「覚えておらぬ」


「覚えてるでしょ。その顔。ニヤけてる」


「記憶にないな。ん? 乳房にキスマークがあるぞ。これは⋯⋯?」


「おっぱいの谷間で僕が窒息しかけた痕跡だよ。はい。洗濯したブラジャー。ショーツもちゃんと履いて」


 全裸のベアトリアは悪びれることなく背筋を伸ばす。1カ月もすると見慣れてしまう。


 何度見ても大きいと感心する。だけど、あんなに大きいと普段の生活は苦労しそうだ。


(靴紐を結ぶとき、手元が見えてなさそう)


 胸部に実る巨大な双乳で、昨夜の僕は溺死しかけた。紅色のキスマークは空気を求めて、僕が必死に抗っていた痕だ。


「——ついに明日だな」


 差し出した下着をベアトリアは受け取らない。秘所を惜しげもなく晒すベアトリアは僕の身体を撫で回す。


「大丈夫だ。優しく抱いてやろう」


 それって男が言う台詞なんじゃないかと思いつつ、僕は顔を赤らめて俯くしかなかった。


「——我慢できないのなら今でも良いぞ」


 肌着の下に手を入り込ませようとしてくる。


「今は駄目だよ。父さんは裏庭で薪割りしてるし、母さんは寝室で寝てる。声を聞かれるかもよ」


「声を出さぬようにすればよかろう。しかし、確かにルーファが私を激しく求めたら、嬌声を抑えきれぬかもな。私の前では劣情を隠さずとも良い」


「ちょ、ちょっと⋯⋯! どこに手を入れようとしてるんだよ! 変態! それはさすがに変態だよ!!」


 上だけならまだしも、下に手を伸ばしてきたので、僕はベアトリアが離れようとする。


「——よいではないか? のう、よいではないか?」


 寸劇に出てくる悪代官みたいなことを言い始めた。


 腰の革ベルトが僕の貞操を守る最終防衛線。何とか窮地を脱しようともがいていたときだった。


「——すまない! ベアトリアさん! 至急、私と一緒にきてくれ! 魔術師の知恵をお借り⋯⋯した⋯⋯い⋯⋯。あ⋯⋯えっと⋯⋯」


 部屋に入ってきたギャリーは、石化したように固まっていた。

 

 ノックしなかったギャリーの非は大きい。だが、緊急事態で急いでいるのだろう。


 汗だくで息も絶え絶えだ。


 そんな彼女が目撃したのは、全裸のベアトリアが僕の腰ベルト抜き取ろうとする光景。濡れ場に入り込んだ心境は推して知るべしだ。


「出て行け。取り込み中だ」


 ベアトリアは淡々と言い放った。僕は気まずそうに視線を逸らすだけ。他人に裸を見られてもベアトリアは気にしないらしい。すごい。


「⋯⋯はい」


 ギャリーは扉を閉める。それと同時にベアトリアは攻勢を再開した。


「さて邪魔者は消えたぞ。続けよう」


「続かないよ!! 服! はやく服を着て!!」


 僕はある意味、ギャリーに助けてもらったのかもしれない。あのままだったら⋯⋯最後までしちゃっていた気がする。



 ◇ ◇ ◇



「ごほん! 先ほどは本当に申し訳なかった」


「まったくだな。夫婦の部屋に土足で入り込むとは、どういう了見をしているのだ」


「まだ僕らは夫婦じゃない⋯⋯」


「うむ、そうであった。婚約者同士の部屋だったな」


 僕とベアトリアはギャリーに連れられて完成した地下水路の入り口に来ている。


 昨日、盛大に行われた竣工式の紙吹雪が地面に残っていた。


「見せたかったのがこれ? 水は引き込まれてる。問題なさそうだよ?」


 水量はまだ少ない。だが、ちゃんと山向かいのラデイン河から流れてきていた。


 地下水路の出入り口を埋め立てていた土砂はなくなっている。内部はほとんど無傷だったが、念のために補修を行った。


「今日の早朝、見回りをしていた神官のハルトラ婆さんと自警団の村人が異常に気付いた。こっちに来てくれ。溜め池だ」


 地下水路で山向こうの河から引き込んだ水は、堀に沿って流れていき、溜め池に水を一度溜める。


 農業用水とするなら水量を調整しなければいけないからだ。


「この異様な色は何だろうか? 魔術師のベアトリアさんなら原因が分かるかもしれないと思って呼んだ。この水は汚染されている。水質もおかしい」


 溜め池の水は濁っていた。いや、穢れていた。


 表面には油分が浮かび、色は赤黒く変色している。


 ラデイン河の水と一緒に流れてきた小魚たちの死体が浮かんでいた。


 死骸を喰らうカラスでさえ、この魚には見向きもしない。


「神官のハルトラ婆さんが神術式で調べた。毒が混じっているそうだ。毒水が開墾した農地に流れ込めば作物は全滅する。それどころか土地が汚染されてしまう」


「⋯⋯⋯⋯」


 ベアトリアは汚染された水を掌で救う。

 

「ベアトリア。これって⋯⋯」


「素手で触れてはならぬ。重金属、主に水銀毒が含まれている。皮膚から吸収される毒だ。顔も近づけるな。気化している」


「冒険者パーティーの神術師も同じことを言っていた。誰かが溜め池に毒を入れた。おそらくはアンクハースト辺境伯の妨害だ⋯⋯。くそっ⋯⋯! 自警団の巡回だが⋯⋯、竣工式の夜は宴で誰も見回っていなかったんだ!」


「——違う」


「⋯⋯違うとは?」


「毒を入れたとしても、水量があれば薄まる。時間をかければ浄化できる。だが、これは違う。土壌から滲み出ている。⋯⋯まあ、想定はしていたがな」


「どういうことなんだ。教えてくれ。何が起きて、こうなってしまったんだ?」


「ギャリー。——いいや、領主オールドマン男爵に問うとしよう。貴様はこの土地の歴史を知っているか?」


「土地の歴史? 昔、ドワーフがこの地に住んでいたとしか。ドワーフは歴史を書物に記さない。口伝の頼る種族文化だ。誰も詳細な歴史は知らないはずだ」


 知っている者はいる。数百年、数千の寿命を持つドラゴンは歴史を記録しているはずだ。


「ドラコニア連邦が創立される以前、ここにはドワーフ達が住んでいた。連中は何をここに残していった?」


 その答えは僕が知っている。


「——鉱山だ」


 僕がベアトリアと出会った廃鉱。あれも大昔のドワーフが掘った坑道の一つだ。


「その通りだ。私の可愛いルーファ。穴モグラのドーワフどもは山脈に坑道を張り巡らせた。今も遺構は残っている。ならば、次に考えるべき疑問は一つだ。なぜドワーフ族はこの土地を放棄した?」


 アランベール王国が建国されたとき、ドワーフが達は去っていた。


 残されていたのは廃鉱だけ。しかし、それだけでなかったとしたらどうだろう。


「鉱脈が枯れたからでは⋯⋯?」


 僕は違うと断言できる。なぜなら赤竜ベアトリアが廃鉱に住み着いていた。


 白竜大戦が終わってからずっと隠れ住んでいたんだ。


 ——ドラゴンの主食は鉱石。


 もし鉱脈が枯れて、鉱石が出ないのならベアトリアは食料を求めて、別の山に住処を移していたはず。


 僕の住んでる家の裏山に永住していたのだから、まだ鉱脈は生きている。


「鉱山を閉じる理由は2つある。1つ、貴様の指摘した資源の枯渇。すなわち鉱脈や鉱泉が死んだときだ。だが、ここは地脈の溜まり場だ。まだ鉱脈は死んでいない」


「⋯⋯だったら! 2つ目は何だって言うんだ!?」


「採算が取れない場合だ。閉山する理由の大半はそれだ。鉱脈や鉱泉の枯渇は、無計画な採掘をしなければまず起こらない」


 ベアトリアは木々を指差す。


「周りを見ろ。この森は人工林だ。木々が等間隔で並んでいる」


「そんなはずはない! ドワーフ達が暮らしていたのは何百年も前なんだろう? 放棄されてからは誰も手入れをしていなかった。ここは原生林だ!」


「いいや、森番がずっといた。森の手入れは毎日欠かさず行っていた者達が⋯⋯。今回の水路建設で追い出されてしまったがな」


 僕は思い出す。工事現場に食料や飲料水を運んでいたときに出会った生き物。


 彼らはいつも木々の種子を抱えていた。


 木々の根から養分を吸い取り、森と共に生きてきた先住民。おそらくはドワーフ族が住み着いていたときも彼らはいた。


歩きキノコウォーキング・マッシュルーム。この森の瓢茸ひょうたけはいつも木の実を頭に乗せて運んでた⋯⋯。森を管理してたのは⋯⋯」


 キノコは樹木の養分を吸い取る。


 彼らが不要な木を伐採するのではなく、枯死させて腐葉土に変えていたとしたら? そして必要な場所に木の実を植えれば、森林資源を管理できる。


「ドワーフどもが去った後も律儀に仕事をしていたのだろう。しかし、意思疎通ができる者はいない。真相を聞き出せん。憶測を含んだ推論だ」


「ま、まってくれ! 話が繋がらない。鉱脈は生きている。採掘や精錬に必要な材木もあったのなら、採算はとれるはずだ!」


「強力な魔物が住み着いた、という可能性もある。だが、私の予想はコレだ」


 ベアトリアは毒々しく変色した溜め池を指差す。


「鉱山の採掘や鉱石の製錬で水が汚染される。ストロマ村は地下水源に乏しい。ドワーフが地下水を汲み上げ過ぎて枯渇したのだろう。あるいは坑道で水脈を断ってしまったか。どちらにせよ、連中は水に苦労したのだ」


 採算コストの悪化。生活するためにも、鉱山を運営するためにも必要不可欠な真水。


 地下から十分な水を得られなくなったドワーフ達は山脈を穿ち、ラデイン河の水を引き込もうとした。


「あの地下水路はそのために造ったのだろう。だが、結局は放棄するしかなかった。その理由が土壌の汚染だ」


「土壌の汚染だって?」


「ここは産業廃棄物の捨て場所だ。ドワーフどもは穴モグラ。地下で暮らす連中だ。地上に鉱滓ゴミを山積みにする」


「いや、しかり、ストロマ村の周辺にはこんな土壌汚染は起こっていない」


「ストロマ村は鉱石を運び出す輸送拠点だった場所だ。そこに廃棄物は捨てない。しかも、ドワーフは無毒化する技術を持っている。ただし、処理量には限度がある」


 採算とコストの天秤が傾いたのだ。


 ——鉱山運営の利益。


 ——鉱毒を無害化するコスト。


「儲からないと判断したドワーフは鉱山を捨てた。汚染された土壌は千年をかけて浄化される。その仕組みが歩きキノコウォーキング・マッシュルームによる植林だ。少しずつではあるが、土壌は再生していった」


 ギャリーは⋯⋯。オールドマン男爵は土地の来歴を知って愕然としていた。


 ベアトリアの言うとおりなら、ストロマ村は開墾に向いていない。


 表層の土壌は浄化されていても、深層の汚染は残っている。ストロマ村の周辺が農作に使えない土地だとしたら、森林の開墾は無意味だ。


「地下水路の出入り口を土砂で封じられていた⋯⋯。なんてことだ。この地を去ったドーワフ達は⋯⋯だからか⋯⋯」


「この一帯は水の流れを断絶させる結界があった。残った地下水脈に汚染水が流れ込まないようにしていたのだろう。要石が地中に埋まっていたはずだ」


「要石? そんなものは⋯⋯。あぁ⋯⋯! そうか! 地中に埋まっていた岩石!? あれが要石⋯⋯!? くそ⋯⋯!」


 工事を指揮していたギャリーは思い当たる節があった。


 村まで水を引く堀を何度も邪魔した大岩。


 僕の記憶にもある。岩を動かそうとして、村人が下敷きになりかけた事故。


 あの事故が起こる直前、ベアトリアは岩の模様を見ていた。


「断水結界は壊れた。雨が降ればストロマ村で使っている井戸に汚染水が流れ込む」


「八つ当たりなのは分かる⋯⋯。だが言わせてくれ! なぜもっと早く教えてくれなかったんだ!? ベアトリアさんは気付いていたんじゃないのか!!」


 竣工式の日、表彰されるベアトリアは居心地が悪そうに見えた。もうベアトリアは知っていたんだ。


 この地下水路が役に立たないどころか、村の井戸を汚染する災厄を招くと。

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