【11話】蠢動する襲撃者
「予想を超える速度で工事が進んでいる。このままでは週内にも地下水路が復旧し、ラデイン河の水を盗まれてしまう」
アンクハースト辺境伯に仕えるサベナトは、荒くれ者達と山中に潜伏していた。
従えているのは殺人や強盗などの罪で収監されていた囚人達だ。
ストロマ村の人々を殺害する汚れ仕事。
まともな傭兵なら金を積んでも引き受けない犯罪行為だ。そこでアンクハースト辺境伯は恩赦をチラつかせて囚人を使うと決めた。
「襲撃を仕掛ける。今夜だ。工事現場にいる奴らを全員殺す。見せしめだ。それでもオールドマン男爵が水路の工事を続けようとするなら、ストロマ村に火を放つ。命令通りに動け。この仕事が終わればお前らは自由だ。免罪を約束する」
サベナトの話を聞く囚人達の首には、呪術式の文様が刻まれていた。
囚人が圧倒的多数でありながら、命令に従っている理由。それは命を握られているからだ。
「サベナトの旦那! この刺青も消してくれるんだよなぁ?」
「もちろんだ。約束するとも。お前らは自由だ。金も用意してあるぞ。どこへでも行け。第二の人生を謳歌するがいい」
囚人達には首に仕掛けた呪術式が発動すると、頭部が弾け飛んで死ぬと教えている。
命令に違反すれば、即死刑執行。逃げ出しても同じく死。従う以外の選択肢はあたえない。
(どっちにしろお前らは殺すけどな。口封じだ。皆殺しは計画に織り込まれてるのさ)
サベナトは囚人達を侮蔑していた。
欠片も同情したりはしない。彼にとって囚人は使い捨ての道具だった。
(アンクハースト辺境伯からそう命じられている。汚れ仕事の証人なんぞ、生かしておけるか。おめでたい連中だ。どうせ死刑になる無法者。必死に戦えよ。文字通りの意味でな! 社会のゴミクズどもめ⋯⋯!)
アンクハースト辺境伯からの命令を知っているのは、サベナトのほかにもう1人。
灰色のフードで顔を隠した妖術使いの女だけだ。
「オールドマン男爵に雇われた冒険者がこちらの痕跡に気付きました。警戒を強めているでしょうが、戦い慣れていない農民が大半。私の支援があれば人数差は覆せます」
妖術使いを自称するルナローネが、アンクハースト辺境伯に仕えたのは約1年前のことだ。
表沙汰にできない汚れ仕事を積極的に引き受け、アンクハースト辺境伯から絶大な信用を寄せられるようになった。
今回の囚人を用いた作戦はルナローネによる提案である。
「働きに期待しているぞ。ルナローネ」
「お任せください。サベナト殿。敵陣営にいる術師は老いぼれの神官と冒険者のひよっこ
敵側に国家をも滅ぼせる強大なドラゴンがいるというのに悪党達はほくそ笑む。無理もない話である。
——だが、強者が常に力を誇示ているわけではない。
むしろ本当の強者は姿を偽り、思いがけないところに隠れているものなのだ。
◇ ◇ ◇
「——敵勢力を手早く処理する。今夜だ」
殺気立ったベアトリアは、悪党を始末すべく動こうとしていた。
「気合い入ってるね。でもさ、まずは相手の居所を探る話じゃなかった?」
「地の利はこちらにある。発見は容易だ」
「なるべく穏便に済ませたいけどね」
工事現場に物資を届け終わり、今日の仕事を僕らは終えた。
夕飯の席で僕は父さんと母さんに事情を伝え、ストロマ村の自警団に加わると話した。
ベアトリアは危険だから僕を止めてくれと説得を試みた。でも、父さんと母さんは僕の意思を尊重してくれた。
「村を守るための戦いだ。ルーファの選択を尊重する。だが、可愛い息子だけを危険に晒すわけにはいかない。腕は鈍ったが、俺だって名の知れた傭兵だった」
「ええ、私も久しぶりに自分の槍を使えるわ」
家族3人で参加する流れになった。
「⋯⋯本当に良いのか? たった一人の息子であろう? 我が子が可愛いとは思わぬのか?」
「ん〜。父さんと母さんはそういうの思わないかな」
「うちの息子はドラゴンの巣穴から生還する英雄だからな」
「ええ。ルーファはいざというとき、とっても頼りになるはずよ」
「ね?」
ベアトリアは1人だけ不満そうな表情を浮かべていた。
そういうわけで、僕らは戦う準備を整えて家を出た。
父さんは傭兵をしていたころに使った剣、母さんは冒険者時代の長槍を装備している。
僕は鳥獣用のハンドクロスボウを背負った。腰のベルトにはナイフを差し込んでいる。
急所に当たらないと殺傷能力はないけど、僕はこれで十分だ。
あとは害獣駆除用の毒薬をいくつか持っていくことにする。
「ベアトリアがいるから大丈夫だとは思うけど、僕もいろいろ準備しておいたよ」
レッドドラゴンが僕を守っている。卓越した魔術師でもあるベアトリアが側にいるのだ。
「⋯⋯過剰な期待をされても困る。本気で戦うと私がドラゴンだと知られてしまう」
「そっか。それもそうだ。口から炎とは吐けないよね」
「戦いは長引かせない。こうなった以上、可及的速やかに敵勢力を排除する」
庭先でベアトリアは中指に嵌めた指輪を掲げる。
僕はどんな魔術を使うのだろうとワクワクしながら待つ。だが、呪文は唱えなかった。
「——右の2体。命令だ。山中に潜む敵を探せ。、全員を磨り潰してこい」
ベアトリアは何もない空間に向かって命じた。
目を凝らしてみると、その場所の空気だけが揺らいでいる。
風向きが変わり、松明の煙が流れていくと、そこに透明な何かがいると分かった。
「⋯⋯そこに何かがいるの?」
「私が召喚した戦闘ゴーレムだ。万が一に備えて、家の周囲を警戒させていた。目立たぬように姿を消させていた」
「まさか僕の家に来た日から⋯⋯?」
「私は用心深い性格だ。念のために斥候型のストーン・ゴーレムを5体配置していた。1体は家の守りとして置いていく。2体はルーファの警護役とする。残る2体を山に放つ」
僕らのためにベアトリアは、ストーンゴーレムの
庭先に屈強な岩石の巨人が5体現れる。
首は存在せず、頭部が胴体と一体化していた。
右腕が肥大化していて、棍棒のような形状だ。あんなものに殴られたら、普通の人間は圧死してしまうだろう。
「うわぁ。すごい強そうだね」
今晩から自警団に加わり、山中の見回りをする予定だった。けれど、こんな強いゴーレムがいるなら、僕らの仕事はなさそうに思える。
たぶん⋯⋯、いや、絶対にオールドマン男爵が雇った冒険者よりも、このゴーレム達のほうが強い。どれくらい強いのだろう。
「父さんや母さんなら勝てる?」
僕は試しに聞いてみる。
ストロマ村で豊富な実戦経験を持つ実力者2人。つまり、僕の父さんと母さんだ。
父さんと母さんで勝てない相手であれば、村の人達は誰1人として勝てない。
「ハッハハハハハ! いいか、息子よ。もしダンジョンでこのゴーレムと遭遇したら、俺は一目散に逃げるだろうな」
父さんは手を上げて降参だと笑った。こういうときくらい見栄を張っても良いのに。一体だったら倒せるとかさ。
「それ、自慢げに言うこと? 父さん⋯⋯」
「私も同意見よ。判断能力のある人間ならこのゴーレムとは戦わない。宿っている魔力量が計り知れないもの⋯⋯。自動修復するタイプでしょ?」
母さんも同じだった。なら、このゴーレムはやっぱり強いのだろう。
「このゴーレムは補給なしで半年間稼働する」
「心強いわ。このゴーレムを見て送り込まれた無法者達が戦わずに逃げてくれるかもしれない」
過剰とも思える戦力を従えて、僕らは工事現場へと向かった。
薄雲のせいで月明かりが陰っている。
僕にとっては歩き慣れた峠道だ。松明さえあれば転んだりはしない。
ベアトリアはドラゴンだからか夜目が利くらしく、光源を頼りにしてない。僕のすぐ後ろにピッタリ付いてきている。
——僕らには知る由もなかったけれど、アンクハースト辺境伯が差し向けた悪党達は今夜、工事現場で寝泊まりしている村人達に襲撃をしようとしていた。
結果論ではあるが、ギャリーことオールドマン男爵は優れた決断力と幸運の持ち主だった。
ベアトリアの参戦が決まっていなければ、村人の中から死者が出ていたに違いない。
——だけど、僕らにも誤算はあった。
襲撃者の中に危険な妖術師が紛れ込んでいた。
◇ ◇ ◇
オールドマン男爵が雇った冒険者は5人。
そのうち1人が
襲撃が予想される箇所は2つ。ストロマ村と水路の工事現場だ。
その夜、ギャリーは水路の工事現場に自警団の志願者を集合させた。そして、班分けと配置の説明を始めた。
「自警団の各班は4人以上6人以下。集団行動を心掛けてほしい。絶対に1人では行動しないようにすること。これから配置の場所を全員で見て回る。今夜から交代で見張りにつく」
5班で約25人。東西南北と中央に配置し、襲撃に備える。工事現場に兵力が偏ると、ストロマ村を襲われる危険がある。
この日、冒険者5人組は村に残ってもらい、自警団の大半が工事現場の山中に集合していた。
「今後は必ず村とこちらで人員を均等に配置する。今夜は説明をする必要があったので集まってもらった」
自警団に志願した村人の総数は約150人。このうち、水路工事で昼間も働く人が大半だから、夜間の実働人員は70人以下となる。
(だとしても、この人数は多すぎる。訓練されてるわけじゃないし、ちょっと大変かも⋯⋯)
ギャリーはストロマ村と工事現場で均等に分散させると言っている。だけど、実際にはそうできないと思う。
村を守る戦力は多くしなければならない。
(目標は工事の妨害。でも、警備が手薄になったストロマ村を直接襲撃する可能性は拭えない)
地下水路の復旧工事をしている間、ストロマ村の人々は労働不足の状況で、普段の農作業を行っている。
村の備蓄を奪われたり、農地を荒らされたら、厳しい冬を越せなくなる。
「松明は貴重だ。浪費しないように。燃料の獣油は十分にあるが、地下水路の復旧工事でも灯りを使う。不足すれば工事の進捗に支障が生じてしまう」
ギャリーはいくつかの注意点を説明し、村人達はそれを注意深く聞いている。
「説明は以上だ。それでは、見張りをする場所に案内する。先ほど決めた班で隊列を組み、私についてきてくれ」
ギャリーを先頭に自警団は真っ暗な山林を進んでいく。
森番の一家は同じ班にまとめられた。僕、父さん、母さん、そしてベアトリアの4人。
それと透明化してるゴーレムが2体。どこかに潜んでいる。草が揺れたからあの茂みにいるのかも。
「ねえ。ベアトリア。ゴーレムはどこ?」
「連れてきた2体は近くにいる。だが、山に放ったゴーレムは敵を見失った。人間の生命反応を検知できなくなった」
「生命反応がない⋯⋯?」
「逃げ出したか、死んだか⋯⋯。もしくは⋯⋯」
「もしくは?」
「ゴーレムに組み込んだ索敵術式を掻い潜れる術者が敵側にいるようだ。私から離れるな」
中指に嵌めている指輪が輝き始めた。濃密な魔力が力強い波動を生じさせる。
ベアトリアは敵を迎撃するコンディションを整えている。
そして、父さんも襲撃の予兆を感じ取っていた。剣の柄に手をかけて、いつでも抜ける臨戦態勢だった。
僕も背負っているクロスボウのグリップに手を伸ばした。
父さんは僕らに警戒を促す。
「風にわずかだが屍臭が混じってる。真新しいぞ⋯⋯。森に何かが潜んでいる。先頭を進む領主さ⋯⋯じゃなかった。ギャリーさんに警告しよう。止まったほうがいい」
「貴方はここにいて。私が行くわ。ほかに伝えることは?」
母さんの質問はベアトリアに向けられていた。だけど、同時に僕の顔も見ていた。
——僕は何も言わなかった。
必要なことは全てベアトリアが答えてくれた。
「問題なのはこちら側の人数だ。戦闘経験のない村人達。烏合の衆が150人。恐慌状態となれば収拾がつかぬ。こいつらは足手まといにしかならん。どこか一カ所に固めておけ。魔術防壁を構築しておく」
ベアトリアの指示に間違いはない。父さんと母さんは二人揃って僕に視線を向けた。
「僕はベアトリアといるよ。母さん、気をつけて」
過剰な戦力がある。僕はそう思って安心していた。
◇ ◇ ◇
「たっ! 助けてくれ! 頼む! 誰か! お願いだっ!! 助けてくれぇええーっ!!」
夜の森に響く絶叫——それは丁度、母さんが自警団の先頭にいるギャリーへ警告を伝えた瞬間だった。
助けを求めて叫んだ人間。聞き覚えのない声だった。
ストロマ村の住人ではない。領主に雇われた冒険者の一員でもなさそうだ。
「ば、ばけものっ! ばけものだぁーーっ!!」
血だらけの男が必死の形相で駆けてくる。
男の背後には無数の人影。追われているように見えた。
「誰かが襲われてる!」
「罠だな。おそらくは囮。あれは既に死んでいる。こちらを攪乱させるための陽動だ。
——生命反応を検知できなくなった理由。
死んでいながら生き続ける魍魎。
生きながらに死に続ける屍。
生者に対する妬み。根源的欲求だけで動く亡者。正しく弔われなかった人間がゾンビとして蘇る例は往々にしてある。
ただし、自然発生したゾンビは大した脅威にならない。
ゾンビの動きは鈍く、容易に制圧できる。——自然発生した場合であればだ。
凄惨な被害を出したゾンビの発生事件は、人為的に起こされている。
「たすけてくれぇえええ! 頼むぅっ!! たすけてくれえぇええ!! たのむよぉぉおぉぉぉぉ! たすけてくれよぉぉぉぉおおッ!!」
叫び声を上げながら駆けてくる男。ゾンビの群れから命からがら逃げてきた生存者に見える。だが、そうではない。
「落ち着け。助けてやる。お前は何に襲われ——」
「駄目です! 下がってください! ギャリーさん!!」
反応の遅れたギャリーに代わって、母さんは大声で指示を出す。
「陣形を組んで! あの男を近づけてはいけない!!」
さすがは元冒険者。異常事態に対する危機対応能力が優れている。
「いひぃっ! いひひひひひひっ! 助けだぁああっ! 痛いっいたいぃぃいあいああだぁあああああああああぁぁあ!!」
男の身体が膨れ上がる。
肉袋の風船。膨張した皮膚がメキメキと不快な音を上げながら破れ始める。
「くっ! 身を隠して!」
爆裂四散する寸前、母さん木の陰にギャリーを引っ張り込む。
異常に気付いた村人達は後ずさる。遅すぎる。鈍間だ。
しかし、それでも反応できた者は動けたほうなのかもしれない。無防備に棒立ちの者も多かった。
「——くだらん。ゴーレムよ、殴り飛ばせ」
ベアトリアは敵の先制攻撃を粉砕する。
突如として現れた
満身の力で放たれた戦闘ゴーレムの一撃は、ゾンビの肉体を粉微塵に吹っ飛ばした。
「悪意を弾け——
紅蓮の魔力が場を支配する。ドーム状の魔力防壁が慌てふためく自警団を覆った。
「——道をあけろ」
「——ごめんなさい。危険なので下がってください。あと、先頭に行きたいので、通らせてもらえますか」
ベアトリアは次なる攻撃に備える。先手は取られた。しかも、想定外の攻撃方法。警戒の度合いを強める。
「いっ! 一体何が⋯⋯? あ、アンタは魔術師の! 教えてくれ! 何が起こってるんだ!?」
「——黙れ。私に近付くな。殺されたくなければ大人しくしていろ」
「——危ないので近付かないでほしいそうです。防壁の内側は安全だと思います。このまま1カ所で固まってください」
怯える村人達をかき分け、ベアトリアは先頭へと進む。僕と父さんは家臣のように一歩後ろから付いていく。
ついでにベアトリアの言葉を通訳して、村人達に伝えた。
「な、なんだ! これは!? 一体何が⋯⋯?」
突然の出来事だった。ギャリーは事態を把握できていない。
「間抜けめ。まだ分からぬのか? 敵襲だぞ」
ベアトリアは戦闘ゴーレムの
一体を前衛、もう一体は僕の近くに配置した。
視線の先、森の暗闇で蠢くゾンビ達はこちらを窺っている。
お互いに予想を裏切る展開だったせいだ。
敵は「奇襲をしかける自分達は圧倒的優位に立てる」と思っていたはず。ところが初撃をベアトリアの戦闘ゴーレムで防がれた。
一方で僕らも困惑し、混乱していた。
戦う相手はアンクハースト辺境伯が送り込む無法者。精々が山賊や野盗に近しい悪人だと思っていた。
ところが襲ってきたのはゾンビ。しかも、腐敗していない。
(腐ってない新鮮なゾンビ⋯⋯。生体反応は確かにないだろうね。歩く死体⋯⋯、真新しいってことは殺されたばかり⋯⋯。可哀想に)
死体で作られた人為的なアンデッド・モンスターだった。都合よく新鮮な死体が転がっているはずがない。
ゾンビの群体は大量殺戮が行われた証左だ。
「いやはや! 驚きですねぇ。これほどの魔術師がいるとは! 完成度の高い魔術防壁だ! 破るのに苦労するかもしれません。しかも、従えている2体のストーン・ゴーレムは自律式ですか? 貴方は侮れませんね」
首謀者らしき男が現れた。ゾンビの群れを従えている。
「貴方が悪いのですよ。オールドマン男爵。慈悲深きアンクハースト辺境伯の警告を無視するから、こんな事態となったのです。素直に従ってくれれば、全て丸く収まった。もはや手遅れですがね」
怒りで顔を歪ませたギャリーは言い返そうとした。だが、機先を制して、ベアトリアが問いかける。
「貴様は何だ?」
「⋯⋯。躾がなってませんね。雇われの魔術師。主人の言葉を遮るとは。まずはお前から名乗れ」
会話を邪魔された男は酷く不機嫌な表情を作る。たしかこの国では魔術師は低く見られがちだった。
貴族に仕える上級の使用人。そう見做す風潮があるとか。
「田舎の貧乏貴族とはいえ、主人に仕えているのなら礼儀を弁えろ! 乳房よりも小さな頭では礼儀を知らないのか?」
結果、男は最悪の選択をした。
強大な力を持つドラゴンは暴言を浴びせられても眉一つ動かさない。
冷徹に命令を下した。
「——あの男を殺せ」
ゴーレムは突進を始める。
僕はベアトリアを止めなかった。人殺しにはなってほしくない。だけど、この男は悪事に手を染めている。
ゾンビの素材となったのは、生きていた人間。服装や刺青を見るに囚人のように思える。従順な屍兵を作り出すために、数十人の人間を殺めたのは明白だ。
「駄犬め。まあいい。目には目を。歯には歯を。魔術師には魔術師だ。ルナローネ! さあ、お前の出番だぞ!!」
高らかに男は言う。絶対の自信を示す笑みを浮かべていた。
ルナローネなる人物は相当な実力者に違いない。
「まずはあのストーン・ゴーレムを止めろ。この場にいる全員を殺して、ゾンビの群れに加えてやれ!! 魔術師がたったの一人! いつものように捻り潰せ!」
戦闘ゴーレムの猛進を阻むためゾンビが集結する。屍肉の壁で守られた男は余裕満々の顔だった。——だが、数秒後には恐怖の色で染まる。
「ふんっ! 馬鹿力め!! 猪突猛進か?」
巨碗のストーン・ゴーレムは、立ちはだかるゾンビを押し潰す。
——勢いは止まらない。
「はっははは。これはすごい! どこまで進めるか。見物だな。ゾンビは痛みも恐れも知らない。作り物のゴーレムとはいい勝負だ。だが、数が違う!!」
血塗れのストーン・ゴーレムは、足に飛び付いたゾンビを踏み潰す。
——前進は止まらない。
「はっ! そこそこやるな! だが、そろそろ限界だろう? さあ、ゾンビども! 押し返せ!!」
突撃のストーン・ゴーレムは、しがみ付くゾンビを叩き潰す。
——進撃は止まらない。
「ぁ⋯⋯おい⋯⋯?」
顔から血の気が引く。男は青ざめていた。
無数のゾンビが作り出す肉壁。幾重もの守りが男の安全を保障していた。だけど、ベアトリアが使役するゴーレムの怪力は凄まじく、ゾンビを容易く挽き潰している。
ゴーレムは男を真っ直ぐ見ていた。
殺せと命じた対象に向かって、ひたすら進む。
「ひぃ、ひぃいっ! まて! 待ってくれっぇえ!!」
ゴーレムの侵攻速度は削がれるどころか加速しているのだ。
群がるゾンビを意に介さず、命令を忠実に実行する。
ベアトリアはゴーレムに命じた。「あの男を殺せ」と。その一言を実現するためにゴーレムは進撃する。
ひたすら前に進む。障害を排除し、目標に近付く。そして到達した。
「ルっ! ルナローネ!! ルナローネぇええっ! 防壁だ!! 俺を囲え! 魔術防壁を展開しろぉぉっ! なにしてやがるっ! まじゅつぅだ! はやくしろぉ! あぁああ! あぁ! 待て! やばい! やばいだろ! おい! おぃぃい! はやくとめろ! こいつを近づけ、あぎゃああああぁあ! 足! 俺のあしがぁあああああああ! やめてっ! んぎゃ! いぎゃああ! やめてっ! やめてくださっ、あぎゃああああああああああぁ!!」
ゾンビの肉壁を踏破したゴーレムは男を握りつぶす。
悲鳴が止まった。
人間の形だったモノが肉塊に。肉塊だったモノが血溜まりと挽肉となった。
あっけない最期だ。
凄惨な光景を直視できず、目を背ける村人達。そこにあるのは哀れみだ。
殺された男の悪行を想像はできる。だが、まだ村人達は実害を被っていない。しかし、だからといってベアトリアを責めはしないはずだ。
(⋯⋯殺すよりは生かした方が良かったかも?)
安全圏から高みの見物を決め込んでいた黒幕はミンチとなった。けど、まだ敵はいる。
犯罪行為の生き証人としてなら、そちらを捕らえればいい。
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