【10話】ギャリーからの依頼

「先ほどは村人を助けてくれてありがとう。ルーファ君が無茶をしたようだけど⋯⋯、怪我人が出なくて良かった」


 ギャリーは折り入って話をしたいと申し出てきた。僕達を天幕テントに招き入れ、ハーブ茶を振る舞う。


 鉄製のマグカップを2つ受け取ったベアトリアは、僕より先に口を付けた。


 そして、を僕に差し出した。


「飲んでも大丈夫だ」


「え、こっち⋯⋯? これベアトリアが飲んだ方だよ?」


「何か問題でも?」


 圧を感じる。とても強い圧を僕は感じていた。


「間接キスが嫌ってわけじゃないけどさ」


 毒味をしてくれたようだ。その必要があるのかは大いに疑問。間接キスになるけれど、そういうものかと思って、僕は何も言わなかった。


 ギャリーはそんな僕らを笑っている。


 ベアトリアは大真面目なんだけどね。


 蜂蜜入りのハーブ茶はほんのりと甘くとても美味しい。クッキーがあれば文句なしだ。


「黄銅製の湯沸器か。良い茶器を使っているのだな。それは一般には普及していないだろう。貴族の嗜好品だ」


 片手で持てる携帯用の湯沸器。アランベール王国ではサモワールと呼ばれている。


 底の部分に石炭結晶や松毬まつかさなどの燃料を入れて、お湯を沸かせる便利な道具だ。


「贈呈品さ。私には分不相応だが、かといって捨てたり、売るわけにもいかなくてね。いろいろと事情があるのさ」


 高価な代物だ。お金持ちしか持てないから、一種のステータスにもなっていると聞いていた。


 なにせサモワールは生活必需品じゃない。だって、僕みたいな庶民ならヤカンや鍋で十分だ。


 便利ではあるかもしれない。だけど、大金を使ってまでほしいかと問われると、首を横に振る。


 優雅な暮らしを送っている貴族の持ち物だ。


(ギャリーは爵位持ちの領主だから当たり前なんだけどね⋯⋯。貧乏領主だとしても、持ち物でちょっとくらい威厳を醸し出さないと)


 オールドマン男爵は領民に近い感覚を持つ。貧困貴族と揶揄されることもある。しかし、それでも彼女は特権階級には違いないのだ。


(⋯⋯村人で面識があるのは、あの村長さんくらいかな?)


 ストロマ村で領主であるオールドマン男爵の素顔を知っているのは、村長くらいだと思う。


 その村長も最近はボケてしまって、誰も相手をしなくなっている。ギャリーが工事現場で指揮をしているのは、そういう理由があるからだ。


 好都合な面もある。僕としても村長よりは、ギャリーとのほうが話しやすい。


「確認させてほしい。先ほどベアトリアさんが大岩を粉々に砕いたのは、魔術なのだろうか?」


「魔力による身体強化だ。魔術式を発動させる余裕はなかった。ルーファが無謀な行為をしたせいだ」


 ベアトリアは嘘を言っている。僕には分かった。


 まずドラゴン族であるのなら、素の力で巨岩を蹴り壊せる。

 

「怒らないでよ。僕はすっごく反省してるってばー」


「どうであろうな⋯⋯。反省の色は見られない」


「そんなことないよ?」


 魔力による能力強化、確かに最もらしく聞こえる。けれど、言い繕いだ。


(魔術式を発動させる余裕がなかった⋯⋯。はたして本当かな? 魔術を使う必要もなかった。とはいっても、素直に話すべきことでもないよね)


 今の時世、ドラゴンは世界の敵だ。


 ドラコニア連邦の崩壊後、ドラゴンは教会や神殿から追われている。


 正体に繋がる事情は隠すべきだ。オールドマン男爵が信用できる人物であったとしても、それは同じ。


「ベアトリアさん。貴方は実力のある魔術師だ。既に断られているが、もう一度お願いしたい。どうかストロマ村のためにお力を貸していただけないだろうか?」


「工事は順調に進んでいると聞く。私の助力が必要とは思えぬ」


「現段階ではそうだ。しかし、状況はいつ変わるか分からない。以前にもお話したが、アンクハースト辺境伯は一線を超える気でいる」


「悪評高き隣の領主か⋯⋯。紛争となるなら、自身の兵士を動かせばいい。オールドマン男爵は貧しいらしいが、領民を守る兵士はいるだろう」


「それはそうだが⋯⋯」


「領民を守るために兵を動かさぬのなら、オールドマン男爵とは何のために存在する? 領民から税を徴収する名目を知らぬわけではあるまい?」


 ——領主の義務。それは自身の領民を庇護すること。


 ベアトリアは言い過ぎているかもしれない。だけど、内容は至極全うだ。


 反論の余地がない正論。だからこそ、ギャリーは顔を顰めるだけだった。


 言葉に詰まり、一言も言い返せなかった。しばらく沈黙した後、ギャリーは重々しい口調で言う。


「⋯⋯さまざまな事情がある。難しい立場なんだ」


「事情か⋯⋯。兵士を動かすと本営の守りが薄くなる。あるいは自分の兵士が信用できない。兵站などの事情を除けば、兵を動かせない理由はこの2つだ。オールドマン男爵の場合は両方か?」


「ベアトリアさんは魔術だけでなく兵法にも通じているのかな⋯⋯? 誤魔化してもしょうがない。実際、ご指摘の通りだ。アンクハースト辺境伯は私兵を集結させ、武器を集め始めた。脅しだと言う者もいるが、私はそう思わない。攻め込む隙を覗っている」


「それって大丈夫なの⋯⋯? アンクハースト辺境伯は国内で指折りの大貴族だって、商人さんが言ってたよ」


「オールドマン男爵にも信頼できる臣下がいるよ。いざとなれば武器を取り、戦ってくれる」


「——だが、臣下の全員がそうとは限らぬだろう?」


「言い返す余地を与えてくれないな⋯⋯。ああ、そうだ。金で転ぶ者がいる。不用意に兵力を分散すれば、造反者が動き出す。だから、オールドマン男爵は兵士を動かせない」


「王家に助力を請えばいい。そもそもの火種はアランベール王がオールドマン男爵にラデイン河の水利利権を認めたことにある」


「国王陛下は慈悲深い方だ。しかし、我が国において、王家は絶対的な力を握っていない。王はいわば統合の象徴。貴族の中には王の首をすげ替えたいと願う不届き者もいる。アンクハースト辺境伯を征伐しようとすれば、必ず国王陛下を背後から襲う者が現れる」


「そして、都合のいい者を王座に座らせるか⋯⋯。工事を急ぐ理由は何だ?」


「介入の隙を与えないためだ。アンクハースト辺境伯は河川の水量が減り、大損害を被ると国王陛下に陳情をあげている。だが、山向こうを流れるラデイン河は一級水系だ」


 アンクハースト辺境伯の主張は詭弁だ。ストロマ村の規模を考えれば、水量にはほぼ影響が出ない。

 

「調査結果は示したんだ。ストロマ村に水を引いても大した影響は出ない。だというのに、河が干上がると騒いでいる」


「地下水路を突貫工事で完成させ、武力行使の名目を潰す。そういう腹積もりか」


「⋯⋯工事が長引けば長引くほどリスクは高まる。奴らに悪巧みの時間を与えたくない。アンクハースト辺境伯は金に物を言わせて野盗のような悪漢を集めていると聞く」


 地下水路の復旧を夏の間に終えれば、アンクハースト辺境伯の目論みを潰せると言った。


 水量減少による被害が大義名分。それが起こらなければ、挙兵の動機が消滅する。


「いざとなれば体裁をかなぐり捨てると思うが?」


 ベアトリアの指摘に対し、ギャリーは首を横に振る。


「貴族社会の面白いところでね。それはない。他の貴族に賛同を呼びかけるには、大義名分が必要だ。不当に権利を奪われたと騒ぎ立て、次に虚偽を撒き散らす」


「たとえば?」


「王家が貴族特権の廃止を目論んでいるだとか、貴族の力を削ごうとしているとか。それらしい噂を吹聴することで、自身の勢力を増やす」


「それって流言なのかな? 的を射ているような気もするけどね。今の国王様ってそういう政治方針じゃないの?」


「⋯⋯それは国王陛下に直接お聞きすべきだろうね。ルーファ君」


「うん。会う機会があったらぜひお聞きしたい。国王陛下の御心は置いておいて、アンクハースト辺境伯は国王の暴政に抗い、古き良き貴族の特権と伝統を守る。そういう姿勢なわけね。隣の領地を攻めるなら、理由がそれっぽく聞こえないと、逆に袋叩きだもんね」


「さすが賢明なルーファ君だ。その通りだよ。誰だって孤立はしたくない。力だけで世は動かない。ドラゴンのように強力な力を持つ種族でさえ、自身の傲慢で孤立し、滅びを招いた」


 ベアトリアは表情を眉一つ動かさない。ギャリーは助力を求める魔術師の正体が赤竜であるとは知らない。


 歴史の引用としてドラゴン族の自滅を引き合いに出しただけだ。


(滅びを招いたドラゴン⋯⋯。ドラゴン族が道を踏み外していたのは事実。でも、正当な報いなのかな⋯⋯。全てのドラゴンがドラコニア連邦に参加していたわけじゃない。そもそも種族ごとを滅ぼすのはやり過ぎだよ)


 山奥にたった一人。竜狩りを恐れ、孤独な生活を300年も続けていたと思うと、僕はベアトリアを哀れんでしまう。


 僕だったら、そんな生活に耐えられるだろうか。


 仲間外れにされて、世界の人々から存在を否定され続ける。


「——それで貴様は私にどうしろと?」


「山中に不審な男達が潜んでいる。雇った冒険者が野営の跡を確認した。我々は敵の存在に気付いたが、敵にも気付かれた。人数はおよそ20人から30人。全員が武装している。こちらが雇った冒険者パーティーだけでは戦力が足りない」


「ルーファ。ストロマ村の人口はどれくらいだ?」


「約700人だったかな。冬期以外は開拓民を募ってるから、今はもっと増えているかも」


「数は力だ。村人を動員すればいい。農具は武器となる。多少の犠牲は出るだろうが、30人程度なら数の力で捻り潰せる。私の出る幕はない」


「ベアトリアさん。貴方の力を借りれば犠牲者は一人もでない」


「⋯⋯⋯⋯」


「私は魔術の知識に疎い。しかし、ベアトリアさんが実力者だと分かるくらいの目は持っているよ。どうか、我々に力を貸してほしい」


「断る。自衛以外の目的で戦わない。私自身や私の愛する者に危険が及ばない限り、私は何者とも争わない」


「——はい! じゃあ、僕が志願する!」


 ギャリーはほほ笑み、ベアトリアは両目を細めた。


 僕は間違いなく、竜の逆鱗に触れている。でも、ここだけは譲れない。


「僕はストロマ村を守りたい。普段から山を歩いているから、この辺りはよく知っている。きっと役立つよ」


「⋯⋯ルーファは子どもだ。大人しくしていろ」


「あと1カ月もせず成人だよ。それにストロマ村の住民だ。村を守るために戦う義務がある。それにね。こういったとき、森番の一家が村のために何もしなかったら、立場が悪くなる。危険な役目を率先して引き受ければ、村での扱いは良くなる。打算も込みさ」


「ルーファ君は戦うと言っているよ。ベアトリアさんはどうするのかな? もちろん、無理強いはしない」


「分かった。よかろう。私にとっては不満かつ不服がある展開だ。しかし、惚れた弱みだな⋯⋯。力を貸してやる」


「ありがとう。心から感謝する。ストロマ村のために力を合わせて戦おう」


 ギャリーは握手を求めてきたが、ベアトリアは無視した。なので、代わりに僕が手を握ろうとしたら、手首を押さえ付けられた。


「私以外の異性と触れ合うのは許さん」


「いや、握手くらい⋯⋯」


「ルーファの我が侭を聞き入れたのだぞ? 次は私の我が侭も受け入れろ。それが物事の道理ではないか?」


「う、うん。分かった」


 めちゃくちゃ怒っていた。僕が僕自身を危険に晒す行為に苛立ちを募らせている。そうに違いない。


 たとえ、それが伴侶を守ろうとするドラゴンの種族特性であっても、他人のために怒れる人は善人だ。


 きっと、赤竜ベアトリアは僕なんかよりも、遥かに善人なのだと思う。

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