【8話】ドラゴンの過去
地下水路の出入り口は、土砂が天井まで積み重なって塞がっていた。
積もった土石をかき分け、人ひとりが這いずって進める小さな穴を掘り、雇われた冒険者は内部を調査を行った。
古代のドワーフ族が造り上げた遺構は放棄されてから数百年の歳月が経っていた。けれど、落盤はなく、どこかに通じている通気口からは、新鮮な空気が供給されている。
歴史からも忘れ去りつつあった山脈を貫通する直線の地下水路。優れた土木技術を持つドワーフ族でなければ、為しえない難工事であったに違いない。
それ比べればストロマ村の人々がこれから行う土砂の運び出しは、砂場での児戯に等しい。
出入り口を塞ぐ土砂を退けると石材が現れた。どのような理由かは分からない。ドワーフは廃棄する際に出入り口を意図的に閉じていた。
「——ねえ。ベアトリア。大丈夫だと思う?」
森番の一家に与えられた仕事は、飲み水や新鮮な肉を工事現場に届けることだった。
父さんが仕掛け罠で山の獣を仕留め、母さんが台所で精肉し、僕とベアトリアが飲み水と一緒に運ぶ。
家と工事現場を1日に何度も往復した。
工事が始まってから、ストロマ村の人々は忙しなく働いている。今のところ大きな問題は起こっていない。
工事は順調に進んでいる。だけど、僕は不安だった。
「天井に張り付いていた蜘蛛のことか? さっき窓から投げ捨てたぞ」
「僕が心配なのはストロマ村の人達が工事している水路のほうだよ。山の中に泊まり込んでるけど、大丈夫なのかな?」
「護衛の冒険者がいるだろう」
「それはそうだけどさ⋯⋯。アンクハースト辺境伯が
ベアトリアは僕の家で寝起きしている。自分の部屋で寝ていても、いつの間にか客間のベッドに運ばれてしまう。結局、諦めて僕はベアトリアと一緒に寝るのを受け入れた。
一緒のベッドで身体を寄せ合って眠る。夜中に何度か誘いをかけられているけど、気付かない振りをしていたりする。つまりは無視を決め込む。
僕もドラゴン相手に図太くなったものだ。
「今日は冒険者が山中をパトロールしてた。あの人達は夜も見回りをしてくれているかな」
「まともな脳みそを持っていれば、見張り番くらいは立てているだろう。領主自身が前線指揮官だ」
表向きは山中に潜む野生の獣や魔物から村人を守るための警戒。だけど、実際はアンクハースト辺境伯の妨害に備えての兵力だ。
オールドマン男爵も身分を偽り、護衛騎士ギャリーとして工事現場に詰めている。領民が心配なのか、顔には疲労の色が浮かんでいた。
ほとんど休んでいないのだと思う。
4日に1度はストロマ村に帰って休息をとっているようだけど、疲労が顔に表れていた。
「あの女は領主にしては出しゃばりが過ぎる。とはいえ、どれだけ貧しかろうと貴族は貴族。私兵を動かす準備くらいはしているだろう」
「何ごともないのが一番いいけどね。もう夜も遅いし寝よう」
「ランプの灯りを消すぞ」
「うん。いいよ」
獣油を燃焼させているランプが消える。光源を失った室内は真っ暗となった。
暗闇に目が慣れると、カーテンの隙間から差し込む月明かりが見えてくる。
「ねえ。聞いて良い? ベアトリアはヒュマ族が嫌い?」
「どうしてそう思う⋯⋯?」
「村の人と関わらないようにしてるよね。だから、そうなのかなと思ったんだ。僕には話しかけるのに、父さんや母さんには自分から話題を振ったりもしない」
「元来の性格だ。必要がなければ深入りしない。それがお互いのためにもなる」
「そう。でも、それはなんだか寂しいね」
「私はそう思わない。今までずっと一人で生きてきた。ルーファと出会わなければ、同じ生き方を続けていたはずだ」
「ずっと一人? ベアトリアにも両親がいる。家族はどうしてるの?」
「母とは会話をしない。互いに無視をしている。ドラゴンの親子関係はそんなものだ。ドラゴニュートの父とは親しい。巣立った後は、何度か手紙でやりとりしていた。兄弟姉妹とはまったく交流がない」
「やっぱりベアトリアは一人じゃない。家族がいる。お母さんは赤の祖竜なんだから、つまり赤竜王だよね。ベアトリアは王女様ってことになるの?」
「そういう考え方をドラゴンはしない。同族嫌悪の種族性質で、血の繋がった親子だろうと仲が悪い。だから、生まれた子どもの育てるのはドラゴニュートだ。私の場合は親と呼べるのは父だけだった」
「お父さんは元々ヒュマ族だよね。
「教会の聖職者だった。赤の祖竜は嫌がる父上を無理やり拉致して娶った。だが、優しい父上はそんな母でも愛している。母の強引さには辟易させられる。だが、父上の優しさも弱味であった」
「そうかな? 優しさは美徳だよ。賞賛されるべきことだ。弱味なんかじゃない。むしろ強い人だ」
「⋯⋯父上は損ばかりしている人だった。いつも他人を優先していた。貶められ、利用されても⋯⋯、他人を信じ続けた。私はそれが腹立たしかった。もっと自分のことを考えてほしかった。その一点に限っては母と同じ思いだった。母は気に食わないが、父上を婿に選んだことは褒めてやってもいい」
「良いお父さんだね。そんなお父さんが愛しているなら、お母さんだって、本当はいい人なんでしょ? 結婚までがちょっと強引だっただけでさ」
「ほう⋯⋯? そうか、そうか⋯⋯」
「ん? なにか変なこと言った? 僕?」
「最初は
僕は失言だったと気付く。ベアトリアの手が触手のように伸びてくる。生脚を絡ませて、覆い被さろうとしてきた。
「遮音結界を構築すれば、声は外に聞こえない」
興奮しているのか、口からは業火の音が聞こえる。
ドラゴンは人間の姿になっているときでも、感情が高ぶると火を吹いてしまうようだ。
「まだ未成年だから⋯⋯ね? お互いをもっと知ってからのほうがいいよ。一番最初は特別だって言うじゃん? もっとベアトリアを知りたいなー。もっと仲良くなりたいな〜」
「ドラゴンは我慢弱い。あまり私を誘惑してくれるな」
とりあえず窮地は脱した。
ベアトリアは僕の頭に乳房を擦り付け、身体の節々を触るだけで止めてくれた。
(助かったのかなぁ。これ⋯⋯。それと⋯⋯オッパイ大きい⋯⋯)
誕生日が来たら童貞を奪われるのは、不可避だと覚悟を決めるしかない。
もう逃げられる状況ではない。逃げるつもりはないけども、もし逃げたらベアトリアは地の果てまで追ってきそうな気がした。
「僕さ。学校に行ってないけど、読み書きは父さんや母さんに教わってる。叔父さんの家に預けられてたとき、本を読んだよ」
「ルーファは本が好きなのか? 私の蔵書は多いぞ。魔道書だけでなく、時間を潰すための娯楽本もある」
乳房を擦り付けられながらも、僕は真面目な話題を振ってみる。
「僕が読んだのは白竜大戦の歴史書だった。僕が生まれる遥か昔。白竜王アリスはドラコニア連邦を創設し、同胞に呼びかけた。それまで、同族同士で手を組まなかったドラゴン達は歴史上初の国家を作り、大陸の覇権を得るために世界大戦を引き起こした。そうだよね?」
「ドラコニア連邦か⋯⋯。あれは国家というよりは支配者達による同盟に近い」
「ベアトリアは300年前の戦争に参加してた?」
白竜大戦。ドラゴン族の趨勢を決定付けた大陸全土を巻き込んだ大戦だった。戦争の結果は歴史書に記されたとおり、ドラコニア連邦の敗北で終わった。
「私が過去を知りたいから、そういう質問しているのか?」
「過去は過去、今は今だ。でも、ベアトリアの過去に興味があるのは事実だよ。でも、言いたくなければ何も言わなくていい」
「戦争の話だ。寝心地が良くなる内容ではない」
「そっか。もう眠たくなってきた。夜更かしすると寝坊しちゃうね」
ベアトリアが自分から言い出すまで、白竜大戦について僕は触れないようしようと決めた。
きっと良くない出来事があったのだと思う。
この世界には沢山の生き物が存在する。その中で「人類」という枠内に入っている種族だけが、人間として扱われている。
白竜大戦が終わった後、天界の神々と教会は連名で〈竜滅宣言〉を発表した。竜狩りの時代が始まり、ドラゴン族は滅びかけている。
ベアトリアはずっと山奥の廃鉱に隠れ住んでいた。同じ言葉で話し、感情も通じ合う。
他の種族よりも少しだけ多くの力を持った種族というだけなんだ。
触れていると分かる。ドラゴン族だって、僕らヒュマ族と何ら変わらない「人間」。僕は平和が好きだから、ドラゴン族とだって仲良くなりたい。
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