【5話】ドラゴンとの共同生活

 小鳥たちの囀りが聞こえる。


 窓から差し込む朝日の光りがとても眩しい。


 もう少しだけベッドって眠っていたい。


「もうちょっとだけ⋯⋯寝る⋯⋯。あと5分⋯⋯だけ⋯⋯」


 寝返りをうって日差しから顔を背ける。ちょっと暑苦しいけど、夏はいつもこんなものだ。昼間はもっと酷い暑さになる。


 なんだか枕が硬めだった。ほどよい弾力で、優しく包み込んでくれる。それに、とっても良い匂いがした。


「そうか。好きなだけ寝るといい」


「少しだけだよ⋯⋯、すぐ起きるから⋯⋯」


 誰かが頭を撫でてくれる。僕は再び安らかな眠りに落ちようとしていた。


 胸の谷間に頭を埋め、僕はすやすやと二度寝を⋯⋯いや、待った。おかしい。


「え? えぇっ! ちょっと待った! なにやってんの!?」


 僕は飛び起きる。僕の寝ているベッドに侵入していた。


 赤竜ベアトリアは当然のごとく同床し、僕らは身を寄せ合っている状態だった。


 記憶が正しければ、僕は自分の部屋で眠ったはずだ。


 ベアトリアを来客用の部屋ゲストルームに案内した。その記憶が僕にはある。


「もう⋯⋯。困るよ。勝手に入ってくるなんて⋯⋯。僕の部屋でなにやってんのさ?」


「ここは客間だぞ」


 周りを見渡す。確かに僕の部屋じゃなかった。普段は使っていない来客用のベッドに僕はいた。


「ルーファは私の身体を求めているようだな。口では否定していても本能は誤魔化せぬ」


「⋯⋯嘘吐き。夜中に僕を運んだでしょ」


「自分の意思で私に夜這いをしかけたとは思わぬのか?」


「思わない。夢遊病の気はないよ」


 そんなはずがない。間違いなく熟睡中の僕を引っ張り出して、自分のベッドに持ち帰ったんだ。


 大胆過ぎる行動に僕は呆れるしかなかった。


 真っ白な絹のネグリジェを着たベアトリアはとても魅力的だ。わざと胸の谷間を露わにして誘惑してくる。


「我慢などする必要もないだろうに⋯⋯。私はいつでもよいのだぞ? そう、いつでもだ」


 攻勢をしかけてくる。ドキドキしてしまうけど、なんとか自重する。


 炎色の美髪を靡かせ、僕の心を奪おうと蠱惑的な仕草で僕を誘ってくる。大きな乳房も相まって、ドラゴンというより精気を欲するサキュバスのようだった。


「揶揄わないでよ。まったくもう」


 念のため衣服の乱れをチェックする。脱がされた形跡はないので、何ごともなかったようだ。


 汗ばんでいるのはきっと寝苦しかったからだ。弄られていた気もするけど、何もなかったと信じることにした。


 このままベアトリアのいるベッドで二度寝する気にもなれない。僕は自分の部屋に戻ろうと扉を開けた。


 すると都合の悪いことに、廊下には父さんがいた。


「あ⋯⋯、おはよう⋯⋯。父さん」


 薪を作りに出かけようとしていたのか、父さん手斧を持っていた。


 まず僕を見る。次に客室のベッドにいるベアトリア。


 交互に視線を向け、何かを察したように僕に視線を戻した。


「そうか。もうルーファも大人なんだな。昨夜はお楽しみだったか⋯⋯。もう子どもじゃないんだな。息子よ⋯⋯」


「あのさ。父親のくせに誤解を招く発言はやめてくれない?」


「冗談だ。母さんが朝食を作っているぞ。ドングリのクッキーだ。ベアトリアさんの口に合うかは分からないが、2人分を用意してくれてるはずだ」


「アク抜きちゃんとしてた? だいぶ昔だけど、アク抜き忘れたを出されたときは酷い味だった」


「今日のは大丈夫だった」


 僕の家は貧しくない。だけど、お金持ちでもない。そもそもお金があっても近くに商店ない。


 山で取られた木の実や山菜、あとは獣肉を主食としている。


 ドラゴンは鉱石を主食としているらしい。普通の食事も食べられるみたいだ。


 実際、ベアトリアは昨日の夕食を完食してくれた。


「ドラゴンって食べられないものとかないの? 嫌いなものとかある?」


「消化器官で燃焼させている。おおよその食材を食せる。主食は鉱石だ」


「鉱石⋯⋯。じゃあ、あの巣穴で鉱石を掘ってたの?」


「鉱脈の質は悪い。だが、贅沢ができる身分でもないからな。鉱石は栄養補給源だ。普通の食事では味を愉しむ。ルーファが食してる朝食を私も食べてみたい」

 

 僕の心配は杞憂に終わった。朝食もベアトリアは食べてくれた。


 彼女にとってドングリのクッキーは口に合ったのだろうか?


 美味しいのか、不味いのか、表情からは察せない。でも、無理をしている感じもなさそう。


 ドラゴンは豪華な暮らしが好きで、宝物に囲まれて贅沢三昧と聞いていた。


 たった1日ではあるけども、ベアトリアは質素倹約な僕らの暮らしに不平不満を抱いていないみたいだ。


 結局、巷で聞くドラゴンにまつわる噂は、まったくあてにならないと分かった。




 ◇ ◇ ◇




 赤竜のベアトリアは優れた魔術師でもあった。小さなガラス瓶をどこからともなく取り出す。


 ガラス瓶の木栓を外すと、収納されていた衣類が飛び出してきた。


「おぉ〜!」


 寝間着のネグリジェもガラス瓶に保存していた。日用品は収納魔術式で縮小し、小瓶に詰め込んでいるとベアトリアは教えてくれた。


「すごい! すごい! 収納魔術って便利だ!」


 魔術師は何度か会ったことがある。だけど、きっと僕が会った魔術師の中で、赤竜ベアトリアは飛び抜けた存在に違いない。


 詳しい原理はさっぱりだ。丁寧に説明してくれたけど、頭を素通りしていった。


 僕に魔術の知識はないから、何一つ理解できない。だけど、ベアトリアの魔術はとても洗練されている。


 ベアトリアはガラス瓶から衣類を取り出す。外に出てきた途端、手のひらサイズに折りたたまれていたミニチュアの服が、元の大きさに戻った。


「何度見ても不思議だ⋯⋯。こんな小さな瓶に服が入るなんて⋯⋯」

 

 ベアトリアは黒革の旅装束に身を包み、赤髪を束ねる。そして、狩人帽子を深く被った。とても格好いい。


 僕も身長が高くて、足が長ければ⋯⋯。ベアトリアのスタイル抜群の身体が妬ましい。


「荷物は私が運ぶ」


 今日は僕が村に降りるので、その付き添いをしてくれることになった。

 

「半分ずつ持とう。僕だけ楽をしたら父さんや母さんに怒られる」


「黙っていればよかろう。秘密にしていれば分かりやしない」


「そんなことはないよ。悪事は御天道様が見てる」


「お天道様? 太陽信仰か?」


「そんな大したものじゃないよ」

 

「信仰でないのなら、子供じみたことを信じているのか?」


「まだ子供だからね。信じたいことは信じさせてよ」


 僕らは薬草がパンパンに詰まった麻袋と干し肉を持って、山の麓にあるストロマ村へ向かう。普段は一人か、母さんと一緒に歩く林道をベアトリアと歩いていく。


「ベアトリアはストロマ村に来たことがある?」


「一度もない。だが、以前から存在は認識していた。使役獣で偵察を何度か行った」


「偵察⋯⋯?」


「見ていただけだ。それ以外は何もしていない。村人は開墾と街道の整備に手一杯で、私が隠れ住んでいる山には近付かなかった。私の脅威とはなりえぬと判断した」


「出来たばかりの村だからね。オールドマン男爵領、開拓地のストロマ村。何もない退屈な山村だよ」


「退屈だったのか? しかし、何もないのはよいことだぞ」


 つい最近、ドラゴンと遭遇するビッグイベントはあったけどね。

 

「そういうものかな? まあ、新しい村だから、余所者のベアトリアが怪しまれたりはしないよ。このところ、入植者は毎月やってくるからね。父さんの親戚とか、昔の友達ってことにすればいい」


「馴れ合う気はない。人前に顔を出したくはないが、ルーファを1人で行かせるのは心配だった。私が村に行く理由はそれだけだ」


「この辺に魔物は出ないし、僕は何度も1人でお使いに行ってるから平気だよ」


 辺境地にしては珍しく、ストロマ村の近隣では魔物が湧かない。


 人間が安全に暮らせる領域は意外と少ない。


 こういった山地は魔物を生じさせる虚界を生じさせやすい土地柄だ。


「魔物は出ないだろうな。かつてこの地で鉱脈を掘っていたドワーフ族は破魔石で大地を浄化した。連中が去った後も、私が大地に竜脈を巡らせ、瘴気が吹き溜まぬようにしていた」


「ストロマ村の中央にある〈魔除けの破魔石〉はドワーフ族が安置したって聞いるよ。魔物が出ない理由はドラゴンが住んでいたのもあったんだね。影ながら村を見守ってた守護者ってところかな?」


「私にとっても魔物が湧く土地では安心して暮らせぬ。村の人間を守っていたつもり微塵もないぞ」


「そうだとしても人が暮らせる環境を維持してくれていた」


「ドラゴンに感謝する者などいない⋯⋯。人里でこの手の話はしないことだ。盗み聞きの危険がある。私の正体がドラゴンだと露見すれば、遠方へ逃げなければならぬ」


「ポジティブに考えよう。バレちゃえば冒険の旅ができる」


「冒険どころか逃避行だ。ルーファは冒険したいのか?」


「寂れた田舎だもん。母さんは元々が冒険者だし、父さんだって昔は傭兵業をしていた。小さな村で一生を終える前に、外の世界に出てみたい。そう思うのは普通じゃない?」


「外の世界は危険だ。人間が沢山いる」


「人間が恐いの?」


「ああ、恐ろしい。——人間は恐ろしいぞ」


「変なの。僕だって人間だし、ベアトリアだって人間じゃん? ドラゴンは数ある種族の1つだよ」


「かつてドラゴンは自らを〈人〉以上の存在だと自称した。そして、世界の覇権を握ろうと手を伸ばし、不様に負けた。ドラコニア連邦の崩壊後は〈人〉としての権利が剥奪された。今や害獣、もしくは魔物と同列だ」


「全ての人がドラゴン族を迫害しているわけじゃない。僕は違う」


「そうか。ならば、私にとっては救いだな」

 

 ベアトリアは悲観、あるいは諦念とも受け取れる表情を浮かべていた。


 僕はもっと何かを言おうとしたけど、どんな言葉をかければいいのか分からず、俯いてしまった。


 ドラゴンは悪とされている。竜殺しは英雄で、悪いドラゴンは殺して、溜め込んだ財宝を奪うのは讃えられる武勇伝。


 それは本当に正義なのだろうかと僕は思い悩む。


(種族が違えど人類は平等であるべきなのに⋯⋯。皆で幸せになれればいいのになぁ)

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