【2話】まずはお友達から!

 地下深くの岩石層をくり貫いて作られた寝室は、とても居心地のよい空間だった。


 天井が高くて、広々としている。地下の息苦しさを感じさせない。


 ——さて、家で僕の帰りを待っている父さん、母さん。


 僕は竜の巣穴に迷い込んでしまいました。そして、大人の階段を駆け上がろうとしています。


「私の何が不満なのだ? なぜ拒絶する? 私とルーファでは不釣り合いか? それとも⋯⋯他に好いている女がいるとでも言うのか?」


 僕とベアトリアの押し問答は際限なく続く。全裸の美女が僕を睨んでいる。


 ——めっちゃ怖い。


 裸の女性がこんなに怖いとは思わなかった。距離をジワジワと縮められている。逃げ場はない。


「服を引っ張らないでよ。ちょ、ちょっと! それは駄目! 腰のベルトを取らないでよ! 返して!」


 僕はベッドの上にいる。ベアトリアが服を脱がせようとしてくるので、抗っている。


 世の男子は羨ましいと思うシチュエーションかもしれない。


 実際に体験してみればいい。恐怖しかないよ。


「何もかもが性急すぎる! 心の準備ができないよ!! 僕は君の名前くらいしか知らない。急にそんなことを求められても……、普通は困惑する。納得できないよ⋯⋯」


「納得? よかろう。分かった。いいだろう。何を教えればいい? 聞きたいことがあれば質問しろ。私は竜婚の儀式を手早く済ませてしまいたい」


「まずそれ! って具体的には何なの?」


に決まっているだろう」


「⋯⋯⋯⋯子作り?」


「逆に問うが、交尾以外の何を考えていたのだ?」


「⋯⋯あ⋯⋯そう⋯⋯」


 僕は紅潮した頬を隠そうと顔を背けた。ベアトリアの堂々とした態度に負けて、言い返せない。どうしよう。


「ふむ。やはり性行為セックスの知識がないのか?」


「親から聞いているよ。その辺の性知識くらいはある」

 

「恥ずかしがる必要はない。私も初めてだ。だが、上手くやってみせよう。ルーファは服を脱いで、天井を見ていればいい。あとは私の方で済ませておく。私に身を任せるだけでいいのだぞ」


「……えっと。え……っと……。それ本気……?」


「何度、同じ事を私に言わせる気だ? 戯れているように見えるのか?」


 ほんの少しだけ生じた隙。その瞬間、僕はずり下げられたズボンを腰まで戻す。あとはベルトを取り返さないと。


「やれやれ……。他のドラゴンなら、今ごろは衣服を剥ぎ取って組み敷かれているところだぞ。ドラゴンは堪え性がない生き物だ。問答無用で手篭めにしてやってもいいのだがな」


「淑女的な対応を望むよ。それで、どうして僕なの?」


「ドラゴンは性格や外見で伴侶を決めたりはしない。私はルーファに魅入ってしまった。本能には抗えぬ。どんな手段を使ってでも私はルーファを手に入れたい」


 説明になっているようで、説明になっていない。


 絶世の美女が口にすると格好がつく台詞だ。だけど、意味をかみ砕くと性犯罪者の犯行動機と差異がない。


「さっき、ドラゴニュートの話を僕にしてたよね。ドラゴンは伴侶とするヒュマを種族変異させるって……」


「肉体の交わりは魂の結びつきを強める。竜婚の儀式で、精神に竜魂を注ぎ、身体に竜印を刻み、竜化を促す。ドラゴンの血族となったヒュマはドラゴニュートに転変する」


「小難しい単語が沢山並ぶ⋯⋯。もうちょっと簡単に説明してくれると助かるんだけど」


「ドラゴンは不老の種族だ。しかし、定命のヒュマは老いて死んでしまう。共に生きるためには種族変異を起こさねばならない」


「それって、つまり僕がドラゴンになるの……?」


「ドラゴニュートには人の姿のままドラゴンの角と翼、尻尾が与えられる。不老の存在に変わり、ドラゴンとの結びつきが強固となる。ドラゴンとドラゴニュートは一心同体の存在だ。片方が死ねば、もう片方も死ぬ」


 隣に座ったベアトリアは、僕の肩に手を乗せてくる。払いのける勇気はない。だけど、このまま流されるわけにもいかなかった。


「お触りだけにしてね。僕はまだ知りたいことがある」


「後で聞けばよかろう? 私の伴侶となれば無限の時間が与えられる。何を迷う? ルーファに選択権はないぞ。たとえ拒絶したとしても、私には暴力という最終手段がある」


「——だったら、手っ取り早くを使わない理由は?」


 身体を撫で回していた手の動きが止まる。僕からの問いかけで、ベアトリアは石像のように硬直した。


 意図的ではなかったが、棘のある言い方になってしまった。


 何が彼女の琴線に触れたのかは分からない。だけど、動揺しているのは確かだった。


「私なりにルーファの意思を尊重している。それだけだ。無理強いよりは合意を得たほうがよい。嫌われたり、憎まれたくはないからな」


 ドラゴンは傲慢な生き物と言われている。赤竜ベアトリアの乙女的な態度は、世間一般が思い浮かべる冷徹なドラゴンと一致していない。


 少なくとも僕の冷淡な言葉にたじろいだ。人間的な感性が彼女にはある。

 

 いざとなれば強引な手段を使うとベアトリアは言う。嫌がる僕を手篭めにすることも厭わないと⋯⋯。しかし、単なる脅しであるような気がした。


 寝室に連れ込まれてからもベアトリアは暴力を振るってこない。服を脱がそうとしたり、身体をベタベタ触るくらいだ。


 まあ⋯⋯、それはそれで完全なアウトな気はする。僕ってこれでも未成年だからね。


「相手の意思を尊重してくれるのは善い人だ。僕が好きなのは相手をそういう人かな」


 ベアトリアは苛立っているかもしれない。でも、僕に衝動をぶつけようとせず、説得を試みている。僕が頷かない限り、手を出してこない気がした。


「ルーファには好きな相手がいるのか?」


 やたらと探りを入れてくる。残念ながら僕はモテない。


「恋人どころか、友達だって1人もいない。引っ越してからは、村外れの山奥で両親と暮らしていたからね」


 ベアトリアは顔を綻ばせて満面の笑みを浮かべた。


「それは良いことだ。初恋の相手が私なのだから、私の伴侶となればいい」


「初恋の相手と言った覚えは……」


「今まで会ってきた女の中で、私以上に魅力的な女がいたか? これから先、私以上の相手と巡り会える自信があるか? やはり私が相応しい。私以外にいない。そう思うだろう?」


「口説かれるのは嬉しいかな。でも、答えは保留にさせてほしい」


「ルーファはドラゴンが嫌いか?」


「嫌ってない。僕は色々な種族の人と仲良くなりたい。皆で幸せになる。それがモットーだよ。だから、即答はできない。父さんや母さんと相談したい。それに結婚するなら、やっぱりお互いを知ってからだ。まずはお友達から始めてみない?」


「友達……」


「うん。僕はドラゴンと友達になりたい。プロポーズの返答は成年になったらするよ。ベアトリアは大人の対応をしてくれたから、僕も大人として気持ちに答えたい。あと1カ月で僕は成人年齢の16歳だ。それでどう?」


 アランベール王国は16歳で成人と見做す。成人年齢は種族や国家で異なるけど、ヒュマ族の国家では概ね16歳が成人年齢となっていた。


「父さんと母さんにだけ、ベアトリアを紹介させてほしい。今は竜狩りの時代だけど、僕の両親なら絶対に大丈夫。そこは僕が保障するよ」


「はたしてどうであろうな…⋯。教会はドラゴンに莫大な懸賞金を賭けているぞ。ドラゴンの巣穴を教えるだけで、農民が一生遊んで暮らせる報奨金が与えられる。たとえ血の繋がった両親でも信頼はできぬ」


「もし僕の両親が密告したのなら、僕を好きにしてもいいよ。望み通りにするといい。僕は快く受け入れる」


「ほう……。その言葉に二言はないな?」


「僕は父さんと母さんを信頼している。ベアトリアを誰かに売ったりはしないよ」


「よかろう。両親に相談すること、16歳になるまで待つこと。この2つの条件を飲めば、私の伴侶となることを受け入れる。異存はないな?」


「16歳になったら正式にプロポーズの返答をする。まだ答えは保留だよ」


「拒絶したときは、私がどういう行動をとるか……。覚悟を決めておくことだ」


「脅すのはダメ。好感度が下がっちゃうよ?」


「ふん。我が侭を聞き入れてやろう。16歳になるまでは待ってやる」


「これからよろしく。一時はどうなることかと思ったけど、話し合いで解決できて本当によかった。相互理解を深めていこう。もっとベアトリアのことを教えてくれる? そして、ベアトリアも僕のことを知ってほしいな」


「知りたいのか? だったら、服を脱げ。私の全て教えてやる」


「そっちじゃなくて、お互いの気持ち的な話だってば! ドラゴンと仲良くなりたいんだ」


「肉体的な結びつきは精神にも影響を与えるぞ?」


「まずは精神面のお付き合いを希望かな。男女の仲になるのは、その後でいい」


「ルーファは変わり者だな。もしや女に興味がないのか?」


「僕は異性愛者だ。常識的に考えて、出会ったばかりの人と結婚できるはずがないでしょ。だけど、種族で差別したりはしないよ。ベアトリアがドラゴンだから拒絶してるわけじゃない」


「⋯⋯ドラゴン族に対し、融和的な思想を示せば、どのような扱いを受けるか。ルーファも知らぬわけではなかろう?」


「白竜大戦のこと?」


「そうだ。竜族は勇者との戦いに敗れた。ドラコニア連邦は崩壊し、戦争を生き延びたドラゴンも竜狩りによって数を減らしている」


「ドラコニア連邦の歴史は知っているよ。ドラゴンは沢山の国々を侵略した。世界統一を掲げて世界大戦を勃発させた。そして勇者達に敗れたことも……。でも、それは僕が生まれる前の話だ。大昔の出来事だよ。僕は今の話をしたい」


「ヒュマの寿命は短い。大昔と言い切れるのは短命種くらいだ。覚えている当事者達もいる。いや、むしろ世代を経ても同じやもしれぬ」


「そうかな? だって、うーん。先祖っていっても曾祖父の代までいったら、他人みたいなものじゃない?」


「憎悪の歴史が子々孫々と語り継がれ、当事者以上に悪意を肥大化させることもある」


「過去よりは現在を、現在よりは未来を見て進むべきだよ。僕は前を向いて歩きたい。後ろを向きながら、前には進めない」


「その考え方は好ましいな。しかし、世の人々が全て同じ考えではないぞ」


「僕は頑固だからさ。世間の都合は関係ない。僕の行動理念にそぐわないなら、抗うまでさ」


「ルーファを手元に置いておけるのなら、不満はない」


 紆余曲折の話し合いを経て、僕とベアトリアは落とし所を得た。


 まずは「お友達」から始めるということになった。

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