【1話】強引な求愛

 赤鱗せきりんの大竜は子猫をあやす、優しい口調で告げた。


「本来であれば生かして帰すわけにはいかない。そう怯えるな。どうやら私は貴様を殺せない」


「それまたどうして? いや、僕的にはとても好都合だけどもさ」


「この巣穴は竜毒りゅうどくで満たされている。ほかにも強力な呪術式を施し、外部からの侵入を阻んでいた。何ら対策をしていない人間であれば死は免れぬ」


「毒と呪い⋯⋯? そんな恐ろしい場所だったんだ。こわ〜」


 猛毒で汚染されているとドラゴンは言った。そういえば、ドラゴンは竜毒と呼ばれる致命毒があると聞いた。返り血を浴びてしまった騎士が、毒で死んでしまったという話だ。


 今のところ、僕の身体に変調は起こっていない。


 僕は新鮮な空気が流れてくるほうに歩いてきたつもりだった。


 どうやら僕に冒険者としての素質はないらしい。危険な竜の巣穴に迷い込んでしまうなんて⋯⋯。


「貴様は私の竜毒にむしばまれず、廃鉱の最奥部に辿り着いた」


「辿り着いたというか⋯⋯迷い込んじゃったんだ」


「貴様は竜毒に対する完全耐性者だ。そして、私が施した呪いも効かない。それだけに止まらず、殺そうと思っても殺意が湧かぬ。つまり、殺せない運命さだめにあるのだ」


「さだめ⋯⋯?」


「稀にそういう体質の者がいる。竜毒や呪いで貴様が傷つくことはない」


 どうやら僕はドラゴンの毒が効かない特別な体質らしい。さらには呪いも弾いているとか⋯⋯。あれ? もしかすると凄いことなのでは?


「私を恐れるな。危害は加えない。約束しよう」


「ふぅ、安心した。僕だってこの歳で死にたくはないからね。ここで見聞きしたことは秘密にするよ。それじゃあ、さようなら。家に帰るね。どっちが出口? 地上までの道を教えてくれない?」


「家に帰る⋯⋯? それは許さぬ」


「夕飯までに帰らないと。母さんに怒られちゃう⋯⋯」


「ルーファと言ったな。貴様はドラゴンの繁殖方法を知っているか?」


「⋯⋯え? いきなりなんで⋯⋯?」


「今後の私とルーファの関係上、重要となる」


 関係? 関係って何だろうか? なにやら怪しい雰囲気だ。


 妙な話題を唐突に持ち出され、僕は首を傾げる。というよりも、反応に困ってしまった。


「キャベツ畑とかコウノトリの話なら⋯⋯知ってるよ?」


 ドラゴンの反応を見るためにとぼけてみる。知っているか知っていないかで問われれば知識はある。


 経験はないけれど。


「本気か? そのような与太話を信じているわけではあるまいな? それとも本当に知らないのか? 幼年ゆえに性的知識が欠けているのか?」


 ドラゴンの表情を読み解くのは難しい。でも、この顔は僕を小馬鹿にしてる。それは分かった。


「さすがに分かってる。さっきのは冗談」


「くっくくく! そうか、そうか。初心うぶな奴だな」


 赤いドラゴンは声を上げて笑う。笑い声で大気が振動した。まるで大砲のような声量だった。


「恥ずかしいから直接的には言わないけど、雄しべと雌しべでしょ?」


「直接的な表現を避けるのはなぜだ? 性行為セックスと言えばよかろうに」


 言っちゃったよ。この人。女の人なのに。なんで恥ずかしげもなく言えるんだろう。


 これが本物の大人と子どもの違いなのかもしれない。


「ちゃんと分かってるってば! とにかく自分がどうやって生まれてきたかは知ってる。ドラゴンについては詳しくないけど⋯⋯」


「ならば教えてやろう。ドラゴン族は8体の祖竜から始まった。後に八大竜王と呼ばれる始祖のドラゴン達だ」


 八大竜王——親戚のおじさんから聞いた気がする。ドラゴン族の始祖。祖竜と呼ばれる偉大な8体のドラゴン。


「8体の祖竜は、完全かつ完璧な生命体だった。それぞれが1体で1つの独立した単一種族。それゆえにドラゴン族は繁殖する必要がなかった」


「たった8体? なんかそれは寂しいね。完璧だとしても、同じ仲間が8体だけなんて少なすぎない?」


「8体でも多すぎたのだ。生命樹より生まれ落ちた祖竜は、の種族特性を生まれながらに持つ」


「どうぞくけんお?」


「ドラゴンは同族を憎み、恐れ、遠ざける。祖竜に性別はなかった。増える必要がないからだ。ドラゴンの天敵はドラゴン。同族を嫌悪するのが我々なのだ」


「ん? でも、それは変だ。その話が本当ならドラゴンは8体しかいないことになる。この世界にドラゴンは沢山いるよ。竜狩りで数は減ってるけど、昔は沢山いたって父さんや母さんから聞いた」


「あるとき、黒の祖竜が恋患いこいわずらをした。それによってドラゴン族は大きく変容した」


「⋯⋯こいわずら⋯⋯え⋯⋯?」


「恋愛感情だ。執着と言い換えてもよい。黒の祖竜はある少年に深い恋心を抱いてしまった」


 なぜ黒の祖竜が少年に恋をしてしまったのか。詳細は伝わっていないという。


 孤高の生き物であるはずの始祖竜が、ちっぽけな生き物に惚れ込んでしまった。


 ——最初から創造主が意図していたのか。


 ——それとも偶然の産物なのか。


 ——理屈や理由はないのかもしれない。


 いずれにせよ、黒の祖竜から寵愛を受けた少年は、ドラゴン族の運命を大きく変える存在となった。


「黒の祖竜は溺愛する少年との間に子を作りたいと考えるようになった。しかし、生殖能力のないドラゴンに子を産む能力はない」


 愛する人と子を成したい。黒の祖竜はヒュマ族の少年と愛し合った証をこの世に残したかった。


「黒の祖竜は創造主グラティアに生殖能力を与えてほしいと願った。その望みは聞き届けられ、ドラゴン族は完全性を失う代わりに繁殖能力を得た」


「そうなんだ。黒竜さんとその少年が幸せになれたなら良いことだね。もしかしてドラゴンの昔話?」


カビの生えた伝承であり、ドラゴン族の歴史だ。黒の祖竜はヒュマ族の少年と子を成した。他の祖竜も伴侶を見つけ、子作り始めた」


「異種族で仲良くできるのは良いことだよ。あれ? でも、ドラゴン同士は仲が悪いまま?」


「同族嫌悪の特性は消えておらん。ドラゴンは同族と子を成すことはない。必ずヒュマ族の異性と交配を行う。私の母は赤の祖竜だが、父はヒュマ族だった」


「ベアトリアさんにも半分はヒュマ族の血が流れているんだね。半分は僕と一緒なんだ」


「そうとも言えぬ。ヒュマ族の血性は脆い。ヒュマ族の血は弱く、エルフ族やドワーフ族と交わっても上塗りされる。ヒュマ族の血は薄すぎるのだ」


「変なの。ハーフエルフとかはいるのに?」


「ハーフは稀有な例だ。エルフ族とヒュマ族の混血児でもハーフエルフが産まれる確率は低い。強大な力を血に宿すドラゴン族ともなれば、ヒュマ族の血統など欠片も残らぬ」


「そうなんだ。じゃあ、ドラゴンの子はドラゴンってわけね」


「そもそもドラゴンは特殊な方法でつがいと交わるため、さらに血が薄くなる」


「特殊な方法……?」


「伴侶となるヒュマを種族変異させ、ドラゴニュートに造り変える。伴侶を竜化させ、魂魄と身体への結びつきを強める」


 ドラゴニュート——竜族の寵愛を受け、竜化の儀式で種族変異したヒュマ族をそう呼ぶとベアトリアは説明する。

 

「相手が誰でもよいわけではない。魂の波長が合う特別な個体を、ドラゴンは生涯の伴侶パートナーとするのだ」


「へえ、魂の波長ね。出会ったらビビッと来るの?」


「欲望が溢れ出すようだ。どんな手段を使ってでも手に入れたい。引き寄せられる。探していたわけでも、待ち望んでいたわけでもない。しかし、ルーファとの出会いは運命なのだろう」


 何気なく後ろを見る。


 僕が歩いてきた坑道は、ドラゴンの巨躯を通すほどの大きさはない。走って戻れば逃げ切れるだろうか⋯⋯? 僕の身体は小さいから、隠れられる場所は沢山ある。


「無意味だぞ。私は廃坑の構造を知り尽くしている」


「後ろに幽霊がいないか気になっただけだよ」


「悪霊が住み着かぬように対策はしている。そのような心配は不要だ」


「そっか。なら、夜中にトイレへ行くときも安心だ」


 体力は残っている。逃走を試みるべきだろうか? たとえ逃げても僕を殺そうとはしないはずだ。だったら、試してみるのもいいかも。

 

「逃げればすぐ捕まえる。隠れても無駄だ。私はルーファの匂いを覚えた」


「逃げようなんて、まさかね。これっぽっちも思ってないよ」


「ドラゴンは巣穴にこだわる。ここが一等地であるとは言わぬが、住み心地は悪くないぞ。不自由な思いは極力させぬつもりだ。欲しいものを与えてやる」


「怖いね。肉食獣が獲物を見るような目になっているよ」


「ここで私とともに暮らすのだ。私を恐れるな。ルーファを傷つけたいとは思っておらぬ。だが、抵抗をするのなら強引な手段を使うぞ。見苦しい真似はやめておけ。恥を掻くだけだぞ」


 うん。これは間違いない。貞操の危機だ。恥とは何を指すのだろう。


「えーと、僕ら出会って10分と経ってないよ……?」


「ドラゴンの恋愛とはそういうものだ。私も初めての感覚で困惑している。だが、間違いはない。巣穴に迷い込んだルーファを殺そうとしたが、どうやっても本能が拒絶する」


 すごく物騒なことを言っている。殺し合う状況にならなかったのは良かったけれども。


「私の伴侶はルーファなのだ。はっきりと分かるぞ。私は恋をしている」


「気の迷いって言葉もある。もう少しちゃんと考えてみたら? 勘違いだったら大変なことになるし……」


「私の想いを愚弄する気か?」


 ドラゴンの機嫌を損ねてしまったかもしれない。僕はとても失礼なことを言ってしまったようだ。


「そういうつもりはないよ。ごめんなさい」


「間違いなどありえぬ⋯⋯! ドラゴンの魂が確信している。ルーファが私の巣穴に迷い込んだのは運命だ! 視線を交わしたとき、私は空間が歪むような錯覚さえ覚えた⋯⋯!!」


「本当に空間が歪んだ可能性もある⋯⋯じゃない? 局地的な超常現象が起きたとか?」


「あるわけなかろう」


 普通はそう思うよね。さすがに無理のある言い訳だった。


「私をの誘いを拒絶するのか?」


「それってプロポーズ⋯⋯?」


「愛の告白だ。受け入れてもらうぞ。御託を並べて私の恋心を否定するというのなら、蛮行に手を染めるのもやむなしだな」


「うーん……。無理やりするのはダメだと思うよ。その、倫理的にさ……」


 察しの悪い僕でも、この赤竜が何を言っているのかは分かる。


 僕は求婚されているらしい。想定外の展開に驚かされっぱなしだ。


「僕はすごく平凡な人間だ。ドラゴンに見初められるほど、かっこいいわけじゃないし⋯⋯。特別な才能だってないよ」


「自身を卑下するな。ルーファの顔立ちは悪くないぞ。身の程を弁えぬ無遠慮な態度も、私は不快と思わぬ」


「それ褒めてるのかなぁ⋯⋯?」


「もちろんだ。褒めている。恐れ知らずな子猫のようだ。愛らしく思う」


「ちょ、ちょっと⋯⋯! 口から炎が漏れてるよ!?」


 炎を吹くドラゴンにとっては、涎のようなものなのかもしれない。さっきまでは穏やかだったのに、口から溢れる吐息に火の粉が混じっている。


「誘惑しているくせに焦らすからだ。独占欲と支配欲が心中を渦巻いている。我が精神は高揚こうようしているのだ。抑え難い性情がたぎる。心臓の高鳴りを止められぬ。——私は紳士的に振る舞うつもりだぞ」


「女性なら淑女というべきでは⋯⋯?」


 赤竜ベアトリアの巨体が霧散する。空中を舞う焔の中から、長身の美女が現れた。


 燃えさかる火炎のような紅蓮色の髪、凜々しい顔立ちは王者を想起させる。


「どうして全裸? 服は⋯⋯?」


 あとオッパイが大きかった。たぶん、僕が出会った女性の中で一番大きい気がする。


「どうせ脱ぐのだから必要なかろう」


「⋯⋯え? えっ!? ちょ、まって!? はわわわぁっ!?」


 顔よりも大きなオッパイに目を奪われていた僕は腕を掴まれてしまった。紅髪の美女となったベアトリアは、僕の身体を抱き寄せる。


「喜べ。ルーファ、貴様を娶ってやろう。赤竜ベアトリアの伴侶となれ」


「夫婦は愛し合う男女がなるもので、強引になれるようなものじゃないよっ……! いきなりそんなことをいわれても……すごく困る……!!」


「何が困る? 竜婚の儀式で竜の血族に生まれ変わるのだ。脆弱で短命なヒュマ族から、不老の種族に転生できるのだぞ。何の躊躇ためらいがある?」


 ベアトリアの両眼が妖しく光る。深紅の目が僕の精神を誘惑しようとしていた。だが、その効果は不発に終わる。


「う〜ん。そもそも僕は未成年だから、結婚は無理じゃない?」


「未成年? 法律が何だというのだ?」


「最近は厳しいよ。未成年に手を出すと色々とね」


「もうよい。ルーファ、私の両目をしっかりと見ろ。瞳の中を覗き込め」


「目? めっちゃ見てるよ。燃えてるみたいに真っ赤だね。綺麗で羨ましい」


「幼いとはいえルーファもオスだろう。この私を抱きたいとは思わぬのか? 私の肉体を自由に愉しめるのだぞ。ルーファが身心を捧げてくれるのなら、同じだけのものを与えよう。その身に宿す肉欲を叶えさせてやる」


「とっても美人だし、すごく魅力的な体付きだとは思うけど、未成年淫行はちょっとね。それにお互い何も知らないまま結婚しても、いい結果にはならないと思う」


「ルーファ、私と視線を合わせろ…⋯」


「見つめ合ってるよ。でもダメなものはダメだね」


「おかしい。なぜだ? なぜ私の魅了チャームが通じぬ⋯⋯?」


「色仕掛けはちゃんと効いてるよ」

 

「竜毒が効かぬのなら、竜眼にも耐性があるということなのか……?」


「⋯⋯え? まさかドラゴンは眼で相手の精神を支配できるって噂を聞いたけど、もしかして僕にやろうとしてた?」


「そんなところだ。ふむ。上手くいかぬものだな」


 しらけた顔付きを作ったベアトリアは僕を離してくれると思った。けど、そうはならなかった。


 強引に引っ張り上げて、お姫様抱っこで僕を巣穴の奥に運んでいこうとする。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕をどこに連れて行く気!?」


「立ち話は疲れるだろう。場所を移す。そこでヤる」


「自分で歩けるから降ろして! 強引なのはイヤだってば! とにかく話し合おう。ね? まずは話し合いは大切だよ?」


「話はあとでいくらでも聞いてやろう」


 こうしてお姫様抱っこされていると、ベアトリアの柔らかく膨よかな乳房が僕の顔に接触する。


 顔を背けたら、押し当てられたので、わざとやっているみたいだ。


「この大空洞は竜体で休むためのねぐらだ。人の姿で過ごすときは、別の寝室を使っている。強引に事を進めるとしてもベッドの上がいいだろう?」


「え? えぇ!? ちょっと待った! そういうのは大人になってからじゃないとダメなのに!!」


「——潔く運命を受け入れろ。オスだろう」


 こうして僕は巣穴の奥深くに連れ込まれてしまった。


 見初められたことで、血を流さずに済んだ。


 だが、このままいくと僕は性的な意味で襲うつもりらしい。命の危機は回避したものの、貞操の危機は現在進行形だ。

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