恋するトースター
ばしゃうま亭 残務
恋するトースター(1話完結)
彼女はトースター。恋するトースター。
狭く雑多なワンルームの隅で。下には電子レンジ、横にはケトル。
「あいつ、いつになったら俺を洗浄するんだ?てめぇの健康にも関係してんだぞダボがっ」
ケトルはすぐに怒り出す。
「まぁ、ろくに自炊もしない若い男が、ケトルを洗うなんて考えもしないでしょう。僕だって中でたまごが破裂した時くらいしか掃除されない」
電子レンジは冷静で分析的。
「衛生ってもんもう少し考えねえと、タクミ、マジでいつか体壊すぞ」
部屋主のタクミは24歳のサラリーマン。掃除にも自炊にも関心がない、少し抜けた細身の青年。
そして、トースターの初恋の相手。
「タクミさんの偏食も気になるわ。もっと、パンとか、食べるべきよ」
「それはあなた、自分をもっと使って欲しいだけでしょう」と電子レンジ。
トースターは銀色で、2枚の食パンを縦に挟んで焼くポップアップ式。正面に「こんがり」「うすく」というつまみがひとつあるだけの、昔ながらのシンプルな型。
タクミの家に来るまでは、街外れの家電量販店の棚の上で、長い長い時間を過ごした。
三段ある陳列棚の一番下、目線を落とさないと見つけられない場所に置かれた、安物のトースター。
誰にも買われない、興味を持たれることもない。陳列棚の仲間たちが次々と入れ替わる中、ひとり売れ残り続けた彼女を手に取ったのが、タクミだった。
夕方の仕事終わり、スーツ姿のまま売り場に来たタクミは、洗練されたデザインの他商品には目もくれず、棚の前にしゃがみ込んで彼女を持ち上げた。
「うん、これがいい」
これがいい。この5文字は彼女にとって、天からの福音のように聞こえた。迎えに来てくれたこの青年に、トースターは宿命的に恋をした。
そうしてタクミの家に来てから2年。
幸せな時間を想像していたトースターだったが、タクミに使われることはほとんどなかった。
年に一度くらい気まぐれで食パンを買ってくるが、一袋を食べ終えたら、またしばらく使わなくなる。
電子レンジやケトルは、毎日のように使われるのに。
「あなたは、パンを焼くしか、使い道がないですからね」
電子レンジはデリカシーがない。事実であればなんでも言っていいと思っている。
「ケトルだって、お湯を沸かすしかないじゃない」
「てめぇアホか、熱湯はいろんなもんに使うだろう。一緒にすんな」
むすっ。いいもん。選んでもらえただけで、私は幸せだから。
トースターは自分に言い聞かせるようにそう思った。
あるとき、タクミが急にトースターを使い出した。テレビで見たガーリックバターにハマったらしい。毎朝タクミは、食パンに大量のガーリックバターを塗って食べた。
「ほら!わたし、必要とされてたんだわ!ああしあわせ!」
「あんたは幸せでも、バターをあんなに・・タクミまじでいつか偏食で死ぬぞ」
しかしタクミのガーリックバターブームは、2週間ほどで終わった。それから長い間、トースターは触られることもなかった。
季節がいくつか巡って、部屋の模様も変わった。壁にかけられたスーツも少し上等なものになった。だけど、トースターには埃だけが積もっていった。
「どうして私を買ったんだろう。気に入ったんじゃなかったのかな」
「気持ちは、古くなるものです。家電よりもずっと早く」
だけど、私はタクミにとって特別。トースターは心のどこかでそう思いたかったから、月日を重ねるごとに不安は増していった。
ある日、タクミがテレビを見ている様子を見て、電子レンジが言った。
「インテリア・・・だったのかもですね」
「どういうこと?」トースターが聞く。
「ほら、今見てるテレビ。タクミはアニメーション映画が好きです。特にジブリ。あなたって多分、ジブリっぽいから、インテリアとして買っただけかもしれないですね。べつにパンを焼きたかったわけじゃなく」
トースターの心に、黒くて大きな石を落っことされたような感覚がした。ずしん。
「インテリア・・・。私は、トースターなのに・・・」
「インテリアでもいいじゃないですか。欲しくて買ったことに変わりはないですから。まあそれも飽きたんでしょうね」
「はぁ、このレンジは、言わなくていいこともあるだろ」ケトルは呆れる。
「事実、ですから」
「何が事実よっ!この理屈ジジイッ!!」トースターは叫んだ。
「ジジイって、あなたのほうが旧式じゃないですか」
「んあ〜もうっ!」
トースターがすっかり気を落としてしまっていた、ある夜。
タクミは急にトースターにこびりついた埃を、キレイに拭き取り出した。
「うそ!どうしたの急に?!」
トースターは驚き、歓喜した。
彼女をすっかり綺麗に拭いたタクミは、トースターをテーブルに移動させ、今度はいろんな角度からスマホで写真を撮りはじめた。
「なんてこと!タクミにとって、私はやっぱり特別だったんだわ!ああ良かった!」
「嬉しそうだな、トースターのやつ」
ケトルは嬉しそうな彼女を見て笑っていたが、レンジの表情は暗かった。
「・・・・ほんとに、なんにも知らないんですね、あのひと」
トースターは、フリマアプリで500円で売られた。
長年住んだワンルームと、大好きなタクミとの、突然のお別れ。
狭くて暗い配送ダンボールの中で、トースターはしくしく泣いた。
こんな悲しいなら、捨ててくれたほうがまだ良かったのに。
トースターを買い取ったのは、マミという19歳の女の子だった。
まるまる太った、風船のような女の子。マミは何より食べることが好きだった。太っていることは全く気にしない、がはははと大声で笑う豪快な女の子だった。
そしてマミは毎朝、パンを食べた。
6枚切の食パン2枚をトースターに突っ込んで、こんがり焼けたパンの上に、りんごジャムを塗るというよりこんもり載せて、ワニの捕食みたいにばくんと食べた。
細身の青年しか知らなかったトースターは、最初、その光景に唖然とした。すると横にいた炊飯器が話しかけてきた。
「すごいだろう、うちのマミは、がはははは」
カリカリのご飯粒をたくさんくっつけた古い炊飯器は、持ち主と同じように大声で笑っていた。
そして食パンをペロリとたいらげたマミは、満面の笑顔で言った。
「うん、これがいい!」
恋するトースター ばしゃうま亭 残務 @bashauma_tei
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