#006 過去
日本に滞在していたのは十一年前だ。
京都の夏は熱帯雨林に近く、しかも風がない。だというのに当時の旅慣れしていないわたしはなにもせずに街の写真を撮り続け、危機感を覚える前に
しかし、どうだってよかった。
ギャアギャアと肌に刺さる
「おれの家の前で死ぬな、
それは、
「黙ってろ」
彼はわたしにスポーツ飲料水を飲ませると、彼の家に迎え、わたしがなにかいおうとする度に「寝てろ」と切り捨て、手厚く
結論からいえば、帰国までのひと夏、彼の家に滞在した。
彼はわたしがドクターだと知ると「医者の
着付けを覚えさせられたり、盆踊りをマスターさせられたり、目隠しでスイカを割らされたり、
彼と過ごした夏は、まさに人生の夏休みだった。
伸ばしに伸ばした帰国日が翌日に迫った夜、彼は
風が吹いて、ふ――と、胸になにかが届いた。
線香花火の火薬の香だ、と気が付いた瞬間に、蚊取り線香の香、彼の香水の最後に残るバニラの香りや、湿った土、い草の香、――夏の終わりの香りがわたしを包んだ。
わたしはそのとき初めて、匂いを感じていなかったことに気が付いた。
「ようやく匂いがわかったか。なによりだ。もう帰っていいぞ」
わたしはもう泣かなかった。彼の与えてくれた場所、時間、経験、言葉、それらがわたしの痛んだ部分を補ってくれていたから、泣かなくても大丈夫だった。人生で最も大切な再生の時間だった、が、「どうだっていい」と彼は最後まで礼をいわせてくれなかった。それが十一年前だ。彼とはそれから、本当に長い付き合いをさせてもらっている。
先日シャウエンで再会した彼は相変わらず彼のままで、また夏に行くよ、といえば「夏はやめておけ。最近は
だから、わたしはまたこの国にやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます