#005 シャウエン
シャウエンに着いたのは午後五時だった。
汗だくでなんとか辿り着いたホテルは中庭を囲むように客室が配置されていた。案内された部屋は豊かな色彩が使われており、異国に来た実感に気分が高まる。ウエルカムドリンクとして渡されたミントティーを飲みつつ、写真をパートナーに送る。向こうは深夜だから返信はすぐには来ないだろう。シャワーを浴びて仕事のメールを返すと、背後から眠気が覆いかぶさってきて、机に
目を覚ましたときには二時間も過ぎていた。開けておいた窓からスパイシーな香りがする。匂いにつられてフロントに向かうと、夕食の準備ができていることと、部屋と中庭どちらがいいかと聞かれた。ついでに豆知識のように「通りに面するところに庭を作ることは禁止されているので、大体の家には中庭があるんですよ。
中庭には色鮮やかな大小様々の
「おれを覚えているか、ドクター」
味わう前に、突然背後から声をかけられてむせてしまった。「おい、また派手にやったな」とわたしの背中を撫でる人を見上げると、モロッコらしい色鮮やかな布を肩からかけた
翌朝、約束の時間にホテルを出ると、日影で白いワンピースを着た黒髪の少女がりんごをかじっていた。青の通りに白と黒と赤のコントラストが映える。
彼らと青の通りを
そこからはシャウエンが一望できた。
「ところで何故こんなところにいたんだ、ドクター。驚きすぎて、夢かと思ったよ」
旅が好きなんだと答え、彼にも同じ質問を返す。ここは彼の国から遠い場所だ。わざわざこんなところまで来るほど、彼は旅好きでも写真好きでもなかったはずだ。
「遠くに来たかったの。それだけよ」
わたしの問いに答えてくれたのは彼の娘だった。
「もう会えないってわかってるのに、遠くで生きている気がしたの。だから、遠くまで来てみたの。おもちゃみたいにきれいな街……だけど、ここにもいないのね」
彼はなにもいわずに彼女の肩を抱く。彼らの間には痛みがあった。何度も何度も、目の前で見てきた痛みだ。街からふきあげてきた風が襲いかかってくる。汗の香、ミントの香、スパイスの香、果物の残り香、彼の香水の深い森の香。すべてが混ざり合い、このおもちゃのような街にぴったりの夏の匂いになっていた。
遠くで虫が鳴いている。わたしは彼らの隣で、街を見下ろすしかできなかった。
彼らの日程に合わせ滞在を終え、空港でハグをして別れた。彼女はハグに慣れていなかったのか顔を真っ赤にしてしまい、彼に耳をつねられたのもいい思い出だ。
自国の空港に着いたのは深夜だったが、秘書が迎えに来てくれていた。荷物を預けると最早慣れた調子で鼻を寄せてきて「サマーキャンプみたいな香り」と微笑む。たしかにそうだ、思い返せば、あれは遠い夏の匂いだ。
「遠くに行ってきたからね……遠くの香りがするんだよ」
わたしはまた日本に行きたくなった。どうしてもまた、あの夏の匂いに包まれたくて、やはり夏にいかなくてはいけないと、強く思った。
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