#004 ロヴァニエミ


 ロヴァニエミに着いたのは午後二時だった。ヘルシンキでの講演が入った際に秘書が寄りたいというので、休みを出すから一人で行けばいいと返したら、秘書はえさをもらえなかった犬の顔で、一人旅は怖いと訴えてきたので、わたしも予定をつけてサンタクロース村への旅に同行することにしたのだ。

 ロヴァニエミ空港からタクシーに乗り、サンタクロース村に向かう。北極圏ほっきょくけんにあるサンタクロース村には全世界からサンタクロース宛の手紙が届くらしい。何人サンタクロースがいるのかわからないけれど大変だね、と運転手に話しかけると「サンタは一人ですよ?」と返された。分業だと思っていたわたしはすこし恥ずかしかった。秘書は「楽しみですね」とわたしよりずっと楽しそうだ。

 サンタクロース村には冬の匂いがした。足元にうっすらと積もった雪に交じる土の匂いと、はりつめた冷たい空気、そして森の木々の匂いだ。けものの匂いに辺りを見渡すとサンタクロースのそりをひくためのトナカイがいて驚いた。秘書は浮かれた様子で「ドクター! 早く! サンタクロースに会いましょう!」とわたしのコートの袖を引く。まず荷物を置こうと秘書を引き止め、今日泊まるコテージに向かった。サンタクロース村では様々なアトラクションがあるのだと秘書が話すのを聞き流し、まず部屋についていたサウナに入ろうとすると、秘書にヤイノヤイノいわれた。郷に入っては郷に従えという先人の教えもあるし、サンタクロースに会いにいくことにした。

 このサンタクロース村では一年中サンタクロースに会えるそうだ。分業ではないのだから、サンタクロースに休みはないのだろう。わたしのような人間でさえ半年に一度はこうした休みを取るのにと考えつつ、サンタクロースがいる建物に入る。室内はクリスマス色に飾り付けられ、スタッフは皆笑顔で迎え入れてくれた。親しい友人のクリスマスに呼ばれたときのような高揚感こうようかんを覚える。サンタクロースが仕事をしているオフィスに向かう列に並び、わたしより楽しんでいるであろう秘書の顔を覗き見ると、仕事中の顔とは全く違う顔だった。これが秘書でないときの顔だとすると、わたしの秘書という仕事はとてもストレスフルなのかもしれない。すこし不安になって、仕事が好きかなと聞くと、もちろんですと秘書は笑った。それでも仕事はクリスマスにはかなわないのは、もっともなことである。

 サンタクロースのオフィスに入ると、たしかにサンタクロースが座っていた。

「さあ、入っておいで」

 彼は書き仕事をやめ、わたしたちを迎え入れてくれた。

しかしこのタイミングで秘書は照れてしまったらしく、わたしの背にかくれてしまう。取り残されたわたしとサンタクロースは目を合わせ、微笑みを交わし、こんにちはと挨拶をした。彼はとても優しい声をしていた。腕をつかんで秘書を背中から引きはがすと秘書は慌てたが、サンタクロースに挨拶されると感動で顔を赤くした。サンタクロースはとても優しく、聞きたいことはないかと秘書に話しかける。感極まってしまったらしい秘書は、母国の言葉で一気に話し始めた。大丈夫だろうかと怖くなったが、サンタクロースは秘書の手を握り、秘書の母国の言葉で丁寧ていねいに返事を返す。秘書が子どものような顔していて、それだけで、ここに来てよかったと思えた。

 サンタクロースと記念写真をる際に、ふと思い立ち、このサンタクロース村のレストランでお薦めの料理を聞くと、忙しいであろう彼は、しかし丁寧にわたしの好みを聞き出し、いくつかの料理を教えてくれた。とても親しい友人のようだ、と呟いたわたしに、サンタクロースは目を丸くして「知らなかったのかい?」とお茶目だった。なので、ついハグをしてしまう。彼からはクリスマスの匂いがした。甘く煮た果物、バターにチョコレート、それから昔のアルバム、暖炉で燃える木のぬくもり。全てが温かく優しい。これは間違いなく子どもの頃から大好きでたまらない友人の匂いだ。サンタクロースは楽しそうに笑って、わたしにハグを返してくれた。

「ドクター! ずるいですよ!」

 秘書に再三なじられることになったが、それを含めて、とても良い写真となった。

 その後はサンタクロースへの手紙を書いたり、サンタクロースが教えてくれたラップランド料理を食べたり、トナカイにそりをひかれたり、観光らしい観光を一通りしてからコテージに戻った。秘書は様々な土産を買い込んでいて、トランクケースからあふれ出しそうだ。だがそれもまたクリスマスらしく、秋だというのに心がはなやいだ。

 ロヴァニエミの滞在を終え、ヘルシンキ空港に向かう道中、秘書が神妙な顔で礼を述べてきたので、こちらこそと返した。自分一人であればヘルシンキでシナモンロールとコーヒーで満足していたに違いない。だから今回の旅は特別な経験だった。

「まだ、クリスマスの匂いがするね」

 いつもの顔に戻りつつあった秘書は、「ええ、本当に」と花笑はなえむ。今年はオフィスにモミの木を飾ろうと決め、搭乗手続きに向かった。 

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