第六話 馬鹿にするのも良い加減にしろ
多少固くなっていたパンを立ったまま口へと運ぶと、パンダは空を見上げた。まだ明るいとはいえ、夕暮れが迫って来ているようだ。
パンしかないのは上等な食事とは言えないが、それでも領主の屋敷が準備したものだけあって味がある。二日ばかりの旅の食事としては十分だろう。
とりあえず口に入れつつ、左肩にも差し出す。パンはあんまり好きじゃないと言いつつも、カラスはパンをついばんで飲み込んだ。
「肉じゃないからって贅沢言うんじゃねぇよ」
「言ってませんって〜せめて干し肉でもあればなんて思ってないですって!」
「思ってるじゃねぇか」
「ご主人様と言えど誘導は駄目だと思いますけどー!」
「んだとコラ」
思いっきり並んだ視線の先には、ぷいと顔を背けたカラスの後頭部。
使役獣なのにこのわがまま放題。天才魔術師の力をまたわからせねばならないだろう。
そっとカラスの首に狙いを定めて手を伸ばしかけ、それは小さな笑い声によって阻まれた。
声の先には、かすかに目尻を下げたロイの姿。
「ん?」
「あっ、いや……」
そのロイはというと、パンダの視線にすぐに固まってしまいアスターの後ろに隠れてしまう。だが、そこから、二人が仲良しだから……とおどおどした声が告げてきた。
「はぁ? この俺様がカラスと仲良し⁉︎ なんだその冗談は!」
「またまたぁ、照れちゃって! ご主人様とは一緒に育った兄弟みたいなもんでしょ〜」
「仮にも主人に向かって兄弟だと⁉︎ 図々しいぞ!」
カラスを絞めようと伸ばした手は、盛大な羽ばたきによって阻まれた。頬も巻き込み翼で叩かれながら、カラスの首を狙って手を伸ばすが相手も負けていない。
「いつもやられてばかりだと思ったら大間違いですよベーだ!」
「クソッ大人しく絞められろこのバカ
「烏じゃありません
そこでまた笑い声が上がる。ロイだ。今度は、顔をパンダ達の方へと向けて笑っている。
カラスへと伸ばしていた手を止める。子どもに笑われているなど示しがつかない。
「ロイ。パンダ様達に慣れて来たんですね」
「は、はい……とても、楽しそう……です……」
にっこりと笑ったロイが、次の瞬間にうつむいて顔を曇らせる。
「僕も、混ぜて欲しい、けど……でも、でも……」
「ロイ、どうしました?」
「僕、欲しくて……」
「ふん。なにが欲しいんだ? あいにく俺様は今忙しいんだ」
「良いんです、だって、だって僕が欲しいのは」
背中の紋様に一瞬鋭い痛みが走った。その痛みにつられるように、異様な雰囲気が広がった。
「————ッ」
ロイの口角が釣り上がり、その瞳が弓のように細められた。人が怖いというロイとは全くの別人かのような、ねっとりとしたいやらしい笑みが浮かぶ。
「君たちの命だもの」
「ロ、ロイ……?」
「アスターそいつから離れろ!」
「ははっ心配しなくても離してあげるよ!」
ロイの視線がアスターへ向いた。瞬間、その場で巻き起こった爆風で彼の身体は弾き飛ばされていた。
「クソッ」
瞬時に魔術を発動して、地面に叩きつけられる前に魔素の障壁で受け止める。しかし、爆風に打たれたダメージが大きかったのだろう、アスターはそのまま膝を折り地面に倒れ込んでしまった。
「アスターさん大丈夫ですか⁉︎」
「うぅ……ロイ……?」
「アスター、君は隠れ蓑としてとても役に立ったよ。だから特別だ。命をいただくのは最後にしてあげるよ」
今までのおどおどしたロイはもうそこにはいなかった。身体は子どもなのに、その表情はそうではないということを示している。
子どもではないというよりも、異質なものの気配。
アスターの瞳が歪んだ。
「お兄さん達は気づいてたんでしょ? 人が悪いなぁ」
「そうだろうと思ったのは街を出てからだがな」
街を離れれば、『厄災』の紋様とは遠ざかるはず。そうなれば反応も薄れるはずだった。
しかしそうはならなかった。むしろ今までよりもはっきりと反応しているように感じたのだ。
アスターか、ロイのどちらかだ。そう確信するのに時間はかからなかった。
となれば、パンダに付いて来たのは十中八九、途中でパンダとカラスを始末するためだ。魔術師団を街へ送り込まれては困るというわけだ。
「せっかく病に見せかけて命をいただいていたのに、治すとか反則じゃない?」
にっこりと無邪気な子どもの顔で笑ったロイの瞳だけが狂気を映して輝いている。
ほの暗い輝き。
「でも会えて嬉しかった。まさかお兄さんも紋様持ってるなんてね。持ってるでしょ? 反応してるもの」
「————」
「その命も紋様も僕がもらうね?」
「ざけんなガキ、この俺様に勝てると思ってんのか?」
「思ってるよ。だってお兄さん、攻撃系の魔術は苦手なんでしょ?」
「なんだと?」
血が沸騰したように全身が熱を帯びた。
こんなに完璧に魔法陣を描けるのに。そのイメージを維持することだって出来る。魔術を発動直前で留めておくことも出来る。普通は複数の魔法陣が必要だが、パンダは複雑な魔法陣一つで流れるように次々と魔術を発動させることだって出来る。思う通りの範囲や対象に当てられるし、なにより完璧にコントロールされているのに。
「僕が呼んであげた
人生の全てをただ一つの目的のために費やしたのに。
「威力が出ないんだよねェハハッお兄さんに攻撃系の回路を開く適正はないよ」
「そんなわけあるか! 俺様ほど魔素に耐えられる奴はそういねぇぞ!」
「ハハッむきにならなくても。そんじょそこらのやつらと比べたらそりゃそうだよ。でも、父親や宮廷魔術師たちと比べたらどうなの? ねェ」
「ふざけんな。あのクソ
あの女も、父親も、宮廷魔術師たちも、皇宮の偉い奴らも、そしてロイも。
みんなそれをなかったことにするつもりなのだ。そんなことが許せるはずがない。
「後悔させてやる」
「ご主人様落ち着いてください! あんな挑発に乗っちゃだめです!」
「うるさい俺様は冷静だ」
にやにやとロイがこちらを眺めてくる。細められたその瞳の奥の暗い輝きが、余裕に満ちていることに苛立つ。
なにより、あんな子どもに紋様が寄生してしまった事が、その原因が許せない。あの『厄災』の紋様を解き放ったのは父親だ。
迷惑この上ない事とはいえ、父親の犯した罪だ。なにも思わないなど出来るはずがない。
「生憎だが、紋様を集めて世界と勝負すんのはこの俺様だ」
「お兄さんじゃ力不足じゃない?」
ニタリと笑みを浮かべたロイが右腕を振り上げた。その手のひらを中心にパンダの顔ほどもある火の玉が無数に現れる。
ふり下ろされた腕を合図に、一斉に火の玉がパンダを目がけて襲いかかってきた。
迫り来る熱風が髪を巻き上げ、視界を奪う。左半身を引き、無意識に左手でカラスの首を押さえた。
右手で顔を庇う。
同時に展開した魔素の障壁がすんでのところで火の玉を全て弾き返し、ロイの近くの地面を焦がした。
「チッ……」
舌打ちしつつロイから距離を取るために、アスターの倒れている場所の真逆へと走る。
アスターの周囲にも障壁は張っているが、近くで戦うのは得策ではない。
「ハハァ、悪ぶってるのにいい奴なんだねぇアスターから離れたいの? いいよ離れてあげるよォ」
パンダの思惑などお見通しなのだろう。ロイは気味悪く笑いながらアスターへと背を向けて、パンダのいる方へと歩いてくる。
早くケリをつけなければ。
障壁を張り続けるということは、パンダの回路も開きっぱなしになるという事だ。魔素への耐性は常人とは桁違いにある。だが、それだけだ。耐性があるというのは、影響がないということではない。
時間が経てば経つほど、身体への負担は蓄積していく。精神への影響も出る。
「僕誰かのためにとか、そういうの好きだよ。そういう奴の命は美味いんだよォォ」
舌なめずりをするロイ。その表情は恍惚としている。
その細いのどがごくりと鳴った。
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