第七話 俺様は絶対に負けるわけにはいかない

「紋様を渡せ、ロイ」

「やだぁこれは僕のだ。お兄さんこそ渡しなよォ紋様と命をさぁァァ」

 魔素がロイへ流れるのがわかった。その回路が開くスピードは、パンダが攻撃魔術を使う時よりもはるかに速い。

 地面から噴き上がった風の刃を、地面に張った障壁で霧散させる。その様子に、ロイがヒュウと息を吐いた。

「へぇ! 人の回路の開きが見えるだけじゃなくて、もしかして魔素の動きも見えてるのォ? 発動もとんでもなく早いねェ攻撃魔術と違ってぇアハハずっとそうやって守ってればァ?」

「ぬかせ」

 魔素の動きも回路の開きもそのスピードも見えるからこそわかる。ロイには生まれ持った魔法への適性がある。その上、今は紋様の侵食でさらに力が増幅されている。身体への負担などの考慮もなく回路を最大で開いてくる。

 それでも身体が保っているのはおそらく、もう、手遅れだからだ。紋様に侵食されて人ではないものに変質している。

 だからこそ、ロイの攻撃魔法はパンダよりも上だ。速さも威力もある。

 このままではまずい。防戦すればするほどダメージを受けるのは自分だ。

「ほらほら、守ってみなよォ」

 魔素が流れる。ロイが回路を開き切るまでの一秒にも満たない時間で、パンダは周囲に障壁を展開した。

 高速で打ち込まれた衝撃波が木々の葉を一斉に吹き飛ばし地面を穿つ。炎が噴き上がり、空気を熱して空を赤く染める。無慈悲な雷が轟音と共に降り注いだ。

 障壁に次々と容赦無く叩き込まれる魔法に、さらに回路を開いた。魔素の出力を上げる。

「パンダ様、大丈夫ですか⁉︎」

「俺様を誰だと思ってるんだ」

 これくらい難なく防げる。速さだって負けていない。今はまだ。

 ロイの身体がぐにゃりと歪んだ。その小さな身体が膨張したかと思うと、また元の姿に戻った。今度は液体のようにどろりと人の形が崩れていく。

 カラスが息を飲んだ音が聞こえた。

「ハハァ面白くないなぁ! 紋様を活かせてないねェ‼︎」

 ロイはきっと紋様の力を使ったのだ。最初は魔素の扱いが上手くなる、大量に使えるなど些細なことだっただろう。しかし徐々にその力に呑まれて行ってしまった。精神が蝕まれ、肉体すら汚染され変質した。

 人でないものになったロイは、魔素の影響など度外視だ。もうすでに精神は崩壊していると言ってもいい。

 再びロイが人の姿に戻る。そして高らかに笑った。

「僕は大丈夫さ、たくさんの命を集めることができるからね!」

「お前まさか! クソが‼︎」

 今この時もロイは、街の人々の命を集めているのだ。無理矢理回路を開いて、崩壊していく精神と生命を集めている。

 紋様がロイを、ロイが街の人々を支配している。

「お兄さんの紋様もちょうだい。そしたら僕はもっと強くなる。もっと命を吸えるアハハッ」

 笑いながらロイが右腕の袖を破り捨てた。そこには、直径三センチほどの赤黒い歪な紋様が刻まれていた。

 パンダの背中にあるものよりも大きいその紋様は、ロイの腕で脈動しながら邪気を放っている。

 背中の紋様が疼いた。

「断る」

「まだ人のつもりなのォ?」

 ニタァと笑みを浮かべたロイへと魔素が流れる。

 爆風が吹き荒れ、砂を巻き上げ視界を奪う。障壁を張りながら、空間認知能力を上げるための魔法陣を描く。

 鋭い針の先のように研ぎ澄まされていく感覚。世界の音がはっきりと、しかし一つ一つが独立して届く。

 風の音に混ざるなにかが移動する音。

 右に身体を捻った瞬間、そこを赤黒い塊が襲った。

 カラスを押さえ、素早く宙返りをしてその場を離れる。そこには蠢くロイの成れの果てのような姿。

 ロイの足元から、魔素で形作った荊が噴き出し、その身体を地に留めようと蔓を伸ばす。しかし、どろどろと溶けるように荊からロイは抜け出し人の形へと戻る。

「不便でしょ、人でいるのって」

 背中の紋様が焼けるように熱い。

 街の人々の命をロイにこれ以上やるわけにはいかない。

「容赦はしない。覚悟を決めろ、ロイ」

「ハハァ僕の方が強いのに!」

 ロイの身体が跳ねる。跳躍と同時にふり上げた手から電撃が走った。それを障壁で受け流し走る。風の刃を放つと、巨大な火柱がそれを塞いだ。

 その炎の向こうで魔素が動く。激しい魔素の礫が炎の中から飛び出した。難なくそれを防いだものの、また炎が巨大な火柱となってパンダの下から噴き上がる。

 どれほどの魔素を流し込んでいるのか、その炎は全く収まる気配がない。

 研ぎ澄まされたパンダの耳が、ロイの笑い声を拾う。

「このままどっちが先に倒れるか勝負してもいいんだよォ」

 額にうっすらと汗が浮かぶ。

 障壁に今のところ問題はない。しかし、自分とアスターの周囲にずっと障壁を張っているため、常に回路は開き魔素を流しっぱなしだ。その上、ロイを攻撃したところで簡単に相殺されてしまう。

「パンダ様‼︎」

「クソったれが」

 もう猶予はない、一か八か勝負しなければ。

 炎の中から雷が飛び出し、障壁を撃つ。空気が震え、薄暗くなっていく空を照らす。

 走ってその中から抜け出し、どんどん魔術を放つ。相殺されるのも構わない。

 息が切れる。それは走ったせいではないのはわかっている。

(俺様が負けるだと?)

 この状態が続けば負ける。それは確信を持ってパンダの心を占めていく。

 紋様が熱く、そして鋭く痛む。その痛みが研ぎ澄まされた神経を通して、身体中を巡る。脈打つ。

 空中に四つの魔法陣が同時に浮かぶ。その中心がロイを向き、そこから魔素の弾丸を放った。魔法陣からの攻撃は止まないものの、ロイの放った爆風に相殺されている。

 このままでは街中の命がロイに奪われ、それは今に範囲を広げるだろう。『災厄』が訪れる。そのイメージが広がる。

(まずい……)

 精神に影響が出始めている。脳内にこびりついた、大地が死におおわれるイメージが拭えない。

 手をかざす。意識を集中する。

 魔法陣が二つ増える。それでも、ロイの爆風を破れない。

 父親サンタだったら、ロイなど相手にもならなかっただろう。そう思うだけで胸がつかえる。どんなに努力してもまだ届かない。

「弱いよォ! 本当にお兄さんは攻撃の威力が出ないんだねェ! アハハハハッ」

「うるせぇガキ!」

 悪い予感を払拭するかのように叫び返す。『厄災』など起こさせてたまるか。

 ごうっと音を立てて爆発した暴風が魔法陣を消し飛ばす。それを見越してまた空中に六つの魔法陣が瞬時に浮かんだ。間髪入れずにロイへと弾丸を放つ。

 走る。腰に差した剣が音を立てている。足が軽くなり、身体の痛みが遠のく。

 遠くにアスターが倒れているのが見える。その瞳がロイを見つめているのもはっきりと見えた。

 心臓が激しく鼓動する。

 魔素の出力を上げる。さらに三つ増えた魔法陣がロイを襲う。しかし、ロイの放つ爆風がそれを届かせない。それどころか、その暴風の中からパンダ目がけて電撃を次々と打ち出してくる。

 それを踊るように避けながら走る。

 頭の中に魔法陣を描いた瞬間に発動させる。さらに鼓動が早く、身体が軽くなる。周りの風景がスピードを落とす。肌の感覚が透明になっていく。

 空中の魔法陣がさらに増えた。ちらりと横を見ると、カラスのと視線が交わった。

 こんなところで終わるわけにはいかない。父親をぶっ飛ばして、『厄災』の紋様を回収し終わるまで。

 今はまだ、届かないとしても。いつか。

「よし」

 足を止め、ロイのいる方へと向き直った。

 にやりと口角を上げ、魔法陣を描き発動直前で留める。

「行くぞクソガキ」

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