第五話 俺様の邪魔はするなよ

 夕暮れまであと一刻ほど。その森の中の一本道は帝都へと続いている。それはパンダが歩いてきた道でもある。

 その道に止まった馬車を背に、パンダは巨大な青い狼と対峙していた。前足だけで、パンダの身長ほどもある大きさだ。その巨大な口に並ぶ牙にやられれば、簡単に胴がちぎれてしまうだろうことがわかる。

「こんな場所に青狼ロボがいるなんて!」

 悲鳴のような声を上げたのは、御者席に座ったまま腰を抜かしていたアスターだった。その横にはロイがぶるぶる震えながら彼に抱きついている。

 青狼は、本来ならば人など到底立ち入れないような森林地帯深くに住む獣だ。こんな人里近い、まして街道沿いになどいるはずがない。

「だから来るなと言っただろうが馬鹿が!」

 馬を用意しろと言ったものの、用意されていたのは馬車だった。これまで遣いの者を送っていたが、今回ばかりは自分も行きたいとアスターが主張したのだ。

 正直、パンダが馬で走った方が早く着くのは火を見るより明らかだ。馬車など時間がかかる上に、馬にも負担がかかるためそれなりに休まなければならない。それでも懇願するアスターに、御者として馬車を任せることで折れた形だ。

 効率の悪い矜持など理解はできない。ロイがついて来てしまったのはある程度折り込み済みだったとはいえ、こうなっては苛立ちしか産まない。自分でもう一頭に乗って共に来るのではなく馬車なのは、ロイのためもあるのだろう。

「カラス、後ろの二人と馬は任せる」

「はい。でも私は防御系は苦手ですからね! 早く片付けて下さいよ」

 バサバサと翼を広げてなけなしの浮力を生むと、カラスは肩から飛び降りた。少しだけ滑空して地面へと降りると、今にも暴れそうになっている二頭の馬の足元を抜け、御者台へとジャンプする。

「俺様を誰だと思っている」

 すでに頭の中には精巧な魔法陣が描かれている。その回路を開く設計図に従って、必要な回路はすでに開いていた。

 魔法陣のイメージを保ち、かつ発動直前で回路を開いたまま止めておけることがパンダの強みだ。あとはいつでも好きなタイミングで発動すればいいだけだ。

 一般的な魔術師だと、目視していなければ魔法陣のイメージを保つことすらできない者がほとんどだ。世間の魔術師のイメージも、このイメージが定着している。パンダが治療の際にパフォーマンスとして行っていた方法だが、効率の悪さは否めない。しかも回路を開いてしまえば発動を止めることすら出来ない者ばかり。さすがに宮廷魔術師になってくると可能な者もいるが、それでもパンダほどの精度で使えるものは皆無だった。

「こんなところで油を売っている場合じゃねえんだ、俺様の美と才能が正しく広まるかの瀬戸際だからなッ」

 叫んだ瞬間に魔術を発動、青狼の足元から炎が噴き上がった。青狼の叫び声が上がったが、炎が毛を焦がす前に体を反転し後方へと逃れていく。それを追うようにして、地面から鋭い空気の矢が青狼の体を貫く。

 曇った空を咆哮がつんざいた。

「悪く思うなよ」

 喋っている間にも素早く魔法陣を描き、次々に発動させていく。なにもない空間から発生した爆風が青狼を吹き飛ばし、地面に叩きつける。それと同時に、空気の刃が切りつけ、赤い血が飛んだ。

 駄目押しするように青狼の頭上の空気が歪み、見えない重りのようにその体を地面へと押しつぶしていく。それによって、さらに血が噴き出した。

 燃えるような青狼の瞳がパンダを捉える。それは生への渇望に満ちた、ただそれだけの瞳。そのために目の前の敵をただ排除するという意志。

 鋭い爪が地面を掻いた。押し潰されていた体を必死に起こし、吠えた瞬間にその巨体が空気の重りをふり切り宙を飛んでいた。

「なんだと⁉︎」

 パンダの上に巨大な影が落ちる。そしてきらめく鉤爪。

 舌打ちして上体を右へひねり、まるで踊るかのようにステップを踏んで致命傷を与えようとした鉤爪を避ける。地面についた足がパンダへと向かう前に、素早く距離を取ったが、青狼の瞳はもうパンダを見ていなかった。

 馬のいななき。

「させるか!」

 馬車へと向き直ると、まさにその鉤爪が馬を捉えようとしていた。

 間一髪で張った魔素の障壁が鉤爪を弾いた瞬間、青狼の鼻先で爆風が巻き上がった。その爆風に吹き飛ばされ、青狼は地面に叩きつけられる。カラスが魔法を放ったのだ。

 さらに追い討ちをかけて炎の柱が噴き上がり、青狼を焼く。

 パンダの張った障壁で爆風からは守られたものの、馬がパニックを起こして鳴いている声がする。早くしなければまずい。

「これで終わりだッ」

 青狼を取り囲むように光が輝いた。そこに現れたのは八つの魔法陣。それぞれ違う模様の複数の魔法陣を間違わないよう目視で描いたのだ。好きな方法ではないが、威力を上げるためには致し方ない。

 血が沸騰したかのように体が熱くなる。回路が開き、膨大な量の魔素が流れ込んだのだ。その熱さのまま、魔術を発動させた。

 魔法陣が輝き、そこから魔素の矢、炎、爆風、刃、圧縮、衝撃波、雷、礫が青狼へと襲いかかった。

 地面ごと抉り取る衝撃に、青狼の断末魔の声が響いた。

 どうと音を立てて地面に倒れた青狼は絶命している。背中の紋様が鋭く痛んだ。

「あ、あぁ……助かった……」

 安堵したようなアスターの声。

 無事だったのは良かった。だが、苛立ちは抑えられない。

「さすがご主人様! お見事です!」

「当たり前だろう」

「私の魔法も見てくれましたか? ねえねえ!」

 駆け寄って来たカラスの首を苛立ちまぎれにつかむと、荒っぽく肩へと乗せる。

「ゲホ……酷いじゃないですか〜」

「カラス、青狼を焼け。灰になるまでな」

「はいはい。血の臭いで他の獣が寄って来ても困りますし、邪魔ですもんね」

 カラスの瞳が赤く光り、青狼の遺骸の下から炎が吹き出した。その炎は、まるで意志を持つかのように青狼だけを焼いていく。周りの木々に燃え移ることもない。それだけカラスの魔法のコントロールが出来ているということでもある。

 肉の焼ける臭いがあっという間に辺りを覆った。一瞬食欲をそそる匂いがしたものの、すぐに焦げた嫌な臭いへと変わっていく。

 背後では、アスターが馬をなだめている声がする。馬たちはまだ興奮状態のようだ。

「馬を休ませておけ。なにか食べるなら今しろ」

「そうですね。馬に水と餌をあげておきましょう」

 アスターが頷き、馬車に積んで来ていた水を出しに行く。ロイもそれについて行き、餌を持って来て馬の前へと置いた。

 馬たちが餌を食べ出したのを見て、微かに表情をゆるめたのがわかる。

「ロイもなにか食べなさい」

「は、はい……」

「パンダ様、食事にしませんか。大したものはありませんが」

「ああ」

 腹立たしいが、青狼を焼き終わるまではここにいなければならない。どうせ足止めになるなら、休んでおく方が効率的だ。

 ただでさえ馬車は足が遅い。時間を無駄には出来ない。

「パンダ様」

 アスターの方へと向き直ったパンダに、カラスが声をひそめて囁く。

「あの馬一頭拝借して、私達だけで帝都へ行きましょうよ」

「今さらなにを言ってるんだ」

「帝都から魔術師団を呼んだら、パンダ様の美と才能がかすれてしまいます。でも、見捨てることも出来ない。なら、助けは呼んで後は任せましょう。美と才能を広められる別の所へさっさと行きましょうよ」

 珍しくカラスの口調に焦りのようなものが浮かんでいる。

「私は、『厄災』の紋様を集めるなんて反対です」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことではありませんッあの方のご意志を無駄にす——ぐえっ」

 なおもなにか言い募ろうとしたカラスの首を絞めて黙らせる。

 本当に口うるさいことこの上ない。

「知るかバーカ。あの女のそんなところが気に食わないんだ。聖人みたいなツラしやがって俺様の意志は無視しやがる」

それならとことんやってやる。お前が皇宮から追い出した天才魔術師は、本当に天才だったと認めさせるのだ。絶対に。

「とりあえずは、飯だ!」


* * *


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