第四話 キリがないとか聞いていないぞ

 一晩経ち、パンダとカラスは朝早くから治療を再開していた。今アスターに連れられて来ているのは一軒の民家だ。患者が二人いるらしく、そのうちの一人を治療しようとしているところだ。

 なぜか今日もロイはアスターにくっついて来ている。よほどアスターのことが好きなのか、それ以外の人が怖いだけなのかはわからない。そのロイは暴れる患者が怖いのか、パンダの背後にあるキッチンへ続く扉の方に行った様子で視界には入っていない。

「始めるぞ」

 暴れるため椅子に縛りつけられている青年の足元に、魔素で魔法陣を浮かび上がらせる。その横には、魔法陣を見て驚きを隠せない若い女性。青年の姉だという。

 魔法陣を目視できるように描くのにもそれ用に回路を開かなくてはならず、頭の中で魔法陣を完璧に描けるパンダには面倒な作業である。しかし、これをすることでやっとこの姉のような一般人が驚くことができるのだから、美と才能の流布のためには仕方がない。

 治療は一瞬魔法陣が輝いただけで終わった。青年の回路は閉じられ、本来の状態に整ったのがわかった。青年の体からは力が抜け、まるで寝起きかのようにぼうっとした瞳を彷徨わせている。

「治ったのね、良かった! 今、解いてあげるわね……!」

 姉が涙目で青年を縛る縄に手をかけた時、背後で扉が開いた音と荒っぽい足音が響いた。そして、甲高い奇声となにかがぶつかったような鈍い音。

 肩の上にいるカラスを見ると、いつもは黒いその瞳が鮮やかな赤に変わっている。魔法を使ったのだ。

 ふり返ると、驚いたように腰を抜かしたロイの側に中年の女が倒れていた。その目はうつろで、倒れたままうわごとのようになにかぶつぶつとつぶやいている。こちらに駆けてこようとした女を、カラスが魔法で弾いたらしい。

「お母さん!」

「ロイ、危ない離れなさい!」

 姉とアスターの声が重なる。彼女がこの家の二人目の患者だろう。軽症ではあるが、彼女の回路もおかしなところが開いている。

 娘の声に反応したのか、女が起き上がった。そのまま、動けずにいたロイの髪につかみかかる。ロイが細い悲鳴をあげた。

 すぐさま駆け寄ろうとしたアスターを腕で制し、前へ出る。

「そこまでだ」

 人が襲われている以上、パフォーマンスのために描いていた魔法陣を描く時間も惜しい。

 パンダの視線が女を捉え数秒、女の身体から力が抜け落ちた。

 女の今の回路の開き具合、彼女の魔素を通せる適正値、本来の回路の状態。それらをすぐに見抜き調整したのだ。

 女がロイを手放し、額を押さえる。

「あれ、わたし……」

「お母さん、お母さん正気に戻ったの⁉︎」

 駆け寄った娘が泣いている。その様子から、ようやく自分が謎の病を発症していたのだと合点がいったのだろう。女はごめんねと娘の背をなでた。

 その横では、アスターがロイを助け起こしている。少し震えながらも立ち上がることは出来たようだ。

「さすがご主人様。たった数秒でこの精度。ほんと天才です」

「当たり前だ」

 アスターが青年の拘束を解くのを横目に見ながら外へ出る。美と才能を広めるのは最重要事項だが、過剰な感謝を伝えられて時間を無駄にはしたくない。まだ患者は残っていたはずだ。

 なかなか出てこないアスターに苛立つ。

「朝からこの台詞しか言ってなくて飽きて来ました」

「俺様を褒め称えるのに飽きたなどないだろう? あ?」

「あー、はいはいそうですねご主人様は素晴らしいですー」

 そう言いつつカラスは羽つくろいを始めた。昨日は水浴びをさせてくれなかったなどとぶつぶつ言っているが、その言葉は黙殺する。

 もう太陽は真上まで上がっていた。アスターがやっとロイを連れて家から出てくる。

「お待たせしました、行きましょう」

「ああ。早くしろよ」

 歩き出したアスターとロイの後を追いながら、釈然としないものをパンダは感じていた。

 今朝早くにアスターと落ち合った時にはすでに、あと少しかと思われていた患者が増えていた。夜中もひっきりなしにアスターの元に届く発症の知らせに、彼はあまり眠っていないという。

 一晩でここまで発症者が増えるものだろうか。これまでもこのペースだったのなら、この街はとっくに根絶やしになっているはずだ。だがそうではない。

 一晩の間になにか人為的な力が働いたとしか思えないのだ。

 パンダが治療を施していることが関係しているのではないか。そしてその根本に、パンダの背にも刻まれている『厄災』の紋様が関係しているのでは。そう考えるには十分な不自然さだ。

 そして今も。

「アスター様! うちの家内が!」

「魔術師様、今朝から娘の様子がおかしいんです、診てください!」

「さっきまで普通だった父が暴れ出して!」

 通りを歩くだけで悲痛な訴えが直接届くまでになっている。わずらわしいことこの上ない。

「俺様は一人しかいないんだ、治療はしてやるから待っていろ」

「でも! うちの子は他の人とは違います、酷いんです!」

「うちの方がひどいぞ!」

「俺が先に声をかけたんだ、お前らは後だろ⁉︎」

「ッち、いい加減にしやがれ後で診てやると言ってるだろうが言葉がわからないのかお前たちはッ」

 彼らが必死にしがみ付いてくるのをふり払っていると、騒ぎを聞きつけてまた治療を請う住人があとを追ってくる。哀れな住人たちを無視して歩いているような状態に、苛立ち悪態がもれる。

 それでも、懇願と小競り合いはやまない。

「なんだこれは、キリがねぇじゃねぇか!」

 これが良くない状態だというのはわかる。なかなか来ない治療可能な魔術師に苛立ち、なにをするかわからない。治療可能だという希望が見えたのにいつまでも来ないとなれば、その心理もわからないでもない。

 住人たちも余裕がなく、家族のみならず次は自分かもしれないという恐怖にみんなが苛立っている。今は小競り合いで済んでいても、近くそうも行かなくなるだろう。

 そしてもしこれが人為的なものなら、いくら治療しても患者は減らない。

 だとしたら……。

「おい、アスター。この状態は異常だ。帝都へ報告はしているんだろうな?」

 パンダが来る前の状態だって、発症すればいずれ死に至る病が頻発していたのは事実だ。それを領主のアスターが放っておいたのだろうか。

 普通に考えるのなら、帝都へ報告をし助けを呼ぶべき事態だ。

 帝都になら、パンダほどではないにしても、回路の開きを調節できる支援魔術師は大勢いる。それこそ宮廷魔術師たちを派遣してもらうこともできるだろう。

 もちろんアスターには原因がわかっていなかっただろうが、助けを呼べば調査が入る。原因の特定は難しくはない。

「はい、遣いの者は幾度か送っております。ですが、帝都から誰も戻ってこないのです」

 アスターの歩みが止まる。鎮痛な面持ちになったアスターを見上げ、ロイがそっとその手を握った。

 アスターを励ますようなその仕草に、彼の口から深い息がもれる。

「帝都から誰かが派遣されてくる様子もありません。サンタ様のご子息に言うのは憚られたのですが、我々は見捨てられたのかと……思って……」

 アスターの声が歪んだ。それまで押し殺していたものがモノがあふれるように、彼の喉から低い嗚咽がもれた。

 正直ここで泣かれても時間の無駄だし、アスターのそんな心情など知ったことではない。だが、帝都から誰も戻ってこない、派遣もされないという情報には耳を傾ける必要がありそうだ。

「そんなことあり得ます……?」

「帝都に着けなかったか、着いたが報告せず失踪したか、皇宮が見捨てたか。どれも不穏だな」

 もしくは、遣いを出したというのが嘘という可能性もあるにはある。だが、それはさすがに口に出さないでおく。

 とにかく、このままパンダが治療を続けたとしても、いたちごっこになるのは目に見えている。そんなのはごめんだ。

「やめた、俺様は降りる」

「え! ちょっとご主人様!」

「待って下さい、この街を見捨てるのですか! やはり帝都も見捨てたんですね⁉︎」

 アスターの切羽詰まった声に、周りでいがみ合っていた住人たちも動きを止めた。パンダに治療を頼んできたその口で、今度は口汚くパンダを罵り始める。

「俺様一人でどうこうなる人数じゃねぇんだよ。アスター、馬を用意しろ。帝都へは俺様が行ってやる。宮廷魔術師サンタの息子だぞ、皇宮にも宮廷魔術師にも腐るほどコネがある」

 父親サンタの名を出すのは苛立ったものの、効果はてきめんだった。アスターの表情がぱっと明るくなる。

「俺様が口添えすれば、たとえあちらに裏切り者がいたとしても無下にはできない。魔術師を派遣するしかないだろうな」

「たしかに。なんせパンダ様はエカ——んんッ」

 カラスの口を物理的に塞ぐと、アスターを促す。大きく頷いて、屋敷で待っていますと告げ全速力で走り出したアスターの背を、ロイが慌てて追った。

「悪いが、もう少し待っていろ。必ず帝都から魔術師団を送ってやる」

 住人にそう告げて、パンダも屋敷への道を急いだ。

 パンダが何日も野宿しながらきた帝都への道も、馬なら二日で届くだろう。

「ち、俺様の美と才能を広めるどころじゃないじゃねぇかクソったれが!」


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