第8話

 お風呂は今まで入ったことも無いほど熱くて、タッチパネルを確認すると四十三度。熱湯だ。うちは四十度いくかいかない位。あっという間に足が茹蛸みたいに赤くなっていく。結局、三分と入っていられなかった。こういうのを烏の行水というんだろうか。そういえば、昔誰かが烏よりもスズメの方が短いって言ってなかったっけ。あれは誰だったか。そんなどうでもいいことを考えながら髪を乾かした。お風呂もドライヤーも、どれもあまり使われた形跡がない。葵さん、ゆっくり休めているのだろうか。この家にはどうも生活感がない。具体的には、ここが安全基地だという雰囲気がない。


「お、おやすみなさい。」

「うん。おやすみ。」


 必死に断ったけれど、葵さんが譲らなくて、私は一人ベッドで横になっていた。葵さんは風呂に入った後、ベッド脇に置かれたソファで目を瞑っている。微かに寝息も聞こえる。もう眠ってしまったのだろうか。そんな彼女とは対照的に、私は全く眠れなかった。葵さんから聞いた話を受け止め切れずにいたからだ。それでも、真っ暗な世界で一人目を開けているのは怖くて、目を閉じた。

 なぜ葵さんが魔法少女を暗殺しているのかは分からないけれど、魔法少女の境遇と辿る末路を聞いてしまえば、死んだ方が楽なのかもしれない、とも思う。魔法少女のCМはテレビでも放映されてるし、その活躍はニュースになる。人々の憧れの的、子どもの夢でもある。そんなヒーローに負の側面があるなんて誰が信じるだろうか。ましてや、今の社会は少なからず魔力に支えられている。それが魔法少女達の屍の上に立っていると誰が思うのか。でも、だからこそ、真実味があった。そんな馬鹿なことを言うな、と笑い飛ばせればどんなに良かっただろうか。私は幻想を歯車にして回る社会より、目の前のお姉さんを信じたい。

 葵さんには、今日はこれまで、と言われてしまった。あれは明日また話をしてくれる、ということだろうか。そう思った時、お風呂に入る前に葵さんが言っていた言葉を思い出した。


「今日はここまで。今日は泊まって。できるだけ早く元の生活に戻れるようにするから。」


 葵さんは確かにこう言った。別に何もおかしい所はない。でも何かが引っかかる。これもまた直感、だろうか。いや、そうじゃない。葵さんは「できるだけ早く元の生活に戻れるようにするから。」と言った。それが意味することは、さっき追ってきた魔法少女達を何とかしなければならない、ということ。つまり、近いうちに葵さんはあの魔法少女達と戦うつもりだろう。そして、魔法少女を殺すつもりだ。

 止めなくてはならない、とは思わない。けど、葵さんがどのような境遇で、どんな人たちと戦って、どう始末をつけているのか、この目で見なくてはならない、と思った。そうしてまぶたの奥で決意を固めた時、ソファで眠っていたはずの葵さんが動き出した。微かに布がこすれ合う音を聞いて、薄目を開ける。いつも通り、葵さんはほとんど音も立てずに立ち上がる。それから眠る私を数秒見つめて、一言囁いた。


「さよなら。」


 薄く、それでも鮮明な視界には、葵さんの悲しそうな流し目の軌跡が残り続けていた。

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