第2話︰邪悪を滅する大自然の刃


情報収集も終わって夜もふけた現在、この街で一番安いと紹介された宿屋の一室にて、本日の支出の内訳を纏めてみる。


宿屋一泊と新しい服を二着、屋台で売っていた肉の挟まったサンドイッチ、諸々合わせて銀貨二枚。

女の子が銀貨八枚で残金がゼロ。


「か……買っちゃった……」


呆然と呟く俺の前には、さっきのエルフ奴隷の女の子が立っていた。綺麗な金髪に翠の瞳……歳は自分と同じくらいだろうか。怯えと疲れの混じった様子でこちらのほうを窺っている。


奴隷購入が馬鹿のやることだと重々わかっていたはずなのに、どうして自分がこんなことをしてしまったのかわからない。

というのもこの子の値段を聞いてからの記憶が薄い。謎の多幸感と期待感が思考を一瞬にして塗りつぶし、気がついた時にはこの子を引き連れて宿のチェックインを済ませていて有り金全てを溶かしていた。

効率的云々の話ではない。もはや明日からの生活もままならない。


おかしい。こんなことありえない。

合理を極めると誓った自分が、凡百と同じような稚拙な衝動に身を委ねている──看過できない圧倒的な矛盾がそこにある。


「…………ま、まさか誰かに思考を操作されているのか……?こんな馬鹿な真似俺の意思でないことだけは確かだ、となると洗脳意外には説明がつかない……!」


イレギュラーを前にしても精神を乱さず現状の推測を始める──そんな合理的な俺の姿に思うところがあったのか、


「あの」


と、奴隷の女の子が口を開いた。

急に声を出すもので驚いて、肩が大きくびくりと跳ね、上手く返事を返せなかった。

女の子は途切れ途切れに話し出した。


「わっ、わたしは、リウといいます」

「この度はっ、お買上げ頂き、ありがとうございます」

「ご主人様のご要望に、この身の限りっ、尽くさせて頂きます。なんなりとお申し付けください」


「うおぉやっぱ可愛い!すげえよ流石は異世界だぁルックスの偏差値がオリンピック級かよ身震いしちゃうぜぇ……!」


目に希望はなく、細かく震え、怯えに怯えきった振る舞いと体の端々に窺える青痣が痛々しく、これまでこの子がどんな非道な扱いをされてきたか窺えるようで可哀想なのだがそれはそうとして滅茶苦茶可愛い。気が触れそうだ。


リウと名乗ったその子に、とりあえず買ってきたサンドイッチを渡して食べてもらうよう頼むと、恐る恐るといった感じで食べ始めた。

もちろん食事する様子も可愛かったが、そんな愛くるしい姿を目にしながらも俺は冷静に思考を回す。


──冷静に考えれば人を売買するのって倫理的にどうなんだ……!?異世界じゃ当たり前みたいな認識だったけど人権とかそのへんどうなってるんだよ……!?


──いやもしかして特に問題無いのか……?さっきの街中じゃ二十人以上が奴隷売買を目撃していたんだ、奴隷制そのものに問題があるなら良識ある大人が声をあげたはず……!歴史で習った奴隷制は人権を犯してるから駄目な制度って話だったけど、逆に人権さえ守って優しく扱えばセーフだったりするのか……!?俺が人生経験ゼロのクソガキだからよくわかってないだけで……!


──待てよそうなると人権の正確な定義はなんだ……!?俺はこの子にどこまで要求していいんだ……!?クソッ、奴隷買うのなんて初めてだから人としてセーフなラインが何一つわからねぇ……!なろうじゃ殆ど奴隷側からの要求だったから主人側からのアプローチのサンプル数が絶対的に不足してやがる……ッ!


わからないことを『わからない』と認めることができるところが真の賢者たる所以。

合理的に考えた結果、『情報が集まるまで軽率な行動は控えるべき』という結論に至った。


「た…………食べ終わりました」


丁度そこでリウがサンドイッチを平らげたので、買ってきた服の寝間着のほうを彼女に手渡し、そのボロ切れから着替えてもらうよう頼み、着替えの間部屋の外に出ることにした。


正確には、外に出ようとしてドアノブを掴んだ次の瞬間、自身の身体が石のように固まった。

合理を極めた俺の頭脳が『三秒手を繋いでもらうくらいならセーフなのでは?』という深遠たる論理を導き出したのだ。


「………………………………命令だ。さっ……五秒だけ」


と、ちょうどそのタイミングだ。

パキッと何かが割れる音がした。


「?」


俺はドアノブを掴んだ状態で硬直していて、背後から聞こえたその音の正体を掴むべく振り返る。


リウがナイフを構えて走ってきていた。


「────ゔぁっ!?」


リウの身体が勢い良くぶつかり、衝撃に耐えきれずその場に倒れ込む。

突然のことだったので目を白黒させ、とにかく自分のお腹を見てみた。

へそのあたりに薄い木の板が刺さっていた。


「────あ、えっ……」


色合いが床の木と似ていたことから、さっきの音は床板をはがした音で、ナイフだと思っていたのは俺の見間違いだったようだと気づく。

脈打つ心臓の鼓動に合わせるように、みるみるうちに痛みが増していく。


「ひっ……!?あ゛……あっ、うああ゛っ……!?」


経験したことのない種類の苦痛に恐怖を覚え、逃げるようにリウのほうへ視線をやる。


彼女はじっと自分を見下ろし立ち尽くしていた。

彼女は明らかに動揺していた。膝は笑い、瞳は揺れ、焦点は定まらず、腹の木の板と俺の顔を何度も交互に見返していた。


やがて彼女は口を開いた。


「………………ごめ、んなさい」


彼女は俺の腹から床板を引き抜いた。

直後、再び勢い良くへそに突き立てる。


「あ゛ッ!!!」


同じ行為が延々と繰り返された。

腹の肉をかき回される度に俺は激痛へ悲鳴をあげ、十回を超えたあたりで痙攣するのみになる。

嫌味なほどにゆっくりと俺の意識は薄らいでいった。

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