他愛のない話

 知らない男に徹底的に乱暴されたことを、玲那は夢だと思うことにした。その後、男が再び現れるようなことはなかったし、下腹部の痛みもドロッとした何かが零れてくるのも収まったこともあり、春休みが終わって四年生として学校に通うようになる頃には彼女自身も元通りになっていた。

 元通りになった気がしていた。

 だが実際には、男は玲那に対して確実に変化をもたらしていた。彼女の中に、それまでとは確実に違うドロドロとした濁った何かが、この時はまだほんの僅かではあったが、まぎれもなく芽生え始めていたのだ。

「……」

 それが何かは、彼女自身が自覚していなかったので分からない。しかしそれは確かに彼女の成長と共に大きく膨れ上がって、やがて彼女の根幹となるものであった。

 この時点でも、玲那は時折、大人が見てもゾッとするような不穏な表情をみせるようになっていたのだ。

 いつものようにスーパーに買い物に行った時、彼女がレジに並んでいると、品のなさそうな中年女性が、僅かに前の客と隙間を空けていたところに割り込んできた。

「!?」

 瞬間、玲那の表情が変わる。それは、明らかに殺意を持った者のものだっただろう。

「なにあんた? 文句でもあんの?」

「……」

 それでもこの時は何も言わなかった。自分の力で勝てる相手でないことは分かっていたからかもしれない。

「まったく。気持ち悪い子供。親がちゃんと躾けてないんでしょうね」

「……」

 とは言え、このことが表立って玲那の人間性そのものに影響を及ぼすようになるにはまだ猶予あったはずだ。

 あの事件までで終わっていれば……


 あの事件から半年、両親の娘に対する仕打ちは相変わらずだったものの、玲那はその状況に適応してしまっていた。心を閉ざし余計なことを考えないようにすることで受け流す術が完全に身についていたのである。

 日中はまだ暑いとはいえ朝夕には秋の気配も感じられるようになってきた頃、憂鬱な運動会も無難に乗り切った彼女は、それなりに平穏な日常を送っていたと思っていた。あくまで、彼女にとってはだが。

 しかしこの頃、幼い彼女をどうしてもいたぶりたい何者かでもいるのか、ロクでもない大人がロクでもないことを話し合っていた。

「なあ、おたくんとこ、小学生の女の子都合できんか? 小学生、できたら十歳以下の子がいいんやけど、もし用意してくれたら十万出すで」

「十万かぁ……でもなあ、中学生くらいまでなら心当たりもあるけど、小学生となるとさすがにな」

「そうかあ、やっぱ無理かなあ。とにかくいっぺんでいいからヤってみたいんやけどなあ」

「ん…待てよ…? そうか! 十歳や! 十歳くらいなら心当たりある!」

 パン、と手を叩いて嬉しそうにそう声を上げたのは、玲那の父、伊藤いとう判生ばんせいであった。



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